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いつも大事なのはその先なのに、、、

あれだけ騒いでいたTPP問題が、
僅か半月でここまで静かになるなんて予想外でした。

まだ実質的には何も始まってないのにこんな状況。


はっきり言って、交渉に参加するしないが問題というよりも、
こういう風に一時的に気分だけで盛り上がっておきながら
飽きてきたら知らんぷりをし、何か問題が表面化してきたら
その時になって特定の人間を叩きながら
「自分達は悪くない」と思い込もうするその姿勢が問題だと思います。

嘆くことすら自己陶酔の材料にして
ややこしい現実から目を逸らそうとするその心根が問題だと思います。


交渉参加しないならばしないなりに取り組まねばならないことはあるし、
交渉参加したらしたでそこで全てが終わる訳ではなくて
大事なのはその後日本がどのように振る舞うか次第であるのだから、
本気でどうにかしたいと思うのならば
むしろこれから積極的に動いてゆくことが重要なんじゃないんでしょうか?


これたしか政権交代の際にも同じようなことをこのブログで書いた気がしますが、、、

結局自分達は失敗の経験から何も学んでいないということなのでしょうかね、、、


なんか、結局は自分達の行動一つひとつが
今の状況をつくり出しているんだっていう当事者意識をもっと切実に持っていないと、
これから本当に取り返しのつかないことになってしまう気がします。


たとえ繰り言になろうとも、決して諦めたくはないので
状況が変わってゆかない限りこれからもずっとこのことは
周囲に向けても、またこういう場でも言い続けてゆきたいなと思ってます。
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by syohousen | 2011-11-30 22:21 | つれづれと | Comments(0)

11/29(火) 横山自主稽古レポ

11/29(火)10:00~12:00 横山自主稽古 @川越市中央公民館・和室

【進行】

■手足を揺すりながら空間を歩いてみる
→空間にあるものに触れてみる
→壁に身体の表面を全て触れさせてみようと試みてみる
→触れるポイントを徐々に床へと移行させてゆく
→自らの身体の現状を探ってゆき、そのまま身体の求めるままに伸ばしたり揺すったりして無理なくほぐしてゆく
→その動きの中から最終的に立った状態になり、少しの時間、これまでの自らの動きの余韻や今の身体の状態を味わってみる
→手を筆に見立て、色々な質感で自らの周囲の空間に何でもいいので描いてみる

■右腕の腕先から徐々にその範囲を広げ最終的には肩甲骨から先の全てを揺すってみる

■腰を落とし、ゆっくりとした動きで歩みつつ、「外郎売」を最後まで語る
■スズキメソッド(スタチュー)

■落語のテキストを声に出して読んでみる(今回は『粗忽長屋』『鼠穴』『千早ふる』の3席)

■縄跳びのボクサー跳びをしながら『外郎売』を最後まで語る(声を揺らさぬよう心がけて)


【ふりかえり】

今日はここ最近の周囲の人達の活動や心に残っているものからのヒントを得て浮かんだもの、今一番興味のあるものを中心に進行を考え、メニューを組んだ。

特に落語は実際に声に出して読んでみた際、今の自分にはこの落語というものの中に詰まっている表現のエッセンスが俳優として必要とされているのではないか、と感じた。

どちらかといえば近頃の自分は「無理をしない芝居」という方向へと考え方が偏ってしまっている気がするのだが、しかしそれは「嘘をつかない」ということとは必ずしもイコールにならないというか、むしろその嘘をつかない芝居の悪い面ばかりが目立ってしまい、それが俳優としての可能性を大きく狭めてしまっているのではないか、ということに気付くことができた。

そして落語は、そんな「無理をしない」ということを許さない表現形態であるなと感じた。
複数の人間を演じ分けねばならない訳だし、現実的には絶対にあり得ないような不可思議な状況が当然のことのように起こってしまうことだってあるので、どうしたって無理が生じてくるからだ。
まあ、複数の人間の演じ分けについては五代目柳家小さん師匠のように驚くほど自然体で声色も変えることなく演じ分けてしまえる方もたしかに存在しているのだけれども、しかしそれだって常人の想像のつかないくらいに過酷な修練の末に会得したまさに至芸である訳で、こんな演劇を始めて10年やそこらのサンピン役者が分かったふりして楽しようというその心根からして罰当たりな行為だと思う。

とにかく体当たりでぶつかって、全力でもがき続ける中で見えてきたものを死に物狂いで掴み取るくらいの心持ちで挑んでいかねば、本物の、自分だけの芸を体得することなんて不可能だし、そうしなければ俳優としての活動に繋がるような発見を見い出すことだって無理だと思う。

そのことをしっかりと心に刻み付けて、これからは挑んでゆきたい。


また、今日は初めての挑戦ということもありいくつかの噺が書かれたテキストをただ読んでみただけなのだが、今後は扱う噺をどれか1本に絞り込んでそれを身体へ叩き込み、その上で色々と試せるような状態にしてゆけたらなと思っている。

というのも、将来的には一席設けられるくらいのクオリティに仕上げ、可能ならば発表もしたいのだけれども、今回行ったような「何かしらの負荷をかけた状態での語り」という訓練に落語を組み込んでもみようと考えているからである。


まあ、訓練か発表か、などとはっきり分けて取り組んでゆくつもりもないので、自分がいいなと思う取り組み方で誠実に、これからも向き合ってゆけたらなと思う。



なお、今日の稽古で実感したことなのだけれども、語りの体力がだいぶ落ちてきているので当面はそこの強化を重点的に行ってゆきたい。
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by syohousen | 2011-11-29 21:16 | レポート(その他) | Comments(0)

たとえ距離は離れていても、

さっき、岡山にいる大切な友人から
仙台行きを応援してくれるメールがきてた。嬉しい。

こういう人が自分の周りにはいてくれているのだなと、
その恵まれた境遇に感謝しつつ、精一杯生きてゆかねばなと、そう思う。
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by syohousen | 2011-11-28 21:58 | つれづれと | Comments(0)

報告

昨日、先方への挨拶も無事終えて、
これで自分の中でのけじめがついたので正式に発表しますが、
横山は来年5月に在仙の劇団『OCT/PASS』の公演へ出演します。

場所は仙台市内の野外にて。


また、2年後の2013年春頃にはそのOCT/PASSへと入団し、
演劇活動の中心を完全に仙台へと移行させます。

要は、仙台へと引っ越します。


もしかすると周囲の人達にとっては唐突な話に感じるかもしれません。

それも当然といえば当然で、この話は
ごく身近な人にしか伝えていませんでしたから知らない方が自然です。

まあ、自らのやっていることを途中経過の段階でああだこうだと
アピールしたりすることがあまり好きじゃないんですよね、自分の場合。

だからもし、この話を伝えられていなくて
ショックを受けてしまった方がいらっしゃったならば、
そのことについては申し訳なかったと思っております。

ただ、これはこれまでずっと考えてきた事であり、
仙台から東京へと来る前からの念願でもありました。

なので安易な思い付きでこのような判断を下した訳ではありません。


とはいえひとつ誤解して欲しくないのは、
活動の中心が仙台に移ったからといって
首都圏での活動を放棄する訳ではありません。

引き続き首都圏での活動は継続して行うつもりではあります。

だから結局は仙台に引っ越したとしても頻繁に行き来する事になると思います。

現に今も首都圏から仙台の間をかなりの頻度で行き来してる訳ですし、
自分の中ではそれが逆になるだけっていう感覚なのです。


そんな形態での活動は、きっと想像以上に大変なことだと思います。

が、そういう道を選んだのは自分自身なのだから、
もとより覚悟の上で、決して負けるつもりはありません。


まあ、そんなこんなで、どうぞこれからもよろしくお願い致します。
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by syohousen | 2011-11-27 19:51 | つれづれと | Comments(0)

レッテル

その人の行動に対して
「そんな事をしているとこういうレッテル貼られちゃうよ」と言うのと、
前提としてのレッテルを貼ってそれを基準に
その人を評するのでは意味合いが全く以て違うと思う。

結構混同されがちだけどさ。


何でもかんでも「レッテルはよくない」で片付けてしまうこと。

その発想こそがレッテル貼り以外の何者でもないんじゃないかと思う。


その言葉がどういう意図の元発せられているのか、
ちゃんと見極めて意見することが大事なんだろうし、
そこまで考えることこそが本当の思いやりなんじゃないかなと。
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by syohousen | 2011-11-26 04:29 | ものの見方・捉え方について | Comments(0)

アイデアはパクリたければご自由に

自分は、己のアイデアが他の人に
先に使われてしまうようなことがあってもほとんど気にならないです。


そもそも基本的に「一番にやる」という点に
そこまでこだわりを持ってないので、
そのアイデアに自信があるなら誰に先にやられようが
それ以上のものを創るつもりなので全く問題はありません。

だいいち簡単にパクられるようなら
そのアイデアは大したことがなかったということだし、
もし自分の思い描いていたものよりも素晴らしいものができたのならば
それは非常に喜ばしいことであるはずなのだから、
むしろ競い合ってよりよいものをお互いで創っていきましょうよって感じです。


よって、己のアイデアを他者にパクられることは何の支障もないという訳です。

だいたい、アイデアだけで勝負できるほど甘くはないですし、
アイデアを深めることの方が大事だと思っているので、
別にやりたきゃどうぞ、って感じですね。

むしろパクられるということは
相手が自分のアイデアに全面降伏してしまったってことだし、
それはそれは気分のいいものだと思ってますんで。
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by syohousen | 2011-11-25 09:20 | ものの見方・捉え方について | Comments(0)

死や事件は、ブームじゃないでしょうよ

世の偉大な人を失った時、
饒舌になって受け止めるか黙して静かに受け止めるか、
乱暴ながら大きく分けるとこの2つに分かれると思う。

別にどちらがいいとか悪いとかはないと思うけれども、
ただ1つだけ、その時の気分でだけで
ああだこうだと語っているのを見るのに関しては、
自分は心の底から嫌悪感を抱いてしまう。


ただ、それは饒舌になることを否定している訳ではありません。

そこで語られていることが普段から感じていること
或いは考えていることの発露である饒舌さならばいいのです。


嫌なのは、普段は興味も抱いていなかった癖に
状況に流され雰囲気だけでしたり顔で自らの知識を美談として語ること。

それはその知識を備えている己のアピールでしかないと思います。

要はその性根の汚さが嫌なんです。


考えてみれば、これは誰か特定の人が亡くなった時以外でも
何かしらの大きな事件に対しての反応でもそうですね。


後人生でもその死や事件を背負う覚悟が無いなら、ほっといて欲しい。

若しくは、静かに祈っていて欲しい。

以前にも書いたけれども、祈りや悔やみは
自らをアピールするためのものでは決してないんだから。
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by syohousen | 2011-11-24 12:33 | つれづれと | Comments(0)

この喪失感、、、

今日の夕方、立川流家元・立川談志師匠が亡くなられたことを知り、
それからというもの、少し混乱気味で言葉がうまく出てきません、、、

あまりにもショックというか、
そんな直接知り合いとかそんな訳でもないにも関わらず、
心の中は途方も無いくらいの喪失感を覚えてしまってます、、、


今はただ、素晴らしい噺の数々を与えて下さったことへの感謝の意と、
死出の旅路へと赴いた家元への心からの哀悼の意を、静かに表します、、、
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by syohousen | 2011-11-23 23:18 | つれづれと | Comments(0)

「思い付く」ということ

思うのは、「思い付く」ということは
「そのアイデアを実現させるための挑戦権を得た」ということなんだってこと。

だからこそ、そのアイデアを
思い付きのままで終わらせるのではなく、
責任を持って深めてゆく必要があるのだと思う。
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by syohousen | 2011-11-22 06:47 | ものの見方・捉え方について | Comments(0)

やる理由、やらない言い訳

やる理由とやらない言い訳って、
見る角度が違うだけであまり大差ない気がする。

別に理由を探すことが悪いって事じゃなくて、
その思考の性質をちゃんと分かってて
探しているのかどうかが大切なんだろうなーって思うのです。


また、人に理由を求めてしまう時にも
それは同様で、あんまりやる理由ばかり求めてしまうと、
知らず知らずのうちに「やらない言い訳」を
大きくさせてしまう危険も孕んでいるのだと思う。
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by syohousen | 2011-11-21 07:08 | つれづれと | Comments(0)