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言葉の表面をいくら撫でていたって、

最近、「断定の意見は理解していないことの表れ」という意見が
TwitterのTL上などで散見するんだけれども、でもそれもひとつの捉え方であって
断定の有無が理解の有無の分かれ目だとは必ずしも言い切れないと思う。

たぶん言い出した人もそんなつもりで言ってないと思うんだけど、
人から人へ伝わってゆくうちにいつの間にか単純化させられちゃうんだろうなぁ、、、


その論調の何が怖いって、
「断定=悪」みたいな認識が蔓延することが怖い。

断定が必要な時、立場だってあるのに。


では「断定の意見」のどういう点がが問題なのかと言ったら、
問題なのは「断定かどうか」という表向きの形式ではなく
自らの意見が「完全な結論としてこれ以上深める余地がない」と考えてしまっている
その思考回路の方に問題があるんだと思う。

だから、冒頭で挙げた「断定の意見は~」という考えを絶対視して
「何としても断定を避けねばならない」などという発想で思考してしまえば、
どんなに言葉遣いをあやふやにしたところで
それは結局のところ「断定は悪」と頭の中で断定してしまっている訳で、
つまり自分で自分の意見に反した行動を採っている、ということになる。


断定しなければならないタイミングだってあるし、
断定を要求される立場の人だっている。

また、自らの強い意思を表明するために敢えて断定の表現を用いる人だっている。

それらまで一緒くたにして「理解してない」などと言うのであれば、
その人こそこの発想がどういうことか全く理解していない人間だ。



ほんとさ、言葉の表面だけいくら撫でていたって、何にもなりませんよ。
by syohousen | 2012-02-05 15:53 | ものの見方・捉え方について
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