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足りないとかさー、、

足りない足りないと言っておきながら、
街中では電飾が常時うっとおしいほどに輝いていたり、
テレビも通常営業でなんの変化もない。

電車の中だって寒いくらいに空調が利いている時がある。


でも足りないんですよね?

なんか、気持ち悪いわ。この国のこの感覚。

ちっとも考えてないし、そもそも頭悪いし。


便利に漬かり過ぎて脳みそ溶けちゃってんじゃないの?

やだよそんな便利狂の人達にしがみつかれながら心中とか強要されんのは。

勘弁してくれ、まじで。
by syohousen | 2012-05-11 08:28 | つれづれと

その発想にとらわれている人よりも、

「自分は適切なバランス感覚を持っている」
と自負している人のバランス感覚ほどあてにならないものはない気がする。

多様な視点からのものの見方や、発想を意識して生きている人の方が、
バランスバランス言ってバランスにとらわれているような人よりも
よっぽど信頼できる優れたバランス感覚を持っているなと思う。


なんか、たぶん、そういうことなんじゃないかな。

バランス感覚の話だけでなく、色々なことで、そうなんじゃないかな。って、思う。
by syohousen | 2012-05-10 10:40 | ものの見方・捉え方について

ヒーロー

昨日、青年座の先輩Ⅰさん企画・演出・出演の舞台を観に行ってきた。

そして改めて実感した。

自分にとって、Ⅰさんはヒーローなんだってことに。


たぶん昨日の観劇中のあの涙は、
今も変わらず追いたいと思わせてくれる背中を見せてくれている
Ⅰさんの大きさを実感し、なんだかそれが嬉しかったからなんだと思う。


こういう先輩に恵まれている自分は、本当に幸せ者だ。

がんばろうって、思った。
by syohousen | 2012-05-09 23:26 | つれづれと

ふみとどまる

なんだかもうあれやこれやが重なり過ぎてわーってなりそうだ。

でもわーってならない。

落ち着いて、整理する。考える。道を探ることを諦めない。

そして、手は抜かない。


わーってなっちゃった状態で、
満足に力を発揮できていないまま駄目になっちゃうほど
悔しいものはないんだから、それだけは避けたい。
by syohousen | 2012-05-08 10:05 | つれづれと

5/5(日) 劇団エルブWS レポ

5/5(日)13:00~18:30
テアトルフォンテ付属劇団『劇団エルブ』対象ワークショップ
@テアトルフォンテ・リハーサル室

【進行】
■WS開催にあたってのアナウンス&提案
■ひとこと自己紹介(名前、呼んで欲しい名前、最後に口にしたもの)

■読み合わせ(通し)

◆休憩

■テキストを使って実験
・身体の情報量を増やす(極限まで間を取って会話→受信したものは引き算せず徐々にフラットに戻してゆく)
・身体に刺激を与え、言葉と身体の距離感の変化を味わってみる(全力で喋る→フラットに、スローモーションで台詞を読む→フラットに)
・ひとつ身体に負荷を加えて、「そこに居続けていること」と「その場で行っている行為」の理由を具体化&強化させる(おしっこ行きたい・眠い・背中痒い・破局の危機という負荷を持ちながら会話→そこから何故、そんな酷い状態なのに会話を続けているのか?部屋に居続けているのか?を理由付けしてゆく)

◆休憩

■テキストを使って実践的な稽古を体験

■本日全体のフィードバック

【ふりかえり】
これで3回目の開催となるエルブWS。
今回は、テキストを使用した実践的な内容のWSを、ということで行った。

正直に言って、今回は本当に悔しさばかりの残ったWSとなってしまった。

もちろん、ある一定以上の成果は挙げることができたとは思っている。
だがそんな「ある程度」だとか「それなりに」だとかいう、そんな当たり障りのないラインでの成果なんてものはできて当然のものであって、そんなことよりも、開催する度にその質がどんどん更新されてゆくことが大事だと思っているし、そうでなければ続けてゆく意味がない。
もし自らが現状維持だと感じたのだとしたら、それは既に劣化が始まっているということの表れだと考えた方がいい。


では何が問題であったのか。

まず第一に、「準備が足りなさ過ぎる」という点。

テキストを使用する、と決めた時点で、あらゆる人数や男女比を想定したテキスト、或いは進行方法についてを考え、準備せねばならないのはこれまでの経験からも分かっていたはず。
そういった入念な準備を重ねるからこそ、もし不測の事態が起こったとしても、それ相応の対応ができるからだ。

しかし、今回はその見込みが甘過ぎた。

特に反省せねばならなかったのは、男女比のことを当日になって確認していた点。
元々、今回は性別に忠実に配役をしてやりたいと考えていたのだから、そこの点については神経質なくらいに気にするべきことなんじゃないか。
やりたいと考えていたことと、その実現のために行った準備との間に、大きなズレが生じていたのは何故か?

はっきりいって、自惚れていたんじゃないのか?
「これまでの経験上、たぶんこれくらいの人数と男女比で、だからここら辺の戯曲使えばいいかな」程度のあやふやな想定で、「もし違っていてもまあ対応できるでしょ。俺そういうの得意だし」みたいに考えていたんじゃないのか?

馬鹿にするのも大概にしろ、だ。
失礼にも程がある。エルブの方々にも、使う戯曲にも、そしてWSにも演劇にも。

たとえそこまで明確には思っていなかったにしても、多少はそんな考えは確実にあったんじゃないか。
そうでないとしたら、何故ちゃんと準備をしなかったのか。

まだ自分は何者でもないし、たとえ何者であったとしても、こんな最低限のことすらやれないような奴が持っているものなんてメッキで誤魔化しているような偽者でしかないだろう。

誠実に向き合うことを、今一度思い出そう。
WSにも、演劇にも、そして人にも。


そして第二の問題点としては、これも上記の問題と通じるかもしれないが、「段階の踏み方が甘過ぎる」という点が挙げられると思う。

今回、フィードバックの際に度々出てきた「これは自分達には高度なことのような気がする」という言葉。
これが今回のWSにおける段階の踏み方の甘さを象徴した言葉であった。

―――果たして今回やったことが本当に高度なことであったのかは、正直なところ自分には分からない。
こう言うと無責任な発言に見えるかもしれないが、でも本当に分からないのだから仕方がない。
ただ、今回のWSでのファシリテーターである以上、分からないでは済まない訳なのでもう少し突っ込んで書いてみると、そもそも高度ってどういうことなんだろうか?という疑問が残るのだ。

実は、過去に今回と同じことを他の場所で全く演劇について未経験の人達を対象に行った時には、驚くほどにすんなりとやれていたことがあって、逆に演劇を何年も続けてきた人が苦戦していたことがあった。
もし今回行ったことが高度なのだとすると、その未経験ながらもやれた人達は皆揃いも揃って天才だということになるし、何年も続けていながらもうまくいかない人達は相当センスのない人達になってしまう。

や、たしかに高度な技術のようなものは確実に存在するとは思う。
が、それは今回のWSにて行ったものとは違うのではないかと思う。
もっとこう、心身共に長い鍛練を要するような、そんなもののことをいうのではないだろうか。
しかし今回、皆さん「高度だ」と言ってはいたものの、同じことを数回繰り返すうちに、驚くほどその演技に変化が訪れていた。

仮にこれが高度なことであったとしても自分としては全然構わないし、特段問題視をするつもりもない。
大事なのは、その変化が起こったことであって、もしそれを自分自身で自覚できていないがために「高度だ」と感じてしまうのならば、次のステップとして、その変化を自覚できるようになるにはどうしたらいいのだろうか、というプロセスに移ってゆけばいいのだという、その一点だけ。
当人がどう感じていようが、その人の身体自体は変化はしているのだから、その変化の自覚に挑戦することは決して無謀なことだとは思わない。―――

や、かなり話が横道に逸れてしまったのでもう一度話の本流に戻そう。

何故、「高度」という言葉が段階の踏み方の甘さを象徴しているのか。
それはもう、「高度だ」という言葉そのものが、色々と踏まなければならない段階をすっ飛ばしてしまったからこそ出てきた言葉だと思うからだ。
これがもし、はじめは簡単なところから、例えば一言だけしか喋らないようなところからスタートし、そこから初めて泳ぐ時のように少しずつ身体へ水を慣らしてゆくような、そんな風に丁寧に段階を経て戯曲と向き合うような状況を作れていたのならば、おそらくは「高度だ」などという言葉は出てこなかったのではないかと、そう思うのだ。

だから、上記で書いた「高度とは」というようなことを、本来はこんな場所で文章にして説明するのではなく、あのWSの現場にて、身体で、気付いてもらえるように仕向けてゆかねばならなかったという訳だ。


本当に、見込みの甘さばかりが目立った今回のWSであった。
戯曲の捌き方と人の身体の変化の引き出し方のうまさだけで最後まで力押しして終わった感じであった。

たしかにそれはそれで参加者の方々にとって得るものはあったのかもしれないが、もっともっとやれることだらけの、とても勿体無い時間の過ごし方にしてしまったのだとも思う。
そのチャンスを潰してしまったのは自分なのだという、その責任をしっかりと受け止め、これから同じことを絶対に繰り返さないようにせねばならないと思う。

今後も引き続きお願いしますとは言われたものの、このような体たらくで続けていけるほど甘い世界ではないのだということを肝に銘じ、次回以降のWSへと臨んでゆきたいと思う。
by syohousen | 2012-05-07 22:14 | レポート(スタッフ参加企画)

「その年にしては」

正直、「その年にしては」という条件付きの評価はただただ悔しい。

や、たぶん、当面は付き纏う問題なんでしょうけど。

だからこそ、もっと普遍に至りたい。
それは当たり障りない、という意味でなく。


自分のやったことが、何かとの比較ではなく、
シンプルに、よかったと感じてもらえるようになってゆきたいなと。

そのためにも、もっともっと色んなところに飛び込んで、
色んな経験を積んでゆかねば、到底至ることはできないんだろうなと思う。
by syohousen | 2012-05-06 11:47 | つれづれと

可能性を探る努力だけは、

きっと、どんな事態が訪れたとしても、
可能性を探る努力だけは常に意識しておく必要があるのかもしれない。

不満があったり、納得がいかないことがあったからといって
そればかりにとらわれ思考をそこで止めてしまえば、
それはどんなに威勢のいいことを言っていようが
「諦めている」ことと本質的には同じことなんだと思う。


どんなに理不尽だったり嫌だったりすることがあろうが、
「これから」を見据える目を忘れ改善の可能性を探る努力を怠ってしまえば、
それ以降は事態が改善することはなく、
ただただ後退してゆくのを眺めているだけになる。

それだけは何としても避けたいなと、そう思う。
by syohousen | 2012-05-05 11:20 | ものの見方・捉え方について

4/29(日) 第4回青空アート&マート『花みず木アート&マート』 レポ

4/29(日)11:00~16:00 第4回青空アート&マート 『花みず木アート&マート』

開催自体は4回目となり、横山個人としては2回目の参加となる『青空アート&マート』。

今回は、『花みず木フェスティバル』との同時開催となり、また、開催場所そのものもその範囲を拡げ、大道芸や各種WSの開催、そして駄菓子屋を開店するなどの新たな試みも加わり、確実にその規模も、質も、より進化した場作りを目指し臨んだ一日であった。
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結果から先に言うならば、今回、その目標は十分に達成できていたのではないか、と思っている。
それだけ素晴らしい盛り上がりを見せていたし、また、反応も返ってきていた実感がある。

まあ、反省すべき点も多々あったのは事実だが、しかしそれを補って余りあるほどの成果をあげられたことも頑とした事実として存在していた。
自分はラクガキ隊としての参加であり、その範囲からしか見えてはいなかったのだが、しかしそれだけでも十分に伝わってくる熱気というものがあったし、また、返ってくる反応もだいぶ前回とは違っていた(まあ、何もかもが初めてだった前回に比べ今回は精神的にも余裕が持てていたのもあったのだろうが)。

その変化をいくつか挙げてみると、

●ラクガキ目当てで訪れ、「ラクガキしにきました」と着くなり声をかけてくれた親子連れがいた
●子供達が、ちゃんと「チョークはひとり1本」「他の色が欲しくなったら今持ってるチョークと交換」というルールをしっかりと守ってくれて、自分が確認できた限りではチョークを独り占めしている子供が一人もいなかった
●お昼前に少し人通りが落ち着いた時間帯があったのを除いては、ほぼ間断なくラクガキっ子の姿が絶えることはなかった
●おばあちゃんがとっても可愛らしい女性の絵を描いて下さったり、親子連れの方が協力して道路へ人型を書いてみたりマンホールをカラフルにデコレーションしてみたりと、大人の人でもだいぶ積極的に参加して下さる方が増えたように感じた
●人型をとるためお父さんが寝っ転がったり、他の場所では子供がチョークまみれになりながらもごろごろしながらラクガキしてたり、子供も大人も共に素敵に行儀悪くなれていた
●ラクガキ消し隊の際に、子供達の方から率先して「ブラシを貸して」と言ってもらい、手伝ってもらえた。

まあ、挙げればキリがないが、とりあえず主なところではこんなところか。

なんというか、だいぶ巻き込まれている感が増してきているなと感じる変化であるなと思っている。
また、継続して開催しているからこそ起こった変化、というものもいくつか見られて、定着してきているのだなとしみじみ実感できて嬉しい気持ちになってもいたりする。
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ただし、当然のことながら、反省すべき点も沢山ある。
しかも、いくつかはしっかりと心掛けていれば防げることでもあった。

以下に挙げておくので、これらはちゃんと次回までに解消できるよう手を打つなり準備をしておくなり考えておかねばなと思う。

【今回の反省点】

●作戦会議の際の自分のスタンスが、お客さんになってしまっていた

仙台との往復での参加となった今回、そのために序盤2回の作戦会議に参加できなかったということもあって、会議に出た際も話を追うので精一杯で、なかなか自分からの意見を出すことができなかった。
つまりはお客さんとしてのスタンスで、受け身の姿勢で作戦会議に参加してしまっていた、ということだ。

これは大いに反省すべき点である。
もっと当事者意識を持って臨んでゆかねば、会議に身を置いている意味がない。

意見を言う言わないが問題なのではなく(や、発言できるならするに越したことはないが)、自らもこのアートマの責任の一旦を背負っている存在なんだという自覚に欠けているのではないか?と疑念を自分でも抱いてしまうような心構えで臨んでいることが問題だ。
そのためにも、どうしたらああいった場で自らの意見なりアイデアなりを出すことができるのか、について、ちゃんと考えてゆかねばならないと思う。
もしかしたら何か自らに仕掛けを盛り込まないと自分の場合は浮かんでこないのかもしれないし、もしかしたらかなり周到な準備をせねば駄目なのかもしれない。
或いは単純にああいった会議という場の経験が不足しているために平常心で臨めていないだけなのかもしれず、もしそうであるならば、普段の自らの活動でもそういった経験を踏めるようなチャンスがあれば積極的に飛び込んでゆくことが大事なのかもしれない。

とにかく、次回には同じような反省をここに書き込むことのないような状況にしてゆきたい。

●予め割り振られていた持ち場に移ることができなかった

これは自分でも仕方のない部分があった。
が、北側のブロックを割り当てられていたのに、反対側のふれあい広場(最南端)の方から離れられなくなってしまって結果、北側を他の方にフォローしてもらうことになってしまったことは事実で、それは心から反省している。

自分としては、もう少しふれあい広場前の方にもスタッフが来ると思っていて、なのである程度こちらの場を暖めた上でボランティアの方へパスしてゆこうと考えていたのだが、蓋を開けてみれば自分一人しかあの場におらず、人を呼ぶにも呼べず、という進むも引くも叶わない状況に陥ってしまっていたのだ。

が、そうは言っても何かしらのやりようはあったはずで、「何で誰も来ないんだよ!」というネガティブな発想にとらわれ、その事態を解決にもってゆくための可能性について探ることを怠ってしまったことに問題があったなと、思っている。
あの持ち場の分担は会議の中で決めたことなのだから、もしそれが守られないとなると他の部分にも皺寄せがきてしまうのは少し考えれば分かることなはず。
ならばどんなに厳しい状況であっても、その実現のための道を探ることが最低限の責務のはずだ。
そこを怠ってしまった、というこの事実を真摯に受け止め、次回以降に活かしてゆかねばなと、そう思う。

●自転車通行の方の捌き方が甘い

これはたしかに難しいことではある。
入り口の警備員さんの「自転車は押して通行して下さい」というアナウンスを無視して自転車に乗ったまま通り過ぎてゆく人達な訳だから、そもそもがこちらの子供達を相手にしながら片手間でかける注意なんか聞く耳を持たない人が大半だ。
しかしだからといって「難しい」で済ましてはならないことだと思う。

ではどうすればいいのか?

もちろん個人レベルでやれること心掛けてゆくべきことは徹底してゆく必要があると思う。
が、それだけではどうにもならない部分もあったりする。

だからこそ、この問題点を利用した仕掛けをひとつ作れないだろうか?
自転車を降りざるを得ないような、そんなプログラムを。
ちょっと、ここから発想して、アートとの素敵な出会いに繋げられるようなアイデアはないか探ってゆきたいなと思う。

●商店街の方へもう少しラクガキっ子を流していった方がよかったかも

自分のところは、駅から向かってくる際に入り口となる場所だったので、基本的に人通りが多くなる場所だった。
しかしそれだけに、商店街の中以降のお客さんをもしかしたらここで堰き止めてしまっていた可能性もあるなと、ふと思ったりもした。

まあ、基本的には出し惜しみせずにどんどん声がけをしてゆくのがよいと思うのだが、もしかしたら、声がけの優先順位を設けてみた方がより会場全体の盛り上がりに繋がるのかもなと、そう思ったりもしたのだ。
例えば、商店街方面から流れてきた方達を最優先して捕まえるようにして、駅方面から来る方達は、どちらかといえば「あれ?何かやってるな」という人を優先して声をかけるようにする。
で、最初からやる気満々の子達には、ふれあい広場前が盛り上がっているような状況だったら「向こうでもやってるよー」と言って商店街方面へ流してみたりしてもよかったなと。

そうしてみることで、商店街全体が満遍なく盛り上がれるように調節することももしかしたら可能だったんじゃないかなと、思ったのだ。
まあ、それも下手をしてしまうと虻蜂取らずの状況に陥ってしまう危険性もないとは言えないので、慎重にやってゆかないとなとは思うのだが、意識してみるだけでも、違ってくるのではないかなと思う。

●ラクガキ消し隊の際の、楽しんでもらうことと作業の迅速さをどう両立させるか

ラクガキ消し隊の際、子供達の手伝いなどもあって人手はかなり足りていたのだが、同時に、そうであるが故に遊んでしまっている(手持ち無沙汰)の人も出ていた。
まあ、基本的には楽しく後片付けをしてもらうことが重要だと思っているので、それも悪いことだとは思っていないのだが、しかし、そうなってくるとどうしてもより多くの時間を要してしまうことになる。

なので、その楽しむ心を保ったままでもっと迅速な作業を行えるためのアプローチを、こちらから発信してゆかねばならないなと、そう実感した。
とはいえ子供達については別にそこまで効率よく作業してもらうことに重きを置いてもらう必要はないとも思っているし、負けず嫌いな子などはむしろ大人顔負けにいい仕事をしてくれることも多い。

なのでたぶん(というか確実に)、こういう指示出しをうまくしてゆかねばならないのは学生ボランティアの方達の方で、放っておくとどうしても固まってしまったりいつまでも同じところをやっていたりするのだ。
基本的には一生懸命だし、変に作業作業せず楽しんで取り組んでくれているのでその姿勢自体はとても素敵だと思うのだが、全体を把握している訳ではないので、そういう風になってしまう傾向が見られるのは仕方のないことだと思う。

だからこそ、自分達メインスタッフが全体の状況を把握し、どんどん指示を出してゆかねばならないのだと思う。
いっそのことこちらは作業せずに指示出しに徹するくらいの感覚でいた方がいい気がする。
まあ、とはいえ一緒にやっている感はやっぱり欲しいので、作業せずに、というのはいき過ぎな気はするが、でも、自分のやることだけに集中し過ぎず、まずは的確に指示を出してゆける状態だけは確保しておくよう心掛けておきたい。



まあ、こんなところで反省点についても止めておくが、まだまだ細かい部分では沢山反省すべきことはある。
いずれもちゃんと消化して、次回開催の11月3日には、もっともっといい形でこのアートマへと臨めるようにしてゆきたいな、と、思う。


スタッフ・ボランティアの皆さん、そしてお越し下さりました皆様方、その他アートマへ関わって下さった全ての方々へ、改めて厚く御礼申し上げます。

本当に、ありがとうございました!
by syohousen | 2012-05-04 23:59 | レポート(スタッフ参加企画)

「責任」という荷物

たぶん、人と一緒に何かものを創るっていうことは、
たまには人のせいにもしちゃっていい時があるんだと思う、きっと。

それは自分の責任を放棄して人に押し付けるってこととは違って、
ちゃんと自分の責任も背負った上で、他の人の責任は
ちゃんとその人自身で背負ってもらえるよう促してゆくってこと。


自分の中でのイメージとしては、
重い荷物をみんなで分担して持ちつつ
目的地まで運んでゆく、という感じ。

責任という重い荷物を、
どうしたらみんなにとって一番いい形で分配し、運べるのか。

そのためには敢えて他の人に自分の荷物を背負ってもらうよう
お願いすることもあっていいと思うし、大切だったりするんだと思う。

まあ、そうはいっても「この人でなくちゃ背負っちゃ駄目なもの」という
荷物もあるかもしれないし、もしかしたらそれは物凄く重かったりするかもしれない。

でも、そういう時だって、他の人でも背負って大丈夫なものを
周りの人がその人の代わりに背負ってあげたりとか、手伝えることはあるはず。

そう、結局は、「お互いさま」なんだと思う、な。


何かに不満を持つ、ということは
ほとんどの場合、何かしらの原因があって生まれてくるものだし、
もしかしたらそれは自分の心から発信されているSOSなのかもしれない。

だから、それを「いけないこと」として無理やり押し殺してしまうのではなく、
そのネガティブな感情を素直に認めて、向き合ってゆけばいい。

きっと、そこからしか事態の解決には繋がってゆかないのだと思うから。

まあ、だからといって辺り構わず不満を撒き散らしてしまうのはよろしくないけどね。


うん、そう、迷惑とか、かけていいんだと思う、よ。

他者と一緒に生きてる以上、迷惑をかけてしまうことが当然なんだから。

迷惑をかけて生きているんだって自覚を持つことが、
たぶん、人にやさしくなれるひとつのきっかけになるんじゃないかなって思う。
by syohousen | 2012-05-03 15:45 | つれづれと

「いい」という言葉について

頭がいい、声がいい、顔がいい、性格がいい、、、
「○○がいい」って言葉ほど曖昧なものってないと思う。

そもそも「いい」っていう言葉自体が曖昧な上に、
その人の主観の塊みたいなもんだし。


ただ、曖昧であるだけに説明的にはならず
自らの感情をかなりストレートに表現もできる言葉でもある気がする。

「うわぁーいい!いいよそれ!」みたいな。


たぶん、「○○がいい」って、評価でなく感想なんだろうな。

「好き」みたいに、そこに自らの感情が入って初めて成立する、というか。

だからそこにちゃんと心を配れるかどうかって物凄く大事なことなんだと思う。
by syohousen | 2012-05-02 11:39 | ものの見方・捉え方について