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処方箋WS #3レポート(最終日)

2007年11月25日(日) 『声と身体の処方箋WS #3』最終日 @みらい館大明

【メニュー】

●個別診断

本日は『声と身体の個別診断』。

今回、自分の身体で表現する立場ではないという方が参加しておりました。
参加の理由は、日常会話の際に「何を言っているのか分からない」と言われる事が多く、その原因究明と改善策を見つける事ができれば…という想いのもと参加下さったとの事です。
こういった方の参加は指導者としては非常に光栄な事ですし、だからこそ責任も重大です。
普段自分が指導者として接している方々へ向けた、表現に繋げる事を目的とした指導とは主旨が違うので、自分にも学ぶところの多い診断となりました。

自分の世界とは違う文脈の方へ指導する際、いわゆる役者同士での共通言語のようなものは通じません。また、疑問に思うポイントも新鮮で、思いもしないところに引っ掛かったりするので、もしかすると自分の方が発見が多かったのではないかと思います。

今日の診断は自らの指導を客観的に見つめ直すよい機会となりました。
この発見は、今後の自分の活動への財産としてゆきたいと思います。
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by syohousen | 2007-11-26 22:11 | レポート(主催) | Comments(0)

処方箋WS #3レポート(2日目)

2007年11月24日(土) 『声と身体の処方箋WS #3』2日目 @みらい館大明

【メニュー】

●単語拾い
●ワンフレーズコミュニケーション(台詞→設定)
●ワンフレーズコミュニケーション(設定→台詞)
●単音コミュニケーション
●テキスト読み(フラット→全力→フラット)
●テキスト読み(設定ずらし)

本日のテーマは『言葉という道具』。

言葉というものは、コミュニケーションの中の数ある要素のうちの一つでしかありません。
従って、言葉との適切な距離感というものを捉えておかなければ、言葉の意味だけで他者とコミュニケーションをとろうとしてしまうため、感情の部分での行き違いの原因にも繋がりかねません。

会話においては、言葉を使う人間の状態こそが最も重要な要素であると言えるのです。
今日のWSでは、それを身体で実感して頂けるようなメニューを用意しました。

敢えて使用できる言葉に縛りを設け、その上でどう他者とコミュニケーションをとってゆくのか…実際にやってみると、普段いかに不用意に言葉を使っているのかがよく分かります。
それによって「道具としての言葉」というものは徐々に実感されてゆくであろうと思います。

何事も、自覚する事から始まります。ですので、本日のWSにて自分の思うようにいかなかったとしても全く気に病む事はありません。
「自分は言葉にとらわれている」という事実をいかに受け止め、その事実をどう生かすのか、それが大切な事です。
WSの時にうまくいったのかいかなかったのかなんてものはさして重要な事ではなく、このWSで何を持ち帰れたのか…それこそが最も重要な事なのです。

言葉を発する事が目的なのではなく、目的を果たすために言葉があるのです。
そこのところを今日のWSで実感して頂けたなら幸いです。
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by syohousen | 2007-11-26 19:36 | レポート(主催) | Comments(0)

処方箋WS #3レポート(初日)

2007年11月23日(金) 『声と身体の処方箋WS #3』初日 @みらい館大明

【メニュー】

●大嘘自己紹介×3→分析
●あっち向いてホイ(ノーマル→緩急→声なし→声なし+緩急)
●距離感
●登場・退場
●恥ずかしい言葉一つ
●立ち座り

本日のテーマは「非言語という言葉」。

人間の他者との関わりの中において、言葉以外の要素にどれだけ情報が詰まっているのか…。
自分では自覚していなくとも、例えば言葉の選び方、話の構成の仕方、話すときの仕草・目線・姿勢、他者への距離の取り方…など、言葉を発する際には言葉の意味以外にも膨大な情報が詰まっております。むしろ、そちらの印象の方が会話の際言葉そのものの意味より重要だったりする事が多々あります。
役者の場合、台本を手がかりに役を探ってゆくものでありますが、言葉の意味だけを取り出して読み込んだところでそういった身体的な情報は書かれてはおりません。

そこで、本日のWSでは敢えて言葉を取り払い、その上でお芝居を構成する本質的な要素だけを取り出し、実感して頂けるような内容のメニューを中心に組みました。
お芝居、特に生ものである舞台における台詞というものは、役者の肉体・役者同士の関係性・舞台上の空気感・役者の出入りによる変化…といった様々な要素の上に乗っけるだけでよい存在であるのではないかというのが自分の持論でありまして、逆に言えば、もしその状況で台詞がなくても全く支障のないくらいの状態になってようやく言葉を発する事ができるのではないのかなと思うのです。

しかし、他者が書いた言葉だからなのでしょうか、簡単というか不用意に台詞を発する事ができてしまう役者が非常に多いように感じます。
大体、「愛してるぜ」とかそういった類の台詞を日常で恥ずかしげもなく吐ける人がどのくらいいるのでしょうか?少なくとも自分は目茶苦茶恥ずかしくてとてもじゃないですが言えません。言った日には顔が真っ赤になってどこかへ消えたくなってしまいます。

が、それなのに台詞になると何故そんな恥ずかしい言葉を平然と発する事ができるのでしょうか?
また、そんな恥ずかしい言葉を何の疑問もなしに発する役者にはたして感動があるのでしょうか?

自分は、そんな人を役者とは呼びたくありません。そんなのはただの戯曲読み上げ係です。

本日のWSを見る限り、様々な事、特に言葉に対しいい意味で“臆病”な役者さんは素敵だなと再確認できました。臆病な方が、その分恐怖を乗り越える時のエネルギーが強いですから。
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by syohousen | 2007-11-24 01:37 | レポート(主催) | Comments(0)