2010年 06月 27日 ( 1 )

6/23(水) 寺子屋レポ

6/23(水)18:00~21:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋(仮)』
@野沢地区会館・小会議室

【進行】
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す
→歩き出してみて、身体状況を言葉にしてみる
→そのまま歩きつつ、身体の気になるポイントを手で擦ってみる
→同様のことを、楽な姿勢になって行ってみる

■まず、足の指を、1本1本、動かせる範囲いっぱいに色々と動かしてみる
→その動かせる領域を、足の甲、足の裏、足首、膝から咲、股関節から先、という順で、徐々に拡げてゆく
■同様のことを、手の指から手の甲、手の平、手首、肘から先、肩から先、肩甲骨から先の順で、行う
■同じく、腰、胴、胸、肩周り、首、顔、頭皮の順でその範囲を拡げつつ、動かしてゆく

■身体状況を言葉にしてみる

■手を筆に見立て、色を塗ってゆくようなイメージを持ちながら手で空間をなぞってゆく
→大きくなぞる意識を持ってみる
→手に風のような質感を持たせるイメージを持たせつつなぞってみる

■身体状況を言葉にしてみる
■フィードバック

◆休憩

■何を行うのかは一切告げず、3分ほど時間を設けて空間を色々と観察してもらう
→その観察したことを元にして、その空間をガイドをしてみる
→もう一度3分時間を設けて、今度はガイドすることを前提として空間を観察してもらう
→先ほどと同様に、観察したことを元にその空間をガイドしてもらう

【レポート】
自分は、結構な割合で必要最低限の説明しかせずにエクササイズに臨んでもらう形式を取っているのだが、それは何故かといえば、その人が何かしらのミッションを与えられた際に、その説明をどのように捉え、そのミッションとどのような向き合い方を選択ゆくのか、という点についてまでを、新たな自らの発見のために利用して欲しいからである。

思うに、こちらの指示の捉え方や向き合い方を一つひとつフィードバックしてゆくことで、自らの思考の傾向などが浮き彫りになってくるのではないか。
そしてそれは、俳優としての自分が、戯曲や演出の指示と向き合う際のちょっとした「癖」のようなものに気付くきっかけとなるかもしれない。


だから、別に参加者の方々がこちらの意図通りに動いてくれなくても全然構わないと思っているし、また、こちらから与えたミッションが全て失敗に終わってしまったとしても、それはそれでいいと思っている。
むしろ、どんどん失敗して欲しいとさえ思ってもいて、こちらとしては、参加者がそのミッションを失敗した時こそが、指導者としての腕の見せ所であると考えている。

以前、このブログでも書いたことなのだが、柔道では「受け身」を身に付けることを真っ先に教えられる。
それはつまり、「如何にして失敗と向き合うか」を身に付けるということでもある。
自分が指導の際にかなりの比重で重視していることはこの「受け身」の思考回路の構築で、そのためにはまず、「自らで考える」ことから入って欲しいのだ。

最低限の条件だけを与えられた中で自ら考えた結果だからこそ、己の何が原因でその失敗に到ったのかが分かる訳だし、もし仮に失敗せずとも何度かそのような「自らで考える」という経験を重ねてゆく中で自分自身の発想の傾向が見えてくるのではないかと思う。
まあ、そのためにはこちらから与えられたミッションへ全力で取り組んでゆかねばならないのだが。


そこのところでの参加者の誘導の仕方が、自分はまだまだ甘い気がする。
たぶんリズムが大事なんだろうなと思う。
若干だが、指示の与え方に余計な言葉を加えてしまったりして、参加者がそのミッションに臨む気持ちに迷いを与えてしまうような隙を生んでしまっているのではないか。

もっと参加者と自分で作り上げているその瞬間の空気に身を委ねてみてもいいと思う。
そのためにはまず、自らの指導者としての皮膚感覚を信じるところからだ。

己の感覚を信じることができないから“理”でカバーしようとしてしまうのが自分の悪い癖だってことは、これまで何度も味わってきたことじゃないか。
次のステージに進むためにも、そろそろその癖からは卒業できるよう努めるべきだ。
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by syohousen | 2010-06-27 14:07 | レポート(主催)