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自らの立場を明らかにすること

よく、「俳優目指してます」とかいう
自己紹介の仕方をする人がいるけれども、
自分はどうしてもそういう感覚に違和感を憶えてしまう。


俳優って、どこからが俳優なのだろうか?

何か明確な基準でもあるのだろうか?


たしかに、何でもいいから舞台に立ちさえすれば俳優だ、
という考え方は如何なものかと思うし、
だからこそあまり安易には名乗って欲しくはないなとも思ってしまう。

けれども、だからといって自分は
「俳優目指してます」という人の舞台を
お金を払ってまで観に行きたいとは思えない。

なんで不完全であることを自ら公言している人の作品を
お金を払ってまで観に行かなきゃならないんだと思うからだ。


それだったら「趣味でやってますが本気ですんで観て下さい!」という
サラリーマンなどの方達で創ったアマチュア魂溢れる作品の方が観たい。

そっちの方が向き合い方としては誠実だし、
そういうスタンスでの表現には自分も興味があるので喜んで払うと思う。


思うに、お金を取るならば、自らの立場は明確にしておくべきなんじゃないか。

自分としては、達者だけど俳優であると名乗れない人間の舞台よりも
拙くとも自らが俳優であることを背負って舞台に立っている人間の方が
観る価値はあると思うし、そういう人の舞台にしかお金は払いたくはない。


予めエクスキューズをしておいて
安全なラインを敷いた上でしかできない演技なんか、
はっきり言って観ていて微塵もワクワクしないですよ。

まだ自らが「舞台に立つ」ということへ誇りを持って
舞台に立っている人の方がマシだ(但し独りよがりではあって欲しくないが)。



それは「俳優」に限らず他の肩書きであっても同じことだと思う。

そして、だからこそ自分は、「演劇家」と堂々と名乗るようにしている。


その名称に相応しい存在になってから名乗る、
という発想は、一見もっともらしく、
また謙虚なようにも見えるけれども、じゃあいつになったら
その「相応しい存在」になれるのかを具体的に言えるのだろうか?

まあ、もし言えるのであれば別にそういうスタンスでも構わないと思う。

人にはそれぞれ事情があるし、
もしかしたら誰かとの約束を果たすこととか、
社会へ具体的に何かしらの足跡を残すこととか、
そういうある種のこだわりを以て
名乗るためのラインと定めている人だっているかもしれない。

しかしそういった具体的なビジョンのようなものがないのであれば、
それはただ単に自らへモラトリアム期間を設けているだけな気がする。


自分の立場を明らかにすることで、厳しい目にも晒されるようになる。

厳しい目に晒されるから、己の実力も磨かれてゆくし、
もし力及ばぬ状態が続くならば容赦なく淘汰されてしまう。

それってきっと大変なことなんだと思う。

けれども、後人生を懸けて取り組んでゆきたいことであるのならば、
覚悟を決めてそこへちゃんと挑んでゆかないと、
ただ何となくでの中途半端な関わりで一生を終えてしまうだけだと思う。


だから自分は、名乗ってゆきます。
by syohousen | 2011-09-09 22:10 | つれづれと
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