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5/21(水)『光と光の中』 稽古12日目

5/21(水)18:00~21:30 天候:晴れ

【本日のメニュー】
●2人組マッサージ(言葉なし)
●自分の台詞のみだけを持って読み合わせ

【本日のレポート】
本日行ったメニューは、自分が現在役者として参加している『マームとジプシー』の稽古にてつい先日行ったメニューを拝借させてもらったものだ。
自分もやってみて非常に有効だったので、この座組の方々にも是非一度体験して頂きたく思い、試してみた。

自分の台詞しか分からない役者というものは、嫌でも相手を見ようとする。
何故ならそこにしか頼れるものがないからだ。

しかし、それは特別な事なのか。
舞台上において、目の前に存在している人間を信じずして何を信じるのだろう。
また、それは相手の台詞の分かる分からないに影響されるものなのだろうか。


月並みな表現ではあるが、「会話はキャッチボール」という言葉は非常に的を得ていると思う。
これが相手の言っている事を受け取らない、自分の意図のみを相手に押し付けるような芝居であるならば、それは「雪合戦」となってしまう。
各々が各々の足元の雪から作り出した雪玉を、各々が自分のペースで投げ合う。しかも投げたら投げっぱなしであり、ぶつかった玉は壊れてしまうために必然的に双方とも一方通行同士の関係となってしまう。
別にぶつけ合う事に問題がある訳ではない。
同じぶつけ合うにしても「ドッジボール」であるならば、投げ合っているボールをお互いが共有しているので双方向の関係が成り立っており、そういった関係も芝居においては有りである。

ここで重要なのは、キャッチボールにせよドッジボールにせよ相手が投げたボールをしっかりと認識している点。だからこそ、これらのゲームは成り立つのだと思う。


ここ数日の稽古を見ていて、全体的に「受け」に対する意識が非常に弱いように見える。

基本的に人間は受け身である。
人間の身体は、外界からの刺激を受ける事によって次の行動に向けての衝動が生まれる訳で、外界から何の影響も受ける事がない状態での「自分発の行動」というものは有り得ない事なのだと自分は考えている。
しかし、何故か芝居になると自分から何かをやろうとしてしまうのだが、そういう時の役者の身体というのはやはり嘘をついているように見えるし、「何故その行動に到ったのか」というモチベーションが全く見えないために意味不明なやりとりに見えてしまう。

もっと目に見えるものや耳に入ってくるものに対し正直になってよいのではないかと思う。
たしかに台詞もあるし決まり事も沢山あるので、感じたものに正直になる事によって様々な不都合が生まれてくるだろうが、その不都合を怖がって嘘をつきながら段取りを追うような稽古に何の意味があるのだろうか。稽古というものは、そういった問題の解消のために行なうものなのではないのか。

今一度、生(LIVE)である事の意味(必然性と言った方がいいかも)を、役者さんには考えて頂きたい。
by syohousen | 2008-05-22 19:34 | レポート(スタッフ参加企画)
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