<   2008年 12月 ( 12 )   > この月の画像一覧

2008年を振り返って

今年も残すところあと2日となりました。

思い返してみれば、今年は「種蒔き」の1年だったように思います。

定期診断個人レッスン勉強会演劇公演へのトレーナー参加
芸術家のくすり箱事務局スタッフ参加、等々、、、

指導者として試行錯誤を繰り返しながら、
自らの今後の方向性を見極めてゆくことを強く意識しながら活動をしてゆきました。

結果、アイデア・課題共に次々と見付けることができ、
多くのやらねばならない事とやりたい事を来年以降の自分へと
提供することができたなと、強く実感しております。

蒔いた種が無事に芽ぶくかどうかは、当然、その手入れ次第。
しっかりとした根の張った花へと育てるためにもより一層の精進をしてゆきたく思います。

どうぞ来年も『声と身体の処方箋』をよろしくお願い致します。

では、よいお年を!
[PR]
by syohousen | 2008-12-30 15:17 | ふりかえり | Comments(0)

【第20回】定期診断レポ

12/21(日)18:00~21:30 【第20回】声と身体の定期診断 @山野区民集会所

【今回のテーマ】
■受信者の現状をしっかりと提示する。
■中途な知識、情報は口にしない。
■ポジティブ・ネガティブ関わらず現状を濁さずはっきり伝える。

【今回の反省】
●言葉に枝葉末節が多い。もっとコンパクトに。
●停滞してしまう瞬間があり、途中で診断のテンポが崩れた。
●指導が“実感”ばかりの方向に偏り過ぎていた。

【次回テーマ】
◆受信者のペースも尊重しつつ、気持ちのよいテンポでの進行。
◆自分の変化を実感できる診断。
◆“実感”と“理解”のバランス。

今年最後の診断。
当診断もこの一年でとても大きく変化していったように感じる。
おそらく今後も変化し続けてゆくのだろうと思う。

今回は、これまでのやり方を手放して何の前提も持たず、心を裸にして目の前の受信者ととことん向き合うスタンスで臨んだ。
結果、反省すべき点も多く生まれたが、それ以上に今後に繋がる収穫が沢山あり、自分ならではの指導の方向性のようなものがほのかに見えてきた気がする。
が、もしこのスタイルでいこうとするのであれば、まずは自分自身が誰よりも成長し続けてゆかねばならないのだと思う。

もっともっと、自らを高めることに貪欲になってゆきたい。
[PR]
by syohousen | 2008-12-22 21:52 | レポート(主催) | Comments(0)

【第20回】声と身体の定期診断

【第20回】声と身体の定期診断

■日時:12/21(日) 18:00~21:30
■会場:世田谷区内公共施設(ご予約後、案内メールにてお伝え致します)
■料金:2000円

◆対象:声で悩みを持っている方、自らの声に出会いたい方であればどなたでも。
◆定員:5名 ※定員に達し次第締め切らせて頂きます。

★受診者の方には、後日処方箋メールをお送り致します。

●申込み方法●
① お名前(ふりがな)
② 職業、もしくは普段行なっている活動
③ 連絡先
④ 今の自分が獲得したいと思っている声
⑤ 今回の診断で診てほしいポイント
⑥ 診断で使用したいテキストの有無とその内容

を明記したメールを、
prescription_voice@yahoo.co.jp宛にご連絡下さいませ。
[PR]
by syohousen | 2008-12-21 18:00 | WS・勉強会・セミナー情報 | Comments(0)

ミニバスのチームに感じたこと

昨日、地元で『蘢球祭』というミニバスの大会があったため、観に行ってきました。

そこで感じたのは、強いチームというのはきちんとした礼儀作法が身に付いているのだな、ということ。
挨拶ひとつとってみても、「強いな」と感じるチームほどそこのところがしっかりと習慣付いているので、見ていて非常に気持がよいのです。

もちろん、挨拶さえできていれば強いチームかと言ったら必ずしもそうではないし、「監督やコーチなどから怒られるから」という発想で命じられるままに嫌々挨拶を“やらされている”チームも時たま見られます。

思うに、そういった最低限の礼儀作法などを、たとえはじめのうちはやらされていたとしても、その習慣が身に付いてゆくにつれてそれらが自分のものとなってくるので、自然と普段からの心構えも変わってきます。
心構えが変わってくればプレイも変わる訳で、プレイが変わればこれまた自然と心持ちに余裕が生まれてくるはずです。
そのような良い循環に身を置けるようになってくる中から、強いチーム(相対的な強さというよりも人間的な強さ)というものは生まれてくるのではないのかなと、昨日いくつもの試合やチームを観ていて感じました。

「子供の自主性を重んじる」のと「躾を行わない」のとは、似ているようで全く違います。
子供が向かうべき方向を躾という形で指し示す事はやはり必要なことであるし、また、その躾というものの中から子供が何を学びとるかが重要なことなのだと思います。

なにも子供に厳しく当たるだけが躾を身に付けてもらうための方法ではありません。
むしろ、しっかりと目の前の子供と向き合いながら「なぜ、挨拶が必要なのか」、「なぜ、部屋の中では帽子を取らねばならないのか」などといったことを、受け売りではなく自分の言葉で一つひとつ丁寧に教え、時には一緒に考えてゆくことの方が躾では重要なことだと思います。

たとえ思うようにいかなくても、我慢強く子供とは向き合うことです。
子供は自然と同じで決して御することはできませんし、御するべきでもありません。
まずは子供を「受け入れる」ことから始めてゆくのが、実は躾を身に付けてもらうための近道なのではないかというのが、自分の考えです。

なお、「子供と自然」については長くなりそうなので、後日また改めて書かせて頂きます。
[PR]
by syohousen | 2008-12-21 08:06 | つれづれと | Comments(0)

呼び方

以前、某劇団の主宰で自分が大変お世話になっているNさんより、
自分のある言動について指摘を受けた事がありました。

それは、「客」という呼び方についてです。

Nさん曰く、「呼び方っていうのは、その対象への向き合い方に繋がるからね」との事。

あれ以来、自分は決して「客」という呼び方はしておりません。
必ず「お客さん」と呼ぶようにしています。
すると、お客さんとの向き合い方というか距離の取り方まで変わってきました。

なんというか、うまく言葉では説明できないのですが、
まさに「客」でもなく「お客様」でもない「お客さん」という言葉通りの、
程よい距離感になってきたのです。


言葉というものは、こういう形でも人を変えてくれる力を持っているのだと、
非常に感銘を受けたのを記憶しております。

そう考えてみると、自分の発する言葉一つひとつに責任を持つという事は、
礼儀や周りへの気遣いだけではなく、自らのためにもなるという事なのでしょうね。
[PR]
by syohousen | 2008-12-20 08:24 | つれづれと | Comments(0)

かかわりあい

以前、客演先のブログにて人と関わることについて書いた事があったのだが、
先程その記事を読んでみたらその考え方は今も変わっていないなと思えた。

今日は、その時書いた記事を紹介させて頂きます。



目を開けて、手を見る。
ここに手があると、確認する。

目を閉じてみる。
それでも手はここにある、、、はず。


「見る」「見ない」の違いだけでその後ろに“はず”が付いてしまうのはなんでだろ。
もしかしたら見えてるけどここに手はないのかもしれないのに。

昔、そんな事を考えて、なんか怖くなってきた事があった。

でもその時、何気無くその手で何かに触れてみたら「あ、ある」って安心できた。

今考えてみると、
人と関わるってのはそういう事なのかもしれないなぁ。
[PR]
by syohousen | 2008-12-19 07:56 | つれづれと | Comments(0)

当たり前

「当たり前」というものほど怖いものはないと思う。
というより、当たり前のことなどあるのだろうか?

自分が今、こうして存在している事ですら、気の遠くなるような長い年月と薄い確率が積み重なってきた結果であり、決して当たり前のことなどではないはずである。
或いは、そこまで壮大に考えずとも、例えば山登りをすれば呼吸が苦しくなり、普段なら当たり前だと思われていた「呼吸」というものが如何に大変な行為であるのかが実感できるはず。


この1~2年で、食糧不足や異状気象をはじめとした環境問題、そして年金問題や政策の不備、最近では雇用問題などと様々なところで綻びが生まれているのも、国家レベルの大きなところでの問題だけが責任なのではなくて、もっと個人レベルの小さなところで「当たり前」に支配されてしまっている現代人の発想にも責任はあるのではないかと自分は考えているのだが、どうなのだろうか。
一見当たり前のように水が飲める事も、働いて給料をもらえることも、決して当たり前の事ではない。
だからこそ、この「当たり前」に見える事柄がどういう過程を経て現在に到ったのか、そこに思いを馳せられるような意識を持って生きてゆく事は、非常に重要な事なのだろうと思う。


以前、自分の知人がとても素敵な言葉を教えてくれた。
それは、

「与えられた時間」

という言葉。
この言葉と出会って以来、自分は「当たり前」という思考に支配されそうになった時、この言葉を心の中で繰り返すようにしている。
[PR]
by syohousen | 2008-12-18 09:35 | つれづれと | Comments(0)

今と地続きの、道

昨日、井上雄彦『リアル』の6、7巻を買いました。
本当に、この作品に出てくる言葉には痺れるものが多い。
その中からとても好きなものをひとつ。



俺は何を目指すのかすらまだ見つかってねーや

でも だからこそ
今を生きることにした

おめーが踏みにじってる今を

今いる場所がつまんねぇ職場だろうと
俺の道であることに変わりはねぇ

俺のゴールにどうやってつながるかは知らねぇが

いつかつながることだけは確かだ
[PR]
by syohousen | 2008-12-17 18:35 | つれづれと | Comments(0)

「なぜ」

自分は何か疑問に思ったことに出会ったり、失敗した時の反省をする際には、
「なぜ」を最低3回は繰り返してみるようにしてます。

どういうことかといえば、

まずは大本の事象に対し「なぜ」と自問し自分なりの答えを導き出します。
そして、その答えに対しても「なぜ」と自問することで原因をもう一段階深めます。
そうしながらいけるところまで同様の自問を繰り返し、とことん掘り下げてゆきます。

こうして安易な印象だけの感情論に陥らないように気を付けている訳です。

中途な情報に振り回されてしまうことほど怖い事はありません。
特に今のような情報過多の世の中では。

得た情報を吟味しようという意識を常日頃から忘れずに生きてゆくことは、
きっとどのような分野の世界であってもとても重要な事なのだと思います。
[PR]
by syohousen | 2008-12-16 08:42 | つれづれと | Comments(0)

変化 その2

先日、自分の声が以前に比べて変化していると書いたのだが、
どうやら変わっているのは他にもあったようである。


その中でも一番顕著だなと感じているのは、「文字」。

今の自分が書く字には、以前の自分の字に比べて
一本芯が通っているような印象を自分でも受けるのだ。

事実、書く際にも肚で書いているような感覚が身に付いてきている。


こうして、これまでには思いもしなかった自分に気づく事。

これほどの楽しみはそうそうないのではないかなと、つくづく思う。
[PR]
by syohousen | 2008-12-15 20:14 | つれづれと | Comments(0)