<   2011年 10月 ( 33 )   > この月の画像一覧

自分の意見とは対極の意見を認めた上で、

TPP問題をはじめとして、
この国のいろんな問題についての議論を聞いていて思うのは、
「推進派から見たリスク」「反対派から見たメリット」
という意見こそが聞いてみたいんだけどなって事。

大抵の場合、自分達の立場から見て都合のいいことと
相手の悪い点しか言わないからどちらの意見も眉唾物になってしまう。

自分の立場とは違った意見をちゃんと挙げて、
それでも自分はその意見ではなく今の意見を採ります、
何故ならばこういう理由があるからです、、、
みたいな意見をなかなか聞けないから
どちらの意見ものっぺりとしていてピンとこないんだよなぁ、、、


一部分だけを取り出して、
それを根拠に事態を単純化させて相手の意見を否定する事は、
結局のところ自らの勉強不足を誤魔化して
力押しで反対意見をねじ伏せようとしているだけなんじゃないかって思う。

たぶんトータルで考えられる状態であるならば、
違う視点からの反対意見がきても対応できるだろうし、
そうすれば建設的な議論にも繋がり易いと思うんだけど、、、
それを求めるのって欲張り過ぎなのかなぁ、、、
[PR]
by syohousen | 2011-10-31 21:51 | ものの見方・捉え方について

~いつものカフェでお芝居を~『カチカチ山におけるウサギは少女』

e0146986_23341586.jpg

◆◇◆STUDIO D2 vol.3◆◇◆

~いつものカフェでお芝居を~
『カチカチ山におけるウサギは少女』

【原作】太宰 治(お伽草子『カチカチ山』より)
【構成・演出】D2.Kato

【出演】野中 さやか/森田 徹/山岡 亜紀

【音響】野中 和仁
【美術】尼野 三絵
【演出助手】栂 みき太
【舞台監督】中野 祐
【制作協力】横山 真
【制作】studio D2

【会場】
《西荻窪公演》
アトリエ・カノン(西荻窪駅より徒歩15分)
《川越公演》
トライシクルカフェ(川越駅より徒歩4分)

【日時】
《西荻窪公演》
 10/28(金)…19:00~
    29(土)…14:00~/18:00~
《川越公演》
 10/30(日)…13:30~
※両公演共に開場は開演の60分前になります

【料金】
《西荻窪公演》前売:2,500円/当日:2,800円(共に1ドリンク付)
《川越公演》前売:2,000円/当日:2,300円(共に別会計で1オーダー)

【定員】各回40名

【ご予約】
prescription_voice@yahoo.co.jp宛に
「氏名、ご希望日時・チケット枚数」を明記したメールをお送り下さりませ。

※写真はアトリエ・カノン前にある「トトロの木」です
[PR]
by syohousen | 2011-10-30 13:30 | 外部団体告知情報

手間さえかければ、

以前も書いたけれども、結局、手間をかけることが大切なんだなってことを、
今回制作で関わっている公演でのお客さんの反応を見ていて実感してます。

手間さえかければ(そしてそれがちゃんとお客さんの方を向けているならば)、
決して特別なことをしなくとも、必ず反応は返ってくるものなんだろうなと思う。

それって逆に言えば、手を抜けばそれもお客さんにはバレバレってことで、
それも今回の公演で感じていることで、行き届いていない部分については
必ずといってもいいほど突っ込まれてしまうんですよね。

だから、いつでも手間は惜しまずに物事に取り組んでゆけるよう、
常に心掛けていたいなと、思っておりますわ。
[PR]
by syohousen | 2011-10-30 06:16 | つれづれと

もっともっと演劇公演は自由になれるはず、

今、自分の関わっている『カチカチ山におけるウサギは少女』は、
自分がこれまでの演劇公演であまりにも当たり前とされてき過ぎてきたものに対し
感じてきた疑問を、かなり明確な形にしてぶつけております。

別にそうしなきゃいけないって訳ではないのに、
そういうもんだから、という変な理由でだけでやってしまっているような事、
そんな妙な慣習と真正面から向き合ってます。


なので今回の公演にて行っている仕掛けの数々は、ひとつの提案のようなものです。

もっともっと演劇公演の形は自由になれるんだよっていう。

だから多くの方に体験してほしいんですよね。


もちろん作品も面白いです。

「いつものカフェでお芝居を」の通りに敷居も低く、老若男女幅広く楽しめる作品です。


昨日初日のお客さん方を見ていて、
観劇後、あんなに柔らかな顔をして家路につく事ってできるんだなと
この目でちゃんと確認できた事が嬉しかった。

それは、公演あっての作品であり作品あっての公演、
という素敵な関係が成り立っていたからこその結果だと自分は思ってる。
そこは胸を張りたい。勿論まだまだやれるはずだけど。


皆様もぜひ、ご都合つきましたならふらっとお立ち寄り下さりませ。
[PR]
by syohousen | 2011-10-29 03:01 | つれづれと

特別かどうか、よりも、

大切なのは、自らのやっていることが特別なことかどうかなんじゃなくて、
どれだけ確実に、当たり前のことをしっかりやれるのかなのかもしれない。

たぶんね、それが一番大変で難しいことでもあると思うんだ。


やっぱそういう土台の部分は、常に気にかけておきたい。

でないと歩き方、忘れちゃうかもだから。
[PR]
by syohousen | 2011-10-28 04:12 | つれづれと

不完全でもいいから、

やっぱ実際に取り組みながら考えないとアカンわなって思った。

頭ん中だけでああだこうだ考えていても、
身体が停滞しているから思考そのものも停滞してしまう。

不完全でもいいから、先ず動いてみることが大事、てかぁ。

うーん、分かってたはずなんだけど、すぐに忘れてしまうもんなんだねぇ。
[PR]
by syohousen | 2011-10-27 13:45 | 声・身体について

合わせにいくのでなく、

人に合わせにいこうとするから駄目なんだよな。

そんなことは前々から分かっていたことのはずなのに、
同じようなミスを繰り返してしまう。

ちゃんとさ、自らの真ん中から出てくる衝動と、目の前の状況、
この2つが教えてくれるものを落ち着いて見極めてゆこう。そういう癖をつけてゆこう。

でないと、これからもまた同じことの繰り返しで、いつまで経っても前進できないから。
[PR]
by syohousen | 2011-10-26 23:37 | つれづれと

10/18(火) 読み会レポ

10/18(火)18:15~21:00
【声と身体の処方箋・勉強会】『読み会』 @清沓仲通会議室・洋室1

◆使用テキスト◆
●岸田國士『紙風船』


【進行】
■フラットに読んでみる
■率直な感想

■現代口語に変換して読んでみる
■フィードバック


【ふりかえり】
先月から今月にかけて、岸田國士氏の『紙風船』をテキストとしての読み会を予定していたのだが、勉強会のメンバーの予定が皆全く会わなかったために、約一ヵ月半ぶりの開催、という訳で、今回が初の『紙風船』使用回となる。

実際に声に出して読んでみて感じたことは、一見すると何気ない夫婦の会話でしかない地味な物語であるにも関わらず、凄まじいほどに膨大な量の想像を掻き立ててくるとんでもない戯曲だなということ。
たぶん読み手によってこの夫婦の関係性が全然違って見えてくるんじゃないかなと思った。

また、試しに現代口語に変換しながら読んでみることで気付いたことなのだが、この夫婦のやり取り、現代人の感覚からすると古臭いのかなと思っていたらとんでもない、今でもこういうやり取りは普通に行っているなという風に感じることができた。
もちろん当時の生活習慣や文化の違いは頑として存在してはいるのだけれども、感性的な部分では共感できる要素が多く、ああ、普遍を描くとはこういうことなのだなと、身を以て味あわせてもらえた気分だった。

ただ、この戯曲をもっと深く掘り下げてゆくには、当時の文化や習慣、時代背景などを知っておく必要があるなと、そうも感じさせられた。
普遍的な部分が描かれた作品であるからといって、今の感覚では違った意味合いで受け取れてしまうところはゼロではないし、むしろそういうところがしっかりと描かれているからこそ、その当時の風習にどう向き合っているか、を描くことにも繋がる訳で、だからこそ時代を越えた普遍に辿り着けるのだと思う。

なので次回までに、当時の風習などについてを入念に調べておきたいなと。
[PR]
by syohousen | 2011-10-25 14:16 | レポート(勉強会)

10/23(日) 二子玉川商店街『大山みちアート&マート』 レポ

10/23(日)11:30~19:00 二子玉川商店街『大山みちアート&マート』

今回のこのイベント、もう何もかもが新鮮な体験だらけで得たものも沢山あるのだけれども、同時に悔しい思いや今の自らに決定的に足りていないものへの気付きも沢山あった。

その中でも書き残しておきたいことを、備忘録としてここに明記しておこうかと。

●人と組んで何かをやる、ということ

これまでの自分は、俳優として以外だと自分のペースで自分のやり易いように活動していることが多かったのだけれども、それだけに今回のこの「人と組んでひとつのことに取り組む」ということの難しさを思い切り痛感させられたなと、そう思った。

一番顕著だったのは、自分は一緒にやる人に対するプレゼン能力が著しく低い、という点についてで、どんなにいいアイデアが浮かんでもそれを共にやろうとしている人へ提案する際の言葉が足りなさ過ぎるのだ。

これはもう、思考が自分一人で行うことを前提にした回路になってしまっているためなのだと思う。
まあ、ずっと個人でやってきた以上、自分の案をプレゼンする機会がなかったのだからそれも当然のことなのかもしれない。

また、「実践→結果」というサイクルが当たり前の中でやってきたために、「自分の意図を言葉にして他者へプレゼンする」という行為に対しての偏見が少し混じっていたのかも、という気もしている。
それは身も蓋もない言い方をするならば、「御託はいいからやってみろ」的な発想、ということだ。

しかし、そんな考え方では人とは一緒にやれない。
少なくとも自分のやろうとしていることの魅力を共有できないのでは、一緒にやる人間にとってそれはただ「やらされている」というだけにしかならない。
そんなことを自分は強要するのか?ということである。

それに、そういう風に人にも理解してもらおうと努力してみることによって得られることだってきっとあるはずだし、そういう中からでしか見い出せないことは沢山あるんだと思う。
何より、自分一人だけでやっているうちは自分の器分のことしかやれないんじゃないかという気がする。

ならば、これからの自分が進むべき道は決まっているだろう。

今は能力が著しく低かろうと、何が問題なのかに気付けたのだから、打つ手はあるはず。

ちゃんと自分の案を人に順序立てて説明できるように、そこまでしっかりと言語化できるくらいにまで自分のアイデアを突き詰めて考えてみる癖をつけてゆくことが大事なのだと思う。

そのために必要なこととして思ったのは、自分の考えを書き記しておく癖もつけてゆくとよいのかもしれない、ということ。
どうも自分は頭の中にある考えを説明する際、話す順序などを目の前の状況や自分の精神状態によって変えてしまう傾向があるのだ。
なので自分の考えをメモなり何なりにしておけば少なくとも話す順序が狂うことはないし、もし内容をかいつまんで話さなければならないような状況であっても、視覚化されたものの中から取り出して話せばいいのでその話の要点を外す危険性は格段に減ると思う。

きっと他にもいい手段はあると思うので、しっかり突き詰めて考えてゆきたい。


●普段の自分が接している人とは違う世界の人と、普段の自分が要求されているものと近くもあり遠くもあるような向き合い方をする、ということ

今回は不特定多数の人達を対象にしており、しかも関わろうという意思を持っている人の方がむしろ少ないくらいの状況下でのイベントで、自分にとっては何もかもが未知の世界だった訳だが、同時に未知だったのは、「演劇とは違った世界の方達へ、演劇の世界の人と一緒に向き合う」というこの構図だった。
これは上に記した「人と組む」ということにも通じる発想なのかもしれないのだけれども、この構図を元にしてどうしてゆけばよいのかを考えるというのは、今の自分にとってはなかなかに難しい環境だった。

自分は演劇に関係の無い人を対象にもWSなどを行ったことはあるけれども、それでも「演劇のWSへ参加している」という認識は共有されていたし、関わろうという意思も持った上で参加してくれてもいたので、ある程度の前提がお互いの中で存在していた。

しかし今回のように演劇の世界の人を対称にしているでもなければ必ずしも演劇である必要もなく、しかし演劇の人間がやるのだから演劇的要素は必要でもある、などという状況では何を軸に据えて考えればいいのかがもう一つ掴み切れなくて、完全に暗中模索状態での関わりになってしまった。
そのためか怯んでしまう瞬間と、それに負けじと突っ張って自分でもよく分からない提案をしてしまったりの繰り返しであった。
そのため、自然体で関わることがほとんどできずにいた。

が、そんな悔しい中でもこの行動でひとつだけいいことがあるとすれば、これまでの自分であれば今回のような状況下では一歩引いたところから様子見をし、後出しジャンケンでいいところだけをさらってゆこうとしていたと思うのだけれども、そうではなく、恥をかいてもいいからちゃんと自分からも関わってゆく姿勢を保てていたことだと思う。
まあ、そうは言っても悔しい思いでいっぱいになってしまって停滞してしまっていた瞬間もあったけれども、しかし言い訳染みたことは一切せず、前を向くことだけはやめなかった。

これは自分にとってはとてもよい経験であったし、必ずや次に繋がるなと思う。


●巻き込む、ということ

今回実際にアートマ当日の現場を経験して、つくづくこれまでの自分は「用意された場所」「共通認識によって守られている場所」でやってきていたんだなと痛感させられた。

というのも、落書きの際、こちらに興味を示してくれている子供に対してはかなりすんなりと引き込むことができたし、興味はあるのだけれどもちょっと怖くて最初の一歩が踏み出せないような子供を少しずつあの場に馴染ませてゆくこともできたのだけれども、そうではない子供達、或いは大人達をうまく巻き込んであの商店街全体を訳の分からないエリアに仕立て上げるための働き掛けは全くできていなかった、というよりも、そこまで考えが及んでいなかった。
要は、受けに回るとうまくこなせるのだけれども、その性質が災いしてかなかなか攻めに回ろうという考えに発想が至れなかった、ということ。

また、子供との向き合い方も、一人ひとりに対して丁寧に向かっていたのは悪いことではないのだけれども、丁寧過ぎて場が小さくまとまってしまっていたように感じた。
その丁寧さとダイナミックさのバランスが本当に難しいなというのが率直な感想。

それらが原因なのかどうかは分からないけれども、今思い返してみると、目の前の楽しいことへ心の底から熱中して喜んで巻き込まれていた子供達と、どうしていいのかが分からない困った居住まいの子供や大人に2分してしまっていたように感じる。

まあ、別にみんながみんなのめり込んでいなければならない、という訳ではないというのは分かっているのだけれども、しかし、巻き込まれた上での選択として関わるか関わらないかの判断を下せるような状況にまで持ってゆけたら、もっとあの空間が面白いものになったんじゃないかなって気がするのだ。
もっと具体的に言うなら、「え?え?」の状態のままあの商店街を抜けてしまう人をなくしたい、ということで、あの変てこな空間に混じる判断を下す瞬間を通る人には作ってあげたい、ということ。
後から人に聞いて「あ、あれってそういうことだったのね、じゃあ参加すればよかった~」と悔しがる人を無くしたいというか。

次回はちゃんと集中するタイミングと場全体を巻き込んでゆくバランスをしっかりと心掛けながらとりくんでゆくようにしたいなと、そう思う。
そしてそのために必要な仕掛けも考えてゆかねばなと。



本当に、この企画に関われてよかったなと思うし、今後も関われることを嬉しく思っている。

しかし、だからこそ上記のようなことを一つひとつ自分の中で租借して自らの進化のためのきっかけとしてゆかねば、折角こうして生まれた縁を無駄に食い潰してしまうことになるし、間を取り持ってくれた柏木さんやプリンにも失礼にあたると思う。
そして何よりも、今回の経験をこれからに繋げることができないようでは今の自分が目指しているものへ近付くことなど到底できないと思う。
[PR]
by syohousen | 2011-10-24 23:59 | レポート(スタッフ参加企画)

二子玉川商店街 大山みちアート&マート

二子玉川商店街
『大山みちアート&マート』


(1)アーティスト・クリエイターによる、展示・パフォーマンス・ミニワークショップ。
(2)ふれあい広場では、アートフリマ・
   ワークショップ「分身のこして!~ワタシとマチを紹介しよう~」
(3)ストリートをキャンバスにする「らくがき消し隊」。前回の大好評を受け再び。
(4)【文化】アート&マート俳句大賞。落語。和楽
(5)【夜の部】ミュージックジョッキーエリア。
   幻想な夜の灯篭によるライティングでのエンディング、打上げ。

日時:10月23日(日) 11:30~16:00 17:00~19:00
場所:二子玉川商店街・ふれあい広場 他

【アート】
・アート(屋外での描画やパフォーマンス、展示など)
・アートフリマ(見て楽しい買って楽しい。アートの小物などの販売)
・ワークショップ(子どもから楽しく参加できるワークショップたくさん)
・ミュージックジョッキーエリア・夜の部の灯篭展示

【アート以外実施イベント】
・みんなで元気になろう!商店街にチョークで落書きワークショップ
・第1 回アート&マート俳句大賞
・商店街各店での特別店頭販売など・焼き物・ビールの屋台コーナー
・商店街複数個所でのフリーマーケットコーナー 他盛りだくさん。

【web】facebook内ページ
[PR]
by syohousen | 2011-10-23 11:30 | 外部団体告知情報