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「議論」の目的

よく感じることなのだが、「議論」というものの目的とはなんなのだろうか?

もちろんケース・バイ・ケースなのではあるだろうし、
しかも自分の狭い世界の中で受けた印象なのだが、
どうも「相手を言い負かす」ことばかりに重きを置いているような
傾向が強まってきている気がする(特にウェブ上の議論)。

そして、そういった人達のやりとりを見ていて感じてしまうのは
「建設的でないなぁ、、、」ということである。


論点の摩り替え、
相手の論の不備ばかりを突く、
挑発的な言葉を用いて敵失を誘う、
極論に逃げ込む、等々、、、

このような論破術のようなものが、
果たして議論で成果をあげるために必要なものなのだろうか?


別に自分は議論において揉めるなとも妥協をしろとも言うつもりは毛頭ない。

ただ、何故にその人にとってのその議論における終着点が
「相手を言い負かす」というところにしかないのかが、よく分からないだけなのだ。

が、もし、その議論による成果をあげるための手段のひとつとして
「相手を言い負かす」ことが必要であるのならば、まあ、分からないでもない
(まあ、果たしてそのような議論があるのかは分からないが、、、)。

しかし大抵の場合はそうではなく、
「自分のプライドを保つために相手を言い負かさねばならない」
ということの方が多いように見受けられる、、、


もちろん、異なる意見同士を闘わせることは非常に大切なことであるし、
それこそが議論における最重要ともいえる要素でもある。

が、大抵の場合、議論において意見を闘わせることの一番の目的となることは
「誰の意見が勝ち残るか」ではなくて
「異なる意見のぶつけ合いによってお互いの意見の利点・問題点を浮き彫りにさせ、
また、一人では到ることのできなかったような発想を導き出す」
ということでもある。

だいたい、「その中で一番優れた意見を勝ち残らせる」というのは、
議論というよりも討論やプレゼンの方が近い訳で、そこを混同してはならないと思う。


議論は、議論そのものを目的としてしまった時から
その建設的な要素は失われ、時間の無駄遣いになり下がってしまう。

何のために今自分達はこうして論を闘わせているのか。
その目的意識だけは決して忘れてはならないと思う。
by syohousen | 2009-05-28 08:05 | つれづれと
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