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2010年の大晦日を迎えて、

ふりかえってみると、今年は自らのこれからに繋がるような貴重な出会いや発見の多い1年であったような気がする。

特に後半の2ヶ月は、積極的に色々な場へと出てゆくことを心掛けたためかだいぶ視野も拡がり、己のこれから目指すべきものの方向性というかビジョンが具体化されてきた実感がある。
演劇以外の取り組みにも機会さえあれば参加するよう意識しつつ新たな場へと飛び込んでいったことも功を奏したようで、結果、他の業界と演劇界とを相対化して考えられる視点が多少なりとも身に付いてきたように思う。


しかしまあ、そうはいってもまだまだ全然演劇のことも社会のことも自分は知らなさ過ぎるなということは自覚しているので、今年得たこの実感を無駄にすることなく今後に繋げてゆけたらなと思っている。

例えば法律や税制関係の知識にしても、芸術周りの知識を云々する以前に一社会人としての知識すらも自分は無知と言っていいくらいのレベルであるというのが正直な話だ。
また、これまで芸術や文化が歩んできた歴史、自分がこれから活動してゆこうとしている地域についての歴史、もっと言うならばこの日本という国の歴史自体も自分はまだまだ知らない。

これは芸術に携わる人間としては恥ずべきことなんじゃないか。
特に、演劇が社会と如何にして向き合ってゆくかということについて考えてゆきたいのであれば、上記のようなことは知っていて然るべきことであるはずだ。

このようなこと、本来ならば今更何を言うのかとお叱りを受けても仕方のないようなことだと思う。
が、たとえ今更であったとしても、自分にはそこに気付いた今を出発点にしてしか行動することはできない。
だからこそ躊躇わずに、そして年が明ける明日からなどと言わず今すぐにでも知ってゆくことへ全力を尽くしてゆこうと思う。


また、せっかく繋がりが拡がってきたのだからそこから連鎖的に起こるであろう繋がりをしっかりと逃さずに、己の世界を拡げてゆく努力を心掛けたい。

それと、身体も鍛えておかねばなと。
まだまだ俳優としての活動も続けてゆくつもりなのだから、常に自己鍛錬は怠らぬようにせねば。



さて個人的な話はそこまでにして、この『声と身体の処方箋』の方へと話を移すと、今年は昨年の我慢が少しずつではあるけれども成果となって表れ始めてきたような気がしてきている。

勉強会にしても、発足したての頃のあの開店休業状態から毎週の開催を見込めるようになったし、また、寺子屋を始めるようになってからというもの、WSを継続開催することによって単発のWSでは得られなかった発見を参加者指導者お互いに得ることができるようになった実感があったりもする。

自分としても、最初の2年程度はあまり大々的な告知などはせず、自らの手で確実に賛同者を増やしてゆくことを大事にして人を集めようと考えていた。
目に見えた分かり易い結果を追うのではなく、地に足を着け、自分を信じてくれる人一人ひとりと徹底的に向き合うことをしたかったからだ。

たしかにそれは非常に効率の悪い作業であったと思う。
しかし、大量に人を集めてその中から自分についてきてくれる人だけと向き合うようなやり方だけは絶対に行いたくはなかった。
そんなやり方では自らの成長に全く繋がってこないことは分かっていたし、何より自分が目指すところには決して辿り着くことができないと思っているからだ。

自分が目指しているのは、そんなちょっとした効率を考えることで手に入る自らの活動の安定などでもなければ自分にとって都合のよい人間を身の周りに集めていい気分になることでもなくて、演劇という世界の入り口である玄関部分、つまりはいの一番に社会と出会う部分を整理整頓するというものである。
これまでは、その土台作りとして必要な作業を行っているのであり、また、人を招くための下準備を行っている段階でもあった訳だ。

が、そろそろその準備期間にも一区切り付けるべき時がきたのかもしれないなとも思っている。

これまでのやり方からもう一歩踏み出してみなければ、そう遠くないうちに自分の活動は長い停滞に見舞われてしまうだろうなという予感があるからだ。
予感、というとずいぶん曖昧なように聞こえるが、自分の中ではちゃんとした理由がいくつかあった上での予感でもあって、例えば、賛同者の方々がいくら自分のことを信じていてくれるとは言っても先行きの見えない中ではその信頼も徐々に薄まってしまう可能性は否定できないし、同じような状況が続いてしまうことによって自分を含めた各メンバーの発想が硬直してきてしまう危険もあるかもしれない等々、その予感を裏付けるものを上げようとすればいくらでも浮かんでくる。

だからこそ、ここらで何かしらの変化を加えねばなと考えているのだ。

まあ、そのための手は既にいくつか考えてあって、それらの準備をこの年末年始の時間に余裕がある時に行っていたりする。
とはいえそれらの手がうまくいくかは分からない。
分からないけれども、今のこの活動には何かしらの変化が必要なのは分かっているのだから、とにかく動いてみることから始めてみようと思う。
たとえ今用意している手が失敗に終わったとしても、事態には何かしらの変化が生まれてくるかもしれないし、その失敗から何かしらの発見を見出せるかもしれないのだから。



、、、なにやらだいぶ長くなってしまったけれども、それだけこの1年がこれからの自分にとっての大きなきっかけに満ちた1年であったのだと思う。

来年の自分がどうなるか。
そんなことは一切分からないけれども、それでも自分は己の信じる道を歩み続けることに全力を尽くし続けると思う。


あと少しで新年を迎える訳ですが、色んな人と関わってくる中で今の自分があるのだということ、そしてその事実に対する感謝の気持ち、それだけはやはり忘れずにいたいなと思っております。

皆様、今年も1年、本当にありがとうございました!よいお年を!
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by syohousen | 2010-12-31 16:15 | ふりかえり | Comments(0)

12/28(火) 読み会レポ

12/28(火)18:00~21:30
【声と身体の処方箋・勉強会】『読み会』 @新宿コズミックセンター・小会議室

◆使用テキスト:別役実『天才バカボンのパパなのだ』

【ふりかえり】
今年最後の読み会は、来年へ向けての課題がより浮き彫りになったものとなった気がする。

まだまだ場をうまく回すことはお世辞にもできていない。
それはこちらからの働き掛けの方向性や突っ込み具合の匙加減が掴みきれていないのが大きくて、今回の場合は一人ひとりに気を遣い過ぎてしまったがあまりに話の軸が定まり切れず、場当たり的な浅いところでの話題に終始してしまっていた。

思ったのは、進行役である自分の中ではある程度の話題のトピックの優先順位を設けておいて、自然と場の話が盛り上がっていたらその流れに任せてあまり手を加えないようにして、逆に不活発に感じたらこちらからその予め用意していたトピックの中から場の人達が引っ掛かってくれそうな話題を提供してみるのがいいのかもしれない。

但しそれもやり方を考えなければ「話題を提供されなければ話ができない」というあまりよろしくない集団の形を生んでしまう危険性を孕んでいるアプローチの仕方ではあると思う。
だから大事なのは、こちらから話題を提供するのは「集団での話題づくりの回路を構築する」という目的に沿ったようなやり方で行ってゆくことなのではないかと、そんな気がする。

別に何を話してもいいのだからどんな些細な思いつきのことでも口に出していいんだと、そんな風に思ってもらえるような場作りが必要なのかもしれない。

ここら辺の発想の持ち方も、たぶん創作を目的としている状況とは違ったものなのだと思う。
創作を目的としている方がかえって共通の目的があるために話題を作り易く、また、「演出」という指針があるから同じ方向も向き易いからだ。

しかし思うのは、目的を共有していないと何もできないのでは、その集団の発想に拡がりをもたらすことはその集団のトップの人間以外にはできないということになるのではないか。
そしてそれではトップの人間以外は誰であっても差し替え可能な人間の集まりということなのではないか。

まあ、集団にも色々な形があるので必ずしもそうであるとは言わないけれども、とはいえ未開で何もない荒涼な土地へ自らの手で鍬を入れ開拓してゆけるような人間であった方が、おそらくは属する集団へもたらすものも多いだろうし、場所が変わっても活躍の場を容易に見出すことができると思う。

自分は、その受け身ではない開拓者精神のようなものをこの読み会の参加者一人ひとりに持ってもらいたいなと思っているのだ。
日本人は議論下手と言われているが、たぶん、こういう発想の習慣を持った人間の不足もひとつの要因なのではないかという気がする。

もちろん、それは非常に難しいことではある。
しかし、これを身に付けることができたなら、業種を問わずどんな環境下でも生き残れるような逞しさを手に入れることができるのではないか、そう思うのだ。
だからこれからも我慢し続けるし、しかし我慢だけではなく、そういった発想の習慣を身に付けられるための何かしらの手は打ち続けてもゆくつもりだ。


たぶん、それをこの読み会の参加者一人ひとりができるようになった時、ここでしか得られないような発見が次々と生まれてくるような場になってくるのではないかと思うし、ここのメンバー一人ひとりの活躍の場も増えてくるのではないかとも思う。
こんなこと一朝一夕には果たし得ないようなことではあるのだけれども、目指すならそれくらい困難なことの方がこの活動の意義もあるというものだ。



さて、この読み会を以て本年の『声と身体の処方箋』の活動の一切が終了致しました。

関係各位の皆様方、1年間本当にありがとうございました!

なお、年明け後最初の活動は1月5日(水)の寺子屋となります。
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by syohousen | 2010-12-30 20:41 | レポート(勉強会) | Comments(0)

否定からでも、肯定からでも、

ある物事に直面した時、
否定から入っても肯定から入っても学びは得られるけれど、
否定から入った時の学びは自分の発想に沿っているものが、
肯定から入った時の学びは自分でも思いもしなかった
意外なものが多いように感じる。

だからどっちがいいとかでなくて、
大事なのはそのバランスなのかなって思う。


ただ、発想の広がりは明らかに肯定から入る方があると思う。

何故なら、否定の根拠は自らの世界観を元にしているから。


でも、何でもかんでも肯定してしまうっていうのも
それはそれで危険な発想で、疑いを持つという発想も
心のどこかに常備していなければならないと思う。
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by syohousen | 2010-12-29 16:29 | ものの見方・捉え方について | Comments(0)

12/27(月) ふりかえりの会レポ

12/27(月)18:00~『ふりかえりの会』@Putali CAfe

年の瀬であるからなのだろうか、今回のふりかえりの会は、これまでのことを振り返ることよりも、来年へ向けての展望のようなものを語る時間の方が圧倒的に多かったように感じる。

特に、この勉強会のことの将来のあり方についての話を3分の1以上していた気がする。
まあ、それ自体は決して悪いことではなかったなと思っていて、別にそうしようと考えて話題をそちらに持っていった訳ではなく自然とこれからの話に移行してしまっていたのだから、それはつまりこれからに繋がるようなよい過ごし方を今月はできていたことの表れであったのではないかと思う。

ただ、そうは言ってもいいことばかりではなくて、当然課題・反省点も沢山あった。

一番の課題だなと感じたことは、1ヶ月を振り返る際、その期間中に充実を感じられていた人は特にこちらから何を聞くまでもなく自分から話が次々と出てくるのでこちらとしては最低限思考の交通整理的な働き掛けを行うだけで沢山の発見が得られるのだけれども(むしろ下手にこちらが手を加えてしまうと思考の循環が堰き止められてしまう危険性もある)、そうでない人、要はこの一ヶ月という期間中にその度合いに差はあれど停滞を感じてしまっていた人は振り返ってみてもなかなか言葉が出てこなかったり、たとえ出てきても全てが単発の発言で終わってしまって思考がうまく回らなかったりしてしまう傾向が見られ、そこへどう対応してゆけばその人からこれからに繋がる発想を引き出すことができるのか、という点である。

まあ、この点については一晩置いてみて冷静にあの場での話の転がり方を振り返ってみたらある程度対策はもう浮かんできていて、例えば、「この1ヶ月間の自分の過ごし方というのは、自分にとってどうだったのか」とか「この1ヶ月を踏まえた上で、これから自分はどうしてゆきたいか」とか、事実を事実のまま受け止め、その目線をこれからへと向けられるよううまく促してあげられるようにしてゆけばいいのだと思う。

まあ、そんなことは基本中の基本だし、いつもの自分ならば普通にやれていたことなのだけれども、何故か昨日はその視点が明らかに欠けていた気がする。

もしかすると、少し自分は浮き足立っていたのかもしれない。
これからに繋がってくるような出会いや、今後の展望がはっきり見えてきつつある実感が、自らの足元への意識を疎かにさせてしまっていたのではないだろうか、、、

しかし昨日も書いたが、まだ自分は何かを成したわけでもないし、まだ何者でもない。
だいたい、周りの状況によって自らの軸がふらついてしまうようなやわな志しか備えていなかったのかと、だとしたら情けないにも程があるだろう。

今年も今日を含めてあと4日で終わる。
年が明ける前に、甘ったれた自らの性根を今一度叩き直してゆきたい。
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by syohousen | 2010-12-28 11:25 | レポート(勉強会) | Comments(0)

少しずつだけれども、流れが変わりつつある

昨日、思いもよらぬ偶然の出会いがあった。

そしてその偶然は、
もしかすると今後に繋がるものと
なるのかもしれないような偶然であった。


これまで、なかなかうまくいかなくても我慢して
己の信じる道を歩み続けてきた訳だが、
ここにきて、ようやく少しずつではあるけれども
自分の周辺の流れが変わってき始めたように感じている。

が、そうは言ってもまだ自分は何にも成してはいないし
やらねばならないことも沢山ある。

それだけに、しっかりと地に足を着けて
これまで以上に力強い足取りを心掛けつつ
己の信じる道を歩んでゆくようにしたい。
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by syohousen | 2010-12-27 11:40 | つれづれと | Comments(0)

己が将来、

これまでにも何度も言っていることなんだけど、
やっぱり“型”というものは手段なのであって
それが結論なのではないのだと思うんです。

自らの安心のために型を利用するのは、
結局のところは自らを甘やかしているだけで
これからには何も繋がってきません。


しかし、そういうことを頭では分かっていたとしても、
実際に何かを行おうとすると型に頼ってしまう人って多いように見受けます。

これは個人的な考えなのだけれども、
そういう人に足りないのは「美学」とか「志」のような
己の理想へと向かうための信念のようなものなんじゃないか。

だから自分に甘くなっても
そのことに無自覚でいられるんじゃないかなと思うのです。

逆に己の信念に対する切実さがあれば、
自らに言い訳を許す余地を残していること自体が
これからの自分にとって命取りになりかねないことを
本能的に理解できているから、
たぶん己の甘さに対して物凄く敏感になる気がします。


つまり、自分に厳しい人っていうのは
別に自分に厳しくしたいからそうしているのではなくて、
そうしないと己の志を果たせないから
必然的に厳しくなってしまうんだってことなんだと思います。

しかもそれが一生かかっても叶えられるかどうか
分からないような高い志であるのならば、
「これさえやっていれば大丈夫」などと安心している暇などないはずで、
「どうしたら今より向上できるか」と先に見出したものを叩き台にして
更なる成果の上げられる手法を求め努力を重ねてゆくんじゃないでしょうか。


「これだ!」いうものを見出し、しばらくの間はその手法でうまくいっていたのに
ある時を境にしてその手法では全く前進することができなくなってしまった人。

または「どうしても自分に甘くなってしまう」と感じている人。

そういった人は、己が将来どういった存在になりたいのか、
どのようなことを成したいのか、ということを見つめ直してみるのが
一見遠回りに見えるけれども、効果的なのではないかなと思います。
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by syohousen | 2010-12-26 13:51 | ものの見方・捉え方について | Comments(0)

なぜ、交われないのだろうか

「日本では芸術や文化に対する理解が低い」
という愚痴ばかり聞こえてくる場所もあれば、
「芸術家の人達を支援したい」
という意思の人とばかり出会う場所もあったりする。

お互いの利害は一致しているはずなのに
この両者がうまく交わることのできる場所が
なかなか見られないのは一体何故なのだろうか。

そして、そういった矛盾を感じることのできる状況下へ
身を置いている自分には、その事態に対し一体何ができるのだろうか。

他人事ではない、切実な問題として考えてゆかねばなと、改めて思う。
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by syohousen | 2010-12-25 15:54 | つれづれと | Comments(0)

乱戦の中でしか、

時には
どっちか、とか、どれか、じゃなくて、
どいつもこいつも、ってな感じで、
ぐちゃぐちゃの乱戦になってしまうことがあってもいい。

その中からでしか見えない、
それぞれをより生かす道筋ってのもきっとあるはずなんだから。
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by syohousen | 2010-12-24 22:00 | つれづれと | Comments(0)

12/22(水) 寺子屋レポ

12/22(水)18:00~21:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋』
@岩戸地域センター・和室A

【進行】
■この一週間のフィードバック
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×3周

■二人一組で肩揉み
■個々人に別れ、身体の各部位を色々なアプローチを用いてほぐす
■椅子を利用して足を中心に刺激を与えてみる
■二人一組になり、相手の骨盤に手をあて、そこから波動が全身へと伝わってゆくように揺すってみる

◆休憩

■自己実況①(フラットな状態で)
■各自楽な姿勢になり、3分の間、ひたすら音に対してのみ集中してみる
→何が聴こえていたのか、フィードバック
■自己実況②(聴こえてくる音のみを言語化させてみる)
■自己実況③(再びフラットに)

■写真で妄想×2
■パイプ椅子で妄想
→同じ型の他の椅子と何か見え方が違っているかフィードバック


【ふりかえり】
今年最後の寺子屋。

という訳で今回はたまった身体へのダメージを解消、とまではいかなくとも、ある程度軽減させられた状態にして一年を締め括りたいなと思い、前半はとにかく自らの身体へ「おつかれさま」と労わってあげるようなエクササイズを中心に行ってみた。
そうした上で、しばらく間が空いてしまう年末年始の期間中でもふと気が向いた時に行えそうな、しかし発見は多い、そんなエクササイズを後半に盛り込んでみた。


最近、つくづく思っているのだが、自分はこういった俳優指導の場において、俳優としての技術やノウハウの伝達などということを行う気は微塵も持ってはいない。
なので今回も、各エクササイズ毎に答えを与えるような終わり方にはせず、各人の今後へ課題を出すような形で終わらせるようにした。
たぶん、自分のWSを受けた方ですっきりとした気持ちで終わりを迎えられるようなことってないんじゃないかなって思っているし、そんな形で終わりを迎えて欲しくもない。

では、参加者の方々に何を伝えたいのか、持ち帰ってもらいたいのかというと、「物事に対する多様な見方を体験してみることで、自らの習慣に変化を与えられるきっかけとして欲しい」ということ、それのみである。
「習慣」というものの重要性に気付いてもらい、何か行き詰まりを感じた時などに己の習慣を省みてみて、必要とあらばその習慣そのものに変化を加えられるような効果的な仕掛けを打てるようになれれば、俳優としての寿命は飛躍的に伸びるだろうし、何より俳優訓練の機会に決して困らなくなるのではないかと自分は思っているのだ。

但し、そのような発想を身に付けられるようにするためにはそれ相応の時間がかかってしまうだろうと思う。
即効性もなく、地道な努力の積み重ねになるだろうから、精神的にもかなりの忍耐力を要求されるとも思う。

だから自分にとっては、WS中は思い切り楽しんで欲しいのだけれども、すっきりとした満足感を得た状態で帰路につかれてはならないのだ。
何故なら、歩みを止められてしまっては困るからだ。

そもそも大した労力もかからずに手に入れられる技術なんて、結局は誰にでも手に入れられるものでしかないんだということは、少し考えてみれば分かることだ。
そんなお手軽な技術では、どんなにうまくやりくりしていたとしてもいずれ限界がくる。
ならば、多少時間がかかろうとも、自らで考え、自らの手で新たな発見を見出せるような思考回路を作り出すことができた方が最終的には有利になってくるんじゃないか。
そして、そういったものの考え方ができるようになったならば、たとえ何かしらの事情により俳優を離れ他の世界で生きてゆくことになったとしても、その先の場所でも応用の利くような、一生ものの財産になるんじゃないかと思うのだが、どうだろうか。


自分は、そうであると信じている。
だから今後も、その信念の元に己の進むべき道を見極め、邁進してゆくつもりだ。
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by syohousen | 2010-12-23 10:56 | レポート(主催) | Comments(0)

12/21(火) 読み会レポ

12/21(火)18:00~21:30
【声と身体の処方箋・勉強会】『読み会』 @岩戸地域センター・和室A

◆使用テキスト:別役実『天才バカボンのパパなのだ』

【ふりかえり】
まだまだ匙加減は難しいなと感じるものの、徐々に場の進め方のようなものが見えてき始めているなと感じている。
話題の振り方にしても、どのようにして参加者の方々の歩む道を整備してゆけばよいのかについてが掴めてきた気がする。

但し場の話の転がり方についてはコントロールしようとせずにそれを行えるようにはしたいなと思っている。
コントロールはしないけれども、野放図にはさせない。
そんな絶妙なところを狙ってゆきたいのだ。

でないと結局は創作の時と同じような話題に終始してしまうし、それでは「創作を目的としない」という前提の意味がない。
むしろその前提がマイナスの要素を生んでしまうことになっていってしまうと思う。

ただただ言葉と戯れる、そんな行為の中から生まれてくるものを、この読み会を通じて見出したいと自分は思っている。
しかしそのためにはある程度の秩序も必要であるのも事実で、今回は全体の進行的にはそのバランスがよかったとは言い難い内容ではあったものの、部分部分で見てみれば今後に繋げられるようないい選択ができていた瞬間がいくつもあったので、それらをうまく整理整頓し、これからの進行の精度の向上に繋げてゆけたらと思う。


あと、本来は今回の開催までに作家さんの資料や関連資料を揃えておこうと考えていたのに、体調不良やら何やらでそれができなかった。

それは大いに反省すべき点で、同じことは繰り返さないよう気を付けたい。
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by syohousen | 2010-12-22 13:56 | レポート(勉強会) | Comments(0)