人気ブログランキング | 話題のタグを見る

全ての人物が例外なく生きているからこそ、

ここ最近、『バガボンド』が猛烈に面白い。

一人ひとりの登場人物のその口から発せられる言葉が、
各々が各々の独自の苦しみ故に生じた葛藤の末に発せられているものであり、
物語の都合で無理矢理喋らされている言葉がほとんど見当たらないのだ。


物語をうまく成立させるために登場人物の生き方を曲げて描いてしまうのは、
見てくれのために自分の創り出した人物に“嘘”をつかせるということになる。

もしかするとそうすることは仕方のない部分もあるのかもしれないし、
どうしてもそうせざるを得ないような状況だってあるかもしれない。

が、そうはいってもそういう「仕方ない」を不用意に積み重ねてゆくことは
最終的に作品そのものの純度を薄めてしまうことに繋がってくるような気がする。

なぜなら、そういった嘘をつかせている時のその人物の行動は
当人の意思を完全に無視したものであり、更にはその作品世界の法則も無視した
何か超常的な力(作者の都合など)によって動いているということになるからである。

そんなことを許してゆけばせっかくそこまでで積み重ね、
構築してきたその作品世界の構造を否定することになるからである。


『バガボンド』には、その「作者の都合」が全く見受けられず、
登場人物の一人ひとりが「己が生」に没頭しているように見える。


だからなんだと思う、
コミックス26巻で武蔵が言った「有難う」という言葉が、
その言葉の意味を超えて自分の中で重く響いたように感じたのは。

あの言葉は、あの場所あのタイミングで言った(心の声だが)
武蔵の言葉だからこそ意味のある言葉であり、
また、自分はそこまでの武蔵の生き様を見ているからこそ、
その言葉を発するまでに到った武蔵の成長に心を打たれたのだ。


実は、今日発売のモーニングでの『バガボンド』の中にも、
上記のように武蔵の成長を感じさせてくれる言葉があった。

本当に何気ない言葉なので、
もしかするとさらっと流してしまいかねない言葉だったのだが、
自分はその言葉に触れた時、思わず目頭が熱くなってしまった。

こういう経験こそ、登場人物の一人ひとりが生きていることを
感じさせてくれている作品だから味わうことのできるものなのだと思う。
by syohousen | 2009-10-08 15:38 | つれづれと
<< 意識の範囲 「当たり前の精神のありよう」の大切さ >>