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「綺麗事じゃ変わらない」という綺麗事

10万人を超えるまでに至ったデモに対し
「綺麗事で現実は変えられない」という言葉を
投げかけている人を至るところで散見するのだけれども、
皮肉にもその言葉自体が綺麗事となってしまっていることに
早く気付くべきなんじゃないかなとよく思ってしまいます。


たしかに綺麗事だけで現実を変えることは大変困難なことだと思うし、
そこには様々な問題が伴うであろうことも容易に想像はつきます。

が、それを承知の上で10万人以上の人間が集まった、
という現実を前にしながらもそんな定型句を
安易に用いてしまえていること自体がもう、
目の前の現実から目を逸らした、
目の前の現実に即していない発想であり行動なんですよ。

ましてや今のこの流れはもう止められないとも思いますし、
そんな状況下で下手に正論を吐かれても、むしろ逆効果な気がします。


だからこそ、この事態をこれまでの常識で考えるのではなく、
ひとつの現象としてとらえ、この現象をどうこれからに繋げてゆけばよいのか、
ここを出発点としてどう動いてゆくことがよりベターな道なのか、
そんな思考のあり方でこの現実と向き合ってゆくことが大切なのはないでしょうか。


や、もしかするとそんな悠長なことは言ってられないのかもしれません。

が、だからといって闇雲に批判してみたり、
前述のような月並みな借り物の言葉でああだこうだ言ってみて
何か変わるのかといったら何も変わらないだろうし、
むしろそういった向き合い方が変な対立軸を生み、事態を更にややこしくしたり、
双方身動きの取れない膠着状態を引き起こしたりするんじゃないかと思います。

そうなってしまえば事態は泥沼化の一途を辿ることでしょう。


思うに、それに比べたら遥かに理に適った発想なのではないかと。

まあ、少なくとも自分は、そういう発想で今後動いてゆくつもりです。
by syohousen | 2012-07-18 10:15 | つれづれと
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