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本気で生きていれば、

ご存知の通り、衆院選にて民主党が圧勝、
自民党は結党以来最低の議席数となってしまった。

小選挙区制度の特性上、こうなってしまうのは
ある程度仕方のないことではあるのだが、この結果に対しては
やはり一抹の不安を感じざるを得ないというのが正直な話だ。

しかし、結果的にこのような状況となってしまった以上、
この状況下で自分達には何ができるのかということを
個々人でしっかりと考えながら生活してゆくことが大事なのだと思う。



ネット上などでは「日本は終わった」などと
悲観的な嘆き節の言葉が盛んに書き込まれている。

が、別にまだ日本は終わってはいないじゃないか。

昨日も書いたが、選挙は選挙だけでは成立しないのだから、
選挙の結果だけを見て極論に走るのはどうかと思う。

むしろ、そうやって極論に走ることでそれを聞いた人の政治離れを助長させ、
政治の暴走の抑止力を弱めてしまう可能性だってあり得る話だ。


だいたい「日本が終わる」とはどういうことなのか。

おそらくはその人なりの見解があってその発言に到った(と願いたい)のだろうが、
端から見ていると、「自分の思い通りにいかなかったからもう知らない」と
だだっ子のように拗ねているような印象をどうしても拭えないのが正直なところである。

もし「日本は終わった」と本気で思っているのならば、
さっさと海外へ移住すればいいのだと思う。

そっちの方が、自分と国家、お互いのためになる気がするし、
本来「諦める」ということはそれくらい覚悟のいることなのだから。


そんな簡単に諦められる環境下にしか身を置いたことがないから、
自分自身にも関わってくることでありながらもその事実は見ようとせず、
まるで他人事のような冷めた言葉で平気で語ることができるのではないか、、、

自分はこの選挙結果に対し決して楽観視はしていないが、
だからといってそんな簡単に今のこの現実を諦めることはできないし、
そもそも、日本に生きている以上は、
この日本という国で起こったことをなかったことになど絶対にできないのだから、
その事実は全て引き受けて、そこを出発点として生きてゆくしかないのだ。


世の中には、諦めたくとも諦められない人が沢山いる。

しかし、生きるということは、そもそもそういうものなのではないのかなと思う。

本気で生きていれば、絶対に自分の人生を投げ出すことなんかできないのだから。
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by syohousen | 2009-08-31 10:26 | つれづれと | Comments(0)

今日の結果は、出発点でしかない

いよいよ本日は衆院選の投開票日だ。

今回、投票率はだいぶ上がりそうであり、
それについては悪いことではないと思うが、
ひとつだけ、投票に行く人達に願いたいことがある。


それは、選挙をネタで扱わないで欲しいということである。

投票へ行くことを、一過性のブームに乗っかっただけの
話題作りのためのものとしないで欲しい、ということである。


「選挙に行って投票しました。はい、あとは知りません。全部お任せしますね」
では、困るのだ。

自分の投票した人・政党については、最後まで責任を持って欲しい。
つまりは、そういった覚悟を持てる人・政党にその一票を投じて欲しい。

選挙の時ばかりお祭り騒ぎになって盛り上がっておいて、
それ以外の時には政治なんか全く知りませんなどという姿勢が
「選挙の時にしか頑張らない政治家」を多く生んでしまっているのではないのか。


現に、今回の選挙のマニフェストについては皆盛んに論じているのだが、
前回の選挙のマニフェストが現在どの程度達成されているのかという
この4年間の総括についてはあまり触れられていないように見受けられる気がする。

もし常日頃から政治家がどのような活動をしているのかを国民一人ひとりが
しっかりと注視していれば、政治家がどんなにばら蒔き政策を行なったところで
そんな子供騙しは通用しないのだということは目に見えており、
それだけでもここ最近の馬鹿げた、金の無駄遣いとしか思えないような
選挙目当ての政策に対する抑止力になっていたのではないかと思う。

政治家が目先の政策ばかり行ってしまうのは、
それはつまり、国民もその目先の政策にばかり反応してしまうからである。


政治も変わらなければならないが、自分達も変わらなければならないのだと思う。

願わくは、今回の選挙がその変わるための第一歩となってくれたならば、、、
まあ、そうそう簡単に物事は変容するものではないことも分かっているのだが、、、

しかし、劇的には変化はできなくとも、
また、手遅れの感が否めなかろうとも、
まずは変わるためのきっかけがなければ始まらないのだから、
今のこの状況を出発点として、少しずつ、変化してゆくしかないのだと思う。


そのためには、今日の結果を、終着点とするのではなく出発点としなければならない。

でなければ、選挙を行なうことの意味はなくなってしまう。

選挙は、選挙だけでは成立しないのだ。
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by syohousen | 2009-08-30 10:45 | つれづれと | Comments(0)

人は仮になんか生きていない

自分の道は、今まさに踏みしめているところにしか存在しない。

「今立っているのは仮の道で、本当の自分の道はどこか別のところにあるんだ」
などという考えは現実逃避でしかない。

人は仮に生きることなんかできないし、
自分が生きてきたこれまでの人生も決してなかったことになどできないのだ。


これまでの道のりとこれからの道のりは全て地続きだ。
この道は嫌だからそっちの道と取っ替えます、なんてことはできない。

ただひたすらに、今を出発点として前進し、
自分のこれからの道を切り開いてゆく以外にはないのである。


今踏みしめているところを軽んじ、
「今、ここ」を犠牲にしているような人間の語る「これから」は、
どこか胡散臭く感じてしまう。

自分は、今の己自身とも、今のこの身の周りの状況とも、
とことん向き合い引き受けながら、「これから」を目指したいと思っている。


どんなに格好悪くてもいい。
周りの人の目から見て道化のように映ってもいい。

それでも、己の信じたいこと、貫きたいことには正直になって生きてゆきたい。
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by syohousen | 2009-08-29 06:54 | つれづれと | Comments(0)

ここ最近の「うんざり」について その2

いつまで同じ人のプライベートを暴き続けるのだろうか、、、

犯した過ちはたしかに責められるべきことではあると思うが、
それに無理矢理関連付けようとして
その人のこれまで行なってきたことを何でもかんでも
掘っくり返そうとするその報道姿勢は一体何なのか、、、

ライブハウスで弾けていることの何が問題なのか全く分からないし、
かつての共演者の語るその人の印象にいかほどの意味があるのか分からない。

「清純派」なんてものは周囲の人間が勝手に作り出した虚像でしかないのに、
そのイメージにそぐわないことは全て悪として捉え、槍玉にあげ、
息の根が完全に止まるまで徹底的に叩き続ける、、、

しかもまるでそれが日本国民の総意であるかのような
歪んだ正義感に満ち満ちた態度で報道を行なっている様子を見ていると、
本当にうんざりしてくる。吐き気すら覚える。


正直言って、もうどうでもいい。


それよりも、マスコミが報じるべきことは沢山あるはずではないか。

いつまでこんな下らないことを大々的に報じてゆくつもりなのだろうか、、、
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by syohousen | 2009-08-28 09:27 | つれづれと | Comments(0)

勝たなかったら悔しいけど、

『Take me out to the ball game』

Take me out to the ball game,
Take me out with the crowd.
Buy me some peanuts and cracker jack,
I don't care if I never get back,
Let me root, root, root for the home team,
If they don't win it's a shame.
For it's one, two, three strikes, you're out,
At the old ball game.

≪日本語訳≫
『私を野球に連れてって』

私を野球に連れてって
球場の大観衆がいるところへ連れてって
ピーナッツとクラッカージャックを買ってくれたら
もう家に帰れなくてもかまわない
さあ、ホームチームを応援しようよ
もし彼らが勝たなかったら悔しいけど
ワン、ツー、スリーストライクでアウト
昔ながらの野球のゲームで



スポーツの素晴らしさ楽しみ方をここまで的確で端的に表現しているこの歌。
自分はこの曲を聞くと、本当にスポーツが好きでよかったなと思えてくる。

贔屓のチームが勝てば嬉しいし、勝たなかったら悔しいけど、
もし球場全体がこの歌のような気持ちで満ちていたなら、
そこに身を置けているということだけで、きっと嬉しくなってくるだろうなと思う。
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by syohousen | 2009-08-27 12:01 | つれづれと | Comments(0)

抱え込むのではなく、引き受ける

人は、他者と生きている以上、自分の責任分だけとしか向き合わずに
生きてゆくことなどまず不可能なことで、時には自分以外の人の、
理不尽とも言えるような責任すら背負わねばならないこともある。

別にそれは誰が悪いとか、そういうことではなくて、
きっと、人として生まれてきた以上、絶対に逃れることの出来ない
「宿命」みたいなものなのだと思うのだ。


だから、理不尽なことというものに対して
自分一人で全て抱え込むというのもあまり精神衛生上よくないだろうし、
かといって全部周りの人間のせいにして片付けてしまうというのも
もしかすると事実なのかもしれないが、まず事態の改善には繋がってこないだろうと思う。


もし、現状がうまくいかなくて、
その理由も、自分にとって何か納得のいかない理不尽なことが元となっているとしたら、
そんなことまで自分の責任に仕立て上げることはないのではないかと思う。

ただ、事態を改善させるために動くことができるのは
現状を把握し、その問題に対して実感を伴った理解の仕方をしている人間だけだから、
結果的に自分から動き始めなければならないというだけのことなのだ。


そこのところを混同してしまうから、
元々は自分にほとんど責任がないことまで抱え込んでしまって
なんだか納得のいかないまま自分を責め始めてしまい、
それが積み重なっていくことで、知らず知らずのうちに
「何で自分ばっかり、、、」という気持ちに変質してしまうのではないだろうか。

しかもそういう責任感の強い人というのは
その「何で自分ばっかり、、、」という気持ちに気付くと
無理矢理その気持ちを抑え込もうとしてしまうため、
その人の心の器は自分だけの想いで一杯になっていってしまう。

もしそうなってしまえば、
その器には他の人の想いの入り込む空きがなくなってしまい
冷静に見ることのできる目は曇ってしまうだろう。


理不尽なことというのは、
ある程度割り切ってしまってよいのではないかと自分は思っている。

ただ、事態を前進させるためには
その理不尽な現実を敢えて引き受けなければならない時がある、
というだけのことなのだ。


理不尽な現実を、抱え込むのではなく、自らの意思で引き受ける。

自分はそれを、理不尽さと「闘う」ことなのだと思っている。
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by syohousen | 2009-08-26 11:27 | つれづれと | Comments(0)

まずは、行ってみることから

いよいよ総選挙が近付いてきた。

まあ、もしかしたらもう既に期日前投票で
投票を終えてしまった方もいるのかもしれないが、、、
(特に今回は多いらしいので)



「選挙に行かない人間が、政治を語るな」
というのが父の口癖であったこともあり、
自分はこれまで選挙に行くことを欠かしたことはない。


選挙にも行かない人間が政治への不満を漏らすのは、虫が良過ぎる。
義務を果たさずに権利だけを主張する人間の言葉に説得力があるだろうか?

もし「投票するに値する人がいない」というのなら、白票を投じればいい。

「人がいない」ことが投票に行かなくてもいい理由にはならないし、
もし実際に人がいないと思っているのならば、
何らかの形でその自らの意思を世間に向けて表してゆかねば
事態は何にも変わりはしない。

例えば、現在投票に行かない有権者全てが白票を投じたとしたなら
(当然、あり得ないことであるのは承知の上だが)、
全有権者の約40%近くが白票を投じることとなる訳で、
そうなればいくら国民感情に疎いお偉いさん方でも
さすがに危機感を持つのではないだろうか。


まあ、そんな硬く考えなくとも、
選挙に行くだけで多少なりとも自分も政治に関わったという自覚が
自らの意識の中に刷り込まれる訳だから、
それだけで政治に対しての見方は変わってくるはずである。

まずは、そこから始めてみればよいのではないかなと思う。

知識なんてものは、後からついてくるのだから、
まずは関心を抱けるようなきっかけを自分自身で作り出してみればいいのだ。


案外、「人がいない」と思っているのは先入観による思い込みなだけで、
詳しく調べているうちに素敵な人との出会いがあるかもしれない。

中途な知識で断を下してしまうと(「投票しない」という判断も同様である)、
最終的にはそのツケは自分の身に跳ね返ってくる。

ならば、どんな形でもいいからまずは入り口に立ち、
その中に入ってゆくことが何よりも大事なのだと思う。
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by syohousen | 2009-08-25 10:55 | つれづれと | Comments(0)

馬鹿なりに

馬鹿が利口なふりをしても、仕方がない。

そもそも、見栄を張っても中身が伴っていないのだから、
結局は自分が損をするだけなのは目に見えている。

馬鹿は自らが馬鹿であることを抱えながら、
しかしだからといって決して卑屈になることなく、
馬鹿なりの真摯さで誠実に己の道を歩んでゆくしかないのだ。


昨日、半年ぶりに役者へと復帰したのだが、
ふと気付くとそんなことを考えている自分がいた。

また、そのような発想で常にいられるだけの気持ちの余裕を
今の自分は持てるようになっていて、
たとえその場ではうまくいかなかったとしても、
それを引きずるようなことが以前に比べて格段に減っていた。

こういう冷静さを持てるようになっただけでも、
役者から離れていたこの半年間という期間は無駄ではなかったなと思う。


こだわりや見栄や嫉妬などのネガティブな感情を無理矢理抑えこむのではなく、
それら全てを「そうなるのはしゃーないって」とばかりに自らの中で引き受けしまう。

そうしてみた時に、ものすごく気持ちが柔らかくなっていることに気付いた。



これまでの全ての道は、一つの例外もなく、これからの道に繋がっている。

無駄なことなんて、ひとつもない。
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by syohousen | 2009-08-24 12:07 | つれづれと | Comments(0)

8/12(水) 勉強会レポ『総選挙へ向けて』

◆◇◆声と身体の処方箋・定期勉強会◆◇◆
【ディスカッション】
『総選挙に向けて』

【レポート】
今回、政治についての資料を参考にしながら色々と話をしてみてつくづく実感したことは、「政治というものは、自分達の生活に大きく影響を与えることでありながら、こちらから見ると随分と遠い世界の話」なんだよなということ。

正直な話、政治に関して全くの素人である自分達にとって、政治家をはじめとして評論家や政治に詳しいと自負する人達の話などに触れていて感じるのは、あまりにもその話の内容に「前提」が多すぎてもうひとつピンとこないことである。
そして、なんとなくその話の内容も本質からかけ離れていっているような感覚を覚えてしまう。

それは無知な自分達にももちろん責任はあるのだろうが、己の愚かさを棚上げして敢えて言わせて頂くならば、その「前提」という目には見えにくく且つ高い壁に阻まれてしまい、無知から前進するための取っ掛かりがあまりにもなさ過ぎるため、その前進しようという意欲を奪われてしまう人が多いような気がする。
他にも例えばネット上によく見られる「そんなことも分からないのか」といった論調の書き込みや、議論のための議論に終始している人達を見ていても、なんとなく政治の話を敬遠したくなる人が増えてしまうのも分かる気がするのだ。

そもそも人は、皆が皆、同じ理解度を持っている訳でもなければ、同じ感性・思想という訳ではないのだから、全ての国民に「政治に対する“真摯な姿勢”や“賢明な判断”を求める」ということは非常に困難なことである。
もちろんそんなことは無知でい続けることを肯定する理由には決してならないが、しかし、政治離れの原因としては十分にあり得るものなのではないだろうか、、、

こういうことを言うと、「分からないような奴は放っておけばいい」などと言い出す人がいるが、もしそういうことならば、郵政選挙の時のような極端な選挙結果が出た際にそれを嘆いたりするのは矛盾しているのではないか。

これは若干のひがみもあるのかもしれないが、政治家も政治評論家もやたらと政治を語りたがる人も、皆一様に政治への関心が薄い人間を嘆いたり馬鹿にしたりしているが、実際にそういった人達が賢くなってしまうと自分達の立場が危うくなってしまう危険性もある訳で、実はあまり国民に賢くなって欲しくはないのではないかという穿った見方すら生じてきてしまう、、、(但し全員がそうだとは決して思ってはいないが、、、)


己の無知を棚に上げ、恥を承知の上でこのようなことを書いたが、上っ面の部分はマスコミによって面白おかしく扱われてネタとされ、一報で切実な思いを持って政治に向き合おうとする人間にとっては敷居が高すぎて一部の人間しか語ることができないというのは、何かおかしいのではないだろうか、、、


今回の勉強会にて色々話をしていてそんなことをふと考えた。

しかしまあ、そういった違和感と自らが無知であることとは話が別なので、自分個人としては、嘆くよりもとにかく勉強してゆくことに専心してゆこうかと思う。
そうしてゆく中で、もしかしたら何かしらの突破口のようなものを見つけ出すことができるかもしれないし、できないかもしれない。
が、何もしないのならば、「何も変わらない」という結果しか残らないのだから、どちらを選ぶか迷うこともないだろう。
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by syohousen | 2009-08-23 07:21 | レポート(勉強会) | Comments(0)

8/5(水) 勉強会レポ『トレーニング法のシェアリング』

◆◇◆声と身体の処方箋・定期勉強会◆◇◆
【トレーニング】
『トレーニング法のシェアリング』

【今回行なったエクササイズ】

●準備段階としての身体をほぐす●
■仰向けになって、意識を巡らすポイントを徐々に指先から全身へと広げてゆく
■ロックのかかっている部位や滞りを感じている部位を手でさすってみる
■王様マッサージ
■足ツボマッサージ

●筋力トレーニング●
≪体幹周りの強化≫
■腕立て伏せの姿勢になり、右手で左手の甲を、左手で右手の甲を体幹をブレさせずに交互に触れてゆく
■四つん這いの姿勢になり、そこから「右手・左足」もしくは「左手・右足」という襷掛けの組み合わせで「水平に伸ばす⇔肘と膝をくっつける」を繰り返してゆく
■うつ伏せになり、「右肩・左腿」もしくは「左肩・右腿」という襷掛けの組み合わせで背筋運動を行なってゆく
■肢股立ちの状態になり、腰の高さや股の開き具合が変わらないように気を付けながら右手で左足を、左手で右足を交互に触れてゆく

≪腹筋・背筋の強化運動≫
■仰向けになり、両脚を45度の角度まで揚げ、バタ足運動を行なってゆく
■仰向けになり、両脚を45度の角度まで揚げ、足で空中に「A~Z」を書く
■仰向けの状態から両膝を立て、ローリングで「上体を起こす⇔寝かせる」という作業を何度か繰り返す→上体を寝かせてゆく際に、みぞおちの奥の辺りが「クッ」と一瞬しんどく感じる角度になったらそこで上体をキープし、呼吸をリズミカルに行なってゆく(この際、喉を絞めたり胸の辺りの筋肉を固めないよう気を付ける)
■うつ伏せの姿勢から肘で上体を持ち上げ、全身を真っ直ぐの状態にしてキープする
■仰向けの状態から両膝を立て、両手はお尻の両脇に置き、腰を天井へ向けて揚げてゆく(反動を使って揚げるのではなく、背筋を縮めるような意識で)

≪表情筋の強化運動≫
■顔の筋肉だけで顔のパーツを上下左右(+前後、斜めなど)に寄せてみたり、真ん中に集めたり拡げたりしてみる
■舌を出して、上下左右に動かしたり回したりしてみる
■口を閉じた状態で舌で歯の表面を撫でるように回してみる
■口角を左右片方ずつ、もしくは両方同時に上下させてみる
■眉を左右片方ずつ、もしくは両方同時に上下させてみる

●丹田の感覚を掴むために●
■思い切り跳んでみて、足音を立てないように片足で着地してみる


【レポート】
・もう少し進行の段取りをきっちり決めてしまった方がよいかも。
→やはりある程度の仕掛けが必要か?(例えばトレーニングの際に競争してみるとか、ひとつのエクササイズに着目してみて徹底的に議論し合いながら深めてゆくとか)
→今回はダイジェスト形式で、軽い紹介をしてゆくような感覚で行なったが、毎回テーマを定めていった方がよいのかもしれない。

・呼吸法についてや滑舌の訓練などの発声関連のトレーニングも今後扱ってみたい。
・ほぐす系やストレッチ系中心でも行なってみたい。
・例えば演劇だったら稽古前、本番前を想定したアップの方法を検証してみるのもありかも。
・或いはマッサージに特化させた日を作ってみてもよいかも。

・参加者同士で「こういう時にどうしているか?」とか「このトレーニングの意味って?」とかいう風に活発な意見交換が行なえるようにしてゆきたい。

・そして、参加メンバーの増員は当面の一番の課題かと、、、
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by syohousen | 2009-08-22 06:24 | レポート(勉強会) | Comments(0)