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何やってんだ、ほんとに

今のこの国の偉い人達は、この状況下で、暫定的にでもいいから、
自分達がベストだと信じることのできる選択を採っているのだろうか。

国民一人ひとりを前に面と向かって
胸を張って最善を尽くしていると言い切ることができるのだろうか。


しっかりと子供の目を見て、
「心配ないからね」と約束できるのだろうか。

そうしても心が痛まないでいられるのだろうか。



どうも自分には彼らが数字とばかり睨めっこして
血の通っていないその場凌ぎの対策ばかり打っているように、
自分達の立場さえ守ることができればいいと考えているように、
そんな風に見えてしまうのだけれども、
それは自分の目が曇っているからなのだろうか。


願わくは、曇っているからそう見えてしまうのであって欲しい、、、

自分なんかには到底考えの及ばないような深謀遠慮の上での行動が、
今の政界の、外見からはどう見ても迷走している状況なのであって欲しい、、、

もしそうであるならば、
こんな穿ったものの見方をしてしまった
自らの見識のなさをいくらでも悔い改めますよ。


しかし、どうしてもそうではないように感じてしまう、、、



とにかく何だっていいんですよ。

過去に何をしてきたかとかどうでもいいから、
とにかく今のこの状況から事態を前進させようという努力をして下さい。


もしそれすらも難しいのであれば、
せめて復興の足を引っ張ることだけでもやめてもらえませんか?

元々そんなに国に対して期待はしていないんで、
最悪それくらいの仕事で構いません。

お願いします、本当に。
by syohousen | 2011-05-31 12:25 | つれづれと

5/29(日) 『劇団エルブ』対象WS レポ

5/29(日)17:40~21:00
テアトルフォンテ付属劇団『劇団エルブ』対象
「俳優のための声と身体のワークショップ」@テアトルフォンテ

【進行】
■WS開催にあたってのアナウンス&提案

■一言自己紹介(俳優にとってのいい身体って?)×3周
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×3周

■手足を揺する
→続けながら歩き出す
→捻る、伸ばすなどのアプローチも加えてみる
→空間にあるものに触れてみる
→壁に身体の表面の全てを触れさせようと試みてみる

■空間にある数えられるもの数え
■ここまでのフィードバック

■膝を立てた状態で仰向けになり、左右に膝を倒しながら腰周りの緊張を緩めてゆく
→その動きの中から自らの身体の現状を探ってゆき、そのまま身体の求めるままに伸ばしたり揺すったりして無理なくほぐしてゆく
→最終的に立った状態になり、少しの時間、これまでの自らの動きの余韻や今の身体の状態を味わってみる
→歩き出してみる
→空間を埋めるように歩いてみる
→足の裏にペンキが付いて歩く毎に足跡が残るイメージを持って歩いてみる
→部屋が中心の一転だけで支えられているヤジロベーだとイメージし、部屋が傾かないよう空間全体のバランスを意識して歩いてみる
→ヤジロベーのイメージは維持しつつ、床が氷になったイメージを持って歩いてみる
→イメージをフラットに戻し、今度は空間全体に泡が満ちているイメージを持ち、自分の身体の輪郭が歩く度に残るイメージで歩いてみる
→フィードバック

■王様マッサージ①(言葉あり)
→王様マッサージ②(言葉なし)
→フィードバック

■いざない(2人1組になり、片方が目を瞑りもう片方が誘導する)
→フィードバック

■輪になって、空気を感じつつ1→2→3→4→5人の順で同時に歩く
→数字数え(50まで、カウントが被ったら最初から)
→もう一度輪になっての同時歩き

■震源地ゲーム
■同調ダンス

■ボイスコンサート

■本日全体のフィードバック

【ふりかえり】
縁あって、横浜市泉区民文化センター・テアトルフォンテの付属劇団である『劇団エルブ』さんのメンバーを対象とした俳優向けWSを昨日、開催させて頂くこととなりました。

普段の自分が接している人達とはまた一味も二味も違った文脈を持った方々と作り出す時間は、想像以上に刺激的で沢山の発見に満ちた非常に有意義な時間だったというのが率直な感想。

その中でも特に言葉の捉え方のズレ具合がとても面白くて、まあ、生活している環境が違うのだから、自分では伝わることが前提で発した言葉が伝わらなかったり、逆にこちらが何の意図もなく発した何気ない言葉からこちらの思いもしないような発見を引き出していたりと、その捉え方が違ってくるのも当然のことで、それが結果として自らの指導者としての言葉を見つめ直すいいきっかけにもなれたのがとてもよかったなと。

それもひとえに参加者の皆さんのWSに臨む真摯な姿勢あってのことで、自分達に与えられた言葉やクリアすべきミッションを決して否定的に捉えようとするのではなく、どうしたら自らの血肉へと変換しこれからの自分に繋げることができるのかというその一点に対する貪欲さが、こちらにもいい影響を与えてもらえたのだろうなと思います。
なので今回あんなにも素敵な時間を作り上げることができたのは、参加者の皆さんの手柄以外の何者でもない訳で、そこについては心より感謝しております。


これはWS中にも何度か話したことなのですが、今回のこのたった3時間ちょっとの時間で参加者一人ひとりの中の何かが劇的に変わることなんてないと自分は思ってます。
もちろん、WS中のふとした言葉によってものの見方がガラッと変わり自分の中の何かが繋がったりすることはあり得るかとは思いますが、でもしかし、基本的に、これまでの人生の積み重ねの結果が今の自分である以上、たったの数時間で本質から変わることができるなんてことは無理です。

特に身体については日頃の習慣に依る部分が大きいため、急に動きにキレが生まれるとか姿勢が急に綺麗になるとか、そんなことはまず不可能です。
稀に数時間で見違えるほどの成果を上げることができる人もいますが、そういう人というのは、ポテンシャル的に既にそれだけの能力を備えていたのだけれどもその力の扱い方が分かっていなくて、それがWSによってうまく繋がり力をコントロールできるようになった、というだけのことです。

なのでやはり、自分を変えるためには地道な努力によって習慣から変えてゆくことが何よりも大切になってきます。

では何故、WSを行うのか、ということなのですが、思うに、「変わるためのきっかけづくりの場」として捉えてみるといいのかもしれません。
今回のWSで得られた発見や気付き、そして実際に行ってみた際の感触(ポジティブなものもネガティブなものも両方含めて)等を参加者が各々で持ち帰り、それを自分達の活動の場や日常生活で活かし応用してゆくこと、それがとても重要なことなのだと思うのです。

これもWS中に話しましたが、横山の指導者としての理想は「生きる事そのものを訓練とできる俳優」を一人でも多く輩出させることです。

まあ、普通に考えれば、もしそんな状況になったら指導者としての商売あがったりになってしまうのでしょうけれども、別に問題はありません。
そうなったらその状況において自分が求められるであろうことを追求してゆくだけのことなので。

という訳で、今回のWSに参加下さった皆さんには、今回のWSで体験したことをあの場だけの体験で終えるのではなく、あそこから持ち帰ったものを利用してまずは自らの習慣を見つめ直し、必要とあればその習慣を変えてみるところから始めてみて下さい。


最後に、野村克也元監督の著書である『野村ノート』に書かれていた言葉を記して、締めとさせて頂ます。


心が変われば行動が変わる

行動が変われば習慣が変わる

習慣が変われば人格が変わる

人格が変われば運命が変わる

運命が変われば人生が変わる


この言葉、元はヒンドゥー教の教えだともアメリカの心理学者ウイリアム・ジェームスの言葉だとも言われておりますが、非常に素晴らしい言葉なので、どこか心の片隅にでも置いておいて頂けると嬉しいです。



では、劇団エルブの皆さん、本当にありがとうございました!
by syohousen | 2011-05-30 12:40 | レポート(スタッフ参加企画)

リーダーシップ

しかし現場に権限を委ねることもできず
自らで責任も取りたがらない人がトップに立ってしまうと
こんなにも事態は混迷を極めてしまうものなんだなぁ、、、

そういう人は前線で人を率いる人間に要求されるリーダーシップと
トップの人間に要求されるリーダーシップとは別物なのだということを、
つまりは「将の将たる器」というものを理解できていない気がする。


もはやこうなってしまっては、
一人ひとりの自覚とそれに基づいた行動で
何とか今の状況を乗り越えてゆくしかないんだろうなと、そう思う。
by syohousen | 2011-05-29 12:16 | つれづれと

「日常を取り戻す」って、こんなことじゃないはず

状況が全く好転してはいないはずなのに、
むしろ悪い方へ悪い方へと転がってしまっているはずの現状に
知らず知らずのうちに慣れてしまってきているのが本当に怖い、、、


「日常を取り戻す」ってこういうことなのか?

いや、なんか違うと思う。


もしかするとここいらで
何かしらアクションを起こしてみる必要があるのかもしれない。

別に大それたことでなくてもいいから。

てか、動くよ。何ができるのか分からんけどさ。


負の遺産しか次の世代に受け渡せないなんて、そんなの絶対におかしいよ。

どんなに小さなものでもいい、希望を渡してあげないと駄目だよ、ほんとに。
by syohousen | 2011-05-28 22:39 | つれづれと

「物事をシンプルに捉える」って、

思うんだけど、
物事を無理矢理単純化させようっていう発想そのものが
事態を複雑にさせてしまっているんじゃないのか。

シンプルに物事を捉えようという
発想そのものは大切なことなんだろうけれども、
「物事を単純化させる」ということと
「物事をシンプルに捉える」ということは
似ているようで全然違うんじゃないかなって思う。

物事をシンプルに捉えるためには、
「現実の複雑さ」を踏まえた上で要点を整理整頓することが必要で、
その中でちゃんと「現実の複雑さ」を内包していなければ
それは「事実を自分の都合のいいように解釈している」だけになってしまう。

そこを混同してしまってはならないんじゃないかなぁって思う。
by syohousen | 2011-05-27 10:32 | ものの見方・捉え方について

5/25(水) 寺子屋レポ

5/25(水)18:00~21:30
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋』
@清沓仲通会議室・洋室1

【進行】
■この一週間の自らの体調の変遷などをフィードバック
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×3

■手足を揺する
→続けながら歩き出す
→捻る、伸ばすなどのアプローチも加えてみる
→空間にあるものに触れてみる

■膝を立てた状態で仰向けになり、左右に膝を倒しながら腰周りの緊張を緩めてゆく
→その動きの中から自らの身体の現状を探ってゆき、そのまま身体の求めるままに伸ばしたり揺すったりして無理なくほぐしてゆく
→最終的に立った状態になり、少しの時間、これまでの自らの動きの余韻や今の身体の状態を味わってみる
→フィードバック

■身体感覚を掴む&肉体強化訓練(丹田の感覚を掴む、意識のフォーカスの絞り方の精度アップ、強度のある声の獲得とそれをいつでも出せる状態の保持、静と動のメリハリ、などなど)

■ベルトを鞭のように扱ってみて脱力・緊張のコツを探ってみる
■身体の各部位をパーツパーツで分けて動かせるか試してみる
■様々な質感の笑い方を試してみる

【ふりかえり】
今回は、強度のある身体の獲得と、多様な身体感覚を体験してみることに重点を置いて場を進行させていった。

日常劇ばかりを行っていると、どうしても「身体」というものへの意識が希薄になってしまいがちだ。

まあ、そうなってしまうことも仕方のないことではあるし、人によってはそれでも“現時点では”全く創作において問題がなかったりもする。
その人の目指すものによっても「強度ある身体」というものの重要度には差が出てくるであろうし、なので一概にそういった傾向に対し「けしからん」というつもりは全くない。

ただ、そういう引き出しも備えておくことによって「強い身体性」を要求されないような芝居の創作現場であっても、その引き出しをうまく利用してこれまでには思いもしなかった発想に繋がることだってあるかもしれないのもまた事実だと思う。
そしてたとえそのような閃きが日頃の訓練によって100%保証される、ということでなくても、それが日頃の訓練の積み重ねをしなくてよい理由にはならないと思う。

常々言っていることなのだけれども、何のために訓練をするのかといえば「念のため」でしかないのだ。
「役立つから学ぶ」ではなく「学んだものをどう役立てるか」だとも思う。

俳優なんてのは特に、一見無駄だと思えるようなものを多く内包している人の方が役として舞台に立っている時の存在に厚みが生まれてくるはず。
だからこそ、日頃から自らの引き出しや選択肢を増やしておく努力は怠ってはならないと思う。

但し、むやみやたらに引き出しの数さえ増やせばいいのかといえば、必ずしもそうではないのが俳優の難しいところで、引き出しの中身をちゃんと整理整頓しておかなければ適切な時に適切な選択はできないのだということも忘れてはいけない。
また、その引き出しとの距離の取り方も大切で、その引き出しの中身の使いどころにばかり意識がいって目の前で起こっていることをちゃんと受け取ることができないようでも問題だ。

今後は、そういった点についても働き掛けてゆけるようなエクササイズを設けてみようかなと。
もちろん、肉体や感覚についての訓練も継続・強化させつつ継続させてゆくことが前提で、だが。
by syohousen | 2011-05-26 22:32 | レポート(主催)

5/24(火) 読み会レポ

5/24(火)18:00~21:30
【声と身体の処方箋・勉強会】『読み会』
@清沓仲通会議室・洋室1

◆使用テキスト:土路生真隆『山椒魚』

【ふりかえり】
今週の読み会、少々冒険をしてみた。
というのも、「酒が入った状態で戯曲を読んでみたら何かいつもとは違った発見があるんだろうか」という普段の創作稽古であるのならばとてもじゃないが行えないようなことに挑んでみたからだ。

まあ、別に酒を飲んで稽古をやっちゃいけないなんて決まりは一切ない訳だし、だから公演へ向けた稽古の時でもやろうと思えばやればいいんじゃないかとは思うのだけれども、なかなか勇気のいることであることには変わりないし周到な準備がなければ大抵はグダグダな稽古内容になって終わってしまう可能性が高いとは思う。
だからこそ、こういう場を利用して実験してみることも時にはありなんじゃないかなと思い試してみた、という訳だ。

が、酒といっても缶ビール1本分程度の酒量では読みの際にさほどの影響が出たりすることがなかったため、今回は普段の読みの時との違いへの実感も薄かったのが正直なところであった。
とはいえ酒が弱い自分の場合は、多少口が回りにくくなったり、テキストとの距離をいつもよりも突き放せて感情のフットワークが軽やかになっていたような感覚は得られていた。
しかし何かこう、「何となく違うのかなぁ」程度の実感でしかなくて、中途半端な変化に不完全燃焼な感であったことは否めなかった。

やはり、こういうチャレンジをしようとするのならば、もっともっと周到な準備をして臨むべきなのだろうなということを理解した。
今回のように単なる思い付きを思い付きのままで実行させてしまっては、そこで費やした程度の力分の成果しか得られないのだと思う。

例えば「酒を飲む」ということを試すにしても、どこまで酔いが回った状態で読んでみたらより興味深い結果が得られそうかを考慮に入れて進行を考えてみるかどうかで用意する酒の量も進行も変わってくるだろう。
また、酒が入った人とそうでない人とでグループ分けして読みを試してみたりすれば、また違った発見が得られるかもしれない。

どんなにいいアイデアだろうが、それを思い付きのままにしてしまっていては結局のところ悪ふざけというか、単なるネタに終わってしまう可能性は高くなる。
だからこそ、何かアイデアが浮かんだ際には、そのアイデアを練り上げてゆく必要があるのだと思う。

今回はそこの点で見通しが甘かった。

やるからにはネタで終わらせず、現時点で果たし得る最高の成果を上げるつもりで常に臨んでゆかねば時間の無駄になってしまう。
しっかりと反省し、今回の経験はこれからに繋げられるようにしてゆきたい。
by syohousen | 2011-05-25 15:33 | レポート(勉強会)

いつか地元紙の1面に演劇が、

一昨日行われたbjリーグのファイナルで
惜しくも浜松・東三河フェニックスに破れた琉球ゴールデンキングス。

沖縄の地元紙はこの試合の模様を1面と真ん中見開き全面(カラー)、
そして社会面を使って載せていたそうです。


負けてもこの扱い。

いかに地元に愛されているのかが分かるし、
これこそがチームを地域に根付かせようという
地道な努力の成果なのだろうなと思います。


きっと、演劇にだってこれに近いような
愛され方をすることは可能なんじゃないか。

そしてこれこそが、演劇の世界に限らず
これからの社会にとって大切な発想なんじゃないかな、と思います。


自分としては、いつか仙台の地元紙である河北新報の1面を
仙台の演劇界の話題で飾れるようにしたい。そういう環境を作りたい。

そのために、どんなに時間がかかってもいいので
今の自分にできることを少しずつ、積み重ねてゆきたいなと思う。
by syohousen | 2011-05-24 15:05 | つれづれと

なぜ、「フクシマ」なのか、

かつて福島に住んだことのある自分にとって
「フクシマ」という表記はピンとこないというか、嫌だなぁ、、、

「福島」と「フクシマ」は、
どうしても自分の中では一致しないんです。

なんか、遠い世界の話のような感覚にさせられて、
「福島」という言葉の持つ匂いや手触りのようなものが
薄まって麻痺してくる気がしてくるんですよ、、、


そもそも何故カタカナ表記になったのかもよく分からない。

軽く調べてみましたが、そうしなければならない決まりもなければ
何かそこに意味が込められているとか由来があるとかでもないらしいのです。

それってつまり「雰囲気で」ってことじゃないでしょうか、、、?


や、海外への通りを考えるなら
カタカナ表記である方が何かと都合がいいのかもしれない、
という考え方もあるようですので、
一概に否定できることでもないのかもしれません。

しかし、せめてそこに住んでいる人達、住んでいた人達が
その表記を目にした時に感じるであろう感情についても
目を向けた上で、そういう表記を選び取って欲しいです。

でないとあまりにも救いがなさ過ぎる、、、


福島は、あくまでも福島なんです。

どんなに状況が変わったって、その事実は変えられません。
by syohousen | 2011-05-23 20:52 | つれづれと

学び

“学び”とは、
「役立つから学ぶ」のではなくて
「学んだものを役立てる」発想で
向き合ってゆくべきものなんじゃないかって思う。

確実なリターンを望んでいたら、
学びなんかとてもできやしないですよ。


ちょっとそこの点の認識が、
現代の教育現場ではずれているんじゃないかなぁ、、、
by syohousen | 2011-05-22 09:30 | つれづれと