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まずは全力でぶつかってみてから、

自分にいい顔をしてくれる人に対してだけしか
好意的に接することのできないような人間には、絶対になりたくない。

世の中を味方と敵に分けて拒絶や不寛容や切り捨てを無自覚に行ったり、
自らの都合に合わせて平気で誤解をしてしまったり、
そんなことの中からは何も生まれてきやしないし、拡がってゆかない。


たしかにそういう生き方の方が余計なエネルギーを使わずに済むので
楽かもしれないし、利口な生き方なのかもしれない。

しかし、その手間を惜しんで自らの人生の可能性を限定させたくはないのだ。


それに、人とぶつかってムカついたり悔しい思いをしたり、
人とすれ違って寂しい思いや悲しい思いをしたり、
そういうことだって人として生きていることの証な訳なんだから、
そんなに思っているほどに悪いもんじゃないんじゃないかと思っている。

そういうしんどい思いがあるからこそ、
嬉しいことに出会えた時の喜びは大きなものとなるのだと思うし。


ましてや、「この人とは合わないなぁ」などと思っていた人と
ことあるごとに真っ向からぶつかっているうちに、
いつの間にかお互いを認め合えるような関係となれていた、
なんてことも結構あり得ることでもあるし、
そうやって築かれた関係ほど貴重なものはないとも思う。

だいたい、人と合う合わないなんてのは、
先入観からくる一時的な思い込みであることがほとんどで、
そんなその時の気分だけの不確かなものに振り回されて
貴重な友を得る機会を失ってしまうなんてことは本当に勿体ないことだ。


別に博愛主義を標榜するつもりはないが、
しかしつまらない個人的なこだわりにとらわれて
人を拒絶することだけは絶対にしたくはない。

人と出会ったら、まずは全力でぶつかっていってみることだと、そう思う。

判断を下すのはさ、それからだって遅くはないじゃん。
by syohousen | 2012-07-31 12:18 | ものの見方・捉え方について

「何言ってんだ?」とつっこみたい時ほど、

「こいつ何言ってんだ?」と脊髄反射でつっこみを入れたくなる時ほど、
自分はその対象のことを見下していやしないか、
勝手な思い込みでフィルターをかけてその言葉を受け取ってやしないか、
ということを省みるようにしたい。


思うに、そこに敬意がないから、
平気で相手の言葉を安易に受け取れちゃうのではないか、
そんな気がするのです。

逆に言えば、そこに敬意があるからこそ、
相手の話の真意をしっかり理解しようと努めることが
自然に行えるのではないかなと、そう思います。
by syohousen | 2012-07-30 10:53 | ものの見方・捉え方について

いったい何と闘っているのか?

いったい何と向き合っているのか?何と闘っているのか?
それは創作に取り組む際には常に問うていたいことだと思う。


競い合いはとても大切なことだけれども、
それが個人的な好き嫌いを元にした
相手への否定を目的としたものであるのならば、
それは自分の都合しか見えていない人間の
単なる足の引っ張り合いにしかならず、
そんなものはものを創る際には邪魔にしかならない最低の発想だ。

自分自分自分自分と、肥大化した自意識を守るために
創作を行おうとするのは、同じ道を歩もうとしている人間にとっては
はっきり言って迷惑なだけで、それはお客さんにとっても同様である。

何故ならそこには“畏れ”がないからだ。


創作を、個人的な事情のために、自己正当化のためだけに利用しようとするな。

そんな敬意の欠片も見られない関わり方をしていれば、
いつか手痛いしっぺ返しが返ってくるだろう。


というか、そんなちっぽけなことの実現のために
ものを創る、という行為はあるんじゃないんだよ。

礼を失するような真似だけは、やめてもらいたいなと心の底から思う。
by syohousen | 2012-07-29 11:29 | つれづれと

騙そうってんなら、

その場限りの取り繕いは、必ずばれる。

騙そうってんなら、その嘘を墓場まで持っていってみろってんだ。

そこまでやれるんならば、こっちだって騙されてやるよ。

但しその嘘がばれた時は、場合によっちゃあ一生軽蔑し続けると思う。


そしてそれはたぶん覆ることはないかと。

別にそれを全ての判断基準にするつもりはないけど、
ひとつの判断のための材料として、ずっと残り続けるのは確実。

だってさ、人を欺くって、そういうことでしょ?
by syohousen | 2012-07-28 23:42 | つれづれと

変わり続けているから、変わらないんです

足し算が、単純な足し算にならないことって
この世の中には沢山あるんだけどなぁ、、、


足すことで引かれてしまうこともあって、
特に目に見えない、形にならないものってのは
単純に足し算引き算で考えられなかったりする。

一度引かれたものが二度と戻らないこともある。


だからこそ、変わらないものっていうのは大事なんだと思うんですよ。

特に、実演家の人ならわかると思うけれども、
「変わらないものを表し続けること」が実は実演家にとって一番難しいです。

何故なら、身体も変わるし、環境も変わるから。

そして何より、時代が変わることで価値観が大きく変わってゆくから。


そんな中で同じことを再現しようとなると、
実演家自身が変わり続けるしかないんです。

変わり続けているから、変わらないように見えるんだってことを、
もっとよくわかってほしいなって思います。


変わらないことは、決して怠慢の結果ではないです。

むしろたゆまぬ努力の結果、変わらずにいることができる訳で、
だからこそ、伝統芸能というものは残してゆく価値のあるものなのだと思うのです。

思いつきで無くしてしまっていいものでは決してないし、
今の自分達の価値観だけで決めてしまっていいものでもない。


変わることは大切ですが、同時に、変わらないものの大切さにも、
もう少し目を向けてほしいし、気付いてほしいなと、心より思います。
by syohousen | 2012-07-27 12:45 | ものの見方・捉え方について

7/24(火) 寺子屋レポ

7/24(火)14:00~16:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋【実践編】』 @10-BOX box-4

【進行】
■ここ最近の印象に残ったことを話す
→今取り組んでいる演劇の現場のことを話してみる

■自宅の玄関を出てからここへくるまでの道のりについて説明してみる
→その説明を、同じように再現してみる
→フィードバック
→再現をしようとしなくていいから、再び自宅の玄関からここまでの道のりを説明してみる
→フィードバック
→一つ前の説明を、再現してみる
→フィードバック
→立ち上がった状態で、もう一度再現してみる
→フィードバック
→一つひとつのイメージを、身体と連動させることを強く意識して説明してみる
→フィードバック
→前回の説明時に出た動きの単語の音を、やや誇張気味にして説明してみる
→フィードバック
■今度取り組む予定の作品の舞台上の装置及びそこから見えるイメージの風景を説明してみる
→フィードバック

■発声診断

■今日全体のフィードバック

【ふりかえり】
今回の寺子屋では、情景描写を語ること、特に自らの中にあるイメージを明確に持つこととそのイメージを身体とどのようにして連動させてゆくか、ということを重視して進めていった。
まあ、とはいってもそれは予めそのような内容にしてゆこうと決めてそう進行させていったのではなくて、冒頭に行った雑談から、今の参加者に必要なことはこれかな、と判断しながらその瞬間瞬間に生まれたものを拾い集めながら進行させていったことでもあって、だいぶ型のない、あの場でしか行うことのできない内容のWSとなったなと、そう感じた。

まあ、とはいえこのやり方は指導する側にとっても非常に難易度の高いアプローチではあるため、いざ行ってみたところ反省すべき点も沢山あったのだが、しかし同時に、このアプローチによって指導者側と参加者側の双方にとって得るものの非常に多い貴重な時間となれたのではないか、という実感がある。

従って、今回行った内容に関しては今後しっかりとブラッシュアップさせてゆき、ひとつの俳優訓練のアプローチ法として確立させてゆけたらなと思っている。
その時その時での参加者の状況によって特化させるポイントを自在に変え、同じことを同じ場で行いながらも得られるものが人によって全く違う、というような非常に柔軟性の高いエクササイズとなれるような気がしているので、なんとしても形にしてゆきたい。


それはそうと、今回で一応7月分の回も終え、仙台での寺子屋始動から1ヶ月半が経過した訳だが、どうも人の集まりが芳しくない。
そこで、今後は日程の決め方に一工夫加えてみようかなと思っている。

まあ、この土地に定着してゆくまでは、色々と試してみながらの開催になるとは思う。
が、継続させてゆくことこそを最重要視している取り組みのため、多少の困難が続こうとも頓挫させるつもりはない。

これまで通り、参加者の数に一喜一憂するのではなく、参加して下さっている方へ心からの感謝の念を持って全身全霊を以て接してゆくことを強く意識しつつ、取り組んでゆきたいなと、そう考えている。
by syohousen | 2012-07-26 10:33 | レポート(主催)

まずは、やり尽くしてからだろ

若さや経験不足を、
言い訳の材料として使っているうちは
その人に成長はないと思う。

足りないのは事実で、
そんなことはもう取り組む前から重々わかっていることなのだから、
そこを踏まえた上でどう行動してゆくか、だろう。


今の自分にやれることは可能な限りやり尽くす、
という姿勢には、若さも経験量も関係ないはず。

やり尽くしていないから、言い訳が出るんだ。


それに、若いうちや経験不足の時だからこそやれることだってある。

若いこと、足りないこと、知らないことが
逆に武器になることだってあり得る訳なのだ。


とにかく、四の五の言わずにまずはやることだと思う。

ぐだぐだ文句を垂れたところで経てきた時間の差は埋まらないのだから。

ならば埋めないままに、その埋まってない差の部分を利用すればいいのだと思う。

そういう闘い方も、あるはず。

そしてそうやって“今”に全力を尽くすからこそ、
今の自分に足りないものや必要なものが実感としてわかる訳で、
それが、成長に繋がってゆくのだと思う。
by syohousen | 2012-07-25 12:17 | ものの見方・捉え方について

情報のコレクションになんの意味があるのか、

「わかる」ということそのものに、そんなに価値はあるのか。

肝心なのは、わかることではなくて、
わかることをどのように活かし、
これからへと繋げてゆくのか、じゃないのか。


わかっているだけでよしとしてしまうのは、
それはただ単に情報のコレクションをしたいだけだ。

棚に飾って眺めることのためだけに躍起になって情報をかき集め、
それが「知性があること」だと思い込んでいるのだとしたら、
その考えを一度改めた方がいいのではないかと思う。


情報なり知識なりは、
お金と一緒で流通を前提とすることではじめて価値のあるものとなる。

いくら膨大な量をコレクションをしていたところで
社会状況がガラッと変わってしまえば
全くの無価値になってしまうことだってあり得る訳なのだ。

お金も情報も、それ単体では成り立たないものである。

どうもそこのところを勘違いしている人って多いんじゃないか、と思ってしまう。


そしてだからこそ、「わからない」ことを恥じることはないんだと思う。

恥じるべきなのは、「わかる」にせよ「わからない」にせよ、
それをそのままにして放置しておくことの方だ。
by syohousen | 2012-07-24 12:07 | ものの見方・捉え方について

謙虚さって、

謙虚さって、常に具体的なものなんだと思う。

今の自分に何が足りてないのかをわかっていて、
これからどうしてゆくべきなのかを探し続けてゆこうという
覚悟と姿勢を伴ったものが、謙虚さなんだと思うんです。


それらがない、形だけの謙虚っぽいものっていうのは、
たぶん「謙虚じゃなきゃいけない」という発想からそう振る舞っているだけか、
ただ単に卑屈になっているだけなんじゃないのかなって気がします。

だって、そこには自己を改善してゆこうという意思がないからです。


謙虚というのは、前を向いているから謙虚なんですよ。

前を向いていないのは、むしろ傲慢っていうんじゃないかなって、そう思います。

自分も気をつけよっと。
by syohousen | 2012-07-23 11:53 | つれづれと

畏れ、だけは

畏れ、ってほんと大事だよなってつくづく思う。

畏れの気持ちがないから、
相手への敬意の気持ちがないから、
相手の意見を受け取りたいようにばかり受け取れてしまうのだろうし、
自分の勝手な都合で歪めて解釈できてしまうんだと思う。


人の意見を鼻で笑いつつ、つっこみを入れられるのって、
相手を自分より下だと思っているからそうやれてしまうんじゃないか。

だって、自分の尊敬する人の意見に対してだったら、
脊髄反射的な浅い軽率な反応なんかできやしないと思うから。


畏れ、の気持ちだけは、決して忘れたくないなと、そう思う。
by syohousen | 2012-07-22 23:46 | つれづれと