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結論を出す前に

自分は、ただ闇雲に筋トレを行うよりも、
バスケットボールや木刀やバットを使用してのトレーニングの方が
遥かに苦痛に耐えられる力が湧いてくる。

たとえ腕が上がらないんじゃないかと思えるくらいの状態であっても、
素振りとかボールハンドリングの練習とかであれば全然耐えられたりするのだ。

やはり、訓練のための訓練になってしまえば飽きてしまうだろうし、
苦行になってしまう危険もあるだろう。


元々自分は怠惰な性分であり更には飽きっぽい人間なので、
トレーニングの継続性を持たせるため、いわゆる基礎訓練的なものは
モチベーションがまだ高い状態にある段階で行うようにして、
身体が辛くなってくる頃に好きなものを扱った訓練を持ってくるようにしている。

これは、自分の飽きっぽい性格をどうにかしたくて
色々と試行錯誤した結果到った手法である。


いや、厳密に言えば、
飽きっぽい性格についてはたぶんまだ改善できていないと思う。

しかし、それでも自主トレそのものは長続きできている。

それは何故かといえば、その「飽きっぽい」性格を“悪”として
とらえるのではなく、自分を構成する一部としてありのまま
受け入れた上で「ならばどういった方法によってなら長続きできるのか」
という地点から発想をスタートさせているからである。


「俺は飽きっぽいからどうしても長続きしないんですよね」とか
「何をやっても長続きしない私はなんて心が弱いんだろう、、、」とか、
そういったことを気にする前にまずはあらゆる手を尽してみるべきだと思う。

物事は捉え方次第。

結論を出す前に、まずはとことん悩み抜いてみるべきだ。

自分という存在は、
そんな簡単に結論を出せるほどつまらない存在ではないはずなのだから、、、
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by syohousen | 2009-04-30 07:25 | 俳優訓練について

「選ぶ」ことの責任

これは個人的な意見なのだが、、、

やるやらないは大した問題ではなく、問題なのは、
その決断に対してどれだけの責任を持ち
如何にして実現へと向かってゆけるのか、ではないのかと思う。

やってもいいし、やらなくてもいい。

重要なのは、その決断によって生まれた結果に対し
最後の最後まで面倒を見れるのかどうかである。


「やらない言い訳をしない」

とは、各紛争地域にて武装解除に取り組んでいる
瀬谷ルミ子さんが先週の『プロフェッショナル ~仕事の流儀~』にて
仰っていた言葉であるが、まさしくその通りであるなと。


決断には犠牲を伴うものも多い。

ある選択をすれば、当然「選ばれなかった選択肢」も生まれてしまう。

しかし、その責任を負うことを嫌がったり誤魔化したりしている限りは
絶対に一歩も前進することはできないだろう。


何の責任も発生しない決断しかできないというのは
結局のところ、何もしないことと変わらないのだと思う。
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by syohousen | 2009-04-29 08:19 | つれづれと

「変わる」ことと「身体」

最近、人の身体というものの面白さを再確認している。

先日も当ブログにて書いた「目」の変化による
精神面の変化をはじめとして、このところの自分は
身体の状態を意識的に変えることによって前向きな精神や、
よりリラックスした心持ちで他者と向き合えるような状態を
作り出せるのではないかということを色々と試している。

そしてその試みは、とりあえず現時点では
ある一定の効果を生んでいる実感を持てている。


そんな中でも、現在、特に効果的だなと感じたものをいくつか挙げると、

◆目周辺の筋肉を弛く持ち、ピントには具体性を持たせる
◆人とコンタクトをとる際の第一声は、可能な限り高めの声で入る
◆人と話す際、可能ならばなるべく早い段階で相手へ触れてみる
◆会話では話すリズムや声の大小・高低になるべく変化を加えるよう意識する
◆自分が行う一つひとつの動きのフォロースルーを心掛け、動きに対する意識を
  最後まで切らさない(特に手)

こんなところか。

どれもこれまでの自分に不足していた要素や停滞を感じていた部分を
打破するため、非常に効果的であるなと感じた手段であった。

読んでみてもお分かりになるかと思うが、
その一つひとつが本当に些細な変化であり、
当人の心掛け次第で誰にでもできるような方法である。


但し、ひとつだけ注意を促しておきたいのは、
上記の方法はあくまでも横山真という人間の足りない部分を
補おうという目的で導き出された手段であって、
万人が共通に効果が生まれる手段ではないのだということ。

身体に変化を加え、自らの精神面で不満を感じるポイントを改善したいと
思うのならば、その処方箋は当然のことながら人の数だけ存在するのだ。


が、だからこそ、そういった自分の身体のことを注意深く観察し、
それらへの対策を探ってゆくことは楽しいものでもある。

第一、「正しい生き方」といったような限られた答えなどないのだから、
自分の行動パターンを変えることによって起こる変化を、
そしてそれに伴う発見を、遊び感覚で純粋に楽しんでゆけばよいのだと思う。

そういう楽しみ方ができることこそが「学ぶ」ということなのだろうし、
そういう考え方でいられれば、きっと、生きること自体が楽しくなってゆくはず。
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by syohousen | 2009-04-28 09:50 | 俳優訓練について

「出会い」は日常に溢れている

「出会い」というものは、実は日常生活の中に溢れている。と、思う。

問題は、それをどれだけキャッチできるかどうかだ。

例えば、スポーツで感動した時とか、印象的なニュースを知った時、
または映画や音楽や小説や漫画などの作品に触れて感銘を受けた時、、、

もしそういった時に、それらのものから何かしらの影響を受けることによって
「よし、自分も動いてみよう!」という衝動が生まれ、
その衝動を元にして実際の行動に移すようなことがあったならば、
それはもう立派な「出会い」なのではないかと自分は思う。


つまりは、物理的に人と会い、
それによって知り合いが増えるという現象だけが
「出会い」なのではないということである。

逆に言えば、どんなに素敵な人・ものに触れることができたとしても、
それによって自分の中に何の変化も生まれないようであれば、
それは「出会い」とは言えないのではないか、ということでもある。


「出会い」というものは、自分の力の及ばないところからやってくる
言わば運命のようなものに左右される受け身のものだと
考えられがちではあるが、実は「出会い」にとって本当に大切なのは
「自分自身で如何にしてアンテナを張り巡らせるか」ということなのではないか。


ほんの些細な現象も逃さずに、
それらを他人事としてではなく我が事として捉え、
これからの自分に繋げられるよう具体的に動いてみることこそ、
より沢山の出会いに恵まれるコツなのかもしれない。


「自分にはいい出会いがなくて、、、」と嘆いている人。
それは「出会いの機会に恵まれていない」のでは決してない。

「出会いの卵」とでも言うべき機会は求めていけばいくらでもある。
ただ、それらを「出会いに繋げられない」というだけのことなのだと思う。
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by syohousen | 2009-04-27 09:02 | つれづれと

4/25(土) 半歩WSレポ

4/25(土)9:00~12:00 半歩先へ進むためのワークショップ @太子堂区民センター

【外界への印象】
《天候》
●雨
◆WS前
・風が冷たい
・寒いとか濡れるとか、身体へと受ける影響はネガティブなものが多いはずなのに、それほど嫌だという印象はない
◆WS後
・寒いのだが、何故か空気はそれほど冷たいとは感じない
・雨の勢いの割には音は静か

《空間》
◆WS前
・やっぱりここの床とはソリが合わない気がする
・雨のはずなのに、空気はカサカサする
◆WS後
・余計に床の冷たさが気になるようになった
・全方位の音が素直に入ってくるようになった
・物の色がはっきり見える

【身体状況】
◆WS前
・首の後ろ周辺が詰まっている
・瞼が重く、眼球がごろごろしている
・時たま左足の骨が痛むような感覚がある
・気持ちは落ち着いている
◆WS後
・足首から先、首周り以外はものすごく軽くなった。
・腹が減った
・自分自身の身体の輪郭がはっきりしているように感じる
・手のかさつきが消えた

【本日のメニュー】
■現在の身体状況を感じたまま言葉にして垂れ流してみる
■軽く雑談
■椅子に座り、気になっているポイントを手でさすって暖めてゆく
→床に横になるなりして、詰まりや緊張を除いてゆく
■一言フィードバック×3

■椅子に座った状態で、膝をバタ足のように動かして揺する
→横になって足をワイパーのようにして左右に揺らす→仰向けの状態で肩を挙げ、揺する
■フィードバック

■三人一組で王様マッサージ×5(ペアを変えつつ)
■フィードバック

■椅子を利用して下半身中心に刺激を与えてゆく
→全身に移行
■フリースタイルで身体の滞りをはずしてゆく

■全体のフィードバック

【レポート】
本日は朝から精神的にはなかなかすっきりとした状態でいられた。
が、そのよい精神状態に比べると、まだ身体の方には滞りを感じる部分が多く、身体よりも気持ちの方が先行しているような感覚であった。

が、やはり精神的に落ち着いていられるというのは様々なことに対してよい影響を与えてくれるらしく、普段よりもかなり早い段階で感覚の拓けた気持ちのよい身体状態へと到ることができた。

また、不思議なことに、今日はこのような素敵な状態への移行が、参加メンバー全員ともに例外なく非常にスムーズであり、これについては宏平さんも驚いていた。
特に今日の気候の状態(ここ最近の急な冷えと、雨という天候)を考えれば、これは単なる偶然とは言い難い気がする。
もしかすると、今日のメンバーは半歩WS全体でも比較的参加頻度の多いメンバーでもあったので、これまでの積み重ねの成果や、勝手知ったるメンバー同士故の呼吸の調和などが、うまく循環していけた結果だったのかもしれない。


「継続は力」とはよく言ったものだ。

知らず知らずのうちにここまで自分達の身体が変化していたことに驚きを感じると共に、このような素晴らしい場を提供して下さっている宏平さんへは、いくら感謝してもし足りない。

だからこそ現状に甘んじることなく、この場を今後も自分なりに最大限利用してゆきたいと思う。
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by syohousen | 2009-04-26 07:41 | レポート(外部受講)

部分は全体に通じている その2

予告通り、前回の記事の続きを。


「部分は全体に通じている」

この考え方は、あらゆることに当てはまる話なのではないだろうか。


例えば「禁煙」がそう。

たばこはたしかに身体へ様々な害を及ぼす。

が、それは「たばこの成分が人体へ及ぼす害」
という視点からしか現象を見ていない。

例えば、たばこを無理に我慢してしまうことで生じてしまうストレスが原因で
引き起こされるかもしれない問題についてはそこには含まれていない。

無理強いされての禁煙による過度なストレスによって
抵抗力が落ち、病気にかかってしまっては本末転倒である。


ただし、念のため言っておきたいのは
別に自分は喫煙を推奨している訳ではなくて、
「禁煙が必ずしも万能でベストな選択とは言い切れない」ということだ。

だからこそ、物事の一部分だけを見て安易な判断を下すのではなく
広い視野を持って全体を見据えて決断をしてゆかねば、
思いもかけない問題を生んでしまう危険があるということである。


「ダイエット」なども同様であろう。

「体重」ばかりに気を取られている人は多いが
重要なのは全身の体型バランスであろうし、
そもそも筋肉と脂肪では筋肉の方が重いのだから、
体重だけではなかなか太っているかどうかの判断は下せないはず。

また、「この器具を使えば」「食べなければ」という「○○すれば」という、
部分にしか注目しない発想でのダイエットがうまくいかないのも
当たり前といえば当たり前のことではないかと思う。

「太る」というものの原因は個々人で違うはずであり、
全ての人間が同じ理由で太ったりする訳ではない。

にも関わらず、皆が皆、同一の方法で、しかもそんなにもピンポイントな
原因設定での対処法で簡単に痩せることができるというのは
少し考えれば不自然な話ではないか?と思うのだが、どうだろうか。


昨今は縦割りの組織体制などが色々な問題を引き起こしている事例も多い。

たしかに分業化が進めば効率も上がるし、
仕事の精度も高まってゆくという素晴らしい側面がある。

が、そこの一つひとつの役割を持った人達が
自分が組織全体の一員であることを忘れてしまえば、
縄張り争いなどの弊害が生まれてしまう可能性も否定できない訳で、
実は非常に危険な側面も持っているのである。



部分があるから、全体は成り立つ。
部分は部分のままでは成立できない。

だからこそ、部分が全体に及ぼす影響力を侮ってはならないのだと思う。
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by syohousen | 2009-04-25 22:10 | つれづれと

部分は全体に通じている

昨日書いた記事によって少しだけ発想が膨らんだため、今日はその続きを書こうかと。


昨日自分は、
「苦しい時などには目の周辺の筋肉を弛めると気持ちに芯ができて
自分の中に強い意思が生まれるような心持ちになれる」と書いた。

そしてそれは、マイケル・ジョーダンの目の模倣をしてみた際に
気付くことのできた感覚であるということも書いた。

しかし、そこに気付いてからというもの、
少しずつではあるが感覚を掴んだと実感した瞬間の状態から
遠ざかっていってしまっているのを感じるようになった。


それは何故なのかと、初めの時と今の自分の身体の違いや変化を
様々な角度から考えてみた結果、ひとつの結論に到った。

それは、「部分は全体に通じているのだ」ということ。

まあ、いきなり結論から書いてしまっては、
恐らくは全く意味が繋がらないかと思う。

そこで一から説明させて頂くと、
本来、自分の気持ちに一本芯が通ったような感覚を体験できたのは、
マイケル・ジョーダンの目の模倣を試したのがきっかけである。

しかし、その模倣によって新しい感覚の発見が生まれ、
そこへ到るための重要なポイントも見えてきてしまったがために、
それまでは踏めていた然るべきプロセスを省略してしまうようになってしまったのだ。

今回の場合で言うならば、
必要なポイントは目の周辺の筋肉だと理解してしまったがために、
目の周辺にばかり意識がいってしまうようになってしまった。

だが、実際は他の部分も影響し合った上で、
最も重要なポイントが目の周辺の筋肉だったというだけのことなのだ。

自分の中の感覚としては、目の周辺の筋肉が弛むことで、
ほお骨周辺の筋肉が弛み、そのに伴って顎周りも弛み、
首、肩、胸と連鎖的に弛んでゆくという現象が自分の中で起こっていた。

にも関わらず、「弛めるポイントは目の周りだ」と気付いてしまったため、
無意識の内にそのポイントのみが頭の中に刷り込まれてしまったらしく
その他のほお骨以下の弛めるべきプロセスを省略してしまったのが、
結果的には形だけを再現してしまう状態に到ってしまったのだと思う。


部分だけを見て、そこが全体の一部分であるという認識を忘れてしまうと、
結局はその部分すらうまく回らなくなってしまうのだろうなということを、
今回の経験から実感の伴った理解として学習させてもらった気がする。

「木を見て森を見ず」とはよく言ったものである。


もう少し書きたいことがあるのだけれども、
長くなってしまいそうなのでこの続きは次回に。
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by syohousen | 2009-04-24 08:53 | 俳優訓練について

「模倣」という学習

先日、筋トレやランニングをしていて苦しくなった際、
ふとした瞬間に「もうひとふん張り法」のようなものを掴んだ気がする。

どのような方法かというと「顔の筋肉を弛める」ということ。

もっと厳密に言うと、目の周辺の辺りを弛めることを強く意識する
(ピントをはっきりさせる、眉間を弛める、後頭部からものを見るイメージ)だけで、
多少の苦しさには揺らがない強い気持ちが持てる気になってきたのだ。


この感覚にどのようにして気づけたのかと言えば、
元NBA選手のマイケル・ジョーダンのプレイ中の目を
自分なりに模倣してみたのがきっかけであった。

あのように強い意志を持った目というのはどうやったら備えられるのか。
ジョーダンは世界はどのようにして見ているのか、どのように見えているのか。

そういったことをちょっとした目線の動きや
目周辺の筋肉の強張りなどをよく観察し、
表面的な形だけではなく感覚面など様々な角度から想像しつつ真似をしてみた。

すると、精神的にも芯の通った安定感のある
強い気持ちを持てたような気がしてきたのだ。


模倣というのは、やはり素晴らしい学習法なのだなということを改めて実感できた。

それが本当に似ているのかどうかや全く同じ状態であるのかなどは
あまり重要ではなくて「これまでの自分にはない感覚を探るひとつの手段」
という視点から取り組んでゆくことで新しい発見が生まれるためである。

今後も、色々と試してゆきたいなと思う。
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by syohousen | 2009-04-23 08:10 | 俳優訓練について

「地球に優しい」という言葉について

近頃よく聞く「地球に優しい」という言葉。
その言葉に自分はなんだか違和を感じてしまう。

そもそも、エコロジーという考え方は地球の立場に立ってみれば
「当たり前」のことであるはずだ。

しかし人間がより快適な生活を追求するための行為の中には
地球にとって害になるような要素が多く含まれており、
そのために色々と地球環境にとっての不都合が生まれてきた訳なのである。

そういう考えで見てみると、エコロジーという考え方というのは
「自分達人間が生かしてもらっている地球という存在に対する恩返し」
と、とらえるべきなのではないのかと思う。


いじめっ子が人をいじめなくなったからと言って、
「人をいじめなくなった彼は、なんて優しい人なんだ」
とは言わないはず。

本来は授かり物であるはずの子供に対し
「作る」という言葉を平気で使用できてしまう感覚同様、
「地球に優しい」という言葉の中には
どうも現代人の思い上がりのようなものを感じてしまわざるを得ない。

「生かしてもらっている」のだという感謝の心を、
自分達は決して忘れてはならないのではないかと思う。
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by syohousen | 2009-04-22 08:17 | つれづれと

4/11(土) 半歩WSレポ

4/11(土)9:00~12:00 半歩先へ進むためのワークショップ @代田南地区会館

【外界への印象】
《天候》
●晴れ
◆WS前
・朝の段階で既に暖かく、穏やかで落ち着く気候
・日差しは若干強い
◆WS後
・朝よりも暖かく、とても気持ちのよい気候
・空気は非常に乾燥している

《空間》
◆WS前
・妙に暖かい
・のっぺり、ぼんやりとした印象
◆WS後
・窓の外にいる犬や子供の活動的な空気が、室内にも伝波してきたように感じる
・明るく感じるようになった

【身体状況】
◆WS前
・鼻の奥、そして扁桃腺の辺りが炎症を起こしていて咳が出る
・鼻水が出る
・首周りがかなりガチガチに固くなっている
・目の周りがぼんやりしている
◆WS後
・淡がからむようになって、喉が楽になった
・首周りの緊張は解けたのだが、揉み返しのせいか重くなってきた
・腹が減った
・視界が拓けた
・重心が安定し、姿勢の崩れがある程度修正された

【本日のメニュー】
■現在の身体状況を感じたまま言葉にして垂れ流してみる

■椅子に座り、気になっているポイントを手でさすって暖めてゆく
→足を揺すりながら膝から先のロックを外してゆく
→股関節や太股から揺すって
■床の上に仰向けになり、膝でふくらはぎの辺りに刺激を与える
→膝をバタ足のように動かして揺する
→足をワイパーのようにして左右に揺らす
→骨盤を左右に揺らす(仰向け→うつ伏せ)
■フィードバック

■椅子を利用して下半身中心に刺激を与えてゆく
→全身に移行

■三人一組で王様マッサージ×3

■全体のフィードバック

【レポート】
今日は本当に体調が悪かった。
朝起きた直後はそこまで辛い状態でもなかったのだが、WS会場へ向かっている中、身体が起きてくるのに伴って徐々に体調の悪さが自覚され始め、WS開始前くらいには身体の重さや喉の痛みがピークにまで達していた。

ここ最近の空気の乾燥に、喉や鼻の粘膜が完全にやられてしまっていたようである。
元々、鼻炎や喘息など、気管系に持病を多く抱える体質のため、空気の乾燥が激しい冬場から春の始めあたりの時期には、寝る際に濡れたタオルを枕元に干してみたり、首周りを冷やさないようタオルを巻いて寝るようにしていたのだが、それでも追いつかないくらいにこのところの乾燥具合は酷かった。
なにせ夜寝る直前に干した濡れタオルが、朝起きた時にはパリパリになっていたほどだ。
そのためなのか、起床直後に鼻をかんだ際、鼻の奥が炎症を起こした影響か血が混じっていたことが何度かあった。

そういった状況を受けての今回のWS。
宏平さんにも自分の身体の状態を見ながら無理のない範囲で取り組むようにと声をかけて下さるなど色々と気を遣って頂き、感謝の気持ちと己の体調管理の甘さに対する不甲斐ない気持ちを抱きつつの3時間だった。
まあ、だからこそ、現状のよい点悪い点の全てを最大限利用しつつ、今後に繋がる発見を伴った有意義な時間にしようとも思いながら一つひとつのエクササイズに取り組んでゆくよう心掛けていった。

決して無理はせず、しかしだからといって決して手は抜かず、集中だけは切らさないよう強く意識し、自分の身体の少しの変化も見逃さないように丁寧に取り組んでいった。
すると面白いことに、自分の中の悪いもの、老廃物のようなものが身体の外へと出たがってきているのか、WSの後半に入ったあたりから身体の滞りが身体の上の方へと集まってくるような感覚になってきて、最終的には実際に痰がからむようになるという形で表に表れてきた。

また、これはWS終了時に気付いたことなのだが、体調を崩してからそれに伴って崩れてしまっていた身体の姿勢が、自然と修正されていた。
不調の時にはいくら修正しようと思っていても修正できなかった重心の位置、首の後ろの強張り、顎周りの緊張などが取り除かれていたのだ。

不調の時ほど何とかしようと気持ちも焦り、すぐに結果が欲しくなるため近道をしたくなってしまいがちであるが、そういう時にこそ大事になってくるのは、焦ることなく然るべき順序を以て必要と思われる段階を一つひとつ丁寧に踏んでゆくことなのだろうと、今日の体験から再確認させてもらえたと思う。
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by syohousen | 2009-04-13 22:26 | レポート(外部受講)