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人のことをちゃんと想うこと

人のことをちゃんと想うって、とっても大事なことなんだな。

ちゃんと考えることに繋がるから。


本気であればあるほど、自分も前へ進める気がする。

それはとても有り難いことなんだと思う。感謝。
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by syohousen | 2012-01-31 23:27 | つれづれと

東京の物差しで測るから、

東京の物差しで測っちゃうから東京中心に見えちゃうし、
東京にばかりいいものが集まってるように見えちゃうんじゃないのかな。

まあ、東京の物差しで測ったものが
好きだってんならそれでいいのかもだけど、
他の物差しで測ればいいものだって沢山あるんだから、
あまり東京を特別視しなくてもいいと思うんだけどね。

東京が、絶対的な価値の基準になってしまっているのが、
ちょっともったいないよなって、最近ほんとによく感じてしまうよなぁ。
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by syohousen | 2012-01-30 22:23 | つれづれと

困難な状況を乗り越えて迎えた本番なのだから、

昨日観に行ったOCT/PASS若手公演。

そこで感じた「切実さ」。本当に素晴らしいものがあった。


しかし、それも考えてみれば当然の事なのかもしれない。

なにせ昨年のあの日以来、仙台市内の劇場はほぼ全滅状態、
野外でやろうにも近隣からの苦情等ですんなり上演できない中、
それでも何とか上演しようと四苦八苦しながら迎えた本番なのだから。

そりゃあ込められてる熱量が違うのが自然な話だと思う。


いつまでも東京が演劇の中心だと思っている人達に観せてやりたい作品だった。


いわきでもマームの藤田くんが
いわき総合高校の学生相手に演出した作品を上演し、好評を得ている。

確実に、時代の潮流は変わりつつあるのだと思う。


それにしても、この両公演、
どちらも地元で育った若い力による公演、というのが本当に素敵だ。


また、自分にとっては両方とも縁の深い土地なだけに、個人的にもとても嬉しい。
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by syohousen | 2012-01-29 21:43 | つれづれと

別にいいじゃん、フォロー外されたって

やっぱweb上での関係性と面と向き合っての関係性って、確実に違うものだよ。

だからさ、そこに煩わされることなんかないんじゃないかなぁって思う。

Twitterでフォロー外されたとか、
mixiでマイミク外されたとか、
そんなことにいちいち過剰反応して
元々の人間関係そのものを台無しにしてしまうことはないよ。


まあ、その原因がweb上での関係以外のところであったりするのならば、
多少は気にしなきゃならないかもだけど、
でも、それだってその原因のあったところで解決に向かうべきで、
他が原因であるにも関わらずそれをweb上で解決させようとしたり
web上に不満を垂れ流したり、そんなことをしてても全く意味がないと思う。


web上でのやり取りの方がうまくいく人もいれば
面と向かってのやり取りの方がうまくいく人もいて、
或いはその両方がうまくいく人だっていたりする。

人間関係において「こうあらねばならない」なんてものはないんだから
下手に枠にはめようとせずお互いにとって適切な距離感を持てれば
どんな形になったって別にいいんじゃないかなって気がする。

でないと勿体無いよ。


自分にだって、web上ではお互い全く関知してないけど
すごく仲のいい人とか結構いるし、それで全く不自由してないんで、
全然それで構わないなって思っている。

たぶん、そういうもんなんじゃないかな。
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by syohousen | 2012-01-28 07:30 | つれづれと

全力で生きるって、

昨日の記事の続きだけれども、
「大切にできなかった」と「大切にしなかった」は違うと思う。

でも、どちらにせよ、大切にできなかったことは事実なのだから、
その事実は全て引き受けて、決して赦して貰おうとか思わずにいたい。

でないと、今後も同じことを繰り返すことになると思うから。


たぶん、全力で生きるって、そういうことなんだと思う。
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by syohousen | 2012-01-27 10:22 | つれづれと

そばにいる時に、

一緒にいる時そばにいる時に、大切にしなきゃやっぱ駄目だよ。

離れてからとか死んでしまってからとか、
そんなんなってから大切にしたり褒め称えたって何にもなりゃしない。


大切なら大切と、好きなら好きと、普段からちゃんと伝えなきゃさ。

もしどうしても言えないんだったら、それは墓場まで持って行ってくれよ。

後々になって「実は、、、」とか、まじでふざけんなって感じだよ。


そんな恥知らずなこと、俺は絶対にしたくない。絶対に。

大切な人は、一緒にいる時に全力で大切にする。

でなきゃ絶対に後悔すると思うから。
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by syohousen | 2012-01-26 23:15 | つれづれと

棄てることで拡がる

もしかすると、自分は手広く構えようとし過ぎなのかもしれない。

もちろん、絞り込み過ぎて選択肢を狭めてしまうことも
あまりよろしくはないこととは思うけれども、
しかし何でもかんでもやろうとして結局何もできなかった、では目も当てられない。

もう少し、何が自分はやりたいのか、やるべきなのか、
それらを明確に持った上で、優先順位をつけて臨んでもいいんじゃないかなと。

それがガチガチに守らねばならないような決め事でないにしても
具体性を持たせていれば、ただ意識のどこかに置いておくだけで
だいぶ思考の枝葉末節は刈り取ることができるのではないかと思う。


手広く構えることが悪いのではない。

悪いのは、その状態に居着いてしまうことだ。

時には他の可能性を全て棄て、
一点突破を試みるくらいの思い切りのよさも、必要なのだと思う。

棄てることで拡がる可能性もあるのだから。
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by syohousen | 2012-01-25 20:05 | つれづれと

今の、この揺らぎ

仙台行きが近付いてくるごとに、
寂しさにも似た、何とも言えない気分になってきている。

元々は物理的な距離なんか関係ない、と考えていたのに、
まさかここまで気持ちが揺れることになるだなんて思いもしなかった。


たぶん、この気持ちの出どころは、
昨年のあの日の影響が物凄く大きいのかもなと、そう思う。

あの出来事によって、生きてゆくにあたって、変わらないことなんて
何もありはしないんだ、ということを残酷なまでに思い知らされたためだ。


悲観的と言われれば、そうなのかもしれない。

けれども、「もうこれで最後の会話なのかもしれない」という意識は、
常に自分の中にあって、だから、大切な人と会う時ほど、
心が締め付けられるような辛さを覚えてしまう。

昨日は特に、自分にとって最も大切な人と会っていたため、
別れ際の「またね」が、単なる挨拶を超えた切実な願いとして
自らの口から発せられていることに気付いてびっくりしてしまった。


でも、そもそも人生ってそういうことなんだと思う。

だから、次にまた会えた時には本気でその喜びを噛み締めたい。

離れてしまうことによってお互い変化もしてゆくだろうし、
そうなると関係性も少なからず変わってしまうことになると思う。

でも、それも全て、自分自身で選んだことなのだから、
どのような変化が待ち受けていようとも、喜んで受け容れるようにしよう。

そして、そうできるようになるためにも、
自分の場所で全力で生きてゆかなきゃなと思う。
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by syohousen | 2012-01-24 15:34 | つれづれと

藤田くんの岸田戯曲賞最終候補選出に思ったこと

先ほど発表があった第56回岸田國士戯曲賞最終候補作品。

そこに、マームとジプシー主宰の藤田貴大君の名前も入っておりました。

対象作品は、『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』。


かつて一緒にやっていた人が評価を受けたことに対し、
自分は、嬉しい、というよりも、刺激をもらえた、という方が大きい気がします。

や、もちろん嬉しいことではありますよ。

ただ、あの作品を東京→北海道→横浜と
それぞれの土地で実際に触れてきた人間にとってみれば、
それだけのものは創ってると思いましたから、あまり驚きはなかったです。


というか、そもそも彼の眼差しは既にもっと先に向かっていると思います。

そしてそれは、今のこの評価は、
ちゃんとやるべきことを積み重ねてゆけば
ちゃんと世の中は応えてくれるんだってことの証明でしかないと、
そう心得ているからこそできることだと思うんです。


自分も、だからこそ「よし、負けずに頑張ろう」と思った、という訳です。


それにしても、やっぱりこういう報せの方が、
自らのモチベーションという火にくべるための薪としてはいいもんですね。
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by syohousen | 2012-01-23 21:02 | つれづれと

たとえ還暦を迎えても、

たとえ還暦を迎えても、
お馬鹿なことをし合える関係のままで
い続けていたいと思える存在。

そんな人が自分にはいる。

それって、本当に幸せなことなんだろうな。


感謝せにゃなぁ、とつくづく思う。
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by syohousen | 2012-01-22 18:29 | つれづれと