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なぜわからない

当事者にしか解決できない事って確実に存在する。

でも逆に、部外者にしかできない事も確実に存在する。

そしてそれは、お互いを罵る事では絶対に、ない。


昨年のあの日を経てからの1年を経験していながら、
今何故それをわからないんだよ。
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by syohousen | 2012-05-31 11:06 | つれづれと | Comments(0)

正義だからといって、常識に則っているからといって、

自分はつくづく、正義だとか常識だとかいうものなんか
クソ喰らえだと思っている節があるらしく、
そういうものを何の疑いもなく受け容れ、
信じ、行動できる人の感覚が分からなかったりする。

ただ、その分というかなんというか、
礼儀にだけは異常なくらいにこだわってもいる。


誠実って何なんだろうか。

正義だからといって、常識に則っているからといって、
それが誠実であるとは限らないし、
むしろ安易な気持ちで何の疑いもなく
そこへ乗っかってしまうことってこれ以上なく不誠実なようにも思える。

そんな大まかなざっくりとしたところであれやこれやするのではなく、
ちゃんと一対一で向き合って、その都度お互いの中でよきポイントを探し、
お互いの呼吸で結論を出してゆくことの方がよっぽど誠実なんじゃないか。

だからこそ、礼儀にこだわってゆきたいなと思うのだ。


まあ、何が正しいのかなんて、自分にはわからない。

というか、正しいとか正しくないとか、
そんな暴力的な括り方をしちゃっていいのか、
という疑念も少なからず自分の中にはある。

とにかく、不誠実なことだけは、したくないものです。
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by syohousen | 2012-05-30 07:36 | つれづれと | Comments(0)

あまり気持ちのいいもんではないけれども

文字情報だけの印象で生まれた意見が
いつの間にか本流になってゆく様は、
いつ見ても気持ちのいいもんではないなぁ、、、

どんどんと問題の本質から議論がかけ離れてゆくし
その問題を己の目的に利用しようとする人の思惑なども絡んできて
最終的にはその問題が消費の対称にしかならなくなってゆく訳で、、、


でも、こういう社会に生きている以上は避けられないことであるし、
人の想像力にも限界があるのだから、
それすらも引き受けて生きていかにゃならんのだけれどもね。


ただ、言ったもん勝ちになってしまうような風潮にだけは
絶対に乗っからないようにしたいなとは思っている。

どんなにショッキングな情報に接しても、
冷静に、本質を見極める目を失わないよう心がけたい。
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by syohousen | 2012-05-29 11:38 | つれづれと | Comments(0)

個々の違いは認めておかないと、

線を引くってことと個々の違いを認めるってことは
ごっちゃにされがちだけど全然違う。

というか、そのもの一つひとつの違いをちゃんと認識していないから、
そうやって線引きして括ったりしてしまう発想に繋がってしまうのだと思う。


そもそも同じ存在なんてものがありえない訳で、
その違いを認めるところから始めないと何にもならないと思う。

分けて考えるべきところと分けちゃならないところを混同し、
何となくで「線を引くのは駄目」とか「差別はよくない」とか安易に考えてしまうのは
却って根強い線引きや差別の元に繋がってしまうような気がする。
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by syohousen | 2012-05-28 10:45 | ものの見方・捉え方について | Comments(0)

選択は選択

きっかけは大切だけれどもそれは推進力とは違うから、
それだけでどうにでもなると思ったらそれは大きな間違いで、
続けるためにはやっぱり具体的な何かが必要になってくる。

だからどんなに高尚な志溢れる想いで以て動き出したとしても、
それだけであれば決して続くことはないだろうし、
逆にきっかけが「モテたい」といったようなものであっても、
その先に費やすものが本物であるならば、続くんだと思う。


これって何か重大な選択を迫られた時にも同様のことだと思っていて、
例えば人生の岐路のような重い選択を迫られたりすると
途端に膠着しちゃって何も考えられなくなってしまう人とかがいるけど、
その選択の段階で完璧な答え出さなきゃとか、絶対無理なことだと思う。


選択は選択でもちろん大事だけど、本当に大事なのはその先。

選択した後に、どのように動くのかを考え、実際に動き出すこと。

きっとそれが行動するってことなんだと思う。

選択しただけで行動した気になっちゃう人とかもいるけど、それは全く違う。


選択は、あくまでも選択でしかない。

行動は、その先のこと。

なんかごっちゃにされがちだけど、ここのところは分けて考えないと危険だと思う。
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by syohousen | 2012-05-27 11:17 | ものの見方・捉え方について | Comments(0)

割り切る

この世の中の色々を、すんなり割り切ることができたらどんなに楽か。


でも、割り切れないのは大切だから。

なら嘆くのではなく、感謝しよう。
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by syohousen | 2012-05-26 12:24 | つれづれと | Comments(0)

嘆くより、動けよ

「若者は先人達の残してきたものに見向きもしない」と嘆くよりも、
その先人達の残してきたものに若者が気軽に触れられるような環境づくりに
取り組んでゆけばいいのになぁっていつも思う。

嘆くだけで何もしようとしないのって、
結局のところはただ嘆きたいだけなんじゃないのか?
って、天の邪鬼の自分はつい思ってしまう。


嘆くより、動けよ。

動きたくないなら、嘆くなよ。

なんか、そんな風に思う。
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by syohousen | 2012-05-25 11:33 | つれづれと | Comments(0)

「物事はそんなにシンプルじゃない」という物言いについて

「物事はそんなにシンプルじゃない」という物言いというか、
相手の意見のまとめ方ってなんか好きじゃないんだよなぁ。

ちょっと相手のこと馬鹿にしている感が見えるから。

まあほんとに馬鹿な人もいるだろうけどさ、
でももしかしたら単純化させてしまっているのは
受け手の自分の方なのかもしれないじゃん。


だからシンプルか否か、という視点で物事を語ることって
あまり意味がないと思ってて、というか、それより

「あなたの意見を聞いていると、
 ○○と××のどちらかしか選択肢がないように思えてくるのですが
 そのどちらの事例にも当てはまらないものについてはどう考えてますか?」

と聞いた方が遥かに建設的な気がする。


正直言って、相手を言い負かすことにはこれっぽっちも興味ないんだよね。

そんなちっぽけな満足感を得るために力を割くくらいならば、
その議論をどうしたらより前に進めることができるのか、
ということの方が遥かに興味あるし、力も注ぎたい。


そもそも、本当に単純思考の持ち主を相手にするんだったら
たぶん「物事はそんなにシンプルじゃない」とシンプルに切り捨てたところで
きっと納得はするはずもなく、それ以降の議論は不毛なものとなるだろうし、
逆に色々考えた結果を言葉にしたら自らの意思に反して単純なものになってしまった、
という意見に対して「物事はそんなにシンプルじゃない」と切り捨ててしまえば、
せっかくの貴重な意見の種をひとつ潰してしまうことになるんじゃないか、と思う。

それはあまりにも勿体ないことで(前者は時間が、後者は可能性が)、
ならばもっと突き詰めて考えてゆけるよう仕向けていくことが肝要になってくるはず。

突き詰めてゆけば、前者は己の意見の不備に気付くことができるし、
後者はうまく表現し切れなかった己の意見を整理整頓することができるようになる。

なんかさ、それでいいんじゃないかなって思うんだよね。


議論の勝ち負けなんて、ほんと些細なことですよ。

てか、勝ち負けとかでもないっしょ。

よりよい意見を導き出すこと、それこそが、
議論をしてゆく中で最も大切で忘れちゃいけないことだと思う。
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by syohousen | 2012-05-24 11:16 | ものの見方・捉え方について | Comments(0)

頑固

やるべきことをやった上で頑固だってのならば、
それはもうその人自身の問題なのだから別に責める気は起きないし
場合によってはそのこだわりに付き合おうという気にもなるのだが、
やるべきことをやらずにただ頑固なだけってのは、
それは単なる子供のわがままでしかなく、
こちらとしても付き合ってはいられないなと思ってしまうのが正直なところだ。


己の信じる道を貫くための頑固さなのか、
それとも己の怠慢を棚上げした開き直りの頑固さなのか、
己自身もそこを混同せぬよう気をつけてゆきたいなと、そう思う。
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by syohousen | 2012-05-23 14:47 | つれづれと | Comments(0)

作品の更新ではなく、演劇そのものの更新を、

思うに、日本の演劇って、これまで作品ばかりが更新されてきて、
演劇そのものの更新は疎かにされてきたんじゃないのかなって気がします。

でも演劇って、形になって残るものではないんで、
社会と関わらなければ存続し得ないものなんだと思うんですよ。

現在進行形の芸術である以上
向き合うべき対象を無視しては成立し得ないものであって、
それはつまり社会的であることを
否が応にも要求されてしまうものであるはずなんです。


それなのに、作品のことだけしか考えてこなかった。

いや、「しか」は言い過ぎかもしれませんが、
しかし作品至上主義的な面があることは否めず、
そこが今の日本の演劇の問題点なんじゃないのかなって思います。

それこそが演劇を時代遅れでダサいイメージに仕立て上げてしまっているのかなと。


これが映像や小説や絵などのように形になって残るものであるのならば、
作品そのものと社会への提示の仕方が明確に分かれているために
創り手は作品そのものの更新だけに集中していても問題はないのだと思うのです。

しかし、演劇は、作品そのものが形として残らないために
社会への提示はその作品が創られた時に行われねばならず、
「どう提示するべきか」というところにまで創り手(或いはそれを支える者)は
意識を巡らせねばならないものであるはずなのです。


にも関わらず、日本の演劇の世界では
多くの人達がその作業を怠ってきたように感じます。

もちろん全て、とは言いませんが。


例えば、公演を打つと決めたら
いわゆる「劇場」と呼ばれる空間を大枚はたいて借り、
全体の予算の何割も割いてチラシを刷り、
出演者にノルマを課して知り合いを呼ばせ、
知り合いの公演などへチラシを折り込みに行き、
借りた空間に合わせて創った作品を見せ、
「今後の活動の参考のため」と称しアンケートを書かせ、
公演が終わったらまた仕切り直しで次回はどこで公演を行おうか打ち合わせ、
そしてこのサイクルを延々と繰り返す、、、

乱暴なまとめ方ではありますが、
これが東京のいわゆる「小劇場」と呼ばれている界隈の人達の
演劇公演を打つまでのサイクルですよね。

しかし思うのですが、公演を打つためには
こうしなきゃならないだなんて誰も言っていないはずです。


まあ、こういうサイクルが生まれたのにも
歴史的な必然が存在している訳で、
だからこのやり方が悪だとは決して思いませんし、否定もしません。

が、もっと多様な形があっていいはずですし、
仮に同じようなやり方をしていても、
もっと色んなパターンがあっていいはずなんじゃないかと思うんです。


というか、もっと言うならば、
演劇をやる=公演を打つという前提すら
取っ払ってしまってもいいんじゃないでしょうか。

かなり前にもここのブログにて書きましたが、
お稽古事としての演劇を楽しむ団体があってもいいと思うし、
様々な人達を対象にしたWSを行うことを
活動の中心にした劇団を作ってもいいと思います。

或いは観る専門の集団があったっていいでしょうし、
特定の地域でだけでしかやらない団体だって素敵だと思います。

とにかく、創り手至上主義的な発想から、
もう少し価値観を広く持てるような、
演劇を楽しむための選択肢を増やしてゆくことが
今の演劇には必要なんじゃないでしょうか。

そして、自分としては、それが「演劇そのものの更新」だと思うのです。


まあ、現時点でもそういう活動をしている方達が沢山いることも知っていますし、
それが徐々に増えてきつつあることに希望を抱いていたりもします。

かくいう自分自身も、いくつかそういった取り組みを始めておりますしね。

しかし、まだまだ足りない気がしますし、
何より、そういう人達に対する見方は依然冷たいものがあります。

創り手が一番で、それ以外の関わり方は邪道である、
といったような物言いは(そこまで直接的でないにせよ)何度も聞きましたし、
そういうような態度の人達にも多く出会いました。


や、それでも高いクオリティの作品を生み出す人間は尊重されて然るべきだし、
やはり素晴らしいと思える作品あっての演劇だとも思いますから、
必ずしも創り手至上主義的発想が悪いとも自分は言いません。

問題なのは、それ以外の視点が乏しいが故に、
結局は創り手側同士でだけで世界が完結してしまっていることなのです。


今、作品そのものの社会的意義やそのクオリティに反して
日本国内での世間一般からの演劇の認知のされ方は未だに、

「金にはならないけれども夢を追って頑張っている人達」とか、
「映像で売れるようになるための下積み」とか、
「よくわからないけど社会に何か訴えたいものを持った特殊な人達」とか、

そういう当事者達自身が抱いている認識とは
全くかけ離れたものになってしまっているように感じます。

そしてそれが「演劇ってダサい」というイメージに
繋がっているんじゃないかなと、そんな気がするんです。


そこで思うのは、たぶん演劇をやっている人達が、
もっと「演劇」というものに対し
とことん突き詰めて考えてみる必要があるのではないか、ということです。

や、そんなことは全ての世界でそうなのかもしれないけれども、
でも、特に演劇ってのはある意味何でもありなところがあるから
余計に本質的な部分について考えていかなきゃならないような気がするんです。

きっと、何でもあり、ということに甘えて、
場当たり的に思い付きだけでやっていちゃ駄目なんだと思います。


長くなってしまいました。

今は思いつくままに書き連ねてしまったので
話も飛び飛びで内容もごちゃごちゃではありますが、
このことについては今後しっかりと突き詰めて考えてゆきたいので、
もう少し整理してみて、後日改めて綴ってみようかなと思います。
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by syohousen | 2012-05-22 11:29 | つれづれと | Comments(0)