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2011年総括

2011年も今日で最後。

今年は、本当に、忘れることのできない年になってしまいました。

この「なった」ではなく「なってしまった」という表現なのが、
この1年のことをよく表しているのではないかと思います。



2011年3月11日(金)、東日本大震災


この日を境に、自分の見えている世界の景色は一変してしまいました。

大好きだった何気ない日常、
仙台で演劇活動を行うということ、
大切な人と過ごす時間、、、
それら全ての、意味合いが変わってしまった。

そしてたぶん、それは今後も決して元に戻ることはないと思います。

ずっと、それこそ死を迎えるまで
それらを抱えて生きてゆかねばならないのだと思います。


はっきり言って、悔しいです。

仮にこれが震災だけの変化であったのならば、
まだその変化を素直に受け容れられたかもしれません。

しかし、今自分が感じている変化というのは、
原発事故と、その後の東電、政府、大手メディアの対応などによって
引き起こされた「歪み」とも呼べる悲しい変化です。

もちろん、これまでの自分達の無知さに対する悔しさもあります。

が、自らの過ちを認め、同じ過ちを犯さないような努力を行おうとしているのに
その足を引っ張ろうとする人間が数多く存在していることには憤りを隠せません。


今年の世相を現す一文字は「絆」だったそうですね。

まあ、以前このブログでも触れましたが
そこでも書いた通り別にそのそのこと自体には何の異論もありません。

何故なら、今年一年を通じて絆の強さを実感した方もいれば、
逆に絆をガタガタに破壊されてしまった方もいる訳で、
よくも悪くもこの「絆」という言葉が今年を象徴していたと思いますから。


が、自分の場合は、
今年を象徴する一文字を挙げろと言われれば迷うことなく「怒」を挙げます。

3月のあの日以来、自分は常に怒りを胸に抱いて生きてきていたように思います。

これまでの自らの無知さと、今の自らの無力さに対する怒り、
今がどういう事態なのかを分かっていながら隠し続けている偉い人達への怒り、
今がどういう事態なのか薄々気付きながらも目を背け続けている人達への怒り、
他者への思い遣りを忘れ、罵り合いばかりを繰り返している人達への怒り、、、


来年5月に出演予定のOCT/PASSの公演へ出演志願した時にも、
正直に言うならば、その時の自分を突き動かしていた衝動のほとんどが「怒り」でした。

や、もちろん、それだけではなかったですけれども、
しかし、今年頭にこのブログで書いたように
元々の仙台での活動の本格始動を想定していたのは
もっと先であったはずの自分の時間を早めてしまったのは、
確実にこの「怒り」という感情以外の何者でもありませんでした。

もしかすると、こういう気持ちで動いてしまうことはよくないことなのかもしれません。

が、しかし、その副産物として、
「誰かのために」動くことの意味も、分かった気がします。

自分の怒りは、自分個人のためというよりかは
大切な人や場所、物などのことを思った時に
自然に湧き起こってきた「反応」のようなものでした。

これまでは「誰かのため」という発想があまり好きではなかった自分が、
今、こうして誰かのために動こうとしていることに、正直驚いています。

なんというか、今の自分の胸の中で抱えているこの感情は、
ただ単純な「怒り」とは違うのかも、という気もしていて、
だから、この感情に身を任せてしまってもいいのかもしれません。

それが少々危険な賭けであったとしても、
初めて自分が周囲に気を遣うこともなく我儘に動こうとしているのだから、
それを最後まで貫くのは、大切なことなんじゃないかと思うので。


という訳で、今の自分のこの気持ちに素直に従って、
これからのこの変わってしまった世の中を生きてゆこうかと思ってます。

でもたぶん、大丈夫な気もしていて、
自分の中にある優しさのようなものは失われることはないんじゃないかなと、
根拠も全くないのだけれども、何となくそんな予感があったりもしてます。

だって、周りの大切な人達がちゃんと想ってくれているのも知ってるから。



さて、ここまでは個人的な想いばかりを綴ってきてしまいましたが、
この『声と身体の処方箋』のことについても触れておかねばなりません。

今年、この活動は、ある部分では大きな成果を挙げられたものもあり、
しかしある部分では停滞し取り組み自体の中断を余儀なくされたものもあり、
といった感じでした。


今年成果をあげられたものとしては、

・テアトルフォンテ付属劇団『劇団エルブ』対象の俳優としての基礎訓練WSの開催
・二子玉川商店街『大山みちアート&マート』の実行委員となる
・勉強会が企画の初期段階から関わっていた『少女Aの帰還』の上演
・『新作戯曲の試食会』の依頼と、開催の継続の要請

あたりが挙げられます。

しかしその一方で、メイン活動であるはずの
「読み会」「寺子屋」「定期診断」が全て参加メンバー不在によって
開催休止にまで陥ってしまいました。

勉強会も、メンバー自体は30名を越えたものの
実際に参加してくれているメンバーというのはその半分もいないので、
結局のところ不安定な運営を続けてゆかざるを得ない感じなのが正直なところです。

これらについては、それぞれで然るべき手を打ってゆかねば
有耶無耶なままに活動そのものをやめねばならなくなってしまうことでしょう。

なので、とりあえずは勉強会の方へ、年明けと共にメスを入れてゆくつもりです。

他の活動についても、折りを見て思い切った手を打ってゆけるよう、考えてゆこうかと。



今年は本当に、悲しいことの多い1年であったと思います。

しかし、まだ自分達は生きている訳ですから、
それに負けることなく、これからへ向けて精一杯生きてゆかねばなりません。

それが、生き残った人達の責務だと思うので。


今年1年、ありがとうございました。

どうぞ来年も、よろしくお願い致します。
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by syohousen | 2011-12-31 14:10 | ふりかえり | Comments(0)

2011年12月のふりかえり

☆★☆2011年12月の横山の主な活動履歴★☆★

◆勉強会◆
[メンバー数]
・現在34名(先月より±0名)
《読み会》(※今回は番外である『新作戯曲の試食会』としての開催)
●テキスト:原作:村上春樹、作:土路生真隆『かえるくん、東京を救う』
●開催回数:1回
●開催予定日:12/27(火)
《横山自主稽古》
●開催回数:5回
●開催日:12/1(木)、14(水)、15(木)、16(金)、25(日)

◆客演◆
「箱」プロジェクト連続公演第一弾『少女Aの帰還』
●日程:12/19(月)、20(火)※全2ステージ
●会場:シアターコレド

【観劇】
・黒色綺譚カナリア派『誤/娯楽』@こまばアゴラ劇場

【スポーツ観戦】
・『WWE Presents RAW・ワールドツアー2011』@横浜アリーナ
・『ウインターカップ2011』@東京体育館

≪ふりかえり≫
様々なことが目まぐるしく起こり、間違いなく自らの後人生に大きな影響を与えたであろう、一生忘れることのできない年となった2011年も今日を含めてあと2日で終えようとしている。
まあ、今年の総括については明日書くとして、今日はその激動の1年であった2011年最後の月について綴ってみようかと。


今月は、何といっても「箱」プロジェクト『少女Aの帰還』への客演に尽きる。

久々の本格的な俳優として関わった公演。
そして、初期段階からうちの勉強会が深く関わっていた公演でもある。

この公演を経て、得たものは沢山あった。
が、同時に、これ以上なく己の未熟さも痛感させられもした。
自らの足りないものが分かった、というよりも、足りないものだらけ過ぎて思い返す度に悔しさばかりがこみ上げてくる公演であった。

そこのところの具体的な話は『雪の音』ブログでのこの公演の総括を書くつもりなので、そちらの方で。


が、何はともあれ今のままでははっきり言って来年5月のOCT/PASSの公演に臨めやしないと思う。
特に身体の動かなさは致命的だと言ってもいい。

自ら志願しておきながらこんな体たらくでは共演者達にも仙台のお客さん達にも失礼この上ない話だ。

という訳で早速自主稽古を始めているのだが、本当に、やるならば死ぬ気で自らを追い込んでゆかねばとてもじゃないが間に合いやしないだろうと思う。
俳優としての経験と、指導者としての知識、その他自分のありとあらゆるものを総動員し、来年2月より始まる稽古へ万全の状態で臨めるようにしたい。


さて、それ以外では『新作戯曲の試食会』の開催も大きかった。
実は年明けと共に勉強会は一度解体をしようと考えていて、なのでこの企画はその区切り前の最後の、言わば節目の企画だったのだ。

そんな中でこの勉強会の発足意図であった

・公演を目的としない場だからこそできること
・違った芝居のスタイルの人と、演出を介することなく違ったままで芝居を行ってみる
・普段接する機会のないような人同士の交流の場(これはその後の飲み会も含めて)

などということを、かなりいい感じで具現化させることができたのは本当によかった。

この経験は、年明け後の新体制を作ってからもしっかりと活かしてゆきたいなと思う。


また、今月を以て「黒色綺譚カナリア派」が活動停止になった。

かなり好きな団体であっただけに残念なことではあるのだが、それ以上に、自分の親友である牛水里美さんがこの公演で非常にいい芝居をしていたことが物凄く刺激となった。
ひとつの団体に所属し創作をし続けることもいいものだなと、彼女を見ていて思った。
再来年よりOCT/PASSへの入団が決定している自分にとって、彼女の存在には勇気をもらえた。

本当に、有り難かったなと。
そして、それだけに、今度はこちらから彼女へ力を与えられるようになりたい。


他にも書きたいことは尽きないが、とりあえずはこの3つが今月自分にとって最も大きな出来事であった。

おそらく年が明けてからは今よりも更に大変になってゆくのだと思うけれども、しかし、これらの経験を胸に抱きつつ精一杯日々の生活を送ってゆくようにしたい。
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by syohousen | 2011-12-30 23:25 | ふりかえり | Comments(0)

売られた喧嘩は、

なんていうか、これからは、
売られた喧嘩は全部買ってゆこうかなって思ってます。

や、別に直接的に何かをやり返すとか、そういうことではなくて、
とにかく言われたこととかはなかったことにせず、言い訳もせず、
それを乗り越えることのみに集中してしまおうかと思うんです。

で、周囲からの余計な雑音は、実力と結果で黙らせる、と。


たぶん、それくらいのモチベーションでもなければ
これからの自分のやりたいことは実現させられないと思います。

本気で悔しがり、本気で乗り越えにいく。

そう、強く意識して生きてゆこうかと。
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by syohousen | 2011-12-29 16:04 | つれづれと | Comments(0)

12/27(火) 『新作戯曲の試食会』レポ

12/27(火)18:00~21:00
【声と身体の処方箋・勉強会】『新作戯曲の試食会』
@落合第二地域センター・音楽室

◆使用テキスト◆
●原作:村上春樹/作:土路生真隆 『かえるくん、東京を救う』
●作:土路生真隆 『エレベーター音楽』(一部抜粋)

【進行】
『かえるくん、東京を救う』
■フラットに読んでみる
→ひとこと感想×2周
→フリートークへ
■キャストをシャッフルしてもう一度読んでみる
→フィードバック
■再びキャストをシャッフルし、冒頭部分を抜粋で読んでみる
→フィードバック

『エレベーター音楽』
■フラットに読んでみる
→フィードバック
■キャストをシャッフルしてもう一度読んでみる
→フィードバック
■キャストをシャッフルし、間や感情を気にせず最速で読んでみる
→途中で頃合いを見計らって通常のスピードに戻してみる
→フィードバック

もう一度『かえるくん、東京を救う』
■最速で読んでみる
→途中で通常スピードへ
→フィードバック

【ふりかえり】
自分の青年座研究所時代の同期でもあり劇作家でもある土路生さんからの依頼で開催した読み会の特別版『新作戯曲の試食会』。

公演などに関わりなく戯曲を書いてみた場合、複数の人に実際に声に出して読んでもらう機会というのはなかなか設け難いため、勉強会内の活動である読み会の場を利用して色々試してみようというこの試み。
やはり戯曲というものは小説などとは違って「3次元に起こす」ということが大前提としてあるため、このように人に声に出して読んでもらわねば気付かないことが沢山ある。

一方、勉強会のメンバーにとっても、自分達と同世代の劇作家の人の書いた戯曲を「公演」というものを絡めることなく自由な距離感で以て向き合う機会というのは意外と少ないため、とても貴重な機会だったりする。

という訳で、お互いの利害が一致しているこの取り組み、参加者の反応を見た限りでは、とても発見の多い有意義な時間を過ごせたであろう確かな感触を得ることができた。
また、戯曲を提供して下さった土路生さんからも今朝「昨日は有意義でした。またやってほしい」というメールがきたため、早くも次回開催へ向けて動き出せる態勢を整え始めている。

開催する前は随分と不安もあったのだけれども、これからに繋げることができて本当によかったと思っている。


ただ、今後もこの取り組みを続けてゆくのだとしたら、もう少し進行を整理する必要があるなと思う。
今回のようなやり方では、きっと続かないので。

何故続かないと感じたのか、と言えば、フィードバックの時の意見の出方に個人差が出てしまって、終盤は特にだが、気付くと同じ人ばかり話してしまうような状況になってしまっていたからだ。
これは完全に司会進行役を勤めている自分の責任である。

や、とは言っても、別に全員が満遍なく意見を出し合える状況にしなければいけない訳ではないとも思っていて、問題なのは「お客さん」を作ってしまったことだ。

何も饒舌に意見を出せることばかりが素晴らしいという訳ではなく、例えば言葉ではうまく説明できないけれども話している際の言葉以外の部分で色々と伝わってくる人もいたりするのだから、「うまく話せる」ということだけがその場の価値基準になってしまうと、出てくる意見もその価値基準に沿った適正を持つ人の意見に偏ってしまうし、そうなれば場に生まれてくる発想や発見も狭くなってしまいがちになる。
何より、その価値基準に沿った適正をあまり持ち合わせていない人が引け目を感じ、閉じていってしまうこと(つまりそれが「お客さん」ということなのだが)が一番怖いのだ。

そして今回、それが多少ながらも見え隠れしてしまっていたため、このままの進行のやり方では駄目だろうなと、感じた訳である。


では、どうすればいいのか。

おそらく一言で言うならば、「関わり方の多様性を保証する」という一点に尽きる。
もう少し噛み砕いて言うならば、「あなたのその関わり方でもいいんだよ」と受け止めてあげることから入り、場の一員であることを実感してもらってから、その人なりの場への関わり方を一緒に探ってゆける環境を作る、というイメージか。

まあ、そうは言ってもじゃあ具体的にはどうすればいいのか、というと、これがまたケースバイケースだと思うし、だから「これだ!」という風に明確に打つ手を今、ここで説明することは難しいのだが、ひとつ思うのは、「この会の方針をもっと明確にすること」が重要なのではないかと思う。

今回、この会の開催意図としては、

「戯曲の推敲のため、他の人に実際に声に出して読んでもらう」
「同世代の劇作家の新作戯曲を公演を絡めずに読んでみることでの新たな発見」
「普段の繋がりとは違った人達と初対面でいきなり戯曲を読み合わせてみることでの新たな発見」

などが挙げられる。
しかし、ここが問題だったのではないかと思うのだ。

別にひとつに絞り込む必要はないのかもしれない。
が、司会進行を勤める際には、それらを頭の中でちゃんと整理整頓をし、状況によってその時投げかけてみる質問や聞き出す意見の方向性を明確に打ち出す必要があるのだと思う。

ただ闇雲に、その時の思いつきで質問をしているから、折角のいい意見が出てきたとしても膨らみ切らないし、停滞も生まれてくるのではないか。
また、読んでみた戯曲の作品性についてばかり聞いてしまっていたことも、あの堅苦しい空気を生んでしまった一因のような気がする。

例えば「ここは作家として読んでくれた人に何か質問したいことはないか?」と振ってみたり、「読んでみた人達で、作家に聞きたいことは?」と振ってみたり、或いは「相手役がさっきと変わったけど、何か変化はあった?」とか、その時その時で今回の開催意図の中で何を優先してみるといいのかを冷静に判断しつつ質問を考えれば、たぶんいくらでも聞きようはあったはず。

そして、そうやって場の空気をうまくかき混ぜてゆければ、自然と場の方向性というかノリが参加者一人ひとりに伝播してゆくだろうから、きっと意見なども出てき易くなってゆくんじゃないかと思う。

なので今後は、そこのところを気を付けて臨むようにしたいなと。


しかし先にも書いたように、この企画自体は、それがたとえ結果オーライであったとしても、とてもよい成果をあげることができたのではないかと思っている。

それだけに、今回の反省は今後に活かし繋げてゆかねば、継続しての開催を申し出てくれた土路生さんの期待にも応えることはいずれできなくなってしまうだろう。

心して、取り組んでゆきたい。
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by syohousen | 2011-12-28 23:02 | レポート(勉強会) | Comments(0)

【読み会】新作戯曲の試食会

この度、『声と身体の処方箋』勉強会内の取り組みである
『読み会』を利用して新作戯曲の試し読みの場を設けることとなりました。

より多様な方の意見をお聞きしたく、今回は参加者の公募を行わせて頂きます。

以下に詳細を記載致しますので、
もしご興味持たれた方は是非お申し込み下さりませ。

【テキスト(2作品)】
・『惑星さがし』(キャスト9名)
 作:土路生真隆
・『かえるくん、東京を救う』(キャスト3名)
 原作:村上春樹
 作:土路生真隆
※場合によっては(集まり具合や男女比など)テキストが変更になる可能性もあります

【会場】
・落合第二地域センター(落合南長崎駅徒歩5分)

【日時】
・2011年12月27日(火)18:00~21:30
※集合時間等は開催日前日に参加者へ直接お伝え致します

【参加費】
・無料

★お申し込み方法★
【題名】 「新作戯曲の試食会」の申し込み
① お名前(ふりがな)
② 希望日時
③ 職業、もしくは普段行なっている活動
④ 連絡先

を明記したメールを、
prescription_voice@yahoo.co.jp宛にご連絡下さいませ。
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by syohousen | 2011-12-27 18:00 | WS・勉強会・セミナー情報 | Comments(0)

恥知らずども

「独自の取材」とか「独占スクープ」とか、
その言葉を使っていいメディアって今の大手の中で果たして存在しているのか?

そのほとんどがフリー記者の取材や自由報道協会の会見などで語られたことを、
その時には隠していて、ほとぼりが冷めたのを見計らって
「あの時、実はこうだった」と小出しにしているだけじゃないか。

テレビしか観ていない人を相手にだったらそれでも誤魔化せるかもだけど、
今はもうそんな時代じゃないんだから
隠し果すことなんか無理なんだってことに早いとこ気づいた方がいい。


特に、ここ数日で様々なドキュメンタリー番組(のようなもの)が
放映されたけれども、「今初めて真相が明らかに」的な表現をしていながらも
自分にとってはひとつとして新たな事実は見受けられませんでした。

全て震災後1ヵ月前後の時点からフリー記者の方々が
「デマ野郎」と罵られながらも必死に訴えかけていたことばかり。


大手メディアの方々は、“恥”って概念を備えていないのでしょうか?

せめて、自分達の怠慢に対するお詫びから入るとか、
当時の事実とはかけ離れた報道内容を訂正するとか、
そういう具体的な形で素直に過ちを認めた上で報じて欲しい。

本当に、今の彼らの報道姿勢には怒りしか感じません。ふざけるな。
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by syohousen | 2011-12-27 10:07 | つれづれと | Comments(0)

気遣いのつもりが、、、

たまに、「今、電話していいですか?」というメールが
送られてくることがあるのだけれども、
どう返事していいのか分からなくて結局いつもこちらから電話をかけてしまう。

そしてなんか釈然としない気分になる。

や、別にいいんだけれども、、、


「○時くらいに電話したいのですが大丈夫ですか?」だったら分かるんです。

しかし、「今電話したい」のだったら
メールで確認するよりかけた方が早いじゃん!って思ってしまう。

だって、出られるなら出るし、仮に出られないのなら出ないなりに、
例えば電車の中のような周囲の状況的に通話ができないのだったら
電話には出ない上で「どうした?」的なメールを送ることも可能だろうし、
そもそも携帯をいじれない状況ならばメールだって返せないはず。

従って、メールで伺いを立てることによって得られるメリットが
自分が考える限りでは全く見い出せないのです。


たぶん、この例に限らず、こういう気を遣っているつもりが
逆に相手への負担になってしまっているようなことって、
結構沢山あるんじゃないかなって気がします。

それだけに、ちゃんと気を付けていないと、
知らず知らずのうちに無礼を働いてしまうこともあるんじゃないかなと、そう思います。
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by syohousen | 2011-12-26 23:53 | つれづれと | Comments(0)

12/25(日) 横山自主稽古レポ

12/16(金)10:00~12:00 横山自主稽古 @高階南公民館・会議室3号

【進行】

■縄跳びのボクサー跳びをしながら「外郎売」をフルで(ゆったりと、単語を立てて語る)

■本読み:野田秀樹『20世紀最後の戯曲集』(『キル』『TABOO』『赤鬼』『ローリングストーン』)

■再びボクサー跳びをしながらの「外郎売」(今度は言葉が躓かぬよう心掛けつつスピーディに)

【ふりかえり】
先の公演で掴んだいい感触を忘れないうちにもう一度確認したかったのと、来年5月に仙台にて行われる予定の公演へ向けての今の自分の課題のクリアのために今後何をしてゆけばよいのか見極めるため行った自主稽古。

しかし難しいなと感じたことは、稽古に臨む際の緊張感のようなものが、本番を控えている時に比べてどうしても緩いため、一つひとつの要素に対する突き詰め方が甘くなってしまう傾向がある。
特に一人で行っている際には気持ちを強く持っていないと、自分の好む方向やり易い方向にばかり進みがちになってしまう。

そこで、強く具体的な目的意識を持った上で臨む必要があるなと、今日の稽古を通じ強く実感した。

例えば、今の自分の課題に見合ったテキストなり表現なりをひとつ選び、いついつまでに見せ物にできるだけのクオリティに仕上げる、とか、或いは身体訓練に照準を絞って自主稽古の度に必ず行うべきサーキットトレのようなものを設け、それをクリアしてから日替わりのテーマを元にした稽古を行う、とか、進行にひと工夫加えてみるとだいぶ変わってくるのではないかなと思う。

と、書いてみたが、よくよく考えてみたらこの2つは両立可能なもの同士だということに気付いた。
ちょっとここは欲張って両方取り組んでみようかな。
今は自主稽古の時間を2時間にしているけれども、施設を借りられる時間は午前であれば3時間なので、開始時間を1時間早め、週に2回程度の開催にすれば、両立も無理な話ではないかもしれない。

とりあえず、年末年始にかけてはもう借りられる施設がないため、この期間を利用してサーキットトレのメニュー作成と、何かひとつ今後の自分の表現のレパートリーにできるようなもの(落語や一人芝居でもいいし、それ以外の何か見せ物とできるようなものでもいいから)を探してみようかと思う。

なお、それらは1月末~2月頭に照準を絞って、そこまでにひとつ明確な形での成果を上げられるように取り組んでゆくようにしたい。
なのでそこら辺についても、年末年始ではっきりさせようと思う。


“語る”ことの体力についてはだいぶついてきた。
そして、芝居勘のようなものもだいぶ取り戻してきた実感もある。

しかしまだまだ過去の財産でだけで(しかもそんなに大した貯蓄もなかったのに)やっている状態であることは否定できないのが現状。

新しい景色を見ることができるよう、とことん自分を追い込みつつ、心身共に十分に鍛え上げた状態で来年2月から始まるOCT/PASSの公演稽古に臨みたい。
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by syohousen | 2011-12-25 19:54 | レポート(その他) | Comments(0)

目標

やっぱり、目標ができると日々の生活にも
だいぶ張りができるんだなってことを実感している。

多少のことでは動揺もしなくなっていて、
ただただその目標のために今の自分ができることに集中して取り組んでいられる。


ほんと大事だよなぁ、こういうのって。
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by syohousen | 2011-12-24 17:33 | つれづれと | Comments(0)

いつまで結論ありきの報道を続けるつもりなのか、

今朝のラジオ番組にて、立川志らく師匠が
「談志が死んだ途端、いい人になっちゃった。いい人なはずがないでしょうが」
「そういうことしているからテレビ離れが進むんだってこと、分かってるのかねぇ」
と語っていた。

本当に、その通りだと思う。

家元は、本当の意味での人の暖かみを備えた人だとは思うけれども、
今の「皆に愛された存在だった」といったような
大手メディアの過剰な持ち上げ方には自分も違和感を覚える。


実際、同番組にて、
「志の輔・談春両名が『立川流は一枚岩になって…』と言ってる脇で
 『立川流は流れ解散です』って言ったら俺の映像だけカットされてたんだよ」
とも師匠は語っていて、こういうところにも大手メディアのアンフェアさが伺える。


まあ、志らく師匠も上記のことを笑いを交えながら語っていたのだが、
それだけに余計に、何故その発言から志らく師匠の想いを汲み取れないのか、
何故ひとつの価値観に基いた狭いものの見方でしか故人を扱おうとしないのか、
ということに対する強い憤りを、自分は覚えてしまった。

こういう結論ありきの報道姿勢は長期的に見れば損にしかならないのに、
当事者達だけがそれを分っていないのは何故なのだろうか。

テレビを観ない若者がここ数年で倍以上に増えたことの意味を、
大手メディア関係者はもう少しよく考えてみるべきだと思う。
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by syohousen | 2011-12-23 16:16 | つれづれと | Comments(0)