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仕事量の多さと有能さは関係ないだろ

多くの仕事を抱えていること、それ自体は別に偉くも何ともないと思う。

それよりも、少ない仕事量でもいいからしっかりと最後までやり抜き、
一つひとつの仕事における成果を最大限あげることができることの方が
よほど大切なことだし、素敵なことだと思う。


特に、共に仕事をしている人への敬意を忘れては決してならない訳で、
それは仕事量の多さがどうであれ、関係のないことだ。

むしろ仕事量が多くて共に仕事をしている人達に迷惑をかけてしまうことは、
自己管理のできなさの表れでもあり、それはとても恥ずべきことだ。

そこは常に己の中で戒めとして携えていたい。
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by syohousen | 2012-09-30 23:22 | つれづれと

どうにもならないものをどうにかしようとするのではなく、

もし、いろんな気持ちで心がいっぱいになってしまって、
身体の方が言うことを聞いてくれなくなってしまった時には、
無理にその身体をどうにかしようとするのではなく、
今の素直な気持ちを、時間がかかってもいいから、
少しずつ言葉にして人に伝えてゆくことが大切なのかもしれない。


言うことを聞かないものをどうにかしようとするのではなくて、
今の自分が感じていること、今の自分にわかることを言葉にし、
そこから生まれる変化に委ねてみる。

そうしてみることで、凝り固まっていた身体も、
もしかしたらほぐれたりするのかもしれない。


心も身体も、自分のものでありながら思うように
コントロールできなくなってしまうことは珍しくない。

だからこそ、今の自分にわかることを素直に表現してみることって、
とっても大事なんだろうなと、そう、思う、な。
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by syohousen | 2012-09-29 14:08 | つれづれと

演劇そのものに関わりたい

思うのは、どうも自分にとっては
俳優として舞台に立つことと指導者としてWSなどをファシリテートすること、
或いは制作業務を行うことはいずれも同じ演劇に関わる行為として
あまり分け隔てがないというか、優劣がなかったりするようである。


たぶん自分は、演劇そのものと関わることが第一の人間なんだろうな。

だから、役者だろうが指導者だろうが制作だろうが演出だろうが、
どれに対しても全身全霊で取り組んでゆくつもりで常にいるし、
どれがメインでどれがサブか、なんて分けて考えたりはしていない。

まあ、使う頭のチャンネルは切り替えてはいるけれども。

しかし力の割き方に関しては、
演劇に関わるものであれば優劣はほぼないつもりでいる。


だから自分は「演劇家」なんだろうな、と思う。

演劇そのものを、より深く追求してゆきたいからこそ、
どの関わり方であっても発見というものを見い出だそうと思える訳だから。


そんなことを、最近特に強く実感してる。
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by syohousen | 2012-09-27 20:05 | つれづれと

現実逃避の場ではない

ワークショップの場でしか力を発揮できないような人、
そんな人ばかり生み出すワークショップは正直いらないよなぁ。

ワークショップの場は現実逃避の場ではないんだから。


ほんと、忘れちゃならないことだよなという自戒の念も含めて、、、
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by syohousen | 2012-09-25 10:49 | 指導について

愚直なこと、正直なこと、

やっぱりというか何というか、
自分は性急になってしまう傾向があるみたいなんだよなぁ、、、

もうちょっと、人と歩調を合わせてゆくことを
強く意識する必要があるのかもしれない。


愚直なこと、正直なことは、決して美徳ではない。

たしかに大切なことではあるけれども、
それだけでは暴力になってしまうことだってある。


勢いで動くことは悪いことばかりではないが、
時には一呼吸置いてみてから、動いてみることも大切なことだ。

何が相手にとって、いや、お互いにとってよりよい選択なのか、
重要なのはそこのはずであって、勘違いしてはいけないと思う。
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by syohousen | 2012-09-24 21:03 | つれづれと

いざとなったら徒手空拳でも、

自分の価値観が通用しなくなった時に
それを手放せるかどうかというのは、結構重要なことなのかもしれない。

そして手放せるようになるためには、
自分そのものを日頃から鍛え上げておくことが大切なのかもとも思う。


いざとなったら徒手空拳でも闘えるような心構えだからこそ、
手元にある武器に固執することなく軽やかに手放せるのだと思うからだ。


不安だからと色んなものにしがみついてしまうことで
身動きがとれなくなってしまうことは意外と多いと思う。

だからこそ、本質を見つめ、考えることは
常日頃から習慣付けて生きてゆくようにしたい。
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by syohousen | 2012-09-23 14:48 | つれづれと

「信じるよ」とか、

「信じるよ」って言葉は、ほんとに覚悟を持って言わないと、
暴力にもなりかねない言葉だと思う。

一度信じた以上は、それによって引き起こされるであろう結果を
全て引き受ける覚悟で以て委ねなければ、それは単なる責任転嫁でしかない。

「信じる」と言っていたのに何かにつけていちいち口出ししてきたり、
うまくいかなかった際に「信じてたのに、、、」という言葉を吐いたりと、
そんなのは信じるということとは全く違うのだ。


そこのところをよく考えた上で、
「信じる」という言葉を使って欲しいなと、そんなことをつくづく思ったりする。
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by syohousen | 2012-09-22 23:32 | つれづれと

一ヶ所痛めると、

一ヶ所どこか痛めると、そこを庇うためか
次から次へと痛む箇所が増えていく。


それだけに、いいやいいやで身体を雑に扱うことだけは避けたいなと。

少しずつでもいいから、ちゃんと身体全体を意識しつつ一つひとつの動きを考え
同時に負担の少ないような動きを意識して普段から過ごしてゆくようにして、
ただ何となくで無自覚に庇った動きをすることだけは避けて生活してゆきたい。


たぶんその「何となく」が一番怖いと思うので。
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by syohousen | 2012-09-21 23:53 | つれづれと

粘り強く、

たったひとつの行動で、信頼とか、得られるなんて思わない。

やっぱり、続けてこそなんぼだと思うし、
いちいち一つひとつに見返りとか求めてても仕方がないよなーとも思う。


だから、俺は、「これは!」というものに対しては、
ただただ地道に、愚直に、そして一つひとつに全力で、
ぶつかってゆくことしか考えてない。


どんだけ時間がかかったっていい。

どんだけ手間がかかったっていい。

とにかく、心に決めたものに対しては、粘り強く、向き合ってゆきたいなと思う。
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by syohousen | 2012-09-20 22:36 | つれづれと

簡単にゃあ死ねません

大切な人や成したいことができるってことは、同時に、
自分の大切さにも気付かされることなのかもしれない。

自分を軽く扱うってことは、
実は自分のことだけしか考えていない
自分勝手な発想なんだろうなと。


大切な人、或いは成したいことがあるのならば、
まずは自分が生きなきゃ何にもならない訳で、
そりゃあ簡単には死ねないっすよ。

ほんと、生きることにしがみついていきたい。
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by syohousen | 2012-09-19 18:53 | つれづれと