「がんばって」という言葉というものは、どうもいい印象を持たれていないような気がする。
たしかに安易に「がんばって」と言われるのはあまりいい気分がしないことが多い。 が、よくよく考えてみると、 それはこの「がんばって」という言葉そのものに責任があるのだろうか? そもそも「がんばる」という言葉の語源には 「自分の考えを押し通すという意味の“我を張る”からきた」 という説と、 「『目をつける』や『見張る』といった意味を持つ“眼張る”が転じて現在の使い方になった という二通りの説がある(なお、「頑張る」は当て字)。 自分は、ネガティブな印象の伴うものの「我を張る」説が有力だと思っている。 何故かといえば、他者に向けて「がんばって」と声をかけることは 「我を張ってもいいんだよ」或いは「もっと自分の気持ちを全面に押し出していけよ!」 というような意味を持つ「許容の激励」ではないかと見ているからだ。 では、自らで「がんばるぞ!」と思うのはどういうことなのか。 おそらくは、敢えて「我を張る」ことを決心することで 自らを信じ抜く覚悟を持とうとする決意表明なのではないだろうか、と思う。 ここで述べたのはあくまでも横山の私見ではあるのだが、 いずれにせよ、この「がんばる」という言葉は使い方の難しい言葉であるようだ。 が、だからといって必ずしもネガティブな意味合いを持つ言葉でもないのではないし、 ポジティブなだけの言葉でもない、使い方次第の言葉なのだろうと思う。 それだけに、安易な気持ちでは使わずしっかりとした想いを込めて使うようにしたい。 使われ方によって、言葉というものの価値は高まりもするし下がりもするのだから、、、
by syohousen
| 2009-06-17 07:46
| つれづれと
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