<   2010年 11月 ( 30 )   > この月の画像一覧

「真実の~」とか、「本当の~」とか、

よく「真実の演技を身に付けたい人のために!」とか
「本当の自分に出会いたい人大募集!」とか
そういった謳い文句のWSを目にすることがあるけれども、
あれは一体どういうことなのでしょうか、、、?

実は(や、実はも何もないんだが)、これまで自分が生きてきた中で、
「私は真実の演技を身に付けております」と言う俳優さんにも
「僕は本当の自分に出会いました!」という人にも出会ったことがありません。

どなたかいらっしゃりますか?そんな人に出会えた方。


それだけに、自分は物凄く興味があるんですけどね、
そういう「真実の演技」なるものを体得した人ってのに。

きっと自分なんかとはとても比べ物にならないような
素晴らしい演技をしてくれるんでしょうね。

あまりにも高尚過ぎてたぶん自分ごときでは理解もできないかも。


うーん、、、、でもどうやったらそんな人に出会えるんだろうか、、、

え、もしかしてそんな人はいない、、、?


いや!そんなことはないはず!

たぶんこの世の真理に触れたほどの方なのですから、
そのことをわざわざ他者に公言するなどといった
下衆な発想には至らない慎み深い方々なのでしょうね。

なら仕方ない、ですかね。



とは言ってもまあ、個人的には別に「真実の演技」や
「本当の自分」なるものには全く以て用はないからなぁ、、、

ただ、もしそういうものを身に付けた方がいたとして、
それがどんなものなのかを見せてもらえたなら
その気持ちが変わる可能性もあるかもだし(まあ、9割方ないですが)、
会えるものなら是非ともお会いしてみたいものですわ。


でもいない気がするんだよなぁ、、、
かなりの確信を持っていない気がするんだよなぁ、、、
なんでだろうなぁ、、、不思議だなぁ、、、

、、、しつこいですね、ねちっこいですね。はい、ここら辺でやめにします。



や、単純に、そういう安易なフレーズが嫌いなだけなんです自分は。はい、以上。
[PR]
by syohousen | 2010-11-30 17:11 | 俳優訓練について

何がどう「すごい」のか、

よく、演劇関係者同士で初めて話した際などに
「どういう団体でやったりしているんですか?」という質問を受け、
「○○(団体名)とかによく出たりしてます」と答えると、
「え、すごいですね!よく名前聞きますよそこ!」と言われることがある。

どうも自分はこの手の感想を言われるのが苦手だ。

それはなぜかと言えば、その「すごい」は大抵の場合、
世間の評判的な判断基準を元にしていて
何の実感のないところから出ているものだからだ。


同じ「すごい」ならば、せめてその劇団のファンであるとか、
その劇団の舞台を観たことで自分の演劇観が変わったとか、
以前オーディションを受けたけれども駄目だったとか、
それくらいの切実さが備わった上での「すごい」であって欲しい。


「世間がすごいと言っているからすごい」
という意見には何の価値もないと思う。

ましてや観たこともないのに
よく名前を聞く団体だから「すごい」だなんて、
そんな発言、自分ははっきり言って信用できない。

演劇作品の場合は特に。
[PR]
by syohousen | 2010-11-29 14:59 | つれづれと

11/27(土) FAJ東京支部イベント『試して体感 ファシリテーションのちから』レポ

11/27(土)10:00~20:00
FAJ東京支部イベント
『試して体感 ファシリテーションのちから』@国際ファッションセンタービル

【進行】

■あたまをあたためよう
4択のクイズがスクリーン上に出されるので、その回答を同じテーブルのメンバー全員で協力して導き出し、それを紙に書いて掲げ答える
■セッション①『ひとりでかんがえよう』
「F=QE^2」(最後の“^2”は二乗です)という実際には存在しない数式を使って、まずは一人で自分なりの公式を作り出し、最後にシェアリング。
■セッション②『みんなでかんがえよう』
セッション①で一人で考えた「F=QE^2」を使い、今度はチームで公式を作り出す。最後にフィードバック。

◆お昼休憩

■セッション③『別のみんなでかんがえよう』
セッション②と同様のことを、ワールドカフェ方式で一人だけテーブルに残しグループをシャッフルさせた状態で行う。やはり最後にフィードバック。
■今日一日をふりかえろう
文字通り今日一日を通してのフィードバック。

■クロージングセッション
セミナー前に問われた質問と同様の質問への回答を同じ紙に書き出し、その変化をランダムにチーム分けした人同士でシェアリングを行う。その後、今後の自分に向けた応援メッセージを書き、それを部屋全体の人達と自由にシェアリングし合う。

◆交流会


【セミナー中に記したものの内容】

◆あなたが 今 思い描く“ファシリテーションのちから”とは何ですか?◆
セミナー前「その場の出会いを 力に変える力」
            ↓
セミナー後「今まさに目の前にいる人達と共に クリエイティブな時間を創り出してゆく力」


◆各セッション毎の回答と気付きとアクション◆
●セッション①
「F=QE^2」=自由の公式
・F:free
・Q:飛び込む
・E:energy
[解説]Qという文字の円の部分と点の部分を分解し、穴(O)に飛び込む人(、)と見立てて、「自由(F)を掴むためには、穴(O)に飛び込む(、)くらいの尋常ではないエネルギー(E^2)が必要なんだ」とした。
《気付き》
・文字を文字として捉えるのではなく、また、アルファベットを英語としてだけで捉えるのでもない、目の前のありのままをありのままに受け止め発想してゆくことが、視界の拡がりに繋がってゆく。
・シェアリングの際、各人が導き出す答えの中にその人の文脈や個性が詰まっていて面白い。
《アクション》
・ものの見方についてのフィルターを外すため、多様なものの見方を試せる遊び心を備えられるような心の余裕を持って臨む。
・自らと他者との違いを、楽しく受け容れられるようにしたい。

●セッション②
「F=QE^2」=幸運を掴むための公式
・F:fortune
・Q:飛び込む(セッション①での自分の案の流用)
・E:えーじゃないか えーじゃないか
・^2:事情
[解説]事情(^2)はどうあれ、グダグダ言わずに「えーじゃないか えーじゃないか」(E)と飛び込んでみる(Q)くらいでなければ幸運(F)は掴めない!
《気付き》
・タイムテーブルの重要性
・「Yes and ~」の発想
・適度な枠組みの必要性
・「今、ここ」への没頭
・時には力技も必要
《アクション》
・大まかにではなく、具体的に細かく分けたタイムテーブルを作る。だからこそ、「今、ここ」への没頭が生きてくる。

●セッション③
「F=QE^2」=未来の公式
・F:future
・Q:ひらめき(Qの形から、閃く時の電球の形が連想されたため)
・E:environment earth
・^2:自浄
[解説]人間のひらめき(Q)によって地球環境(E)の自浄(^2)を促し、未来(F)に繋げてゆくための公式。
《気付き》
・前回学習したものをうまく更新するためには、前回の経験を傍らに置いておくくらいの意識で取り組んだ方が自分としてはうまくいくような気がした。過去を否定するのでもなくかといって頼るのでもなく、ただ傍らに置いておくこと、それが大事。
・グループが変わると、皆役割が自然と変わっていたのが面白かった。
《ネクストアクション》
・受けに回るのではなく、攻めの意識を持つ。
・役割は、与えられるものでもなければ隙間に収まる中で自然に決まってゆくものでもない。作るものだ。作られた役割は強い。
・ただし、その中でも周りを視る冷静さは常にどこかで保っておく。
・リミットを設けることで生きてくるもの死んでしまうもの、その両者を見極められる目を養ってゆく。
・他者の発想に乗っかり膨らませてゆく力の習得


◆これからの自分に向けての応援メッセージ◆

「今の自分がやるべきこと・役割を創り出すのは自分しかいない
           自分があるからこそ、周りと生かし合えるんだ」



【雑感など】
ファシリテーションについて調べてゆくうちに行き着いたこのセミナー。
どんなことを行うのかも全く分からないままに飛び込んでみたのだが、やはり何もかもが初めての体験だった。

まず、出会う人達が皆自分とは畑も違えば年齢も上の方ばかりで、中には職場でもなかなかの役職に就いているような方もいるため、その纏っている空気感も違えば言語感覚も全く違う。
だから話す際には脳みそフル回転で話さなければ上っ面を滑ってゆくだけの浅い会話に終始してしまうことになる。
ただ人と話すだけでも消費されるエネルギーが相当のものになる訳だ。

しかしそれだけに、自らの現状をよく理解させてもらえるようにも思えた。
それにたぶん、演劇だの何だのとかいう肩書きというかジャンル分けを取っ払った上での人間対人間で向き合うことができたこともそう感じさせてもらえた要因の一つだったんだと思う。

この時の自分は、目や耳もフル稼働させていたとは思うけれども、最も働かせていたのは嗅覚だった気がする。
それはもちろん実際の匂いを嗅ぐということとは違うのだが、各人の行動の一つひとつから滲み出てくる言葉にならないほどの細かな要素を感じ取るために使っているこの感覚を表すには「嗅ぎ取る」という言葉が一番しっくりくるので敢えてこう表現させてもらう。

この嗅覚、使ってみて感じたことは、普段の勝手知ったる人達と一緒に活動しているとどんどん鈍ってゆくものなのだなということ。
しかし使えば使うほどに、その感覚は鋭敏化され、場の循環を促すためにはこれ以上ない武器となるのだなということも同時に感じた。
何故そう感じたのかといえば、このセミナー時の序盤はどうしても一つひとつの出方を伺ったりしながら受けと攻めが明確に分かれていたように思えていたのだが、セミナー中盤を過ぎた辺りからは攻めとか受けとかそういったことを一切気にすることなく場に働き掛けながら変化し続けてゆくその全体の流れのようなものを嗅ぎ取り、次に打つべき自らの行動が自然と決定してゆくような感覚にどんどん発展してゆくのが分かったからだ。
自らの現場でもあの感覚を持った状態でファシリテートしてゆくことができたならば、かなりの高確率でクリエイティブな場を創り出すことは可能になると思う。

おそらく今回のセミナーを経て大きな収穫となった「役割は自分で作り出すものだ」という発想は、こういう経過を辿っていったからこそ見えてきたことなのだと思う。


別に初対面の人でなくとも、WSなどの現場においてこの嗅覚を駆使してゆくことは大切なことなはずだ。
ただ単に、この感覚を使用するには猛烈にエネルギーを消費するので、知らず知らずのうちにコントロールしてしまっているんだと思う。
しかしそれでは自分を信じてWSに参加してくれている方達に失礼ではないのか。
全力で、ムキになるくらいの気の入れ具合で臨まねば、それは絶対に相手へと伝わってしまう。

今一度、自らの姿勢を見つめ直してみなければ、きっと近いうちに停滞が訪れるだろう。
それは許されることではない。
だからこそ、このセミナーにて得た発見は一つたりとも無駄にしてはならない。


本当に、参加してよかったなと思えるよいセミナーだった。
ここで得たものは、書物を読んでも決して得られるものではない。
己の深いところに、ちゃんと染み込んできた素敵な時間であった。

しかしこれで満足してしまっては、やっぱり停滞に繋がってしまうと思う。
継続して学んでゆくこと、それが大切なのだろうから、定期的にこういう場に立てる機会を自分で設けられるよう、今後もアンテナを張り巡らせておきたい。
[PR]
by syohousen | 2010-11-28 22:55 | レポート(外部受講)

畑の違う方々と話していて、、、

今日、FAJ(日本ファシリテーション協会)のセミナーへと参加して、
自分とは全く畑の違った様々な方々と話していて感じたこと、、、

なんだかんだ言って演劇に対して興味を持っている人は多いってこと。
でも、その入り口がどこにあるのかが分からない人も同時に多いってこと。


だからさ、
「世間一般から見たら演劇なんて認知されていないんだ」
なんていう嘆きは、人と出会うための手間一つかけられない人間の
ただただ情けない言い訳にしか過ぎないんだと思う。
[PR]
by syohousen | 2010-11-27 22:43 | つれづれと

11/25(木) 読み会レポ

11/25(木)18:00~21:30
【声と身体の処方箋・勉強会】『読み会』 @岩戸地域センター・和室A

◆使用テキスト:竹内銃一郎『あの大鴉、さえも』

【雑感など】
今回の読み会、これまで開催した中で最も自分の理想に近い内容であったと思う。

なんというか、戯曲をちゃんと味わうことができる場であったなと、そう感じたためだ。
しかも品評会のように改まった姿勢で味わうのではなく、いい意味で無責任なところで、遊び感覚で戯曲を味わう場となれていた。

これまでの自分が知る限りでは、俳優(特に若い俳優)が戯曲と向き合う際にはどうしても「創作」という行為と直結してしまっている場合が多く、あまり遊び感覚で戯曲を読んだり感想を言い合ったりすることは少ないような気がする。
そのため、どうしてもストイックにしか向き合えなくなってしまいがちなのが非常に勿体無いように思えるのだ。

もっとこう、例えばキン肉マンのほとんど回収されない複線や設定の矛盾に対して愛あるツッコミをいれるような、例えば巨人の星のトンデモ理論を皆で笑い合いながらも熱の込めて語り合うとか、そういうスタンスでの向き合い方をしてもいいと思うのだ。
そういう姿勢からでなければ気付かないこともあると自分は思っているからだ。
きっと、作品と誠実に向き合う=ストイックに向き合うでは決してないはず。

ただ、斜に構えてその戯曲の粗探しをするのもまたそれはそれで違うとは思っていて、やはりそこに必要なのは戯曲に対する“愛情”や“敬意”でもあったりするのだろうなとも思うのだが。


今回の読み会では、その点において本当に素敵スタンスで臨めていたように感じた。

特に最後の方では何故か話が男女のアイドル観についての話になっていたように、今回の戯曲の中の一つのやり取りを出発点として思いもしないような話の転がり方をしていった(但し大きく話が逸れている訳でもない)のが非常によかった。
たぶん、あの場で話されていたことというのは、創作を前提として戯曲と向き合っていてはなかなか到れない発想であったのだろうなという気がする。


そう、こういう場を自分はこの読み会に求めていたんだと思う。
実際にあの状況になってみて、そう気付いた。
そして同時に、そのために自分がどうアプローチしてゆけばよいのかが、見えてきたような気もしている。

それだけに、今回のあの場で起こったことは、何としても今後に繋げてゆきたい。
[PR]
by syohousen | 2010-11-26 10:46 | レポート(勉強会)

11/24(水) 寺子屋レポ

11/24(水)18:00~21:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋』
@狛江中央公民館・第二会議室

【進行】
■この一週間のフィードバック
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×2周

■手足を軽く揺すってみる
→歩き出し、今身体の気になっている部位を擦ってゆく
→自分のペースでよいので擦ることをやめ、歩くことに集中する
→指示を出すので、その言われたイメージを持ちつつ歩く
→歩くことは持続させつつ、空間にあるものにも触れてみたりする
→歩きつつ、人のことも真似してみる
→他者とすれ違ったら挨拶をする
→フィードバック
■空間にあるもの数え
→フィードバック
■三人一組で王様マッサージ
→フィードバック

■二人一組で同調ダンス
→もう一人が脇に立って、同調ダンスをしている二人の様子を真似してみる
→その一人加わった三人で輪となって、右隣の人の真似をしつつ座った状態から立ち上がる
→フィードバック

◆休憩

■「どう見える?」

■いざない
→フィードバック

【雑感など】
今回は新規での参加者がいらっしゃったこともあり、自己紹介的なエクササイズも含め「人と関わる」というベクトルに重点を置いて内容を組み立てていった。

面白いなと感じたのは、これまでの参加メンバーとは全く違った文脈を持った方がたった一人加わるだけでも、場の空気がこれまでとはガラッと変わってしまうこと。
特に今回は、その変化具合が目に見えて分かり易かったため、改めて人一人が場に与える影響力の大きさを感じさせてもらえた気がする。

まあ、その理由の一つに横山自身の場の進行のアプローチの仕方が変化したためということもある。
しかしそれも当然というか、そういうものなんじゃないかなとも思っていて、むしろ全く同じメンバーであっても、毎回変化はするものなんじゃないか、と思う。

ただ、今回の自分の進行のさせ方は、まだまだ丁寧にやれたなとは思うものの決して悪くはなかったと感じた。
特に場の進んでゆくテンポはあれくらいでいられるのが適度に緊張感も保たれているしだからといって固さも重さもさほど生まれない感じであったため、一番丁度いいような気がした。
今まさに目の前でエクササイズが行われている中での閃きも結構生まれてきていたので、こちら側としても、かなり興味深い発見が得られていたのもよかった。

それだけに、あの時の自分の感覚等は忘れずにいたいなと思う。
別にそれを今後再現しようとは思わないしそんなことは不可能だとも思うのだけれども、あの時間に体験した感覚が今後の何かしらの瞬間に、自分の活動へと繋がるような気付きを与えてくれるかもしれないからだ。

しかしまあだからといってそればっかり期待していても仕方がないことでもあるから、今後もひたすらに自らのやるべきことに全力で向き合ってゆくだけではあると思う。
[PR]
by syohousen | 2010-11-25 16:23 | レポート(主催)

創り手の想いと向き合って、

舞台にせよ小説にせよ漫画にせよ歌にせよ書画骨董にせよ何にせよ、
創り手の想いの熱量に立ち向かうだけの強い覚悟を持って向き合わないと
やっぱり失礼にあたるんじゃないかと思ってしまう。

固い考え方なのかもしれないけれども、
自分はそういう形でしか人の作品とは向き合えないし、
向き合いたくはないとも思う。

たぶん、自分達の作品ともそういう風に
向き合ってくれたら嬉しいからなのかもしれない。


まあ、何でもかんでも全力で向き合うようなやり方では
その作品のよさを十分に味わうことができないようなものもあるので、
全ての作品にその姿勢が当てはまる訳ではないのも分かっているのだが、
その向き合う際の匙加減を判断するためには
どのみち創り手の想いを感じ取れなければ分からないことなんだと思う。

だから結局、「なんとなく」で向き合ってしまったり
「こういうものだ」という先入観にとらわれた状態で向き合ってしまっては、
その作品のよさを十分に感じ取ることができない訳で、
それが失礼にあたると自分は思えてしまうのだ。


別にこれは自分個人の考えであって
決して正しいことだとは思ってはいない。

けれども、徹底していきたい考えではある。
[PR]
by syohousen | 2010-11-24 15:46 | つれづれと

続けてきたからこそ、の、出会い

今日、また嬉しいことがあった。

続けてきたからこそ、こういう瞬間に出会えたんだと思う。

だから、これからも信じて突き進んでゆこう。
[PR]
by syohousen | 2010-11-23 23:49 | つれづれと

「話され易さ」というものも、

ここ最近、色んな場へ飛び込んでみていて
「この人には何故か思っていることを素直に話せちゃうんだよなぁ」
という風に感じさせることができることというのも
ひとつの優れた才能なんだな、と、つくづく実感。


が、自分には元々そういう風に相手に感じてもらえる素養のようなものは
大いに備えているとは思うのだが、自分好きの性格が邪魔をして
その良さを十分には発揮できていないような気がしている、、、

強力な武器になり得るものを備えていながら
それをうまく利用できないのはあまりにも勿体ないことだ。

せっかく天から授かったものなんだから、
己の備えているものくらいは最大限活かしてゆけるようにしておきたい。
[PR]
by syohousen | 2010-11-22 17:04 | つれづれと

充実を感じていたとしても、

日々が充実しているのは悪いことではないけれども、
大切なのは、その充実ぶりをこれからの自分に繋げられるかどうかだ。

スケジュール表が予定で埋められていたところで
それ自体には何の価値もないのだということをちゃんと認識しておきたい。
[PR]
by syohousen | 2010-11-21 12:21 | つれづれと