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2011年 06月 22日 ( 1 )

6/21(火) 読み会レポ

6/21(火)18:00~20:30
【声と身体の処方箋・勉強会】『読み会』
@久我山会館・第3集会室

◆使用テキスト:土路生真隆『motion picture soundtrack』

【ふりかえり】
今回は、劇作を中心に活動している方が参加して下さったため、これまでとはまた違った視点からの意見が出てきてとても面白い有意義な話が交わされたなと感じた。

役者だけで戯曲を読んでみて感想を言い合う場合、どうしても「自分だったらこの役とはこう向き合ってゆくかな」とか「どうしたらこの戯曲を面白く成立させられるか」とか、テキストそのものへの提言的な話よりもこのテキストをどう料理してゆこうか、という発想での意見になってしまいがちだ。
もちろんそれは悪いことではないし、基本的にはそのように創作へと取り組んでゆくような現場が多い訳だからそういった傾向になることは自然な流れだと思う。

しかしそこに作家目線が加わることで、これまで絶対的な存在(のようなもの)であったテキストも、舞台作品のを構成するひとつの要素でしかなく、別に戯曲が上だとか役者が上だとか、そんなことはないのだということに皆気付かせてもらえたために、話す内容に拡がりが生まれたように思えた。
要は、「テキストありきの意見交換」という前提が崩れ去ったという訳だ。

なるほどなと。

ひとつでもそれまでとは異なる視点が混じることで、その場で交わされる意見や生まれてくる発想は全くの別物(但しそうはいってもそれまでと地続きではあるのだけれども)になってくるのだなと、そう実感させられた有意義な時間であった。

きっと、こういう感じで今後も役者以外の視点を持つ方々が参加できるような環境を作ってゆけたなら、この読み会という場もより意義深い取り組みとなれるのだと思う。


しかしそれと同時に、進行を務める側からのアプローチの仕方も少しずつ見えてきたような気がする。

毎回先に書いたように様々な視点を持った方々が1人でも多く参加してもらえたならば最高なのだけれども、勉強会の現状を見ている限りではそれはまだ難しい話ではあるなというのが正直なところだ。
なので参加メンバーの構成に左右されない有効なアプローチ法も進行役としては考えてゆかねばならない。

これまでのように、極力こちらからは干渉し過ぎないようなるべく自由に話してもらえる環境づくりを心掛けて進めてゆくのは、たぶん様々な視点を持った方々が集まった際に採るべき方法なのかもしれない。
意見の違うもの同志が集まったならば、別にこちらから何か特別な仕掛けを設けなくても話はどんどん展開してゆくのだろうから(もちろん意見を出し易い環境はつくらねばならないけれども)進行役は完全に黒子に徹していればいい。

しかし役者だけ、というように同じような視点を持ったメンバー構成の場合には、少なからずこちらからの仕掛けを用意しなければなかなか話が展開してゆかず、単発での思い付きの話をいくつも並べてゆくだけの時間となってしまうのだと思う。
まあ、それでもたまには発見の多い有意義な会話に発展する可能性もあるかもしれない。
けれどもそれではあまりにも運任せだし、ただ何となくの会話が延々と続いてしまう可能性が非常に高くなってしまうだろうから、時間の過ごし方としてはとても勿体無い。

なので、例えば問題提起をしてから読んでみるとか、こちらが参加者とは違う視点を意図的に持って意見交換の際に意地悪な質問(別に意地悪でなくてもいいけれども)をしてみるとか、或いは読む際に参加者に「試しに○○の視点で読んでみて下さい」とか、何かしらの負荷をその場なり参加者なりにかけた状態で臨んでみるとよいのかなと、そう思った。
まあ、それもやり過ぎてしまうとある一定の方向へと場の意見を進めてゆかねばならないような変な引力がその場に生まれてきてしまう危険性もあるため、バランスが大事なのだとも思う。

いずれにせよ、これからは何かしらの変化を加えてゆかねば、惰性だけで何となく行っているつまらない集まりになってしまうだろうから、この会の持つポテンシャルは常に引き出しきるつもりで毎回臨んでゆくようにしたい。
by syohousen | 2011-06-22 13:20 | レポート(勉強会)