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発想の切り替えスイッチとなる言葉

言葉というのはとても面白い。

それまですごく苛々していたことでも、少し見方を変えてみて、
自分に非があるような部分については素直に認めて「申し訳ないです」と謝ってみる。

すると、それまでは相手に対して不満に思っていたことに対して、
それまでとは違った切り口で捉えることができるようになることがあるのだ。


心情的には認めたくないことがあっても、
頑固に凝り固まった見方をし続けたりせずに
一度その事実を受け容れてみることで、選択肢が拡がることもある。

そういった視野を拡げられるようなきっかけ作りの言葉、
違う言い方をするならば発想の切り替えのスイッチとなる言葉を
ポジティブネガティブ問わず数多く持っている人、、、
例えば、

「ありがとう」
「ま、いっか」
「まあ、それだけのことか」
「申し訳ない」
「あ、それありだね」
「仰るとおりです」

などの言葉(ただ、文脈から外すとどうしても違和感を感じるが)を、
その状況状況で適切に使い分けられるような人こそが、
気持ちの切り替えの達人なのではないだろうか、と思う。
by syohousen | 2009-09-20 11:52 | つれづれと

少しずつでいいから、

情けないことにここ2日間、熱を出してしまい更新が滞っておりました。

体調を崩し易い季節の変わり目であるだけに、
体調管理にはよくよく気を付けねばなと思い知らされた次第です、、、

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体調も状況も運気も、
この一週間で落ちるところまで落ちたかなと、そんな気がする。

少しずつ、現状を打破するための兆しも見え始めていて、
僅かながらも状況は動き始めているのは実感としてもある。


悪い時は、すぐに楽になりたいせいか劇的な変化を求めがちだが、
重病人に強い薬を与えたところで逆に身体への負担が増すだけなのと同様、
一気に状況を変えようとしてしまっては、その分の揺り戻しが大きくなってくる。

まずは粥のように消化のよいものを摂りながら少しずつ気血を整え、
体調の変化を見ながら徐々に食事の種類を肉や魚などに移行させてゆき、
ある程度身体の調子が整ってきたのを確認したら
初めてその時に強い薬を服用して病根を一気に断つ、、、

そんな我慢強い対応が、実は一番効果的なのではないかと思う。


少しずつでいいから、まずは闘える体制を作り出す。

必ず、流れは変わるのだから、
その時にその流れを掴める状態になっているようにしておきたい。

そして、その流れの変化は、そう遠くはないような気がする。
by syohousen | 2009-09-19 07:44 | つれづれと

共感の中から貰えた勇気

昨日の『プロフェッショナル 仕事の流儀』のゲストは
『SLAMDUNK』や『バガボンド』、『リアル』という
不朽の名作を次々と生み出している井上雄彦氏であった。


「手に負えないことをやる」という発想
キャラクターを「迎えにいく」という感覚
一度引いた線は修正せずに一発勝負
人物の感情を「こぼさない」こと
物語が始めにあるのではなく、人物が先にあること

氏が仕事の際に大切にしていることというのが、
どれも演劇創作の場に身を置いている時に
自分が重んじていることと限りなく近い感覚であったので、
そのことに対する驚きを感じると同時に、氏に対して強い共感も覚えた。


ものを創り出そうとしている人間の考えていることというのは
その表現ジャンルを問わず多くのところで通じるものがあるのだということを
つくづく感じさせてもらえた。

しかもそう感じさせてくれた人が自分の尊敬している人であるだけに、
なにかこう、とても勇気付けられた気がする。
by syohousen | 2009-09-16 09:26 | つれづれと

「目に映る範囲だけに」という選択肢

このところよく感じることなのだが、どんなジャンルの世界であっても
その規模を拡大してゆくことだけが全てではないような気がする。

覚悟を決めて、自分の目に映る範囲だけに
自らの持つ最大限の力を注ぎ、その質をひたすらに高めてゆくという
選択肢があってもよいのではないかと思うのだ。


どうも「より多く」「より広範囲に」だけが支持されていることに違和を感じてしまう。


病気にかかったとして、その人が通院する際には
大病院という選択肢もあるが、町医者という選択肢だってあってよいはずである。

その他にも、

大農場でとれた牛乳と小さな牧場でとれた牛乳、
潤沢な資金を投入して創られた大作映画と自主制作映画、
大手メーカーの作る製品と町工場で作られた製品など、

いずれもそのどちらかだけが素晴らしいというものではなく
利用目的によって使い分けてゆくことが大切なのであって、
そのどちらかが欠けても駄目である。


自分としては、「より多く」に捉われ己のキャパシティを越えたところで
せわしなく動き続けることを強要されることよりも、
まずは自分の目に映る人達のために己の力を注いでゆくようにしてゆきたい。

そしてもし、その範囲を拡げてゆきたいのであれば、
自分自身の視野と容量を拡げてゆく努力をしてゆくことから始めてゆけばいいのだ思う。
by syohousen | 2009-09-15 12:28 | つれづれと

イチロー、9年連続200安打達成

本日の「マリナーズ-レンジャーズ」ダブルヘッダー第2戦の第2打席にて
イチロー選手が遊撃内野安打を放ち、とうとう9年連続での200安打を達成した。

この記録は100年以上もの間破られることのなかった記録である
(ただ、連続でなければピート・ローズの通算10回が最多であるが)。


記録更新時の決して綺麗な当たりとは言い難い内野安打を観ていて、
昨年の8年連続200安打達成時に語っていた

「どんなヒットを打っても、僕らしいヒットになってしまう。
                      僕らしくないヒットは、ありませんね」

というコメントを思い出した。


こんな言葉は誰にでも吐けるものではないと思う。

思うに、この言葉こそが、イチロー選手のこれまでの積み重ねを、
そして、それによって裏付けられた自信を端的に表しているのではないだろうか。


それにしても、記録達成直後、敵地であるにも関わらず
球場全体でスタンディングオベーションの嵐でその偉業を讃えている光景を見ていて、
本当にこの人達は野球が好きなんだなと感銘を受けてしまった。

アウェーであるとか、外人選手であるとか、
そういうことを度外視して純粋にその業績を讃えることのできる風土というのは、
やはり端から見ていても気持ちがよく、豊かな気持ちにさせてくれるものだなと思う。

自分も、いつかこういう空間の一員としてこの身を置いてみたいものである。


きっと9年連続を達成した事で、次は10年連続を、と言われてしまうのだろうが、
自分は、そんな数字云々はとりあえず脇に置いておいて
とにかくイチロー選手の芸術的とも言えるような打撃・守備を少しでも多く
目に焼き付けていられればそれで満足だなというのが正直な気持ちである。

もちろん、そういった偉大な記録への挑戦権は
現時点ではイチロー選手しか持っていないのだから、
今後もとことんいけるところまで挑んでいって欲しいとは思っている。

が、イチロー選手と同時代に生まれてきたお陰で
そのプレイをリアルタイムで体験できているのだから、
記録ばかりに捉われてその幸せを見落としてしまったりはしたくないのだ。


今後、イチロー選手がどのような驚きを与えてくれるのか。

それが分からないからこそ、
ドキドキしながらその一つひとつのプレイを追い続けることができる。

それは、本当に幸せなことなのだと思う。
by syohousen | 2009-09-14 13:26 | つれづれと

M・J殿堂入り

2日連続でバスケの話題になってしまうが、
昨日、マイケル・ジョーダンを含めた5名のバスケットボール関係者の
殿堂入りセレモニーが行なわれた。


そこでジョーダンは、

「ひょっとしたら、50歳で現役復帰をするかもしれません。」

と発言し、それに続けて

「笑わないで聞いてもらいたい。
私は『絶対にあり得ない』なんて絶対に言わない。
年齢や、その他のリミットになり得るものは、
恐怖と似たようなもので、まやかしにしか過ぎないのです。」

と語った。


おそらく、彼は本気で言っているのだと思う。

これまでだって、周囲の人間から「冗談だろ」と言われ、
「絶対に無理だ」と言われてきたことを実現させてきたのが
ジョーダンのジョーダンたる所以である。

『ザ・ショット』『ラストショット』を始めとした通算25度以上のブザービーター、
得点王10回、二度の三連覇、ファイナルMVP6回、大リーグ挑戦、
二度の現役復帰、40度近い高熱でありながらの38得点、、、

「失敗は受け入れられるが、トライしないことは受け入れられない。」

かつてジョーダンはこのように語ったが、これこそが彼の全てを物語っている。

きっと今後もジョーダンは、世界中の人間があっと驚くようなことを
平然とやってのけてくれるだろうと信じている。


史上最高齢でのNBAプレイヤーが
20歳以上も年下の選手の上からダンクをかますなんて、
こんなにエキサイティングで夢のある話はない。

そんな破天荒な話であっても「でも、ジョーダンならもしかしたら、、、」などと
本気で夢を抱かせてくれるのだから、つくづくジョーダンは偉大なプレイヤーである。
by syohousen | 2009-09-13 10:17 | つれづれと

A・Iメンフィス入りに思う

先日、NBA選手のアレン・アイバーソンが
メンフィス・グリズリーズ入りを果たした。

彼は、183cmという身長でありながらも
新人王、シーズンMVP、オールスターMVP、得点王4回を獲得し、
将来は殿堂入りも確実だと見られている選手で、
決して恵まれているとは言えないその体格を考えれば
信じ難いほどの成績を残してきたまさにスーパースターである。

圧倒的なそのスピードは、全盛期には
あのマイケル・ジョーダンが全く反応できなかった時もあったほどだ。


しかし、昨シーズン開幕直後にトレードによってピストンズへ移籍してからというもの、
アイバーソンのやたらとボールを持ちたがるプレイスタイルと
全体の調和を重んじるピストンズのスタイルとが全く噛み合わずに
平均得点、出場時間共にキャリア最低の成績となってしまった。

また、ベンチスタートになった試合の後、
公の場で「スターターでないなら引退した方がマシだ」などと
発言したことも大きくクローズアップされてしまい、
多くの人間から「自分勝手な元スター」というレッテルを貼られてしまった。

結果、昨シーズン終了後に完全FAとなって
どこのチームとでも契約できるようになったにも関わらず、
そのプレイスタイルや問題の多い言動を懸念してか
なかなか表立って獲得へ手を挙げてくれるチームが現れずに
こうしてシーズン開幕2ヶ月前になるまでチームが決まらずにきてしまった訳だ。


冷静に考えてみれば、彼の現状は彼自身が生み出したものであり、
完全に自業自得だといえるかもしれない。

現に、「彼はそのスタイルを改めない限り生き残れない」という
意見が大勢を占めており、「既に彼の時代は終わった」とさえ言われている。


が、自分は、誰になんと言われようがアイバーソンには
今後もセルフィッシュ(自分勝手)なプレイヤーであって欲しいと思っている。

「かつてのやり方が通じなくなったらそのスタイルを変えればいい」というのは
あくまでも一つの選択肢であって、本人がそれを望んでいない以上は
どんなに無様な姿を晒そうともこれまでのやり方を貫いて欲しいのだ。


非凡な能力を持った人間の考えを、凡人の感性でとやかく言うことはできないと思う。


彼は、NBAという生き残りの難しい過酷な世界の中にあって、
自身のエゴを全面に押し出すことによってトッププレイヤーにまで上り詰めてきた。

そんな人間に自己犠牲の精神を求めるのは、
それは飛べなくなった野生の鳥に対して
「飛べないなら地上で生きられるようにしろ」と言うのと同じである。

弱肉強食の世界において
飛ぶことで生き残ってきた生物が飛べなくなるということは、
いずれは他の肉食獣に食べられてしまうことを意味する。

しかし、鳥にはその生き方しかできない動物である以上、
その生き方と心中するしかないのである。


アイバーソンも同様で、
NBAという世界で「セルフィッシュ」な生き方しかできないプレイヤーである以上、
その「セルフィッシュ」な生き方と心中するしかないのだと思う。


ただし、デニス・ロドマン(元ブルズの超問題児。三連覇に貢献)の例もある訳で、
例え問題児であってもそのチーム内において自身の「エゴ」の活かし方を
見出すことができれば、かつての輝きを取り戻すことだって不可能ではないはず。


今シーズンが終わった時、自身のニックネームである
『THE ANSWER』が示す通りの結果を出して欲しいなと、心の底から願う。
by syohousen | 2009-09-12 11:46 | つれづれと

ひとつの気付きが、

「幸福であるから感謝しようとするのではなく、
感謝できる心でいるから幸福になれる」

正確な言葉は失念してしまったのだが、
今朝、ラジオを聴いていて、こんな言葉が耳に入ってきた。

まさしく、その通りであるなと思う。


ふと気付いたのだが、そう考えてみると
『365歩のマーチ』という歌はとても深い歌だったんだなと感じてくる。


こうして一つの気付きが、他の思わぬところでの気付きに
繋がってゆくのだから、生きてゆくのはほんと面白い。
by syohousen | 2009-09-11 09:47 | つれづれと

どんなにつまらないことでも、

「どんなにつまらないことでも、一生懸命取り組めば面白くなる」

黒澤明監督が生前に仰っていた言葉である。


至ってシンプルで誰にでも分かり易い言葉でありながら、
「こんな仕事は自分のやるべきことじゃない」とか
「今の自分がうまくいかないのは、本当にやりたいことをやれていないからだ」とか、
そんな甘ったれた発想を戒めてくれるいい言葉だなと思う。
by syohousen | 2009-09-10 10:46 | つれづれと

見当外れであっても、

昨日、とあるテレビ番組にて外科手術の様子を放映していたのだが、
それを観ていて、これまで27年間人間として生きていながら、
自分自身の腹の中がどうなっているのかすら分かっていないんだなと
なんだか不思議な気分になってしまった。

この身体の中の、どこに何があって、どういう働きをしているのか、
どんな風にその機能を果たしているのか、、、

そんなことを考えてみると、これまでは当たり前だと思っていたことが
実はとんでもないことなんだなと実感させられた。


また、ふと気付いたことなのだが、
内臓の色合いというのはパッと見ではグロテスクな色合いだなと感じてしまうのだが、
そう感じてしまうのはきっと、日常ではまず視覚に晒されることのないものであるが故の
機能最優先の究極的な自然物だからなのではないのかなと思った。

なぜそう感じたのかといえば、それらの色合いが、
普段人の目が及ぶことのない秘境と呼ばれているような奥地に生えている動植物や、
深海魚などの色合いに近い印象を受けたためである。


や、もちろんこれは勝手な推測であるので実際のところは分からない。
全く以て見当外れの意見であるかもしれない。

しかし、こういう風にふと頭に浮かんだことを膨らませ妄想してゆくことは
とても楽しいことでもあるし、もしかしたら新たな発見に繋がることもあるのではないか。


たぶん、今後もこういった妄想はやめられないと思う。
by syohousen | 2009-09-09 08:03 | つれづれと