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「美談」や「奇跡」をつくらないことこそ、

“「美談」や「奇跡」は不要だ。

 「美談」や「奇跡」をつくらない安全な方法を確立することこそが、
 防災の基本であるはずだ。

        — 『被災後を生きる 吉里吉里・大槌・釜石 奮闘記』89頁。”


まさにその通りだと思った。
# by syohousen | 2013-02-10 18:14 | つれづれと

2/8(金) breakthroughワークショップ レポ

2/8(金)19:00~22:00
breakthroughワークショップ @青葉区中央市民センター・第二会議室

★ファシリテーター:伊藤 拓

前回開催から2週間、これまでで最も間が短い中での開催であった。
それだけに、前回のWSで浮かび上がった課題などを強く意識した上で臨むことのできた3時間であったなと感じた。

特に繰り返しのゲーム時には、今回、「言葉を括らない」という点を強く意識して臨んだ。

というのも、これまでこの繰り返しのゲームへと臨む際、自分でも知らず知らずのうちに発しようとする言葉をポジティブネガティブと色分けして使い分けようとしていた傾向があったなと感じたからだ。
言葉は言葉であってそれ以上でもそれ以下でもないはずなのに、口から発する前から自らの中で勝手にそれらの及ぼす影響についてを意識し過ぎて自分で自分を縛り、素直に言葉が表出するのを邪魔してしまっていたのだ。

なので、今回はその無自覚に行ってしまっていた言葉の色分けや括る作業を行ってしまわぬよう、意識的に言葉に対し不用意になってみようとしてみた。
浮かんだ言葉は、その場にそぐわっているかどうか関係なく、たとえそれが意味不明であってもとにかく口にしてみて垂れ流すように意識するようにしたのだ。

すると、だいぶ自分の中で相手と向き合うことが楽しくなれて、仮に言葉が詰まったとしても全然そのことに対して焦りを感じることなく「じゃあまた相手への観察に戻ればいいか」というような発想に冷静に移ることができるようになっていた。
その上で、出てこない言葉があったならばそれは後で振り返ってみてこれからに生かせばいいのだし、だからそんな先回りの心配なんかせずに目の前の人とのこの時間に全身全霊を費やすことに集中しようか、と思えるような状態であった。

すると面白いもので、そういった発想で目の前の人、ものと向き合うことを強く意識するようにしてみると、ふとした瞬間に自らの身体や感覚に沿った、とてもしっくりくる言葉がすんなりと出てくるようになったなと感じられる状態となれた気がする。

たぶん、この変化は悪い変化ではないと思っている。

何故なら、目先の結果に左右されることなく「いま、ここ」に身も心も置いた上で、己のやれることを着実に積み重ねてゆこうと肚を決めて臨むことのできるような状態であるからである。
この状態でいられることの利点は、取り組んだものの結果の是非に関わらず、その至った結果そのものから学びも発見も得られる点にある。
従って、いちいち一つひとつの結果を予測しその是非について思い煩わされたり恐れたりすることなく目の前のことへと遠慮なく全身全霊を傾けることができる訳だ。

このいい状態は、決して忘れずにおきたいなと思う。
そして、その上で、そこからもっと上のステージを目指してゆけるように心掛けてゆきたい。
# by syohousen | 2013-02-09 00:52 | レポート(外部受講)

2/5(火) 文化庁芸術家派遣事業 「誰でもダンス」レポ

2/5(火)9:15~10:45
ARC>T 文化庁芸術家派遣事業 「誰でもダンス」@穀町保育園

■ファシリテーター:千田みかさ

11月以来久々のみかささんが主指導者で臨む「誰でもダンス」の補助。
しかし今回は1時間半という時間の中で3つのグループ相手に、しかもそれぞれ4~5歳児が45分、続いて2歳児が15分、そして最後に3歳児が30分と、年齢別で持ち時間も違っていたので非常に進行に工夫を求められるような状況下での開催でした。

しかしこれはみかささんも仰っていたことなのだけれども、今回の参加メンバーはみかささんと一緒にやる機会も多くお互いに勝手知ったる間柄の面子であったため、このようなタイトなスケジュールの中でも全く困難さを感じさせない非常によい連携を取りつつ子供達と素敵な時間を過ごすことができたなと思います。
こういうところはやはり積み重ねの重要性を改めて感じさせられるところです。


それにしても、やはりこのくらいの時期の子供というのは1歳違うだけでこちらからの働き掛けに対する反応が全然違ってくるものだなぁと実感しました。
それだけに、今回のような年齢別に分けて行う形式は、タイトではあるもののその順番や相互の絡め方次第ではただ漫然とみんな一斉に行うよりも遥かに有意義な時間を過ごすことができるものだなということを学ばされました。

今回のことで具体的にいうならば、最初に4~5歳児を対象にベースとなるプログラムを比較的丁寧に行い、その次の2歳児対象の際には先に行ったものの中でも特にシンプルなものを抜き出してとにかく楽しんでもらうような進行にして、最後の3歳児対象の時間に入ったらこれまでの子達も巻き込んで園児全員でこのプログラムを行ってゆき、時に4~5歳児の先輩達にやり方を教えてもらったりもしながら最終的には全員で協力して楽しい時間を作り上げてゆく、、、という流れが非常にスムーズに生まれていました。
この、「子供同士で教え合う」という行為は子供達にとっては貴重な経験となるはずで、それが自然に生まれるような仕掛けを生み易くなるという点において、この「年齢別にわける」というやり方は、実はとても有効な手法なのかもしれません。

自分にとっても、こういう経験をできたことは大きいことだなと思います。
指導者として、ファシリテートの選択肢を拡げてもらえたような気がします。


今回のこの穀町保育園の園児たちは、元気な上に誰かが話を始めるとちゃんと集中してその話を聞こうともできる素敵な子達だったなぁと感じました。
こういう素晴らしい子達と触れ合うことができて学ばされることも多く、本当に有り難かったなと思います。

またみんなと遊ぶことができたらなと、思ってます。
いや、できたらな、ではなく、実現させられるようがんばります。
# by syohousen | 2013-02-08 17:53 | レポート(スタッフ参加企画)

2/6(水) 多夢多夢舎「ダンスのじかん」レポ

2/6(水) ARC>T出前部 「ダンスのじかん」 @多夢多夢舎中山工房

■ファシリテーター:千田みかさ

つくづく、みかささんがいる時とそうでない時の盛り上がり具合の違いを実感する。
まあ、昨日今日でいきなりこういった関係を築き上げていった訳ではないし、だから別にそこに引け目を感じる必要はないということはわかっているのだが、しかしそうはいっても悔しいものは悔しい。

まあ、それだけに、この違いを生むものは何なのか、よくよく考えてみることが大事なのだろうなと思う。


今回感じたことは、みかささんはとても自然体であの場に身を置いているなということであった。
そういえば、自分がチーフを任された際にはどう贔屓目に見ても自然体などでは決してなくて、呼吸も浅く腰が定まっていないような身体であったように思う。

やはり「みんなをまとめなければ」という変な義務感というか、責任を一手に引き受けようとしてしまっていたのかもしれない。知らず知らずのうちに。
それによって上からのものの考え方となってしまって、「自分がやらなければこの場はうまくまわらないんだ」などと間違った自信のようなものを抱きながらあの場に身を置いていたような気がする。

しかし、彼らと自分で違うのは役割だけで、別に上も下もないはずだ。
しかもその役割だって、「かくあらねばならない」などという決まりごとなんてものもないはずで、ただただその瞬間に目の前にいる人達とより楽しい時間を過ごせるよう最大限の努力をしてゆけばいいだけのことなのだ。

ちょっと、これまでのファシリテーターとしての経験によって得てきた知識や常識のようなものを一度手放してみて、何の前提もないところからどう彼らと付き合ってゆくかについてを探ってみるとよいのかもしれない。
たぶん今の自分は、これまでの経験によって得た常識というか、自分の中に思い描いてしまっているファシリテーター像のようなものに縛られてしまっているように思う。
それにとらわれてしまうあまりに、思考の中に自分という存在が抜け落ちてしまっているように思うのだ。

なので、ここは一度、横山真という一個人として、彼らと向き合ってみるところから始めてみたい。
そこから、改めて一つひとつ積み上げてゆくようにしてみようかと思う。
# by syohousen | 2013-02-07 23:26 | レポート(スタッフ参加企画)

上下とかないやろが

なんか、細かいことかもだけど、
「東京以外からもぜひ!」と言われるよりも
「日本全国どちらからでもぜひ!」と言われた方が
素直に聞き入れることができるなぁって思ってしまう。

どうしてもね、前者は東京が一番で他はランクが下、
みたいな傲慢さが感じ取れてしまうもので、、、
# by syohousen | 2013-02-06 11:20 | つれづれと