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「いい声」という幻想

『発声』というものに取り組もうとする時に陥りがちなのは、

「いい声を出せるようになりたい」

と考えてしまう事です。
しかし「いい声」というものは何なのでしょうか?

よく通る声?
よく響いて心地よい音色の声?
言葉が聞き取り易い声?

そもそも、声というのは一人ひとり違います。同じ声の人間なんていません。
それなのに『いい声』という模範解答的なものが果たして存在するのでしょうか?
自分はそれは幻想でしかない、と思います。

考えてみてください、お芝居を観ていて、舞台上の人間全てが江守徹さんの声だとしたらいかがでしょうか?江守さんの声は非常に魅力的です。あの声を聞けば誰もが「あ、江守さんが喋ってるな」と分かります。しかしあれは、彼の声だから魅力的なのであって、みんながみんなああいった声を出してしまっては面白くも何ともないと思います(まあ、違った意味で面白いのですが…)

それよりも、芝居で言うならばその作品やその役に、音楽であればその曲に、日常生活においてであればその目的に対して一番適した声を出す事こそが最も大事な事なのではないのかでしょうか。
ありもしない模範解答的な声を出そうとしたところで、それは自らの身体を無視した声で、その人ならではの声ではないのです。別の言い方をすれば、そのような声というものは結局のところ練習すれば誰でも出せるような声でしかありません。

声を発するという事がどういう事なのか、何故声を発しなければならないのかをよく考えてみて下さい。声を出すために声を発する事ってあるでしょうか?少なくとも自分にはそのような経験はありません。やはり声を発するにはそれなりに理由、目的があると思います。

まとめてみますと、自らの身体と向き合い、そしてその状況においての自分の目的を果たすために一番適切な声を出す事ができれば、たとえのど声だろうと価値のある声になりうるはずです。
なぜならそれは、誰にも出す事のできない

「その人だからこそ出せる、その人の人生を背負った声」

だからです。
ありもしない「いい声」という幻想に縛られてしまう事、これこそが発声に取り組む際最も気を付けなければならないことであると思います。
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by syohousen | 2006-10-25 17:52 | 俳優訓練について

声と酒

よく誤解している人がいますが「酒=喉に悪い」という訳ではありません。

また逆に、喉に直接いい飲み物というものもありません。

当たり前です、直接声帯を飲み物が通ったら気管支炎になってしまうので、
飲み物を飲む度に大変なことになってしまいます。


では、なぜ酒を飲んだ後というのは
喉が痛くなったり声が疲労しているのでしょうか?


それは、アルコールを摂取することで
声帯の感覚が麻痺してしまうということが大きいと言えます。

そんな状態にも関わらず気分だけは高揚してしまうために
必要以上におしゃべりをしてしまうから、負担が大きくなっても気付かない。

特に飲み屋などはうるさいため自然と声が大きくもなります。

また、お酒を飲みすぎると
アルコールの分解のために身体の中にある水分が
大量に消費されてしまい、結果的に喉が乾燥してしまいます。


これが飲み会で喉を傷める原因です。

つまり、決してお酒そのものが悪い訳ではないのです。


では、蜂蜜や生姜をお湯で溶かしたものを飲むと喉にいいと
よく言われますが、それは何故なのかと言うと、
蜂蜜や生姜というのは殺菌作用が強いため
気管の入口近辺の雑菌等を殺菌してくれるのです。

それプラス、ホットなので蒸気の発生が喉の乾燥を防いでくれることも
好効果を生んでくれているのかもしれません。

これは実際に咽喉科の方に直接伺った話なので信頼できる話です。


思うのですが、こういうことを知らずに、
飲んでる人に対して「何やってるんだ」と怒るのは違う気がします。

飲む=悪という短絡的発想、それはすごく無責任ではないでしょうか?

この一件に限らず、あるひとつの行為からくる思い込みともいえる先入観だけで
人に意見することは決してあってはならないことです。


そういった発想にならないよう、自分も肝に銘じてゆこうと思います。
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by syohousen | 2006-10-14 17:09 | 声・身体について

「聞く」ということ

自分は音を耳だけでは聞いてません。身体全体で聞いています。
感覚的に言うと、音を“触る”という感じです。

音を触るとはどういうこっちゃ?とお思いになるかもしれません。
しかし自分としてはこれが一番しっくりくる表現なのです。
とはいえ自分の言葉でばかり綴っていても読んでいる方にはさっぱりですので、もう少し丁寧に分かり易く説明しようかと思います。

皆さんは、「あの人と話していると不思議と落ち着く」とか「あの人と話すとなんだか疲れる」といった経験はありませんか?もしくは芝居や音楽のライブを観終わった時無性に歌いたくなったり、逆に話すのも億劫なくらい喉がいがらっぽくなったりしませんか?
このような症状はなぜ起こるのか。それは、人間は音を聞く際「共振」しているからです。
のど声の人と話したり、またはそういう人の舞台を観たりしている時というのは、人はそれにつられて自然と喉へ意識がいってしまいます。人というのは話を聞こうとした時、基本的には相手と呼吸を合わせないと話の内容が耳に入ってこないからです。

「そういうもんかね」と思った方、ためしに人と話している時前触れもなく急に息を止めてみて下さい。相手もこっちが再び呼吸を始めるまで息を詰めているはずです。もしくは呼吸を止めないまでも身体が緊張状態になっているはず。仮にもし相手が無反応なら、それはあなたの話を聞いていない人です。今話していた内容を問いただしてみて下さい。きっと答えられないはず。

このように“呼吸”と“聞く”という行為は非常に密接な関係にあります。
そして呼吸が変われば肉体にも変化が表れます。
のど声の人と呼吸を合わせれば自分も喉が緊張しますし、解放された喉をもった人と呼吸を合わせれば自然と喉が解放されていきます。そう考えると、素晴らしい歌を聞いた後に自分も歌いたくなるのは当然の事だと言えるでしょう。

その「呼吸が合う」という現象を指して「共振」と自分は呼んでいます。

それでは、逆にその「共振」を意識する事で相手の肉体の状態を診断する事ができるのではないでしょうか。
疲れた呼吸、うきうきしている呼吸、焦っている呼吸、相手が今どのような呼吸なのかを自分の身体に置き換えるようにしながら呼吸を合わせてみるのです。きっと相手と同じような気持ちになってくる事と思います。それが最も分かり易い形で表れた例が「もらい泣き」だったり「つられ笑い」だったりする訳です。
ですから、耳のいい人間ほど他人の感情の変化に敏感です。

そこで冒頭に挙げた、音を“触る”という感覚に繋がります。音に敏感になると、声だけでなく音の響き方によって身体の部位がいちいち反応するようになってきます。
具体的な例を挙げるならば、ガラスを爪などで引っかいた音を聞いた時、自分の爪がむずむずしたりしないでしょうか?そのような反応がもっと何気ない音でも感じられるようになってくるのです。それはあたかも音に“触れて”いるような感覚なのです。

とまあ色々と書き立ててみましたが、このように人間は決して耳だけで音を聞いている訳ではありません。
これは聞いた話なのですが、難聴の方にノリのいい曲、いわゆる癒し系の曲、バラード系の曲を聞かせてみたところ、それぞれの曲で違った反応を見せたそうです。
これこそが音は身体で聞くものだという何よりの証拠ではないでしょうか?

「いい耳」とは何か、それは「懐の深い身体」であると自分は考えております。
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by syohousen | 2006-10-12 20:40 | 俳優訓練について

声と精神

声ほどその人の性格やその時の精神状態を表しているものはない、と自分は考えています。

精神と肉体は切り離せないものであるという事はよく言われている事ですが、その中でも一番精神の影響を受けやすく、また最も肉体に影響を与えるのが呼吸です。呼吸というものは、精神と肉体の間を取り持つ架け橋のようなものです。
声はそんな呼吸の延長線上にあり、呼吸の変化がダイレクトに伝わります。したがって呼吸の変化は声の変化に直接繋がる訳です。

また、「肉体の変化=楽器の変化」という考え方もできます。緊張すれば硬い声が、楽しい気分の時にはメジャーコード、沈んだ気分の時にはマイナーコードの声になる。これは全て、肉体という楽器の変化による影響での音色の変化です。
もう少し具体的な例として、「せっかちでお喋りな人」で考えてみると…


呼吸が浅い割に相手への意識が強く、喋る際に首が前に出がちになる。
            ↓
首が前に出るという事は、気道という筒状の楽器が潰れた状態になるという事であり、そんな状態で声を発し続けていれば自然と声帯への負担も強まるし、気道が狭まっているのだから呼吸もどんどんと浅くなってゆく。
            ↓
また、その人にとって歪んだ状態が標準になっているために楽器自体も変化に乏しく、同じ部位にばかり負荷をかける事になる。
            ↓
結果、浅い呼吸による過度の負担から声帯炎を引き起こしたり、同じ部分ばかり振動させたがために声帯にタコができてうまく声帯が閉じなくなり、常に声に息が混じったかすれた声になってしまう。

…もちろん様々な要素が絡まりあって人間の肉体は形成されているので、このように単純にはいかないとは思います。
しかし、こうやって考えてゆく事で、声からその人間のある程度の生活習慣等は窺い知る事もできたりします。また、呼吸の深さ、響きの位置、楽器の柔軟性などの変化を認識する事で、相手の現在の精神状態も察する事も可能です。
ただし気を付けなければならないのは、声はあくまでも身体の状態を表しているだけで、それ以上でもそれ以下でもないという事。そこを過信して「自分は声を聞けば相手の考えている事が分かる」などと自らの理論を盲信してしまう事ほど怖いものはありません(このような思考は“気”や“オーラ”等を理解していると自負している人にも通じますが)。
他者とコミュニケーションをとる上で「気付き」の要素がひとつ増えただけ、それくらい謙虚な姿勢こそが一番重要なのだと思います。

と、つらつらと書いてみましたが、そうはいっても「気付く」にはなんとなく声を聞いていてもなかなか気付きには繋がりません。
ではどう聞くと気付けるのか?よい耳というのはどういった耳なのか?
それを書くとまた長くなりますので(笑)、今日はここまで。
続きは次回に。
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by syohousen | 2006-10-09 18:19 | 俳優訓練について