人気ブログランキング | 話題のタグを見る

“技術”や“才能”について

不思議なのだが、どうも“才能”や“技術”という言葉を
悪いイメージで捉えている人が意外と多い気がする。

「才能がある」だの「技術がある」だの言われると嫌がる人もいる。

しかし、果たしてこれらはそんなに悪いことなのだろうか?


思うに、これらはより高みを目指し、
より真理へと近付くためには必要不可欠なものなのではないだろうか、、、

例えば舞台においてであれば、よく通って聞き取り易い声や
立ち居振る舞いの綺麗さは観客にとって非常に観易く親切である訳だし、
また、発声や身体の扱い方を理解していればそれだけ自分の演技に集中できる訳で、
より作品のクオリティを高めることに意識を割けるはずである。


では、何故にイメージが悪いのか、、、

もしかすると、才能や技術を自らの向上のために利用するのではなくて、
ただ楽をするためにだけ用いて安売りしている人が
あまりに多いからなのではないか、という気がする。


才能の垂れ流しは、たしかにみっともない。

しかし、それは才能を持て余した結果の姿であって、
才能というものの持つ本来の姿とは違うはずである。

イチロー選手のように、より高みへと登るために己の能力を注ぎ尽くすことで
あれだけの奇跡のようなパフォーマンスを魅せたりすることもできるのだから、
技術にせよ才能にせよ、結局は使い方次第なのだと思う。
by syohousen | 2009-07-29 10:30 | つれづれと
<< ここ最近の「うんざり」について 「今、ここ」に生きていられること >>