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早いからこそ、

今日で8月も終わりだ。

振り返ってみれば
なんだかんだで月日が経つのは早いもの。

それだけに、やり残しのない状態で
明日を迎えられるようにして、毎日を生きてゆきたい。

難しいことだけど、でも、その積み重ねが、
またしばらくした後に振り返った際に
大きな差となってくるはずだから、貫いてゆきたい。
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by syohousen | 2010-08-31 22:36 | つれづれと

本当に「理解して貰えない」だけなのか、

自分とは違う業種なり世界の人から誤解を受けている、と思っている人は、
まず自分が他の世界の人達に対して偏見なり誤解を抱いていないかを
自らよく省みてみた方がいいんじゃないかって気がする。

よく知らない世界のことは誤解してしまう方が自然なことであって、
だから、もしその認識のズレを修正したいのであれば、
まずは自分から歩み寄っていかねばならないと思うからだ。


だいたい、「自分のやっていることはいつも理解して貰えない」
という発想自体、
当事者意識に欠けた無責任な発想なんじゃないかと思ってしまう。

理解を得られないのは、得られないだけの理由がある訳で、
何者かが世間からの目線をそういうベクトルに持っていこうと
意図的に誘導した結果では決してないのではないか。

それはたぶん、自分があまり知らないジャンルに対して抱いている
誤解や偏見に気付いた時のことを思い出してもらえば分かるはず。

おそらく大抵の場合、ただ何となくで入ってきた情報を元にした
知識を駆使して作り出した個人的なイメージを
そのジャンルに当てはめて話したりしているだけだし、
人によっては、むしろ知識に乏しい状態でありながらも
何とかその人に話を合わせようと努力すらしている時もある訳で
(その努力がいいか悪いかはまた別問題として)、
そこに悪意があるかと言われれば
特段そんなつもりもなかったりすることの方が多いんじゃないか。


ならば、所在のはっきりしない誰かに責任を押し付けて
ただ愚痴ったりするよりも、そのお互いの認識のズレを
どんな形でもいいから修正してゆけるよう努力してゆく方が
遥かに建設的だし、そうしてゆかねば事態は変わらぬままだと思う。


まあ、理解を求めたり誤解を解いたりすることは本当に大変だし、
それを身近なところから働き掛けてゆくにしてもあまりにも地道過ぎて
どうしても投げ出したくなってもきてしまうけれども、
そういう地道な一歩を積み重ねていかなければ遠くには行けないのだから、
我慢強く、働き掛け続けてゆくしかないのだと思っている。

きっと、大きな流れを生み出すにも、
そういった小さな積み重ねがあるかないかで全然違ってくるはず。


またもし、自分が誤解や偏見を抱いているなと、
そう思い当たるものがあるならば
それについてよく調べてみるのもいいのかもしれない。

ひょっとして、そういうところから何かしらの発見や、
現状の解決の糸口が見付かることもあるかもしれないのだから。
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by syohousen | 2010-08-30 15:49 | ものの見方・捉え方について

懲りずに、

今、やりたいなと思っていることは沢山あるのだが、
どうもそれを実際の行動に移すとなると、
すんなりと実現させにくいようなことが多い気がする。

まあでも、今の段階では結果云々は気にせず
ただひたすらに仕掛けてゆくしかないのかなとも思うので、
懲りずに働き掛け続けようかなとは思っているんだが。

そもそも、うまくいかない方が当たり前なので、
見返りなんか求めてもしゃーないだろうし。

とにかく、懲りずに進もうとする姿勢だけは崩さずにいたい。
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by syohousen | 2010-08-29 10:52 | つれづれと

壊してからじゃ遅いんだが、、、

よく、普段は発声のことなど全くと言っていいほど関心のなかった人が
日頃の無理が祟ってか、完全に声帯を壊した状態になってから
「本番近いのですがどうしたらいいですか」と聞いてくることがある。

だが、はっきり言ってそれは医者の領分なので、
「病院へ行って下さい」としか言えないのが正直なところだ。

何故なら、ボイストレーナーはあくまでもトレーナーであって
医者ではないため(まあ、結節を発声法の改善によって治すなど、
たしかに代替医療的な側面もあるにはあるのだが)、
声の故障の予防には役立てるのだが、
やはり治療に関しては専門の医者の方が優れている。

まあ、それもそもそもの役割が違うのだから当然といえば当然の話だ。


ただ、それでも負担を最小限に食い止められるような方法を薦めたりして
でき得る限りの対処はするが、所詮付け焼刃でしかないのが実際のところだ。

そもそも声にまつわる故障は、大抵の場合習慣が元になっているので、
一日や二日ではなかなか治るようなものではないし、
その対処法だって芝居が絡んでくればそうそううまくいくとも限らない。

声を気にして作品に影響を与えてしまうことだけは避けねばならない訳だし、
となるとそれら全てをクリアにしてゆくのは相当に骨の折れる作業である。

や、こちらもやれと言われれば最高の結果を出せるよう努力はするけれども、
最終的には当人がそれをやれるかどうかの問題になってくるので、
結局のところ、苦労することになるのは声を壊した当の本人である。


だいたい、100m走の選手が、足を骨折してから
「大会近いのでどうにかして下さい」とトレーナーに相談するだろうか?

そんな相談をしようものなら
まず間違いなく「医者に行け」という返事が返ってくるだろう。

ましてそれが普段から足についてのケアも何もしていない選手であったら、
「知るか、お前の責任だろ」と突っ返されても文句は言えないはずである。


声も商売道具のひとつである以上、
俳優だってそれと大して変わらないはずなのに
何故冒頭に書いたような考えの人が後を断たないのだろうか、、、

たぶん、そこの部分からの意識の持ち方を変えてゆかねば、
日本の演劇界における「声」にまつわる状況は変わってゆかないのかもしれない。

道のりは長そうだが、身近なところから少しずつでも、
声に対しての意識を変えてゆけるよう尽力してゆきたい。
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by syohousen | 2010-08-28 23:03 | 声・身体について

ほんの小さな傷なのに、

一昨日の話なのだが、右足の小指を怪我してしまって、
それ以来、無茶苦茶歩きにくい日々を送っている。

足を踏み出す度に痛むのであまり強くは踏ん張れないし、
無意識のうちに痛まないよう傷を庇って歩いているらしく、
そのためいつの間にやら腰周りまで痛くなってきてしまった。


深かったとはいえ、ほんの小さな傷がついただけで
ここまで日常生活に影響を与えるとは、、、

やはり人間の身体というのは
絶妙なバランスの元で成り立っているのだなぁ、、、
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by syohousen | 2010-08-27 20:49 | 声・身体について

8/25(水) 寺子屋レポ

8/25(水)18:00~21:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋』
@野沢地区会館・小会議室

【進行】
■現在の身体状態を言葉にして垂れ流してみる×3周
■手足を軽く揺すってみる
→歩き出して、自分のペースでよいので揺する部位の範囲を拡げてみたり、気になる箇所を伸ばしてみたりとアプローチの手段を増やしてゆく
→空間に触れてみる
→五感を使って空間を味わいつつ、好きな場所や好きな居かたを探してみる
→最も好きな場所と居かたを決め、それを他のメンバーとシェアリングしてみる
■空間にある「数えられる物」数え
■フィードバック

■王様マッサージ
■フィードバック

■膝を立てた状態で仰向けになり、左右に膝を倒しながら腰周りの緊張を緩めてゆく
→その動きの中から自らの身体の現状を探ってゆき、そのまま身体の求めるままに伸ばしたり揺すったりして無理なくほぐしてゆく
→最終的には立った状態になり、歩いてみる
■フィードバック

◆休憩

■いざない
■フィードバック

■二人一組になり、あっちむいてほいを「フラット→最速→フラット→最遅→フラット」という流れで行う
→同じことを、掛け声なしで行う
■フィードバック

■今日全体のフィードバック

【レポート】
今日の寺子屋は、とてもいい状態で臨めたような気がする。
自分の発する言葉が、その時のその場で生まれたものに素直に沿った形で出てきている実感があったので、話していながら自分自身も発見の多い時間を過ごすことができたと思う。

エクササイズ自体は、これまでの自分の行ってきたWSでは定番に近いようなものばかりであったのに、全然そんな感じがせず、一つひとつのエクササイズで新鮮な発見続きであった。

おそらくは、初参加の方、、、しかも芝居は未経験という方が参加して下さっていた、ということもいい作用を及ぼしていたのかなと思う。
これからスタートを切ろうとしている方と向き合うことは、活動を続けてくる中で知らず知らずのうちに己の中に芽生えてきている「演劇にまつわる当たり前」を見つめ直させてくれるので、今の自分にとっては非常に有り難い刺激的な出会いになっているのだと言えるかもしれない。

今回の寺子屋で、最も演劇に対する理解が深まったのは、もしかすると自分なのかもしれない。

参加者もファシリテーターもお互いにその分野についての理解が深まってゆく、、、そんな素敵な循環が生まれたのも、あの場を構成していた全ての人達の手柄であり、それだけに、あの場にいた方達には心の底より感謝したい。
そして、だからこそ、今回得たものは、今後にしっかりと繋げてゆかねばならないのだと思う。
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by syohousen | 2010-08-26 20:48 | レポート(主催)

便利もいいが、

なんだかネットがあると
当たり前のように知りたい情報が知りたい時に手に入ってしまうから、
気を抜くとすぐに開拓精神が薄まってきてしまう気がする、、、


特に自分は怠惰な性分だから
無理をしないでいいとなるとほんとに無理しなくなってしまうので、
意識的に自らに対して仕掛けてゆかねば、すぐにだらけてしまう。

そして、一度だらけてしまうと、
そこから気持ちを立て直すのは相当大変なことでもある。


もっと身一つで未知の場へと飛び込むようなことをどんどんしてゆかねばなぁ。

世界は、そんなに狭っ苦しいものじゃないんだから、
ただ己の身の周りに近付いてくるものだけで満足してちゃ勿体無さ過ぎる。

自分から、出向いてゆく機会をもっともっと増やしてゆかねば。
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by syohousen | 2010-08-25 15:00 | つれづれと

ちょっとした切り替えで、

最近、人の言葉を深いところで
しっかりと聞くように気を付けているのだが、
それによって思いもしなかったところにも変化が出てきた。

自分の考えを発することに対して
強い覚悟を持てるようになってきたのだ。


受信への意識を強化させることによって、
発信に対する意思の強さに繋がるとは思いもしなかった。


でも、考えてみれば別段不思議な話でもないのかもしれない。

発することばかりを考えていれば、
結局は自分のことしか見えなくなって
人と向き合うことそのものには
さして興味が湧いてこなくなってしまうんじゃないかと思う。

が、しっかりと人の話を聞くとなれば、
単純に心を動かされるようなきっかけも増えてゆく訳だから、
自然と己の内にあるものを表に発信してゆきたい衝動も
無理なく生まれてくるような気がする。

また、ちゃんと人の意思を自分は受けているのだという
安心感も発信への意思の強化の大きな理由かもしれない。


やはり循環というものはとても大事なのだと実感した。
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by syohousen | 2010-08-24 23:00 | ものの見方・捉え方について

昨日の観劇から、

昨日、市民参加の演劇公演を観に行ってきたのだが、
色々と考えさせてもらえることがあって、観に行けてよかったなと思った。


自分も演劇を通じて社会と関わってゆこうと考えている人間である以上、
もっとこういう公演へも足を運んでみるべきなのかもしれない。

様々な自治体や劇場などで行われている市民参加劇へと実際に触れてみることで、
今の日本の演劇が社会に向けどう働き掛けていて、
その中で何が成果を生み、何が足りていないのかを肌で感じつつ、
見極めてゆけるようにしたいなと思うのだ。


たぶん、そういった情報は、日頃意識していないから見落としているだけで、
ちゃんと意識的になって探してみればいくらでも手元には集まってくるはず。

何事も、実際に触れてみなければ分からないことだらけだし、
そこから何を見出し、それを如何に自分の行動に繋げてゆくのかも、
結局のところ、まず動いてみなければ何も始まらない。

成果は未知数だけれども、やる価値は確実にあると思うので、早速動いてみようかと。
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by syohousen | 2010-08-23 17:43 | つれづれと

8/12(木) 勉強会レポ『非言語コミュニケーション』

8/12(木) 18:00~21:30 @祖師谷地区会館・和室

◆◇◆声と身体の処方箋・定期勉強会◆◇◆
【WS実験場】
『非言語コミュニケーション』

■リーダー:横山 真

【テーマについて】
普段、私達は基本的に言葉を使って他者とコミュニケーションを取っております。
が、言葉というものがあまりに使い勝手がよく、便利であるがために見落としてしまいがちですが、言葉以外の要素というものも、人と人とのコミュニケーションの上ではかなりの影響を与えているのです。

今回の勉強会では、そういったコミュニケーション時における非言語的な要素というものにスポットを当ててみて、色々と実験してゆこうかなと思ってます。
おそらくは普段あまり気にも止めていなかった要素が、実は人とのやりとりの中で重要な意味を持っていたのだなと発見できるかもしれません。

例えばマッサージに少し手を加えたエクササイズや、目を閉じた状態で身体だけを用い相手とコンタクトをとってみたりと、内容的にも至ってシンプルなものを用意しております。

【進行】
■三人一組での王様マッサージ×2周
■フィードバック

■「どう見える?」

■コミュニケーションとはなんぞや?ディスカッション

■ローテーションゲーム
→最初の位置関係から、一歩だけ近付いた状態で行い、さっきとの違いを感じてみる
→移動しながら行い、距離感や位置関係によっての感覚や数え易さの違いを味わってみる
→5分の時間を設け、お互いにとって最も気持ちのよい位置関係を探し、発表
→フィードバック
→先の発表での受けた印象から、2人がどういう関係に見えたか、外から観ていた人に聞いてみる
→先の発表時の位置関係はキープしつつ、その関係性を盛り込んでみて、尚且つお互い一言だけ台詞を準備してもらって、それを言えるようになったら発してみる

■立ち座り

■全体のフィードバック

【レポート】
≪王様マッサージ≫
●内容
まず三人一組になり、1人王様を決める。

王様になった者は、残りの2人に自分のやってもらいたいようマッサージを好き勝手に注文する。
残りの2人は、その要求に従いつつ、王様がより気持ちよくなれるようなマッサージを行うことに力を尽くす。

※但し、このエクササイズを行う際、マッサージを施す側は自分のやり方を押し付けない。あくまでも王様の気持ちよさを優先させる。王様も、相手に遠慮することなく徹底的にわがままになれるようにする。「3人で行う王様のストレッチ」という意識を持つとよいかも。

●行なってみて
・今回の参加者は、全員が初対面という非常に面白い状況であったため、敢えて自己紹介を挟まずにいきなり強制的に「相手に触れる」エクササイズに取り組んでもらった。
・ただ、狙いはあったし勝算もかなりあったとはいえ、非常に刺激の強い暴力的なアプローチの仕方であることであることは分かっていたので、やはり不安はあった。

・が、それも杞憂であったようで、王様が一回りする頃には「本当に初対面同士か?」とすら思えるほどに、お互いが馴染み合えていたので結果的には大成功であったようだ。

・外側から見ていて感じたことは、指示の出し方に性格が表れるなということ。
・物凄く細かいところまでを言葉で説明する人、言葉よりも相手に実際に触れてもらいつつ「そこです!」とか「ああ、それいいですね」などと相手との呼吸で指示を出す人、あるシンプルな動きを起点にしてそこから動きを発展させてゆくという「流れ」で指示を出す人、などなど、、、

・これはいつもそうなのだが、2周目以降になると明らかに指示の言葉の数が減る傾向があって、今回もその例に漏れず、2周目になると最低限の指示のみで、後はお互いの反応を見つつどう施すかが自然と決定していっているように見えた。

・それにしても、今回のメンバーは何なんだってくらいに早いペースで一体感が生まれていた。
・外から見ていた自分が疎外感を感じてしまうほどだ。

・どうかこの時に経験した相手との距離感の縮まり方や、他者に触れる際に起こっていた自らの身体の緊張が解けてゆく過程などを覚えていて欲しいなと思った。
・そこには劇的な要素が凝縮されていると思うからだ。

≪「どう見える?」≫
●内容
自己紹介する人間が前へと出て、聴衆へと自分に関する質問をする(例:兄弟がいるか?好きな食べ物は何だと思うか?など)。
質問された聴衆は、皆でそのことについて意見を出し合い、頃合いを見計らって自己紹介者の人に実際はどうなのかを明かしてもらう。

●行ってみて
・自己紹介として行ってみた。

・このエクササイズの面白いところは、自己紹介しているはずの人が「ああ、自分ってそういう風に見えるんだな」という自らに対する発見を伴いつつ、他者へと自らを紹介できる、という点。
・また、他の人が自己紹介をしている時に「自分の話す内容を考えて他者の自己紹介を聞かない」という愚を防げるのも利点である。

・それ以外にもよい点があって、この方式でいくと、自己紹介から会話に発展し易い傾向があるようだ(まあ、人数が増えてしまうとそれも難しくなってくるだろうが)。
・但し思うのは、その会話に発展し易いかどうかというのはファシリテートする側の人間の舵取り次第なのだろうなということ。
・その時の参加メンバーの性質を即座に見極めて、質問に対する回答の形式を「一人一答形式」にするのか「自由回答」にするのか、はたまた「挙手制」にするのかを決定させてゆかねばならないし、回答形式をこちらからの押し付けではなく自然な流れで必然的にその形式に決まってゆくような誘導をしてゆかねばならないと思う。
・まだまだ改善の余地は沢山あるということか。

・しかし今回よかったのは、ある方の番になった時に、質問者と回答者の境目がいつの間にか消えて普通に話が盛り上がってゆけた瞬間があったという点。
・ぐだぐだな雑談になっていたのではなく、ちゃんと「自己紹介」という趣旨は維持しつつ、でも会話は自由闊達な空気の元で行えていたのだ。
・高い確率でそういう瞬間へと導いてゆけるようにするにはどうしたらよいのか、、、今後はこのエクササイズについてはそこについてがテーマになってくるのかなと思う。

≪ディスカッション≫
●内容
「そもそもコミュニケーションって何なんだ?」という根本のところから、色々と話してみた。

●行ってみて
・色々と自分の課題が浮き彫りになった。

・やっぱり自分は司会が下手だ。
・いや、司会自体の適正がないというよりは、自分も議論の中に入りつつ、進行も行って、というやり方の問題なのかもしれない。
・司会ならば司会に徹して、議論自体は参加者同士で進めていってもらうような形にした方がうまく場が回るような気がした。
・何よりも、ああいう立場になるとどうも自分は喋り過ぎてしまう悪い癖があるので、よくない。

・しかしまあ、そうは言っても行ってみてよかったなというか、収穫はなかった訳ではなかった。

・やはり、どんなに言葉がコミュニケーションの全てではないとは言っても、自分達は言葉を持った存在である以上、言葉を抜きにしてはコミュニケーションを語ることはできないのだなということをつくづく実感した。
・たしかに言葉以外の要素も挙げればきりがないと言える位に、コミュニケーションにおいて言葉というものは、多くの手段のうちのひとつに過ぎないのも事実だ。
・しかし、人と人のコミュニケーションにおいては、言葉ほど重要度の高い要素はないのも事実。

・今回こうして改めてコミュニケーションについて話してみたことで、言葉の重要性を再確認できたと思う。

≪ローテーションゲーム≫
●内容
二人一組となって向き合い、1~3の数字を1人ずつ交互に言い合う。
なるべくカウントはリズミカルに、そして長く続かせることを目的にして行う。

●行ってみて
・このエクササイズの汎用性の高さをまざまざと見せ付けられた気がする。
・やればやるほど、このエクササイズの面白い利用の仕方が浮かんでくるのだ。

・組む相手との関係性、距離感、位置関係などによってカウントの数え易さやスムーズさが劇的に変わってくるため、例えば役としてこのエクササイズを行ってみれば、台詞だけのやり取りでは見えてこないような発見が相手役との間に見えてくるかもしれない。

・また、相手とのやり易い位置関係ややり難い位置関係の時の2人を外側から見てみると、当人達には思いもしないような関係性が2人の間に生まれているかのように見えたりもするので、その「見え方」という視点から相手役との関係性へアプローチしてゆくことも可能なのではないかと思う。
・今回やってみたのは、その「こう見えた」というところからスタートさせて生み出される関係性にどれくらいの説得力があるのかを見極めてみようとしたものである。

・実際に行ってみて、これは結構アプローチとしては面白いやり方であるなと感じたのだが、今回のやり方では、「見え方」から「実感」に落とし込むまでの経緯が唐突過ぎるため、受け手によって成果には大きく差が生まれてしまうエクササイズになってしまうような気がした。
・このエクササイズが、受け手の経験・感性・その時の状態に左右されないような普遍性を獲得するためには、もう一手欲しい。

・ではその一手とは何なのか。
・まあ、よくよく考えてみればそれほど難しい話でもなくて、例えば、見ている側の「こう見える」という関係性を今度は意識してもらった状態で再びローテーションゲームを行ってもらうだけでも、かなり違ってくるんじゃないかと思う。
・そして何も意識していない状態で行った時との感覚・見え方の違いを皆でフィードバックしてみつつ、関係性を構築してゆけばよいのではないか。

・その上で、最後の「一言だけ言葉を発してよい」というエクササイズになだれ込んでゆければ、だいぶ発見も増えてゆくのではないだろうか。

・まあ、もちろんこれはあくまでも一例なので、まだまだ手を加えられる余地は沢山残っていると思うので、今度このローテーションゲームをテーマに勉強会を開催してみたくなった。

≪立ち座り≫
●内容
二人一組となって、言葉を使うことなく相手とコミュニケーションをとってみるだけのシンプルなエクササイズ(相手との関係が築ければ、どのような形になってもよい)。

ただしその際にいきなり相手とのコンタクトをとり始めてしまうのではなく、その導入としてまずは正対して向き合い相手の目を見合った状態になってから、「立つ」と「座る」を各2回ずつ行い(そのタイミングは自由)、それから相手とコンタクトをとり始めるようにする。

●行ってみて
・かつてはこのエクササイズは自分のWSなどでは主力として好んで使っていたものだったのだが、最近どうも物足りなさを感じてしまっていて、それは今回も例外ではなかった。
・何かこう、決定的に「何か」が足りない気がするのだ。
・しかしその「何か」が何なのかは、今回の勉強会内では残り時間の関係で一回しか行えなかったこともあり、結局分からなかった。

・もしかすると、以前はこのエクササイズの最大の長所として見ていた「自由過ぎる」ということの悪い面が見え始めてきたからなのかもしれない。
・もちろんこのエクササイズには得るものは非常に多いとは思う。
・が、だからといって現状の形式がベストであるとは思えない。

・それだけに、これも今後機会があれば勉強会のテーマに設けてみようと思う。

≪総括≫
・色々と今後に向けての課題が具体的に浮かび上がってきたので、今回は非常に有意義な時間を過ごすことができたなと感じることができた。

・また、初参加の方が2名もいたため、場の空気がこれまでとはだいぶ違っていたのもよかった。
・どうも最近、緩やかにではあるけれどもこの勉強会という場がマンネリ化してきつつあるなと感じていたので、こうして新しい風を持ち込んできてくれたのはとても助かった。
・おそらく、課題が沢山浮き彫りになれたのも、横山のWSの手法に免疫のない方が多かったから、なのではないかと思う。
・お互いに新鮮な心持ちで一つひとつのエクササイズに取り組めたのが、本当に自分にとってはプラスになれていた。



・今回参加して下さった方々及び継続して参加下さっている方々へは、心の底より感謝致します。

・まだまだ未熟な存在ではありますが、どうぞ今後ともよろしくお願い致します。
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by syohousen | 2010-08-22 16:31 | レポート(勉強会)