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創り手に誠実さを求めるのならば、

最近強く思うのは、芝居を観る際には、
こちらもちゃんと準備をした上で観に行くようにしたいなってこと。

日常を引きずったままで観劇に臨むのは演じ手にも失礼だと思うし、
なにより素敵な瞬間との出会いを逃してしまう可能性がある。

創り手に誠実さを求めるのであれば、まずはこちらが誠実であるべきだ。


但し、そうはいっても観客に日常を引きずらせないようにするのが
演者側の仕事だということも分かってはいる。

しかし、それは演者側の立場の時に考えるべきことで、
自分が観客の立場である時には観客としての最大限の努力をした方が、
いい舞台との出会いの機会は増えるだろうし、得なんじゃないかなって思うのだ。


結局のところ、自分は貧乏性なんだと思う。

「好きな作品だろうが嫌いな作品だろうが、どうせ観るなら楽しみたい」
そういう気持ちが強いから、ただ何となくでは舞台を観たくないのだと。

まあ、それも良し悪しなのだろうけれども、
今の自分としてはこのスタンスで芝居を観ることで
得るものが多いように感じるので、
当面はこのスタンスでいこうかと思っている。
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by syohousen | 2010-07-31 15:57 | ものの見方・捉え方について

7/28(水) 寺子屋レポ

7/28(水)18:00~21:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋』
@祖師谷地区会館・和室

【進行】
■今の身体状態を言葉にして垂れ流す
→手足を軽く揺すりながら、やがて歩き出してみる
→身体の要求に応えるような動きを行いながら、少しずつその動きを大きくしてゆく

■仰向けになって、意識を巡らすポイントを徐々に指先から全身へと広げてゆく
→全身に意識が拡がったなら、徐々に呼吸を深くし、そして、落ち着かせてゆく
→初めて立ち上がるように自分の身体を細かく観察しつつ、無理のない立ち上がり方で立ってゆく
■フィードバック

■王様マッサージ×3(その時の身体の欲求に応じ、繰り返す)

◆休憩

■いざない

【レポート】
ここ2週間ほどで、極端に暑くなったためなのか、参加者の身体に日頃の生活で蓄積されてきたダメージが表に現れ始めているように見えたため、今回は身体の調整を目的にしたエクササイズに徹してみた。
また、その一つひとつを馬鹿丁寧に思えるくらいしっかりと取り組んでゆくように誘導&進行していった。

日常を引きずったままの身体で稽古や本番に臨むことは、俳優として決して許されることではない。
そのことに関しては、多くの俳優がよく理解していることだと思う。
しかし、稽古前のアップだけでその日常の身体から離れるためになんとかしようとしても、大抵の場合は手遅れだったりするのだということをちゃんと理解している俳優は意外と少ないんじゃないかと、まだまだ狭い視野の中と言えども自分が身を置いてきた現場達を通じて感じていた。

気候や生活環境などの外的要素によって知らず知らずのうちに蓄積されている身体へのダメージや、普段の生活によって崩れてしまっている身体バランスを、ちゃんと自覚し、ケアしている人がどれだけいるのだろうか?
思うのは、結果を残せている俳優とそうでない俳優の差は、そういうところにも表れているんじゃないか。

稽古の度に感覚がブレてしまうような身体で稽古に臨むことは、創作における積み重ねを困難にこそすれ、プラスに働くことはまずないと思う。
そんな手枷足枷をはめたような状態で創作に臨んだとして、本気でいいものが創れると思っているのだろうか。
それとも、そんな状態でも、十分にいい仕事ができると思っているのだろうか。

まあ、どのみち、こういう自己管理とケアの部分は、台詞を入れることと同様に、俳優としての実践的な能力・センスは関係なしで行える努力なんじゃないかなとは思う訳で、是非、習慣付けて欲しいことだなと思う。
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by syohousen | 2010-07-30 22:33 | レポート(主催)

当人のために必要とされる存在になりたい

公演にせよWSにせよ、
「行けなくてすみません」と言われるのは物凄く悔しい。

それって結局、俺のために来てくれてただけで、
その人が自らのために来ようとしてる訳ではないってことだから。

本来、楽しむためにお芝居は観に行くものだし、
自らの成長のきっかけのためにWSは受けるもののはずで、
だから、来れないことを謝られてしまうのは、
まだこちらから「やらされている」からなんだと思う。


「行けないのが悔しい」とか、
「行けなくて本当に残念」とか、
そういう風に言わせられるような存在になれるよう、
もっともっと創作も指導も、その質を高めてゆきたい。
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by syohousen | 2010-07-29 15:23 | つれづれと

そろそろ、

新しい世界へと
飛び込んでみるべきなのかもしれないなと
最近よく考えるようになった。

というのも、自分の中で予め定めた枠組みの中でしか
発想できなくなってきているなと感じ始めていて、
たぶん、ここらで自分の中に新しい風でも入れない限り
現在のこの停滞感は脱却できないような気がするからだ。


まあ、その新しい世界というものが何なのかは分からないけれども、
とりあえずは何かしら情報をキャッチできなければ何も始まらないので、
まずはアンテナの張り方から変えてゆかねばなと思う。

たとえば実際に色んな場所へと実際に足を運んでみたりするのもいいかなと。

こういう時代だからこそ敢えて「足で探す」的なアナログな方法を採ってみるのも、
思いもかけない出会いに恵まれるかもしれないし、
何より楽しいんじゃないかなって思ったりもする。


ネットは楽だし便利だけれども、
自分の得易い情報しか目に入らなくなってきてしまうため、
新しい世界を切り開こうとした時にはやや不便かなって気がする。

まあ、とはいっても使い方次第なので
今後も引き続きネットは利用してゆくつもりではありますが。


とにかく手間を惜しまずに、新しいことを怖れずに、
いろんなことに飛び込んでゆける状況を作り出してゆきたい。

「新しいことを始めるのは怖くない。怖いのは、新しいことを始めなくなることだ」
とはマイケル・ジョーダンの言葉だが、まさにその通りだ。

とにかく、やってみよう。
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by syohousen | 2010-07-28 15:31 | つれづれと

「完璧」が存在しないからといって、

「完璧」が存在しないからと言ってそこで諦めてしまったら、全てはそこで終ってしまう。そこから先には進めなくなってしまう。「完璧」なものなんてないんだとわかっていても、僕等はそれを追い求めなくてはいけない。― イチロー


まさしくその通りだと思う。

や、自分ももっとがんばらねば。
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by syohousen | 2010-07-27 21:42 | つれづれと

虎の威を借る狐

『日本辺境論』にて内田樹さんは、

「受け売りの意見というのは虎の威を借る狐だ。
 虎の威光を傘に他を威圧することはできるけれども、
 虎の生い立ちについては何も説明できない。
 よって、受け売りの意見を相手にしてはネゴシエーションの余地はない」

というような意味合いのことを書いていた。


最近、その言葉の意味を物凄く実感するようなことが多い気がする。

特に、ネット上のやり取りや、テレビの街頭インタビューなど。

なんであそこまで言い切れてしまうんだろうか、と感じることが多いし、
しかも、何かこう、その人そのものから出てきた言葉のように
感じないことが多いので、そういう様子を見ていると、
「ああ、内田さんの言っているのはこういうことなのか」とよく理解できる。


自分も、そうならないように気をつけねばな、と思う。
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by syohousen | 2010-07-26 22:37 | ものの見方・捉え方について

元々格好よくないんだから、

どうも最近、ムキになれていないような気がする。

どこか変に物分かりがよくなっていて、
何をするにも、その熱量が落ちてきているように感じるのだ。


元々格好よくないんだから、そんな格好つけずに、
もっと泥臭く生きていけよ、と、思う。
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by syohousen | 2010-07-25 10:12 | つれづれと

動いてみたから、見えたこと

昨日、文化庁の文化審議会「審議経過報告」への
パブリックコメントを提出したのだが、
書いていて、日本の文化政策に対する己の無知さに愕然としてしまった。

自分の知識のことごとくが受け売りだったり
また聞きの情報であったりしたために、
自らの意見を言語化させようにも
どうしても借り物の言葉しか出てこない気がしたのだ。


これは、演劇に関わる人間としては恥ずべきことだ。

自分が人生を懸けて関わろうとしている世界のことを、
何となくの漠然とした印象でしかとらえていないなどというのは、
本来ならばあってはならないことである。

自分達の今後の文化芸術のあり方についてを
己の言葉で語れないなんて、
今まで自分は何をやってきたのだ、と自らに問いたい。

猛省し、同じ過ちを繰り返さぬよう
何かしら具体的に動いてゆかねばと思う。


ただ、これは動いてみなきゃ分からないことだった。

動かなければ、
今の自分は何が分からないのかも漠然としたままで、
余計に動きにくくなっていったと思う。

だから、このもどかしさは次に繋がるはず。
やっぱ恥はかいてなんぼだ。
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by syohousen | 2010-07-24 18:47 | ものの見方・捉え方について

自分達のこれからに関わる問題なのだから、

これは勝手な印象なのかもしれないが、どうしても自分達くらいの世代の人間は
芸術文化周りの社会的な立場や環境に関する問題に対する働き掛けを
一回り以上上の世代の方達に任せきってしまっているんじゃないかなって感じる。

世代的に言えば、自分達のこれからに関わることな訳だから、
本来は当事者であるはずなのに、少々小難しいことだからといって
そういった問題をついつい後回しにしがちなように感じてしまうのだ。


まあ、自分もそういった意識がないと言えば嘘になる。

が、ゆくゆくは自分達に降りかかってくる問題なのだから、
やれることはしっかりやってゆかねばなと思う。

まず自分が動いて、それを習慣化させてゆくことから始めたい。

そして、それができるようになったら、
次のステップとして、周りの人も巻き込んでゆけるだけの牽引力を身に付けたい。

多少時間はかかるけれども、たぶんそれが大きな流れを生むためには
一番確実な一歩目の踏み出し方なんじゃないかなと思うから。
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by syohousen | 2010-07-23 12:33 | つれづれと

7/21(水) 寺子屋レポ

7/21(水)18:00~21:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋』
@祖師谷地区会館・和室

【進行】
■今の身体状態を言葉にして垂れ流す
→手足を軽く揺すりながら、やがて歩き出してみる
→身体の要求に応えるような動きを行いながら、少しずつその動きを大きくしてゆく

■まず横になって、そこから自分の身体の声を聞きつつ、積極的に身体の要求に応えるような動き、姿勢をとる
→最初は床との関係性でそれを行うが、徐々に身体を起こしてゆきながら、最終的には無理のない状態で立ち上がる状態にまで持ってゆく

■ボディマッピング(内感覚と外見とのズレの修正を主目的とし、自然体を探る)
→歩いてみて普段との感覚の違いを味わう

◆休憩

■スローモーションで障害物競走
→一回目に行った中で見付かった課題を重点的に意識付けしてもう一度

■妄想エピソード(空間)

【レポート】
基本的に、人が少ない時には少ないことに感謝できるような内容のエクササイズを行ってゆく、ということを常に意識しつつ、その人数でしか行えないようなことをやることを自分は心掛けている。

という訳で、今回は一つひとつのエクササイズの密度を思い切り濃くして行った。
おそらく今回のような進行は、人数が多ければできないような構成であったと思う。

とにかく一つひとつのエクササイズの精度の向上を目指してみることで、その過程で浮き彫りになってくるその人の傾向・癖のようなものをこちらから指摘し、自覚してもらい、どうしたらそれを修正し、そのエクササイズのパフォーマンス精度を向上させることができるのかを自分なりに考え、修正してゆく中で、自分自身を見つめ直すきっかけにしてもらおうとしたのだ。

その傾向も多種多様で、身体に出てくることもあれば、意識のフォーカスの偏り方に表れることもあるので、たとえマンツーマンと言えども一瞬たりとも気を抜けない。

これは、多人数を相手にしている時とはまた違った集中力を要求される。

色眼鏡を通したものの見方を廃し、変なこだわりは少しでも邪魔だと感じた瞬間に手放せる精神状態を保ち、現実に起こったことはどんなことであれ全て引き受け、その瞬間瞬間で見えてくるものを逃さに捕まえられるよう心も身体も自然体であり続ける。

難しいことだが、だからこそ楽しい。


徐々にだが、状況に応じた進行の組み立て方のコツのようなものが掴めてきつつあるような気がする。
まあ、とはいってもまだまだ拙い部分も多いため、向上の余地は多分に残されているのだが。

しかし伸び代がまだ沢山残されているということは、大変ではあるけれども、幸せなことでもあると思う。
という訳で、もちろん今後も歩みを止めることなく精進し続けてゆきたい。
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by syohousen | 2010-07-22 19:59 | レポート(主催)