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やらなきゃならないことだけやってりゃいい、のか?

「やらなきゃならないことだけやってればいい」って発想の人は、
ものを創り出すこと、特に集団で創作するのには確実に向いてないと思う。


そもそも「やらなきゃならないこと」なんてものは、
もし新たなものを創ろうとしているのだったら「やって当然のこと」であり、
そこに如何にして上乗せしてゆけるのかが重要なことのはず。

なんか、ほんとそういうことを忘れちゃいけないようなぁ、と思う。


こなすことにだけ終始して、それで満足してるんだったら、
それはただやらされているだけだから
そのこなさなければならないもののレベルが上がってくれば
だんだんと辛くなってくるんじゃないかな。

だったらそれを本職にはせずに、趣味としてやった方がいいと思う。

別にそういう関わり方を悪いとは思わないしね。


一番始末が悪いのは、集団で何か創り出そうとしている時に
そうやって「まあ、これくらいでいいだろ」みたいな発想で関わられること。

そういうのほんと迷惑だから、さっさとやめてほしいとすら思えてしまう。


関わる姿勢は自由だけどさ、やる場所は選んでほしいなって思う。


だって、その逆だって迷惑だと思うんだ。

趣味として楽しくやっている人たちの中に
変なプロ意識を振りかざすような人がいたら。

集団創作をやりたいんだったら、
せめてそこら辺の選択だけでも責任を持って行動してほしいなと思う。
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by syohousen | 2012-06-30 11:59 | つれづれと | Comments(0)

江野澤さんの戯曲を読む会

◇◆◇江野澤さんの戯曲を読む会◇◆◇

■作家兼ファシリテーター:江野澤 雄一

【開催日時・会場】
・日時:6/29(金)18:30-21:30
・会場:落合第二地域センター

【読み会内容】
・本読み
・ディスカッション

*ディスカッションの内容
・戯曲の良いところをあげる
・作者への質問
・作者から参加者への質問
・フリートーク

【戯曲内容】
≪タイトル≫
『自殺未遂倶楽部』

≪場所≫
・ダム湖の湖畔に建設されたラブホテルの廃墟

≪人物≫
・十人の女
・全員が同性愛者

≪内容≫
遊園地に遊びにきた女二人連れ。
女Aが腹痛のため車の運転が出来なくなり、
二人はラブホテルに泊まることになる。
女Bがある告白をする。

しばらく会っていなかった二人の女がラブホテルにやってくる。
女Aは同性愛者であることを周囲にカミングアウトして、
女Bがそのことを止めようとしたので二人の仲はギクシャクしていた。

女Bの母親が死ぬ。
葬式を抜け出して二人はラブホテルにやってくる。
女Bは女Aにカミングアウトすることがあると言う。

それから数年後。

廃墟となったラブホテルの一室で女たちが集団自殺をしようとしている。
だが、それは一人の人物を騙そうとする狂言自殺なのだった。

テーマとして「同性愛」「自殺」を扱っています。
一部にやや過激な表現がありますのでご了承ください。


以上です。
参加締切はそれぞれ前日の23時までとします。

参加される方は、
prescription_voice@yahoo.co.jp宛てに、
以下の情報を記載したメッセージを送って下さい。

■題名「読み会の申込」
①氏名 ②連絡先 ③参加日時 ④遅刻の有無


それではよろしくお願いいたします。

江野澤 雄一
(Twitter) → https://twitter.com/ponponys
(劇団Web) → http://chindereraliberty.jimdo.com/
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by syohousen | 2012-06-29 18:30 | WS・勉強会・セミナー情報 | Comments(0)

6/28(木) 寺子屋レポ

6/28(木)14:00~16:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋 in 仙台』 @studio+1

【進行】
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×3

■手足を揺する
→続けながら歩き出す
→擦る、伸ばすなどのアプローチも加えてみる

■歩くことは続けつつ、自分が歩く際に最も意識を置いている部位はどこかを観察し、言葉にし、口にしてみる
→その意識を置くポイントを色々と変えて歩いてみる(その際、自らの歩き方にどのような変化が訪れたのかを観察してみる)

■膝を立てた状態で仰向けになり、左右に膝を倒しながら腰周りの緊張を緩めてゆく
→その動きの中から自らの身体の現状を探ってゆき、そのまま身体の求めるままに伸ばしたり揺すったりして無理なくほぐしてゆく
→最終的には立った状態になり、歩いてみる
→フィードバック

■手を筆に見立てて、空間に何でもいいので描いてみる
→イメージする色や、描く際の質感を変えてみつつ行ってみる
→動かす速度を、フラット→1/2→フラット→倍速→フラット、という順で変化させつつ行ってみる
→フィードバック
■まず、手の指を、1本1本、動かせる範囲いっぱいにランダムに動かしてみる
→その動かせる領域を、手の甲、手の平、手首、肘から先、肩から先、肩甲骨から先の順で、徐々に拡げてゆく
→同様のことを足の甲、足の裏、足首、膝から咲、股関節から先、という順で、行う
→同じく、腰、胴、胸、肩周り、首、顔、頭皮の順でその範囲を拡げつつ、動かしてゆく
→最終的に、全身で、ランダムに動く

■声について色々
→フィードバック

■今日全体のフィードバック

【ふりかえり】
仙台での3度目の開催。

とりあえず6月中は導入編というか、プレビュー的な扱いとして身体のケアを中心に、少しだけ実践的な要素も加えてゆく感じにしようかと思っていたのだが、急な募集であったためか参加人数がなかなか増えない中での開催となったのだった。
が、その反面、3回とも通しで参加して下さった方に対して積み重なってゆけるような内容が、少人数だからこそ組むことができたので、そういう観点から考えればとてもいい時間となれたのかもしれない。

いつだって自分は、参加人数の多寡よりも、参加して下さった一人ひとりの想いを大切にしたいと思っている。
従って、参加人数が少ないことを嘆くよりも、その少ないながらも参加して下さった方への感謝の気持ちを大切にしたいし、だからこそ参加して下さった方には全力で向き合ってゆきたいと、そんな姿勢で臨んでいる。

という訳で、今回も一切の出し惜しみはなしで、時間内でいけるところまでいってみようと試み、当初は想定していなかった声のことにまで触れることができた。
まあ、これは参加者の方の身体の反応のよさも大きかったのだが、まさかここまで6月中にやれることになるとは思ってもみなかった。
これも参加者の方の意識の高さのお陰だと思う。心より感謝したい。


さて、来月からはこの寺子屋も「メンテナンス編」と「実践編」に分けて開催してゆくことになる。

メンテナンス編に関してはこれまでの3回に近い進行となるかと思うが、実践編の方はこれまでとはまた違った形式での進行となると思う。
もしかしたら、スタジオ的な場所以外での開催の日もあるかもしれない。
とにかく色んな視点からのアプローチを用いながら、俳優というものを考えてゆけたらなと思っている。


という訳で、来月もこの寺子屋をどうぞよろしくお願い致します。
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by syohousen | 2012-06-29 15:31 | レポート(主催) | Comments(0)

6/27(水) 多夢多夢舎「ダンスのじかん」レポ

6/27(水) ARC>T出前部 「ダンスのじかん」 @多夢多夢舎中山工房

■ファシリテーター:千田 みかさ(すんぷちょ)

これまでなかなかスケジュールの都合がつかず、ずっと参加できずにいた多夢多夢舎中山工房(障碍者支援施設)にて行われている「ダンスのじかん」、今回、ようやく参加することができました。
ちなみに、今回はメインのファシリテーターである千田みかささんの補助者としての参加です。


や、もう、なんというか、「なんなんだこいつらは!面白すぎるぞ!」としか思えなくなるくらいにあの場に身を置いていることが楽しくて楽しくて仕方がなかったです。
なのでそのエネルギーに触発されてしまい、「ぜってー負けねぇ!」とばかりにこちらの方もスイッチが入って、ガキみたいにはしゃいでしまいました。
その様子は、一緒に補助者として参加していた他の方達曰く「あんな横山さんは初めて見た」と言われるくらいのはじけ具合だったとのこと(笑)

が、自分としてはそんなに無理をしていた感覚は一切なくて、なんだか子供の頃に友達とムキになってごっこ遊びをしてた時のような、そんな感じに全身全霊で楽しんでいただけなんです。
たぶん、多夢多夢の皆さんの持つあの奔放な空気が、自分の持っていた「男子」の部分を引き出してくれたんだろうなと、そんな気がしています。

いやはや、三十路を迎えてから、あんなにも素敵な遊び相手を得ることができるなんて、自分はなんて幸せ者なんだろうか。
本当に、あんな感覚を思い出させてくれた多夢多夢の皆さんには心から感謝したいなと思ったし、だからこそ、次回参加するまでに、こちらからももっともっと楽しいことを彼らにお返しできるよう、色々と考えておこうと思ってます。


さて、参加しての感想としてはそのような感じではあったのだけれども、では補助者としての視点で考えてみた時にはどうであったのか、なのですが、やはり今回は何もかもが初のことだらけであったため、場の進行についてゆくので精一杯な感はあったかなと、そんな風に思ってます。
全体の流れや状況をちゃんと把握しようとする努力は常に持ってはいたのですが、しかし、全体を見渡し、その場その場での適切な判断を下せるだけの余裕は持ててはいなかったのが正直なところです。

まあ、とはいえ自分としてはみかささんの進行を心より信頼していたため、全体を把握し切れていないことをそこまでネガティブにはとらえてはいませんでした。

むしろその立場を利用して、あの場の一人ひとりと全力で向き合い、それぞれの性格や特徴を把握することに徹するようにしてみました。
そのお陰で、あの場にいた12人の方達一人ひとりとの呼吸の取り方のようなものを完璧に理解、、、とまではさすがにいかなかったものの、それぞれとどう遊んだら楽しいのかな、というところに思いを馳せられるくらいにはなれたかなと思っております。

なので次回参加した時には試しにそれを実践してみたりしながら、お互いの関係を深め合ってゆけたらいいなと、そんなことを考えておりますし、そうしながらゆくゆくは自分もファシリテーターとしてこの場に参加し、色々遊んでゆけたらいいななんて、思ってます。


それにしても、ご本人にも話したのだけれども、みかささんの指導者としての考え方というかスタンスは、もしかするとこんな言い方をしてしまうのは先輩に対して不遜なことなのかもしれないのだけれども敢えて言いますが、本当に自分と似ているなぁと、そんな風に感じておりました。

その場で起こったこと目に入ったものはひとつたりとも流さないところとか、予め立てたプランのようなものをその場の状況次第で惜しげもなく手放してしまうところとか、イレギュラーが大好物なところとか、、、
もう、その一つひとつがわかり過ぎるくらいにわかるので、なんだかもう、その様子を見ていて楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。

だからこそ、そんなみかささんの進行を見ていて学ばされる部分も非常に多かったです。
「そうか!そんな手があったのか!」というような瞬間がいくつもあったので、そちらの意味でも今回は参加してよかったなと思っております。


こんなにも収穫の多い、楽しくて素敵な時間を過ごすことができ有り難い限りです。
ぜひまた参加したいと思っております。

どうもありがとうございました!
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by syohousen | 2012-06-28 22:42 | レポート(スタッフ参加企画) | Comments(0)

6/26(火) 寺子屋レポ

6/26(火)14:00~16:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋 in 仙台』 @studio+1

【進行】
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×3

■手足を揺する
→続けながら歩き出す
→捻る、伸ばすなどのアプローチも加えてみる
→どんな格好でもいいので楽な姿勢になり、手を使って自分の身体の中で滞りを感じている部位を擦ってみる(その際に、擦ることによってその滞ったものが巡ってゆくようなイメージを持って)

■二人一組となってマッサージ(ふくらはぎ)
→フィードバック
→太腿から股関節の付け根辺りを重点的に揺する
→フィードバック
→肩周りから肘、手首も意識して丁寧に揺する
→フィードバック

■横になった状態で最低限の筋肉の力だけを使って立ち上がってみる
→自然体について探ってみる

■二人一組で相手の足裏に刺激を与えてみる
→同様のことを腰周りでも
→フィードバック

■今日全体のフィードバック

【ふりかえり】
仙台での第2回目の開催。
今回は、前回以上に徹底して身体のケアに力を注いで進行させていった。

序盤は冒頭で言ってもらった今の自分の身体の中で気になるポイントへの働き掛けをメインで行った。
そしてそこがほぐれてきたら再び自らの身体を観察してもらい、一番の緊張ポイントに気を取られていたせいで気付けなかった他の緊張ポイントを口にしてもらい、そこをほぐし、また他の気になるポイントを口にしてもらい、、、という繰り返しで日頃の生活で溜まってきていた身体へのダメージを芋づる式に明らかにし、それらをひとつずつ丁寧に潰してゆく、というような流れで終始進行させていった。

まあ、途中で自然体にも取り組んでみたりして、誤解からくる身体の歪みや日常生活の中での身体の歪みの原因について、などについても触れてみた。

結局のところ、こういった場で身体へのダメージなどのメンテナンスをどんなに丁寧に行っても、自分自身がそのダメージの要因となるものとどう向き合ってゆくのか、という視点が抜け落ちてしまっていれば、根本の部分での解決にはならないのだと思うのだ。

WSなどの場でだけ身体をうまく使えたりして、WSの場でなければ身体のメンテナンスができない、という状態に陥ってしまえば本末転倒である訳で、それだけはなんとしても避けたいなと自分は思っている。
だからこそ、実際の身体のメンテナンスを行うのと同時進行で、持ち帰ってもらって自らの日常生活でも活かせるような処方箋の提供もしてゆくことを心掛けている。

これまでも何度も言っていることだが、自分の指導者としての理想は、自分のWSを必要としないような、自分で自分の身体のことをちゃんと考えられてしっかりとメンテナンスが行えるような俳優を一人でも多く輩出することである。

それは一見、自らの顧客を減らすことにも繋がる訳だから損なことのようにも思うかもしれない。
が、自分は、それでいいのだと思っている。

だって、自分が指導者を志したのは、より多くの優れた俳優が生まれることによって、ひとつでも多くの良質な演劇作品が創られてゆくような環境が整ってくれたらいいな、という思いからであったりするのだが、それ以上に、競い合う相手(それは遊び相手とも言う)が増えてほしいから、であったりするのだ。
それはつまり、自分のためである。

なので、そんな自らの顧客なんていう些細なことにとらわれて参加者の可能性を伸ばすことを躊躇うだなんて、愚かな考え以外の何者ではないと思うのだ。
ましてやリピーターを増やしたいから肝心なことは伝えずにおく、なんてことは問題外の発想だ。

ただ、自分としては奉仕の心で指導者をやっているつもりもない。

そもそも、俳優としてやらねばならないことなんてものは無限に存在していて、これでいい、ということは決してない。
なので、参加してくれる俳優達の成長以上に自分が指導者として成長してゆけばいいだけの話で、相互に高めあってゆけるような関係でいられればいいんだろうなと思っている。

「出藍の誉れ」という言葉が該当するような人間が輩出されることはきっと指導者としてとても嬉しいことでもあるのだろうし、非常に憧れるものでもあるとは思うのだが、しかし自分としてはそう簡単に乗り越えられるつもりは全くない。
参加俳優達が成長してゆくのならば、自分は指導者としてそれ以上の成長を目指すのみだ。

たぶん、そうでなきゃ本当の意味での「出藍の誉れ」というものも得られないのだろうなと思う。

そしてだからこそ、参加者の方々には全力でぶつかってきてほしいし、こちらとしても、大人気ないくらいに闘う姿勢で向き合ってゆきたいなと、そんな風に思っている。
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by syohousen | 2012-06-27 12:01 | レポート(主催) | Comments(0)

もらっている刺激を、

今、自分が先輩達に受けている刺激を、
自分の後に続いてくる後輩にも与えられているのか。

それは常に問うてゆかなきゃなぁと思う。


別に誰かに刺激を与えるために演劇やってる訳ではないんだけれど、
でも、受け取りっぱなしじゃあ失礼だと思うから。先輩にも、そして演劇にも。

うん、精進しよう。


や、もちろん、刺激を与えてもらっている先輩達にも
刺激を与え返せるような存在を、目指してもゆきたいと思う。
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by syohousen | 2012-06-26 11:30 | つれづれと | Comments(0)

6/17(日) 芸術家のくすり箱 ヘルスケアセミナー vol.7 レポ

2012/6/17(日) 芸術家のくすり箱 ヘルスケアセミナー vol.7 @芸能花伝舎

今年で7回目を迎えた『芸術家のくすり箱 ヘルスケアセミナー』。

もはやお馴染み、と言っても大袈裟な話には感じられなくなってきていて、第一回目からずっと参加し続けてきている自分にとってはとても嬉しく思っております。

そんなこんなで、今年も自分の受けたプログラムについて、自分なりに感じたことをつらつらと綴りつつレポートしてゆこうかと。


●10:50~11:15 健康診断

今年は視力がガクンと落ちていて、右目に至っては初めて1.0を切ってしまった、、、
ただ、ここ2~3年、検査の時に出た数字(両目ともずっと最高の1.5)と実際の感覚には随分とズレを感じてきていたので、いつかそれが数字に表れてくるだろうなということは薄々感じていたことではあったのだけれども、やっぱり実際にこうして数値を突きつけられると少なからずショックは受けてしまうなというのが正直なところ。

しかしまあ、視力と視る力というのは必ずしもイコールで結ばれているものではないので、数字を妄信し過ぎるのではなく、自らの感覚と、毎回の診断の際の数字の変遷と、日頃の自らの行動とを振り返り、照らし合わせてみる中で然るべき対策を探ってみることが大切なのかなと思う。
結局は、日頃の生活の積み重ねによって生まれた変化なのだから、生活態度から直してゆかない限りは改善など不可能なのだと、そんな風に思うので。


そして、今回ちょっと気になったことがありまして、聴力検査の際なのですが、周りの物音が物凄く邪魔で全然集中して臨めませんでした、、、また、一部の検査の前の説明も少々雑に感じてしまいました、、、

何故なんでしょうか、これまではこんなことを感じることはほとんどなかったのですれども、、、

ただ、どのような事情があるにせよ、こういう些細なところでマイナスイメージを持たれてしまうことはとても勿体ないことでもあるし、ましてやこのセミナーの目玉プログラムであるのだから、今一度、そのあり方を見直してみる時期にきているのかもしれないなと、参加者としての実感としては思いました。

や、もしかしたら自分の時だけたまたまそうだったのかもしれません。
が、初期の頃から参加し続けているからこそ感じる違和感というものもあるし、そういう一見些細に見えるようなことから大きく崩れてしまうことというのも結構多いと思います。
なので他の参加者からの意見なども集めて実際のところがどうであるのかを探りつつ、小火のうちに何かしらの対策なりは立てておいてほしいなと、そんなことを自分としては思っております。


●12:00~ 骨密度測定

昨年から数値的にはほとんど変動はなし。
が、変動はないといっても、元々の数字があまりよろしくないので(一般平均の90%前後)、自らの不摂生が解消されていないことの証明でもあるともいえるのかも、、、

いつか、ではなく、早速、自らの生活習慣について見直し、行動してゆかねばなと思います。。。


●13:15~14:45 歯科医師に聞く芸術家の口腔治療(審美・滑舌について)
≪講師≫猪原 健 先生

講師の猪原先生は、これまでも個別相談でこのセミナーへは関わられていたので、いつかプログラムとして組まれたらいいなと個人的に思っておりました。

というのも、自分も過去に歯の矯正の経験があり、歯に関わることでの悩みを少なからず抱えてきた人間ではあるので、自らの活動を続けてゆく上で“歯”というものとどのようにして向き合ってゆくべきなのか、探ってみたかったためです。
また、自分が取り組んでいる発声指導にも密接に関わってくる要素だと思っているので、「歯」というこれまでの自分にはなかったような視点からの考え方へと繋げてゆけるのではないか、とも考えておりました。

そんな思いがまさに今回こうして実現した訳なのですが、実際にこの講座を受けてみて面白いなと思ったのは、かつて言語聴覚士の方のお話を伺った時に聞いた話と通じるなと感じられる部分がとても多かったことです(但し重点を置いているポイントは少し違うのだけれども)。

まあ、人の身体を扱うことである以上は重なる部分も多いのは当然のことだし、なのでさほど不思議なことだとは思わなかったのだけれども、しかしそれだけに、そういった重なっているポイントについてよくよく調べてみることはとても重要なことだと思います。

歯科医師から見た芸術家、言語聴覚士から見た芸術家、その両者にとって、、いや、きっとそれ以外の分野の専門家の方から見た芸術家もそこに加えてみた上で、何が重なっているのか、重なっていないのか、というところを探ってみることで、もしかしたら芸術家にとってのヘルスマネジメントとは一体どういうことなのかが浮かび上がってくるのかもしれません。

今回の講座では、そういったことに気付けたことが一番の収穫であったなと、そんな風に思いました。


また、歯に起こる問題が年齢によってどのように変遷してゆくのか、ということや、その予防、或いはケアのためにどのように自らはアクションしてゆけばよいのか、という点についてを具体的にアドバイスして頂けたのが、とても参考になりました。

まだまだ全然低いであろう芸術家にとっての歯のケアやメンテナンスに対する意識。
これを機に、調べ考え、実際に行動に移してゆくようにして、少しずつでもいいからその意識を高めてゆけたらなと思っております。個人としても、業界全体としても。


【備忘録・印象的な言葉】

「スポーツ選手の場合、野球などのように力むことの多い競技の選手であれば歯にこだわる選手も多いが、それも一部の話で、大抵の競技の選手はオリンピッククラスであっても一般の人と歯に対する意識に差はなかった」

「トロントの芸術家のための医療センターは、診療室もリラックスできるような環境であったり、院内のスタジオもカメラがセットされていてビデオを見ながらフィードバックを行えるような環境が整っていたりと日本に比べ非常に進んでいるのだが、しかし、それでも歯科医師部門はない」

「歯科医師はほとんどの場合、芸術家の事情などを分かってはいない。だからこそ、受診の際には自らの事情と要望はきちんと伝える」
「若い世代(だいたい30歳くらいまで)は抜歯の原因は虫歯中心。それ以降は歯周病中心。従って、その変化に応じケアも変えてゆく必要がある」

「CMなどで言われている“歯周ポケット”の洗浄だが、通常の歯磨きではまず不可能」→「専門家による定期的なメンテナンスが必要」

「歯科医師を選ぶ際には、歯科衛生士がきちんと担当制になっている歯科医院を選ぶようにする」
「歯科医師も人間なので、度々約束をすっぽかしたりすれば治療に対する気合の入り方は変わってきてしまう」→「お互いの信頼関係を築いてゆくことが大切」

「信頼できる歯科医の先生と歯科衛生士さんを“近所”に見つけ、継続的にメンテナンスを行えるようにすることがとても重要なこと」


●14:45~16:30 アレクサンダーテクニーク
≪講師≫石坪 佐季子 先生

石坪さんのAT(アレクサンダーテクニーク)レッスンは、実はちょうど3年前に受けたことがあって、しかもその時に得たものは、今の自分にとって掛け替えのない財産となっています。
過去に石坪さん以外の方のATレッスンもいくつか受けたことがあるのですが、自分には石坪さんのやり方考え方が非常にマッチングするような実感を強く持っております。
なので、今回のセミナーでまた参加できるチャンスを得られたことが非常に嬉しく、この日組まれた全プログラムの中で真っ先に申し込みを決断したのがこの石坪さんによるATでした。

その判断はやはり間違っていなかったようで、今回もとても収穫の多い、素敵な時間を送ることができたなと思っております。

今回は基本的に、「ハンズオンワーク」という教師が手を使って生徒の感覚をサポートする、というワークが中心で、ワーク自体はマンツーマンなので、一人ひとりのワークの様子を他の参加者が見る、という構図で順々に行ってゆく、という進行でした。

なので個々人が実際にワークを体験できた時間そのものは短いものでしたが、しかしそれでも得たものは非常に多かったなという実感があります。
また、以前受けた時とは違った目線で、つまりワークを受けている人のことを外側から見てその変化を目の当たりにしてゆく、という時間の過ごし方をできたことは、それはそれで発見に満ちた貴重な財産となれたと思っております。

なにせ自分にとって石坪さんの言葉は、まるで乾いた石の上に雨が降ってきた時のように身体の隅々にまで染み込んでくる感じがしてくるような感覚で、とても馴染むのです。

特に最初の方で仰っていた、

「ハンズオンワークによって身体が変化したとして、変わる前が悪かった訳じゃない。自らの身体のバリエーションが増えただけ」

という言葉は、こういう言い方は不遜かもしれませんが、指導者としてのあるべき姿を見たような気がしました。
ただ、おそらくああいった言葉が自然に出てくるところが、石坪さんの中でのAT観であり、指導者観であるのかなと思いますし、だからこそ、近い考え方を持っている自分も、何かしら響き合うものを感じるのかもしれません。

今回も実に多くの学びを与えて下さった石坪さんに、心より感謝致します。

それだけに今回の経験を、自らの活動へとどう活かしてゆくのか?

そんなことを考えつつ、それと同時に、どうにかして石坪さんのレッスンを継続的に受けられるような道筋がないか、探ってゆこうかなと思ったりもしております。
やはりこういうATのようなレッスンは、継続的に受けてこそ見えてくるものが沢山あると思うので、単発で受けて「ああ、楽しかった」で済ませてしまうのはあまりにも勿体ないことだと思うのです。

そもそもこのセミナーそのものの狙いとしても、このセミナー内で大きな成果を上げることが目的なのではなく、あくまでもこのセミナーは出会いの場であり、それによってそれぞれのレッスンの敷居を低くしてゆくことが目的なので、ちゃんとこれからへと繋げてゆこうとしてゆく姿勢を持つことが重要だと思ってます。

ただ実は、そんなことを考えていた自分へ、まさかの石坪さん自身からとても嬉しいお話を頂いたので、このチャンスは逃さぬようしっかり今後に繋げてゆきたいなと、そんなことを考えている次第です。


■16:45~18:15 舞台のためのヘルスマネジメント
≪講師≫水村 真由美 先生

昨年のセミナーでも同講座は受けたのだが、水村先生のお話は具体的な事例を交えてのとても分かり易い内容であるため、再び受けてみたいなと思い、受講を決めました。
そしてその選択は間違っていなかったと思います。
昨年同様どころか昨年以上に充実した、時間いっぱいぎりぎりまで使ってとにかく詰め込めるだけ詰め込んだとても盛り沢山な内容で、今年も大満足でした。

しかしつくづく思うのは、ここで語られていることというのは本来ならば身体を資本とする分野に属する人間であるのならばごくごく当たり前に守られて然るべきことばかりだということ。
にも関わらず、その当たり前のことをしっかり守れているであろう芸術家は非常に稀な存在であるというのが現実であったりするところに、この芸術家のヘルスマネジメントの困難さが表れているのだと思います。

しかしだからといって「現実問題として成立させることは非常に困難であるから仕方ない」で済ませてしまっていい話ではありません。
水村先生の講座がいいなと思うのは、ちゃんとそこのところの部分までフォローして「ではどのような対策が考えられるのか」という点にまでしっかり言及しているところです。

業界全体に横たわっている問題がなんなのか、それが変えられるものなのか、変えられるのだとすればどのようなアクションを起こしてゆくことが必要なのか。
そういったことを考えてゆくこともとても大切なことですが、しかし、環境を変えてゆくには時間がかかるし、変わる前に自分の身体が駄目になってしまったらそれこそ元も子もなくなってしまいます。

どんなに環境が整っていない状態であろうとも、どんなに怪我のリスクが大きな環境での活動を強いられていようとも、そんな環境下でやる以外に手がない以上はその現実と付き合ってゆかねばなりません。
怪我をしてから「こんな環境のせいで、、、」といくら周囲の環境を呪ったところで何の解決にもならないのです。悲しいことだけれども。

環境が恵まれていないことが、自らの身体を守るための努力を怠っていい理由にはならないのです。
むしろ恵まれてないからこそ、より突き詰めて考えてゆかねばならないはず。

自らの身を守りながら、少しずつ、周囲の環境も改善させてゆけるようにしてゆくよう働きかけてゆく。
そんな発想が、この日本という国で身体を駆使した芸術活動を続けてゆくにあたってはとても必要なことなのだろうと思います。

そしてそのためのひとつの手段として、身体のことに精通した専門家の味方(理解者)を増やしてゆくことが重要になってくるのではないか、、、そんなことをつくづく思わされた講座でした。


【備忘録・印象的な言葉】

「スポーツ科学の場合は、『オリンピックなどの大きな大会での勝利』という目標設定が明確に定められるため、長期的なビジョンでのトレーニングの計画を立てることができる」
「しかし芸術の場合は、評価の基準そのものが明確ではなく、何を目標として定めるべきかが絞りにくく、そうなると目先の公演にばかり意識がいってしまうため、なかなか長期的なビジョンでトレーニングの計画を立てるという発想に至りにくい」

「難しいのは、日本の場合スポーツ経験は一般的だが芸術経験は希少だということ。従って周囲の理解をすんなりとは得にくい。如何にして医療関係者やトレーナー等の専門家の味方(理解者)を増やせるかが芸術家のヘルスマネジメントには重要」

「環境を変えるのはとても難しい。ならば如何にして自らを壊さずにやれるか。自分で自分の身体を管理する意識を向上させることが重要」
「ある程度の怪我の要因は予測可能。その中で変えられる要因は何か、変えられない要因は何か。そこを明確にしてゆくことで如何にして対応してゆくのかを考えてみる」
「袖に入った時に比べて舞台上では心拍数が10~20拍/分の差が見られる(バレエの舞台の場合)」

「スポーツにはシーズンとオフシーズンがあるが、芸術の場合はその区分けが明確ではない」

「体力の向上は身体の余裕の保証」
「貯金ならぬ貯筋」→「但し貯金と違うところは、貯筋は継続していないと衰えてゆく」

「抜きで行った稽古でできたことが通しの稽古でもできるとは限らない」→「通しでも最後までパフォーマンスの質を維持できるための持久力が必要」
「レッスンだけでは持久力は向上しない」
「また、プロの場合は活動を継続的に行ってゆくという意味合いでの持久力も求められる」
「持久力の向上は長期的にしか望めない」

「ストレッチをする際に、自分の得意な部位ばかり伸ばす人が多いが、自分の苦手な部位のストレッチを重点的に行うことの方が怪我の予防のためには重要」→「ストレッチはトレーニングなのだという意識を持つ」

「喉が渇いたら、ではなく、喉が渇く前に、水分補給するよう心掛ける」

「積極的休養としてはプールがお薦め」
「筋肉痛は休んで治す」→「特に跳躍の繰り返しや方向転換、急ストップなどの動きは筋肉痛の悪化に繋がり易く、筋肉痛時は極力控えるようにする」

「筋トレは効果が出るまでに1ヶ月」
「持久力は3ヶ月」
「急につけた筋肉は、すぐに落ちる」



今年のセミナーを受けていて、なんとも不思議な感覚となりました。

これは偶然なのか、それとも何か理由があってそういう風になったのか、それは分からないのだけれども、今回参加した3つのプログラム、それぞれが違ったものを扱っているはずなのに、その根底の部分で共通した理念というか思想のようなものが感じられました。
なんというか、もし同じプログラムをそれぞれがくすり箱とは関係のない別々の場でバラバラに行っていたとしたら、今回のような相通じるものを感じたかどうか、、、いや、たぶん感じなかったのではないかなという気がします。

とはいえこれが何を意味するのかは分かりません。
が、今回で7回目のセミナー受講、しかも全ての回に全日参加という皆勤での参加の自分が、初めてこういった感覚になれたということ、それはとても素晴らしいことなのではないかと思います。

もしかすると、講師陣の方々にとっても、参加者の皆様方にとっても、この『芸術家のくすり箱』という活動の理念が深いところで浸透しつつあることの表れであるのかもしれません。

やはり、継続して活動してきていることが、ここにきて実を結びつつあるのかもしれません。


が、それだけに、今がとても大切な時なのだとも思っております。

多くの人々の意識の中に定着してくる、ということは、継続だけを目指してはいられなくなってくる訳ですから(や、もちろんこれまでのくすり箱が継続だけを目的としていた訳ではないということは重々承知の上ですが)、何かしらのプラスαというか、この活動を更新させてゆくというか、そういった考え方が必要となってくるのだと思うのです。

なので自分も、この活動にプラスになるであろうことがもし浮かびましたら提案してゆくつもりですし、また、実際にアクションも起こしてゆきながら可能な限りの尽力を致してゆくつもりです。

という訳で、どうぞ今後ともよろしくお願い致します!


最後に、各プログラム講師の方々及びお手伝い頂きました皆様方、そして会場へお越し下さった全ての参加者の方へ、心より御礼申し上げます。

ありがとうございました!
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by syohousen | 2012-06-25 15:32 | レポート(外部受講) | Comments(0)

「THE」の付く存在にしか興味ないです

つくづく思うのは、自分は「他人」には興味がない、ということ。

といってもそれは、カッコ付きの「他人」、
つまりは「“他人”という括り」に興味がないということです。


人間、一人ひとり違うんだから、
自分で勝手に線引きして括った塊との向き合い方について
どうこう考えたところで、ほとんど意味はないんじゃないかなって思います。

それよりも、その一人ひとりの人間とどう向き合うか、についてを
考えてゆくことの方が遥かに大切なことだと思うし、必要なことなのだと思うのです。


なので、自分は「他人」には興味はないけれども、
大切な人は周りに沢山いるし、
興味の対象としては目の前に存在している
「その人」以上の存在ってのもないと思っています。

まあ、英語で言うなら、「THE」が付いている存在にしか興味がないってことですね。
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by syohousen | 2012-06-24 11:33 | つれづれと | Comments(0)

6/22(金) 寺子屋レポ

6/22(金)14:00~16:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋 in 仙台』 @studio+1

【進行】
■このWSについてのアナウンス
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×3

■手足を揺する
→続けながら歩き出す
→捻る、伸ばすなどのアプローチも加えてみる
→空間にあるものに触れてみる
→壁に身体の表面の全てを触れさせようと試みてみる
→触れる対象を壁から床へと徐々に移行させてゆく
→その動きの中から自らの身体の現状を探ってゆき、そのまま身体の求めるままに伸ばしたり揺すったりして無理なくほぐしてゆく
→最終的に立った状態になり、少しの時間、これまでの自らの動きの余韻や今の身体の状態を味わってみる
→フィードバック
■歩き出してみる
→氷の上にいるイメージで歩いてみる
→足裏に何の色でもいいからペンキが付いているとイメージし、自らの足跡に色が付くことをイメージし歩いてみる
→部屋全体に泡が満たされているイメージを持ち、動く度に自らの身体の型が残ってゆくイメージを持って動いてみる
→部屋の明かりを暗くし、その上で、森の中をイメージして歩いてみる
→泥でぬかるんでいる地面をイメージして歩いてみる
→フィードバック

■骨盤揺すり
→フィードバック
■寝にょろ
→フィードバック
■肩甲骨あけ
→フィードバック
■右腕の腕先から徐々にその範囲を広げ最終的には肩甲骨から先の全てを揺すってみる
→フィードバック
→左腕でも同様のことを行う
→フィードバック
■椅子を使って、足裏へ刺激を与えてみる
→フィードバック

■いざない
→フィードバック

■二人一組になり、あっちむいてほいを「フラット→最速→フラット→最遅→フラット」という流れで行う
→同じことを、掛け声なしで行う
■フィードバック

■今日全体のフィードバック

【ふりかえり】
仙台では初の「俳優って?を考え続けるための寺子屋」開催。

念願叶ったというか、ようやく仙台での開催までこぎつけることができたのだなと、まずはほっと胸を撫で下ろしている。
ひとつの地域で、継続的に且つ気軽に立ち寄れることのできる場、それが自分の理想であり、この「寺子屋」という名もその願いを込めて付けた名前であったので、こうして仙台での第一歩を踏み出すことができたことは、非常に嬉しいものがある。


さて、そんなこんなで仙台での寺子屋もスタートした訳なのだが、今回は徹底して身体のケアに特化させた進行にしてみた。

やはり日常の生活などで蓄積されてきている身体へのダメージは、自分でも気付かないうちに身体の歪みとなって表れてきていたりする。
この場では、そういった歪み等を自覚できるような感度のよい身体となれるようまず感覚を目覚めさせ、その上でどうしたらその歪みを修正してゆくことができるのか、そのヒントを探ってゆくための仕掛けを色々と提示してゆくことが主目的であったりする。
また、もうすでに型の決まっている、「こうすると効率よく身体をほぐせますよ」とパッケージングされたようなストレッチだけでは零れ落ちてしまうような身体の部位にも目を向けられるよう仕向け、「あれ?こんなところも伸ばすことができたんだ!てか、日常生活の中ではこんなところにもダメージが蓄積されていたんだなぁ」という発見に繋げて貰えるようにも働きかけているのがこの場の特徴でもある。

要は、自らの身体に対する「そもそも」を見つめ直すきっかけ作りの場としたいのだ。
そして、それがひいては俳優としてのそもそもを見つめ直すためのきっかけにも繋がってゆくはずだと自分は考えている。


おそらく6月中は、今回のように基本的には身体のメンテナンスを中心とした内容になってゆくかと思う。

しかし、身体のメンテナンスだからといって俳優としての諸々についてと分けて考えてゆくつもりもない。
何故ならこの両者は地続きの関係であるからで、自らの身体のことを考えることは俳優としての自らのあり方を考えることであり、俳優としての自分を考えることは自らの身体のあり方を考えることであるからだ。

なので、直接的には繋がらないように見える内容であっても、必ずや俳優としてのステップアップに繋がってゆくWSを自分は行っているのだという自負を持ってやっている。

ただ、もしかしたらすぐには成果が目に見えた形で現れてくるような即効性のあるWSではないかもしれない。
が、すぐに成果が目に見えて表れるようなものというのを自分はあまり信用していなくて、特に「誰でも」すぐに気軽に身に付けられるものならば、それは別にその人にとっての掛け替えのない財産にはなかなかなってゆかないのではないかなと思っている。
だって、「誰でも」「気軽に」身に付けられるものと「その人にとって」「掛け替えのない」ものとは相反するものだと思うからだ。

なので自分は、決して「こうすればいい」という言い方伝え方はしない。
自分が行うのはあくまでも「考えるきっかけ」と「考え方のヒント」の提示だけで、それを元にしてそこから先どうするのかは各々の判断に委ねている。

自分は、教師ではなくファシリテーターであり、参加してくれた俳優一人ひとりの伴走者である。
伴走者は、ランナーに直接手を貸したりすることは決して許されていない。
それはルール上そうであるためでもあるが、それ以前に手を貸してばかりいたらいつまで経ってもランナーが独り立ちすることができないからでもある。
俳優の独り立ちをするための可能性を潰してしまいたくはないのだ。

だいぶ話が大きくなってしまったが、そんな想いを以て自分はWSへと取り組んでいるのだということだけは伝えておきたくて、こうして長々と書いてしまった。



なお、この寺子屋、7月に入ってからは「メンテナンス編」と「実践編」とで
バージョンを分けて開催をしてゆこうかなと考えております。

「メンテナンス編」は毎週開催、「実践編」は隔週開催となる予定。

どちらも俳優としての基礎力を継続的に鍛錬してゆくための場であり、
特定の演出論のようなものへの対応力を養う場ではない、
ということだけは先にお伝えしておきます。

という訳で、寺子屋、これからもどうぞよろしくお願い致します。
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by syohousen | 2012-06-23 12:48 | レポート(主催) | Comments(0)

身体感覚についてを文面だけで語ることについて

なんだか、ネット上などでは身体感覚に関することを
「こうすればいい」みたいな形で平気で言葉にして
書いてしまっている人を結構見かけるのだけれども、
正直言って、そういうのを見る度にとても怖いなぁ、と思ってしまう、、、

ただでさえ面と向かって話していても伝わりにくいのが
身体感覚についての話なのに、文面だけで伝えられると
安易に思えてしまうことが非常に怖いなと思ってしまうのだ。


自分の場合、WSの際にはさらっと話してしまうけれども、
実際には物凄く神経使っていて、相手がピンときているのかどうかや
その自分が発した言葉によって相手がどのように変化したのかとか、
そういったことをかなりの集中力を要して観察しながら話すようにしている。

でないと、ひとつ間違えて変な伝わり方をしてしまい、
その人のその後の人生を大きく変えてしまうようなことだって
場合によっては起こりかねないと思っているからである。


少なくとも自分は、それくらい自らの行動への責任と
己の扱っているものへの畏怖を持って説明をするよう常に心がけている。

だから、安易な気持ちで、自らの身体感覚だけを基準に知ったかぶって
文字媒体の怖さも忘れて中途半端に語られることは非常に腹が立つのだ。


極力、相手の見えない中でのアドバイスは避けた方がいいと思う。

それでももし説明をしなければならない状況に遭遇したのならば、
相手が不特定多数なのか、限定されているのか、
また、どのような環境に身を置いているのか、
そしてどのような問題を抱えていて、どのような解決を望んでいるのか、
これまでにはどのような解決のための試みをしたのか、
せめてこの程度までは明確化させようとまずは試みてみてから
それに応じた説明を心がけるべきだと思う。

結局、身体に関するこというのはオーダーメイドであるからだ。


しかし、上に挙げた全てを明確にすることは
なかなかに難しいことでもあるし、
そんな考えを反映させてはもらえない中で
説明せねばならない状況もあるかもしれない。

ならばその場合は、その明確にできる範囲の段階に応じて
説明の仕方を変えてゆくしかないのではないかなと思う。


一番よくないのは、自分の感覚だけしか想定していないくせに、
それを人間全般に通じる普遍的なもののように語ってしまうこと。

もし自らの感覚のことを語るのだったら、
ちゃんと「これは自らの感覚だ」ということを表明してから語らねばならない。

特にネットのような不特定多数の目に触れる媒体では、
そこについてよくよく注意しておかないと、
場合によってはそれによって泣かされてしまう人も
出てきてしまうのだということを決して忘れてはいけない。
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by syohousen | 2012-06-22 11:58 | 声・身体について | Comments(0)