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「褒める」について

よく「褒めるの上手ですね」と言われるのだけれども、
それは自分的には当然のことだと思ってます。

だって自分は、本気でそう思っていなければ決して褒めないから。


そもそも、褒め言葉ひとつが
その人の人生を変えてしまうことだって十分にあり得るのだから、
それ相応の覚悟を持って褒めなきゃ駄目でしょう。

だから本気で「いい!」と思わない限りは褒めないし、
その「いい!」に対しては最後まで責任を持つべきだと思ってます。


お世辞で自らの想いの圧力を下げるようなことは
正直勿体無さ過ぎだし、無責任過ぎます。

てか、そんな生半可な気持ちで褒めても伝わらないでしょ。


で、そんな緊張感の中で褒めている訳なんだから、
説得力があって当然だと思ってますし、そこには自分でも誇りを持ってます。


まあ、色んな角度からその人の特徴を眺めてみたりとか
たしかに技術的な要素もあるんでしょうが、
そこはなんというかまあ、後からついてきたものですよ。

まずは想いがあって、というのは人を褒める際には
大前提としてあるべきことなんじゃないかなーって思います。
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by syohousen | 2011-06-30 22:59 | ものの見方・捉え方について | Comments(0)

6/28(火)「桜美林大学アウトリーチWSデモ」レポ

6/28(火)18:30~ 桜美林大学アウトリーチWSデモ @プルヌス201号室

■リーダー:吉田彩乃

【進行】

0.好きなものマップづくり
1.自己紹介(自分の名前と呼ばれたいあだ名)
2.好きなものマップ
3.2人1組になってお互いの自己紹介→全体に向けて他己紹介
4.黒い箱の中に入ったものに触れてみてその感触をようすのことばで表現してみる
5.絵本→ようすのことばを選ぶ、言う
6.好きなものをようすのことばで表す→他人のようすのことばを味わう
7.今日全体のふりかえり

【ふりかえり】
縁あって桜美林大学のアウトリーチ活動へ向けての実験的な場としてのWSデモへと参加させて頂きました。
アウトリーチ活動に関しては以前から興味があったし、今の自分が目指しているものから言って今後はどこかしらで自分もこういった取り組みには携わってゆくことになるだろうなと考えていたので、このような機会を得られたことは本当に有り難かったです。

が、それ以上に、今回のWSのファシリテーター(WSリーダー)であった彩乃ちゃんのWS進行の在り方から自分はとても多くのことを学ばせてもらえたものでして、結果的にはそれが今回のWSでの一番の収穫だったなと感じてます。

彩乃ちゃんの何がそんなに素晴らしかったのかというと、徹底して「好き」を貫き通すその姿勢で、しかもその「好き」は決して押し付けがましい訳でもなく、その身体の奥底の方から湧き上がってくるような揺るぎ無いパッションのようなものによって場そのものが巻き込まれてゆくような感覚にさせてもらえた点。
当人がどこまで自覚しているかは分からないのだけれども、彩乃ちゃんが自らの好きなものについてを語っている時は身体がとてもオープンな状態になっていて、たとえ聞いている側がその「好きなもの」を100%理解できなかったとしてもその身体の状態につられてふと気付いた時には自然と耳を傾けようという身体になれていたんじゃないかなと思います。
たぶん、それがあの場にポジティブな循環を生み出していたんじゃないのかなーって、そう思うんです。


実はこの感覚、どこかで体験したような気がしていて、一体誰のWSの時だろうなと考えてみてふと気付いたんですが、新国立劇場ヘッドコーチの池内さんのWSを受けた時の感覚に近いんじゃないかなって気がします。
池内さんのWSって、物凄く巻き込まれている感が強くて(勿論いい意味で)、説明も最低限しか行っていないにも関わらずいつの間にかその場への居方のようなものを身体で得心させてくれる印象があるんですよね。
そして何がすごいって、同じような内容のWSを別の場で行っても、その場で初めて生まれたエクササイズのような感覚にさせてくれたりもするんです。


や、で、何が言いたいのかというと、別に池内さんを目指せばいいとかそういうことではなくて、あそこで見せてくれた溢れ出てくるようなパッションというものは十分武器になり得るものなんだ、ということなんです。
だからそこは今後も活用してゆけるのではないか、と思ったのです。

そしてそれは自分にも当てはまる話だろうなと、今後の自らの活動の場でも利用できるだろうなと。

ただ、自分には彩乃ちゃんのようなことは絶対にできないです。
あれは彩乃ちゃんの呼吸だからこそできることであって、自分の呼吸では同じことは不可能だと思います。
しかし自分のやり方に合わせてうまく組み込むことは可能だと思うので、ここでの体験は今後活用できるよう考えてゆこうかと。


色んなタイプの進行のさせ方があるんだなと、改めて実感させてもらえたいい時間でした。

まあ、そうは言っても形式にとらわれ過ぎてしまうとよろしくない結果を招いてしまうこともあり得るので、あまりそこについてこだわるよりも、とにかく全力で場に飛び込んで人と向き合ってゆくことが大前提としてあった上でのタイプというか傾向なんだってことは忘れちゃならないんだけれども。

また、対象とする人達によっても変わってくるだろうから。


WSの内容的にも「ようすのことば」という素材には大きな可能性を感じるし、きっと仕掛け次第では色んな世代へ向けたプログラムが組めるんじゃないかと思います。
自分も擬音などを用いたエクササイズや今の身体の状態を擬音・擬態語で言ってもらったりするものは行ったことがあるけれども、ああいった形でのアプローチの方法はとても新鮮だったし、深みが違ったなと。

もしかするとそれってその扱うものに対する「愛」の大きさが影響しているのかなって思ったり。

自分も結構擬音に対してはこだわりがあるんだけれども、彩乃ちゃんのあのようすのことばに対しての情熱には敵わないなって、感じてしまったくらいですから(笑)

でも、そういうことって馬鹿にできない。
きっと、そういうものが人の心を動かすんだと思うから。


や、負けてらんないなと思いましたわ。


とても楽しい有意義な時間を過ごせました。
今後も機会があれば是非参加してゆきたいし、関わってもゆけたらいいなと思ってます。

本当に、ありがとうございました!
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by syohousen | 2011-06-29 19:42 | レポート(外部受講) | Comments(0)

分かんないけど、

はっきり言って今の自分が
前進できているのかできていないのか、全然分からない。

でも周囲の状況も流れもかなり変わってきているのは分かる。


だったらもう、自分の選んだ事柄についてを
とにかく「やりきる」ことに集中してゆこう。

足を前に出し続けることを止めないでゆこう。

たとえ進む方向がズレてたって、
歩いたことの経験はなかったことにはならないんだから。
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by syohousen | 2011-06-28 14:22 | つれづれと | Comments(0)

人の問題だよ

なんか、原発の安全性にばっかり注目して
色んな人達がああだこうだ言ってるけど、
そもそもさ、どんなに安全な原発作ったって
運営している人間が変わろうとしてないんだからいずれ同じ事繰り返すでしょ。


システムを変えることは
たしかに過ちを防ぐための有効な手段であるのだけれども、
それだけで過ちがなくなる訳じゃない。

やっぱり“人”の問題なんだよ。
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by syohousen | 2011-06-27 06:24 | つれづれと | Comments(0)

6/22(水) 寺子屋レポ

6/15(水)18:00~21:30
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋』
@清沓仲通会議室・洋室1

【進行】
■今、身を置いているこの場についてを言葉にしてみる
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×3

■右腕の腕先から徐々にその範囲を広げ最終的には肩甲骨から先の全てを揺すってみる
→フィードバック
→左腕でも同様のことを行う
→フィードバック

■仰向けに横になって、手足の指先からその範囲を徐々に拡げつつ、脱力⇔緊張を繰り返してみる
→最終的には全身にまで範囲を拡げてみる
→身体に無理のない状態で、立ち上がってゆく
→フィードバック

■表情筋のトレーニング各種
→舌・唇のトレーニング(滑舌に関する動きや感覚も含めて)

■全身の脱力⇔緊張
■スタチュー
→様々な空間イメージを持ちながらスタチュー
→フィードバック

【ふりかえり】
今回は、劇体験を想定した実践的な内容のエクササイズは敢えて行わず、徹底して身体と向き合うための時間を設ける進行とした。
先日自分も参加した『芸術家のくすり箱セミナー』で度々耳にし、大いに共感したこととして「トレーニングとレッスンは違う」ということが挙げられるのだけれども、今回の寺子屋ではその点についてをかなり強く意識して臨んでみたのだ。

普段の稽古だけではどうしても培ってゆくことの困難な「基礎体力」を如何にして補ってゆくのか。
また、近い将来、年齢と共に衰えてくるであろう肉体を如何にして維持してゆくのか。

そういったことについてを日頃から意識していられるかどうかは、今すぐには分からないのかもしれないけれども数年後、その積み重ねが大きな差となって表れてくるのではないかと思う。

もちろん、基礎訓練はあくまでも基礎であって、それだけでどうにかなるようなものではないのも確かで、でもだからこそ、こういった基礎的な訓練は当たり前のこととして、常日頃から少しずつでもいいので継続して行ってゆくようにしていって欲しいなと。
土台が不安定な状態では、その上に乗せられるものも当然限られてくる訳で、それは勿体無いことだと思うから。
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by syohousen | 2011-06-26 21:44 | レポート(主催) | Comments(0)

その前に、やることあるだろが

復興税を導入する前に、義援金の問題をどうにかしてくれよ。

被災地への直接寄付を困難にさせている
今の日本の税制を一時的にでもいいからどうにかしてくれよ。


オリンピック誘致を考えてる某知事にしてもそうだけどさぁ、
「復興」って言葉は偉い人達のエゴを実現させるためだけに存在する
免罪符なんかじゃないんだってことを分かれよ。馬鹿にすんな。
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by syohousen | 2011-06-25 22:28 | つれづれと | Comments(0)

分かればいいのか

何でもかんでも「分かる」世界ってどうなんだろう。

「分からない」があるから「分かる」が尊いんだと思うんです。


誰だって他者のことは分からないし、
だからこそ知りたくなるんじゃないかなって。

他者の考えていることなどが何でもかんでもつまびらかにされてしまったら、
それはつまり、1人で生きていっても問題なくなってしまうんじゃないか。

でも寂しいですよそんなの。


たしかに分かろうとする努力は必要なことなのだけれども、
分かることが絶対的に正しい、ということではないんだってことも
同時に心得ておくべきなような気がします。

科学の世界とかでは、特に。


もちろん「分かる」ことで幸せになることもあるとは思います。

が、「分かる」信仰の行き過ぎは、
世の中を不幸にしてしまう危険の方が多いんじゃないかなと。


ただ、世の流れは止められないんだろうなぁ、、、とも思ったり、、、
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by syohousen | 2011-06-24 11:04 | つれづれと | Comments(0)

時間って、

時間って、ほんとに優秀なリトマス試験紙なんだなーってつくづく思う。

いくら表面だけを飾り立てていても、いとも簡単に暴き立ててくれる。


だからまあ、安心して自らの信じる道を
確実に一歩ずつ歩んでいけばいいのかもって、そう、思ったよ。
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by syohousen | 2011-06-23 22:25 | つれづれと | Comments(0)

6/21(火) 読み会レポ

6/21(火)18:00~20:30
【声と身体の処方箋・勉強会】『読み会』
@久我山会館・第3集会室

◆使用テキスト:土路生真隆『motion picture soundtrack』

【ふりかえり】
今回は、劇作を中心に活動している方が参加して下さったため、これまでとはまた違った視点からの意見が出てきてとても面白い有意義な話が交わされたなと感じた。

役者だけで戯曲を読んでみて感想を言い合う場合、どうしても「自分だったらこの役とはこう向き合ってゆくかな」とか「どうしたらこの戯曲を面白く成立させられるか」とか、テキストそのものへの提言的な話よりもこのテキストをどう料理してゆこうか、という発想での意見になってしまいがちだ。
もちろんそれは悪いことではないし、基本的にはそのように創作へと取り組んでゆくような現場が多い訳だからそういった傾向になることは自然な流れだと思う。

しかしそこに作家目線が加わることで、これまで絶対的な存在(のようなもの)であったテキストも、舞台作品のを構成するひとつの要素でしかなく、別に戯曲が上だとか役者が上だとか、そんなことはないのだということに皆気付かせてもらえたために、話す内容に拡がりが生まれたように思えた。
要は、「テキストありきの意見交換」という前提が崩れ去ったという訳だ。

なるほどなと。

ひとつでもそれまでとは異なる視点が混じることで、その場で交わされる意見や生まれてくる発想は全くの別物(但しそうはいってもそれまでと地続きではあるのだけれども)になってくるのだなと、そう実感させられた有意義な時間であった。

きっと、こういう感じで今後も役者以外の視点を持つ方々が参加できるような環境を作ってゆけたなら、この読み会という場もより意義深い取り組みとなれるのだと思う。


しかしそれと同時に、進行を務める側からのアプローチの仕方も少しずつ見えてきたような気がする。

毎回先に書いたように様々な視点を持った方々が1人でも多く参加してもらえたならば最高なのだけれども、勉強会の現状を見ている限りではそれはまだ難しい話ではあるなというのが正直なところだ。
なので参加メンバーの構成に左右されない有効なアプローチ法も進行役としては考えてゆかねばならない。

これまでのように、極力こちらからは干渉し過ぎないようなるべく自由に話してもらえる環境づくりを心掛けて進めてゆくのは、たぶん様々な視点を持った方々が集まった際に採るべき方法なのかもしれない。
意見の違うもの同志が集まったならば、別にこちらから何か特別な仕掛けを設けなくても話はどんどん展開してゆくのだろうから(もちろん意見を出し易い環境はつくらねばならないけれども)進行役は完全に黒子に徹していればいい。

しかし役者だけ、というように同じような視点を持ったメンバー構成の場合には、少なからずこちらからの仕掛けを用意しなければなかなか話が展開してゆかず、単発での思い付きの話をいくつも並べてゆくだけの時間となってしまうのだと思う。
まあ、それでもたまには発見の多い有意義な会話に発展する可能性もあるかもしれない。
けれどもそれではあまりにも運任せだし、ただ何となくの会話が延々と続いてしまう可能性が非常に高くなってしまうだろうから、時間の過ごし方としてはとても勿体無い。

なので、例えば問題提起をしてから読んでみるとか、こちらが参加者とは違う視点を意図的に持って意見交換の際に意地悪な質問(別に意地悪でなくてもいいけれども)をしてみるとか、或いは読む際に参加者に「試しに○○の視点で読んでみて下さい」とか、何かしらの負荷をその場なり参加者なりにかけた状態で臨んでみるとよいのかなと、そう思った。
まあ、それもやり過ぎてしまうとある一定の方向へと場の意見を進めてゆかねばならないような変な引力がその場に生まれてきてしまう危険性もあるため、バランスが大事なのだとも思う。

いずれにせよ、これからは何かしらの変化を加えてゆかねば、惰性だけで何となく行っているつまらない集まりになってしまうだろうから、この会の持つポテンシャルは常に引き出しきるつもりで毎回臨んでゆくようにしたい。
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by syohousen | 2011-06-22 13:20 | レポート(勉強会) | Comments(0)

いい大人でしょうが

ただただ与えられたものに対して不満しか言わない人ってのは、
どんな環境にその身を置いたとしても何かしらの不満を抱いて
ああだこうだと文句ばかりもらし続けてゆくもんなんだなぁ。

でも、世の中うまくいかないことの方が多い訳で、
大事なのは、そのうまくいかないことと
如何にして向き合ってゆくかなんじゃないか?


まあ、とはいっても自分の居心地のいい場所以外では
何もしたくないって人がいたって別に全然構わないよ。

構わないけどさぁ、でも、そうであるならば
その居心地のいい場所で大人しくしててくれよ。

自分は外へ出て行きたがらないくせに、
自らの価値観にそぐわない人達へ何だかんだとケチをつけたりして
足を引っ張るとか、いい大人がやることじゃないだろ、頼むよ、ほんとに。
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by syohousen | 2011-06-21 12:18 | つれづれと | Comments(0)