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可能性は、そのままでは可能性でしかない

自分で自分に対し、幻想を抱かないこと。

それがこんなにも生きてゆく上で大切なのかと最近強く実感している。


それはある種、自分に対する“諦め”でもあるのかもしれないのだが、
「事実を引き受ける」という意味合いでの「積極的諦め」というものは
やはり必要不可欠なものなのかもしれない。


事実を引き受けることで、そこから次のステップへと進める。

それは見方を変えてみれば、
自らの可能性を絞り込む作業であるとも言える。

何故なら、“可能性”という視点からだけで自分を捉えていれば、
何者にでもなれる可能性を持ち続けることができるからである。

が、「自分にはあんなこともできるし、こんなことだってできる」という
可能性ばかりいつまでも尊重していて、決断を先延ばしにしていれば
いつまで経っても今の地点から先へと歩みだすことはできないと思う。

可能性は、そのままではどこまでいっても可能性でしかなく、
実際に動き出さない限りは決して事実には変わることはないのだ。

そのように決して事実に変わり得ない可能性であるのならば、
たとえどのような素晴らしい可能性であっても
結局のところそれは「自らに対する“幻想”」でしかないのではないか。


誰にだって自分は尊い存在であるし、
周りの人間にもそう扱って欲しく思ってしまうのが人情というもの。

しかし、自分(或いは肉親)という唯一無二の存在に対してならばいざ知らず、
周りの人間からしてみれば、「これから何者にでもなれる」という可能性だけで
尊重しろと言われても、それはその人の手前勝手な我儘にしかならない。


ならば、そんな幻想は早くに手放し実際に動き出すことで、
勇気を持って自らの可能性を絞り込んでゆくべきなのではないか。

人生という長い道を歩み、自らを成長させてゆくためには、
「選んだ道」と「選ばれなかった道」の両方を全て
ことごとく引き受けた上で歩んでゆく覚悟が必要なのだと思う。
by syohousen | 2009-10-26 11:13 | つれづれと
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