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くすり箱の懇親会に参加して

今日は、先ほどまで
『NPO法人 芸術家のくすり箱』の懇親会であった。

アーティスト関係者は自分一人だけで、
年齢的にも周りは自分なんかに比べたら圧倒的に大人の方々ばかり。

やはり普段自分が接する機会のないような方と話すのは
思いもよらない気付きに繋がるのでとても楽しい。


それにしても、弁護士という多忙な職種でありながら、
自分なんかよりも遥かに多い本数の芝居を観ている方が
いらっしゃったのを知って、色々と考えさせられてしまった、、、

その方からは、演劇に対しての純粋な愛が感じられたのだ。


はっきり言って、自分も負けてはいられないと思う。

好きだから始め、好きだから続けているものである演劇なのだから。


こういう刺激に満ちた場に身を置ける機会があること自体、
自分は非常に恵まれているのだなとつくづく感じる。
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by syohousen | 2009-11-30 23:14 | つれづれと

人のふり見て、、、

先日、夕方のニュース番組にて、
現代の言葉の乱れについて色々と言及していたのだが、
その番組のアナウンサーが昨日、「問題が山積しております」を
「もんだいがやまづみしております」と読んでいた。


まあ、人間だから間違いがあって当然だし、
別にけしからんとかいうつもりもないが、、、

でも、それでいいのかなぁ、、、と思ってしまった。

他人のことを話す際には
あんなに嘆き節で語っていただけに、余計そう感じてしまった。


せめて、訂正するくらいの誠実さはほしかった。

いや、もしかして、、、気付かなかったとか、、、?
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by syohousen | 2009-11-29 10:07 | つれづれと

どんなに些細なことでもいいから

早速、昨日から始めた「ランニング時、全てのすれ違う人と挨拶を交わす」
というミッションの効果が出始めたようである。

自分がいつも走っているコースは、
自宅目の前の橋から川沿いに橋二つ分先まで行って、橋を渡り、
行きとは反対側の川辺を通って戻ってくるのが基本のルートである。

つまり、すれ違った人の歩くルートによっては、
一度のランニングで二度、行きと帰りですれ違う可能性もある訳だ。


今日走っていて気付いたのは、
「全ての人と挨拶を交わす」ことを自らに課したことで、
自然と一人ひとりの顔を覚えようとし始めたことである。

もしかすると、同じ人に二度挨拶をすることがないようにと
知らず知らずのうちに自分自身で
そのような回路を起動させたのかもしれない。

そのためか、昨日今日と、頭の中まで目覚めているような感覚を持てている。

これはこれまでのなんとなくで走っていた時にはなかった感覚であった。


たったひとつの変化によって、他のところにまで自然と無理なく変化が及ぶ。

やはり、ただなんとなくで物事に取り組むよりかは、
どんなに些細なことでもいいから目的意識を持って取り組んだ方が、
自分でも思いもかけない発見に繋がるのようである。
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by syohousen | 2009-11-28 07:45 | つれづれと

少し、切り替えてみたら

今日から朝のランニングに、ひとつのミッションを設けた。

それは、「すれ違う全ての人に挨拶をかける」こと、
更に「一人でも多くの人から返事をもらう」こと。


これまでも、走りながらすれ違う人とは挨拶を交していたが、
それを全ての人に対して声をかけている訳ではなかった。

なんとなく、すれ違う際に呼吸が合った人にだけ声をかけていたのだ。


しかし、それでは相手の顔色などを見て次の行動を判断するという
他者基準の発想の癖がついてしまう気がしてきた。

そこでひとつ発想を切り替えて、
「返事を返してくれなさそうな人から、如何にして返事をもらうか」という視点から
すれ違う人達と接してみようと考えるようにしたのだ。

すると、これまでは「呼吸が合うか合わないか」という
2パターンしか基準とせずにすれ違う人達のことを見なかったのだが、
今日は、より一人ひとりの細かい様子を自然と観察するようになっていた。

また、走りながら「如何に返事をもらうか」ということも考えるので
ただ走るよりも面白い発見が増えた。


ほんの少しの気持ちの切り替えで、
学びの要素は飛躍的に増えるのだなということを実感した。
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by syohousen | 2009-11-27 07:22 | つれづれと

ただ存在する

「舞台上に、ただ存在する」

それが如何に難しいことか、分かっていたつもりではあった。

が、まだまだ「つもり」なだけであったようである。


「ただ居る」だけということ。
「ただ居よう」としてしまうこと。

この2つは、似ているようで全く違う。

しかし、これまでの自分はこの2つを混同して考えてしまっていたようである。


この違いは、本当に微妙なものではあるのだが、
おそらく舞台上に存在する時には
それが決定的な違いとなって表れてくるのではないか。


芝居のことを考えてゆくと、その果てしなさにくらくらしてくる。

それだけに、まだ当分のところ、飽きはきそうにないようだ。
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by syohousen | 2009-11-26 20:41 | つれづれと

オーディションというものに対する私見

自分は、オーディションを「その公演におけるベストの人選の場」として認識している。

まあ、何を当たり前のことをと思われるかもしれないが、
実はその当たり前のことが理解できていない人が多いような気がする。


オーディションとは、その公演に自分が関わることこそが
ベストの選択肢であることを証明する場である。

従って、そういった場で他者を蹴落としたり貶めたりすることは
その公演にとってマイナスになる危険性が高く、
その主旨からは大きく外れていると言えるのではないかと思うのだ。


オーディションの段階から創作は始まっている。

オーディションを通ったからといって安心しきってしまうようならば、
その人はオーディションの意義を誤解している。

オーディションから創作現場を経て公演を行うところまでは地続きなのだということを
しっかりと認識していなければ、どのような結果になろうとも、お互いに不幸であると思う。


今日はこれからマームの二次オーディション。

通りたいと思うのならば、自らが必要であることを証明する以外にない。

そして同時に、高いレベルでの競い合いとなってくれることを切に願う。
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by syohousen | 2009-11-25 16:18 | つれづれと

ストイックは美徳ではない

自分は、ストイックであることが素晴らしいことだとは全く思わない。

そもそも、ストイックな姿勢で物事へと取り組むのは
そうすることでより成果があがるから結果的にそのような姿勢になるのであって、
「ストイックであろう」などと考えてそうなっている訳ではないはずである。


自分もよく「ストイックだね」などと言われることがあるが、
自分自身では全くそんなことはないと認識しているし、
むしろこんなに怠惰な人間も珍しいのではないかとさえ思っている。

自分は苦しいことは大っ嫌いで、できることなら楽したいといつも考えている。

しかし、それ以上に負けず嫌いなだけなのだ。

そして同時に、苦しさに対する嫌い度よりも芝居に対する好き度が上なだけで、
だから結果的に、周りからの印象がストイックに見えてしまうだけなのである。


ストイックは、決して美徳ではない。

ただ、そのものに対する愛情が
結果的にストイックな姿勢を生むだけなのだと自分は思う。


それを忘れ、ただストイックであろうとだけ考えてばかりいる人間、、、
そんな人を、自分はあまり好かない。
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by syohousen | 2009-11-24 22:06 | つれづれと

苦しい時こそ、自らに負荷を

ひとつ学んだことがある。


それは、苦しい時ほど、自らに負荷をかけてゆくべきだということ。


苦しいからといって、受けに回れば一気に心は追い込まれてしまう。
逃げに走ってしまえば、心は一気に弱くなる。


苦しいのは当然嫌だけれども、
嫌であっても敢えて引き受ける苦しさと無理矢理味あわされる苦しさでは、
苦しみに耐える際の心持ちが違うはずである。


自分一人の力で状況を劇的に変えることは中々難しいことであるが、
ものの見方や発想を切り換えることは多少のコツがいるものの、
周囲の状況を変えるよりは比較的容易である。

そして、見方が変われば自分自身も変わってゆくので、
直接的に状況を変えようとするよりも状況に変化が生まれ易くなると思う。


まだまだ自分としても苦しい状況には変わらないのだが、
だからこそ、攻め気を失わず覚悟を持って前進し続けてゆくのだ
という気持ちだけは失わないようにしたい。
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by syohousen | 2009-11-23 21:35 | つれづれと

むきになって

先日、これまでの自分に足りていなかったのは「執念」なのではないかと書いたが、
それを意識するようになってからというもの、自分の中での物事への向き合い方が
少しずつではあるが変化してきているように感じている。

特に、「むきになる」ことをここ最近は全くしていなかったなということに気付いた。


たしかにむきになることは格好悪いかもしれないし、
もしかすると衝突も増えてしまうかもしれない。

しかし、それくらいの強い衝動のようなものを常に抱いていられる精神は
何かひとつのことを続けようとしてゆくのなら必要不可欠なものなのではないかと思う。

だからこそ、無理にそれを抑え込んでしまうのではなく、
自らの心に正直に、そして必要とあらば躊躇うことなく
むきになれるようなパッションを常に持って生きてゆきたい。
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by syohousen | 2009-11-22 23:53 | つれづれと

オーディションでした

本日は、つい2週間前まで客演していた『マームとジプシー』の
次回公演の一次オーディションの1日目を受けてきた。

正直言って、半年前の俳優を離れていた時期には、
この場に身を置いている自分などは全く想像がつかなかった。

本当に、人生とは分からないものである。


が、こうなったからには、意地でも通ることにこだわっていきたい。


今の自分は、善戦することなんか一切求めていない。
「駄目だったけどがんばった」なんてのは認めない。

どんなに格好悪くてもいい。
どんなにみっともなくてもいい。
とにかく「出演する」ということのみ、追い求めてゆく。


そういうエゴイスティックな感情を全面に出すことは、
考えてみればこれまでの自分にはあまりない発想であった。

そう感じた時に、これまでの自分にはあきらかに「執念」が
不足していたのだなということにも気付いたのであった。


今日の感触としては、周りはどう見たか分からないが、
自分としては自らの出来は全然物足りなかった。

あんなことは自分の中では最低レベルのものであり、
「出来て当たり前」のラインである。

はっきり言って、これまで通りのことなどしていても、
それならマームでオーディションを受ける意義というものはないだろうし、
自分個人としても創作に移った時に藤田君を唸らせるようなことなど出来ようはずがない。


最終的には自分の中身の空っぽさに絶望を感じてしまうくらい、
自らの中身を掘り下げてゆくことで初めて出会える自分というものが
あるのではないかと最近自分は思っている。

そして、今日みたいな体たらくでは、到底そんな境地には辿り着くことはできないだろう。

甘えるな、
今日の自分には、そう言いたい。
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by syohousen | 2009-11-20 23:46 | つれづれと