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技に溺れぬよう、

よく、指導の場で知ってか知らずか
コールド・リーディング(知らない方はこちらへ)の
手法を用いる方が多いのだけれども(まあ、それが重要だからなのだろうが)、
このやり方は指導において非常に有効な部分と危険な部分が
混在しているやり方なので、細心の注意を払って取り扱ってゆかないと
後で取り返しのつかないようなことにも
繋がりかねないのではないかという気がします。


相手に自らを信じてもらうこと、
それはたしかに指導を行う上での第一歩目として
非常に重要な要素ではあるとたしかに思います。

が、それが過剰になってきてしまうと
相手は自分の意見を何でも正しいものとして
とらえてしまうことにも繋がりかねず、
それは指導を行う人間にとっては非常に危ういことでもあります。


コールド・リーディングのような(受け手として)不可思議な驚きは
指導における導入の段階で止めておかないと、相手は自らで考えることを止め、
全てをこちらの意見の通りに思考するようにもなってしまいかねません。

「何故そんなにも分かられてしまうのか分からない」という驚きは
“恐怖”の感情と非常に近しい関係にあるため、
心情的にはより安心できる方へと思考が流れてしまい易いからです。

しかしそれは指導の本来の目的に反することのはずです。


別にこの手法が悪いと言っているのではありません。

実際、自分も自らの指導を追究してゆくうちに
自然とこの手法というか考え方が身に付いてきた訳ですし、
今現在もこの手法を指導の現場では結構用いております。

しかし、それは初めての人を相手にする時だけで、
あとはもう、どうしても必要な状況下でしか自分は使いません
(まあ、その技術を応用して取り入れてみたりは結構しているけれど)。

また、今後の指導に支障のない範囲で
その種明かしも極力行うようにしてもいて、
ちゃんと根拠があるから言い当てられるんだという、
決して超能力的な能力で以て言い当てた訳じゃないんだということを
理解してもらえるように心掛けてもいたりします。


でないと、指導における適度な距離感が保てない気がするのです。


たしかに恐怖心を利用すれば
簡単にこちらを信じ込ませることはできるでしょう。

そして己のことを信じ込んだ人が
自らの思い通りになってくれるのは、
なかなか悪い気分のしないものでもあります。

しかし「信じてもらう」ということは
あくまでも指導におけるひとつの手段でしかないし、
そもそも恐怖心を煽って無理矢理作り出した信頼なんてものは
それ以上の恐怖と出会えば簡単に破綻してしまうものでもあると思います。


だから、必要なのはもっと深いところでの信頼関係であり、
それはやはり地道な努力によってしか得られないのだと思います。


技に溺れぬよう、常に自らを律して指導には臨んでゆきたいなと。

心からそう思います。
by syohousen | 2011-01-22 14:40 | 指導について
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