カテゴリ:レポート(外部受講)( 63 )

2/8(金) breakthroughワークショップ レポ

2/8(金)19:00~22:00
breakthroughワークショップ @青葉区中央市民センター・第二会議室

★ファシリテーター:伊藤 拓

前回開催から2週間、これまでで最も間が短い中での開催であった。
それだけに、前回のWSで浮かび上がった課題などを強く意識した上で臨むことのできた3時間であったなと感じた。

特に繰り返しのゲーム時には、今回、「言葉を括らない」という点を強く意識して臨んだ。

というのも、これまでこの繰り返しのゲームへと臨む際、自分でも知らず知らずのうちに発しようとする言葉をポジティブネガティブと色分けして使い分けようとしていた傾向があったなと感じたからだ。
言葉は言葉であってそれ以上でもそれ以下でもないはずなのに、口から発する前から自らの中で勝手にそれらの及ぼす影響についてを意識し過ぎて自分で自分を縛り、素直に言葉が表出するのを邪魔してしまっていたのだ。

なので、今回はその無自覚に行ってしまっていた言葉の色分けや括る作業を行ってしまわぬよう、意識的に言葉に対し不用意になってみようとしてみた。
浮かんだ言葉は、その場にそぐわっているかどうか関係なく、たとえそれが意味不明であってもとにかく口にしてみて垂れ流すように意識するようにしたのだ。

すると、だいぶ自分の中で相手と向き合うことが楽しくなれて、仮に言葉が詰まったとしても全然そのことに対して焦りを感じることなく「じゃあまた相手への観察に戻ればいいか」というような発想に冷静に移ることができるようになっていた。
その上で、出てこない言葉があったならばそれは後で振り返ってみてこれからに生かせばいいのだし、だからそんな先回りの心配なんかせずに目の前の人とのこの時間に全身全霊を費やすことに集中しようか、と思えるような状態であった。

すると面白いもので、そういった発想で目の前の人、ものと向き合うことを強く意識するようにしてみると、ふとした瞬間に自らの身体や感覚に沿った、とてもしっくりくる言葉がすんなりと出てくるようになったなと感じられる状態となれた気がする。

たぶん、この変化は悪い変化ではないと思っている。

何故なら、目先の結果に左右されることなく「いま、ここ」に身も心も置いた上で、己のやれることを着実に積み重ねてゆこうと肚を決めて臨むことのできるような状態であるからである。
この状態でいられることの利点は、取り組んだものの結果の是非に関わらず、その至った結果そのものから学びも発見も得られる点にある。
従って、いちいち一つひとつの結果を予測しその是非について思い煩わされたり恐れたりすることなく目の前のことへと遠慮なく全身全霊を傾けることができる訳だ。

このいい状態は、決して忘れずにおきたいなと思う。
そして、その上で、そこからもっと上のステージを目指してゆけるように心掛けてゆきたい。
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by syohousen | 2013-02-09 00:52 | レポート(外部受講) | Comments(0)

1/25(金) breakthroughワークショップ レポ

1/25(金)19:00~22:00
breakthroughワークショップ @青葉区中央市民センター・第一会議室

★ファシリテーター:伊藤 拓

年明け後初のbreakthroughワークショップ。
気付けばもう初参加から5回目の参加となる。
月にしてみれば5ヶ月目だ。

やはり回数を重ねてゆくことによって初めて見えてくるものもあるものなのだなぁと、継続の大切さを実感してき始めている。

それを最も実感したのが、繰り返しのゲームだ。
初めて行った時にはなんとなくで行ってしまったせいか気付けば頭で考えてしまっていて、結局は散漫なままで不完全燃焼に終えてしまっていたこのゲームだったが、今回はその反省を踏まえて、高い集中力を持ってゆこうと強く意識して臨んだ。

結果、反省点は出たもののそれは自らを次の段階へ進ませるための新たな課題で、前回やった時に生じた反省点についてはだいぶ改善されていたように思う。
少し細かく言うならば、「考えない」ようにしてしまった以前の意識の持ち方から、「何に気付き、それを如何にしてアウトプットするか」という意識の持ち方へと切り替えたことが功を奏したらしく、停滞する時間が激減したのだ。

やはり「○○しない」という発想からはなかなか気付きは生まれにくいのだなということがよくわかった。
それよりは「何をしたいか」や「人とどう関わりたいのか」などといった能動的な発想の中からの方が圧倒的に気付きの種は多いのだなということを強く実感した。

まあ、それでも停滞していた瞬間は何度かあった。
が、その停滞の原因はまた別のところにあるため、それは次のステップへと進むための課題になってくるのだと思う。


しかしこの繰り返しのゲームというものはとても面白いなと思った。
自分の思考の傾向がこれ以上なくはっきりと形となって表れるからだ。

このゲームを行っている時に使用する言葉を覚えておいて後で分析してみると、きっとその人は他者とどんな向き合い方をしているのか、何を重視して人と関わっているのかが浮き彫りになってくるんだと思う。
きっとそこから得られる気付きは、俳優としてなどを抜きにして、人間としてこの社会を生きてゆく上で活かしてゆける気付きになってゆく気がする。

今回も拓さんから「“気ぃ遣う”って素直に言えばよかったのに」と指摘されて、ああ、自分は本当に息をするように人へ気を遣ってしまう奴なんだな、ということを思い知らされたのだった。
というのも、自分の中では「気を遣う」という言葉が全くといって出てこなかったのだ。

しかし端から見ていれば一目瞭然なくらいに気を遣っている身体になっていたのだろう。
自分自身でもその拓さんからの指摘を受けて物凄く腑に落ちたのだから、それは明々白々だったのだと思う。

だからこのゲームではこんなところにまで気付くことができるのだなと、自らのことを探ってゆくためにはとてもいいエクササイズだなと、そう実感した訳である。

自分もこれは今後指導者としての活動の方へと取り入れてゆきたいなと思っている。
そして同時に、一俳優としても、このエクササイズを己の中の気付きを引き出すためのひとつの手段として活用してゆけたらなと思う。

まずは今回生じた課題を、確実に次回は改善させ、更に次のステージへと上がれるように努めたい。
そうして己をどんどんと更新してゆけたらなと。
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by syohousen | 2013-01-28 23:30 | レポート(外部受講) | Comments(0)

12/14(金) breakthroughワークショップ レポ

12/14(金)19:00~20:00
breakthroughワークショップ @青葉区中央市民センター・第二会議室

★ファシリテーター:伊藤 拓

年内最後のbreakthroughワークショップということで今回はこの後に忘年会が控えており、WSそのものは短めの時間でギュッと圧縮させ集中して行ったものとなった。

本当に、怒涛の一時間であったと思う。
もう、直前に何をやったかを落ち着いてふりかえる間もなく次のエクササイズへと突入していく感じで、ああだこうだと余計なことを考えずに目の前の状況に集中できたので、結果的にとはいえいい集中具合でWSへと臨めていたのかなと思う。

たまにはこういう感じで怒涛のような時間を設けてみることもいいのかもなぁと、そんなことをふと思った。
そういうアプローチでしか見えてこないものというものもきっとあるのだろうなと、そんな気がしたからだ。

現に、ゆったりと構えていては決して成功しなかったであろうエクササイズもいくつかあって、敢えて短い時間で区切ったからこそ、火事場の馬鹿力を発揮して脅威の団結力を発揮した瞬間があった。
参加者の力を引き出すための要素として、“時間”というものが結構大きなウェイトを占めているのかもなと、そんなことを気付かせてもらえた。

自分も今度、敢えて30分から1時間くらいに時間を短く絞ったWSを行ってみようかなと、そんなことを思った。
それだけでも、今回のWSへと参加した甲斐はあったのではないかと思う。


最初にも書いた通り、これで年内のbreakthroughワークショップは終了。
今年あった多くの出会いの中でも、伊藤拓さんとの出会いは今後の自分にとって本当に大きな出会いであったと、それは確実に言えると思っている。

だからこそ、これからも、年を明けた後も、よりよい関係を築いていけたら素敵だなと、この出会いに感謝しつつ、誠実に向き合ってゆけたらなと、そんな風に思う。

本当に、ありがとうございました!
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by syohousen | 2012-12-17 11:48 | レポート(外部受講) | Comments(0)

11/16(金) breakthroughワークショップ レポ

11/16(金)19:00~22:00
breakthroughワークショップ @青葉区中央市民センター・第二会議室

★ファシリテーター:伊藤 拓

前回が個人的にいまひとつ納得のいかなかった内容であっただけに、今回はかなり高めにハードルを設け臨んだ拓さんのWS。
今回は、その意識の持ち方が非常にいい方向へと作用したため、とても有意義な時間を過ごすことができた。
こんなにいい状態であったことは自分でも珍しいことなのかもしれない、というくらいに、気負うでもなく、かといって抜き過ぎる訳でもなく、適度な緊張感で以て臨むことができた3時間であった。

こういう時というのは、自らを取り巻くポジティブな要素だけでなくネガティブな要素すらもことごとく味方に付けることが可能なんじゃないかと思えるくらいに頭の中がクリアな状態で、多少の躓きも次の一歩を踏み出す際の反動として利用できるような、そんな感覚を覚えてくる。
実際、最初に行ったシアターゲーム的なエクササイズの際にも、負荷が増えてきてこなさねばならない情報量が増えてきているにも関わらず、全く動じることなく一つひとつをどう捌けば次の一手を打ち出し易いのか、という判断を下せていた。
その冷静さには自分でも驚くほどで、結果、あるエクササイズの時には他のメンバーは全員ミスをしたのに自分だけノーミスで最後までやりきれたものもあった。

別にノーミスであったことがいい訳ではないのだが、ただ、あの時のノーミスは、ちゃんとミスをした時の自分とも向き合った状態でのノーミスで、なんというか、しっかりと「畏れ」のようなものを心に抱いた状態で行えていたことがとても重要なことであったのだと思う。
今自らが行っていること、そして一緒にやっている仲間へ対する畏れようなものを持った上で、それを乗り越え、ひとつたりとも気を抜かずに最後までやり抜いたことが重要なことであったのだ。


「畏れ」とは、言い換えてみればそのもの、或いはその人へ対する「敬意」とも言えるものだと思う。

そして、その敬意があったからこそ、最後の「自分の大切なものを“その場で”紹介する」というエクササイズの好結果にも繋がったのだと思う。

このエクササイズが、前回からずっとターゲットにしていたエクササイズで、今回は何がなんでも挑戦してやろうとしていたものである。
おそらくはこの挑む気持ちが、今回のこのいい状態を生み出していたのだと思うし、だからこそ、この状態の自分がこのエクササイズとどこまで闘えるのかなと、自分自身でも大きな期待を抱いてもいた。

その期待を、自分個人の感覚としては及第点ながら越えられたのではないかと思っている。

特に序盤は自意識をうまくコントロールできていたため、「人前に立つ」ということへの恐怖をしっかりと真正面から引き受け、それと同時に今手元にある大切なものとの対話を通して生まれてきた言葉を一つひとつ丁寧に丁寧に紡いでゆく、、という作業が驚くほど素直に行えていたと思う。
途中、観ている方達へと意識を裂き過ぎてしまい、自意識がひょっこり顔を出してきてしまった瞬間はあったのだが、しかしそれに気付けてからはまたすぐに軌道修正し、再び手元の大切なものへと集中を戻すことができていたのはやはり自分の状態のよさがあったればこそだったのだろうなと、そんな気がしている。

ちゃんと自らの成果も認められるし、今後への課題もかなり具体的に見えてきていて、このように自らの現状と次のステップへ進むための目標がすっきりはっきりと見通せる状態でエクササイズを終えられたというのは、その内容が充実していた何よりの証拠だと思う。

それだけに、これを今回だけのことで終えずにこれからへと繋いでゆくことがとても重要なことであるし、また、そうしなければ今回のこのよかった感触も全てとは言わないが、かなりの割合で無駄となってしまうだろう。
だからこそ、次回もチャレンジャーの意識で以て挑んでゆこうかと思う。
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by syohousen | 2012-11-18 16:08 | レポート(外部受講) | Comments(0)

10/26(金) breakthroughワークショップ レポ

10/26(金)19:00~22:00
breakthroughワークショップ @仙台市中央市民センター会議室

★ファシリテーター:伊藤 拓

2回目の参加となる伊藤拓さんのWS。
今回は、前回のいい感じの集中具合とは違ってどうにも散漫な感じでの参加となってしまった。

体調的にも病み上がりで本調子ではなかったことも影響していたのだが、心も身体もどうにも思うように動いてくれず、なんとももどかしい気分で最後まで過ごしてしまった。
まあ、しかしただでは起きないのが自分のいいところであると自らでも思っていて、今回も、そんな思うように動いてくれない心身に対し決して無理することなく、むしろこういう状態だからこそ得られる発見というものはどんなものなのか、それを探ることに今のこの状態を利用してやろうと考えつつ、WSへと臨んでいったのだった。

結果、初めてのことへ臨む際にも、あまり気負いのようなものを抱くこともなく、この思うように行かない感じをも楽しめるような、そんな心地で一つひとつのエクササイズに臨めたように思う。
これは今になってみて思うことだが、いつも精一杯いこうとして肩に力の入りがちな自分にとって非常に大きな経験となれた気がする。
というのも、自らの「うまくいかなさ」を、自分から少し離したところへ置いて、一つひとつのうまくいったいかないという結果にいちいち惑わされることもなく、冷静に目の前の状況へ対応してゆくことが自分にもできるのだということがわかったからでもあるし、また、そういった向き合い方の中にも、発見や楽しみというものは存在するのだなということを感じることができたからだ。

もちろん今回みたいな心持ちをそのまま適応してしまうことは、あまりに頭の中が冷め過ぎているために一歩目の動き出しがどうしても重くなってしまったりと弊害も多く存在している訳だから、この経験を今後に活かしてゆくためには今回の状態のどこの部分がどういい影響をもたらしていたのかよくよく見極めてゆく必要があるのだとは思う。
現に、今回のWSの最後に「自分にとって一番大切なものを紹介する」というエクササイズに挑みたい人を拓さんが募った際にも、いつもの自分であったなら迷うことなく飛び込んでいったはずなのに、全く心身共に重くて名乗り出ることができなかった訳で、一長一短があるのだろう。
それだけに、今回のような状態と、普段の自分の状態、そして心身共に盛り上がっているような時の状態とで、それぞれでいい部分と悪い部分があるのだから、それらを一つひとつ洗い出してみることは今の自分にとってとても重要なことなのかもしれない。


面白いものだなぁと思う。
状態が悪かろうと、臨みようによっては多くの発見が得られる訳なのだから。
やはり、どんな状況であっても、前を見ようとする姿勢だけは崩さずにいった方が、成長してゆくのも早いのだろうなと、そんなことをつくづく実感した。

失敗からもちゃんと学びを得ることのできるWS。
やはりいい時間を過ごさせてくれるんだなと、改めての敬意と、感謝の気持ちを、抱かされた気がする。

本当に、ありがとうございました!
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by syohousen | 2012-10-29 23:34 | レポート(外部受講) | Comments(0)

9/28(金) breakthroughワークショップ レポ

9/28(金)19:00~21:00
breakthroughワークショップ @仙台市中央市民センター会議室

★ファシリテーター:伊藤 拓


Tさんの紹介で、参加させて頂くこととなった伊藤拓さんのWS。

自分はその紹介をしてくれたTさんが「いい」とするものに対する感覚を信頼していたし、また、その内容についての話を聞いていて直感的に今の自分が欲しているものと出会えるような気がしたので、迷うことなく飛び込んでみようと考えた訳だが、その判断は間違っていなかったなと、そう確信できるような素敵な時間を過ごせた。

なんというか、まず何よりも拓さんの人柄が素敵過ぎて、初対面でありながら、もう数年間も付き合いを重ねてきたような感覚に陥ってしまったことが印象的だった。
こういう感覚にさせてくれるのは、指導者として、特に似たような性質を持ち、それを活かした指導を心掛けている自分のような人間にはとても学ばされることが多い。

なんというか、空間全体を巻き込む力というか、参加者一人ひとりが「今、ここにいられる」ように促してゆくことが本当に巧みで、この日この時にこの場に集まったメンバーでしか作り出せないような時間が自然と生み出されてゆくように感じた。
これも一対一×人数分、という発想でWSのファシリテートを行っているからこそで、そういう姿勢も自分のWS観ととかなり通じる部分があるなと、そう思った。

一番印象的だったのは、アイスブレイクの段で行った「歩きながら出た指示を実行する」というエクササイズにて行った「ミスした場合にはその自らのミスを思い切り笑い飛ばして下さい」という指示。
このように、ミスを「気にするな」と言葉だけで促すのではなく、こういう風なアプローチで以て身体で失敗と向き合えるような状態に持ってゆくやり方は、シンプルながらもそれだけに非常に効果的で、その後の活き活きとした場の空気にも繋がる地味ながらも優れた手法だなと実感。

また、勝ち負けの生じるゲームを行う際には、大人気ないくらいに勝ちにこだわる姿勢を拓さん自身が見せることで、楽しむ空気の中にも適度な緊張感をもたらして下さっていたなとも感じた。
やはり本気で取り組んでこそ見えてくるものもある訳で、特にそれが「勝ち負けそのものにはあまり意味はない」ものである時にこそ、敢えて勝ちにこだわる姿勢で取り組むことが重要だったりする。
WSだからということで何でもかんでも「楽しくやりましょう」で済ませてしまうことは非常に危険な落とし穴でもあるのだということは忘れてはいけないのだ。
そういった発想は、手を抜いてもいいことの言い訳にも繋がってしまうためで、自分のやり易い領域に逃げ込んでしまうことを正当化させてしまう危険性も孕んでいるからだ。

そうなってしまっては、WSであることが逆に参加者の可能性を潰してしまうことにも繋がりかねない。
だからこそ、時には参加者がムキになってWSへ取り組めるような状況へ促してゆくこともファシリテーターにとっては大切な作業なのだと自分は思っている(但しあくまでも自然にそうなれるように持ってゆくことが重要で、それを無理強いしてしまうことは違うと思う)。

その点において、拓さんのあの自らムキになって参加者一人ひとりの対抗心を引き出すやり方はなるほどなぁと感じた。
ただ、たぶん他の人が同じことをやってもなかなかああいう空気にはなってゆかないような気もしていて、あれは拓さんの呼吸だからこそやれる引き出し方なのだろうなと思った。
自分の場合はどのような手法が自らの呼吸に合っているやり方なのか、、、そこについて今後もう少し突っ込んで考えてみたいなと思う。



今回はとても実りの多い時間でした。ありがとうございました。

今後も参加し続けたいなと、そう思っておりますので、何卒よろしくお願い致します!
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by syohousen | 2012-10-20 22:53 | レポート(外部受講) | Comments(0)

6/17(日) 芸術家のくすり箱 ヘルスケアセミナー vol.7 レポ

2012/6/17(日) 芸術家のくすり箱 ヘルスケアセミナー vol.7 @芸能花伝舎

今年で7回目を迎えた『芸術家のくすり箱 ヘルスケアセミナー』。

もはやお馴染み、と言っても大袈裟な話には感じられなくなってきていて、第一回目からずっと参加し続けてきている自分にとってはとても嬉しく思っております。

そんなこんなで、今年も自分の受けたプログラムについて、自分なりに感じたことをつらつらと綴りつつレポートしてゆこうかと。


●10:50~11:15 健康診断

今年は視力がガクンと落ちていて、右目に至っては初めて1.0を切ってしまった、、、
ただ、ここ2~3年、検査の時に出た数字(両目ともずっと最高の1.5)と実際の感覚には随分とズレを感じてきていたので、いつかそれが数字に表れてくるだろうなということは薄々感じていたことではあったのだけれども、やっぱり実際にこうして数値を突きつけられると少なからずショックは受けてしまうなというのが正直なところ。

しかしまあ、視力と視る力というのは必ずしもイコールで結ばれているものではないので、数字を妄信し過ぎるのではなく、自らの感覚と、毎回の診断の際の数字の変遷と、日頃の自らの行動とを振り返り、照らし合わせてみる中で然るべき対策を探ってみることが大切なのかなと思う。
結局は、日頃の生活の積み重ねによって生まれた変化なのだから、生活態度から直してゆかない限りは改善など不可能なのだと、そんな風に思うので。


そして、今回ちょっと気になったことがありまして、聴力検査の際なのですが、周りの物音が物凄く邪魔で全然集中して臨めませんでした、、、また、一部の検査の前の説明も少々雑に感じてしまいました、、、

何故なんでしょうか、これまではこんなことを感じることはほとんどなかったのですれども、、、

ただ、どのような事情があるにせよ、こういう些細なところでマイナスイメージを持たれてしまうことはとても勿体ないことでもあるし、ましてやこのセミナーの目玉プログラムであるのだから、今一度、そのあり方を見直してみる時期にきているのかもしれないなと、参加者としての実感としては思いました。

や、もしかしたら自分の時だけたまたまそうだったのかもしれません。
が、初期の頃から参加し続けているからこそ感じる違和感というものもあるし、そういう一見些細に見えるようなことから大きく崩れてしまうことというのも結構多いと思います。
なので他の参加者からの意見なども集めて実際のところがどうであるのかを探りつつ、小火のうちに何かしらの対策なりは立てておいてほしいなと、そんなことを自分としては思っております。


●12:00~ 骨密度測定

昨年から数値的にはほとんど変動はなし。
が、変動はないといっても、元々の数字があまりよろしくないので(一般平均の90%前後)、自らの不摂生が解消されていないことの証明でもあるともいえるのかも、、、

いつか、ではなく、早速、自らの生活習慣について見直し、行動してゆかねばなと思います。。。


●13:15~14:45 歯科医師に聞く芸術家の口腔治療(審美・滑舌について)
≪講師≫猪原 健 先生

講師の猪原先生は、これまでも個別相談でこのセミナーへは関わられていたので、いつかプログラムとして組まれたらいいなと個人的に思っておりました。

というのも、自分も過去に歯の矯正の経験があり、歯に関わることでの悩みを少なからず抱えてきた人間ではあるので、自らの活動を続けてゆく上で“歯”というものとどのようにして向き合ってゆくべきなのか、探ってみたかったためです。
また、自分が取り組んでいる発声指導にも密接に関わってくる要素だと思っているので、「歯」というこれまでの自分にはなかったような視点からの考え方へと繋げてゆけるのではないか、とも考えておりました。

そんな思いがまさに今回こうして実現した訳なのですが、実際にこの講座を受けてみて面白いなと思ったのは、かつて言語聴覚士の方のお話を伺った時に聞いた話と通じるなと感じられる部分がとても多かったことです(但し重点を置いているポイントは少し違うのだけれども)。

まあ、人の身体を扱うことである以上は重なる部分も多いのは当然のことだし、なのでさほど不思議なことだとは思わなかったのだけれども、しかしそれだけに、そういった重なっているポイントについてよくよく調べてみることはとても重要なことだと思います。

歯科医師から見た芸術家、言語聴覚士から見た芸術家、その両者にとって、、いや、きっとそれ以外の分野の専門家の方から見た芸術家もそこに加えてみた上で、何が重なっているのか、重なっていないのか、というところを探ってみることで、もしかしたら芸術家にとってのヘルスマネジメントとは一体どういうことなのかが浮かび上がってくるのかもしれません。

今回の講座では、そういったことに気付けたことが一番の収穫であったなと、そんな風に思いました。


また、歯に起こる問題が年齢によってどのように変遷してゆくのか、ということや、その予防、或いはケアのためにどのように自らはアクションしてゆけばよいのか、という点についてを具体的にアドバイスして頂けたのが、とても参考になりました。

まだまだ全然低いであろう芸術家にとっての歯のケアやメンテナンスに対する意識。
これを機に、調べ考え、実際に行動に移してゆくようにして、少しずつでもいいからその意識を高めてゆけたらなと思っております。個人としても、業界全体としても。


【備忘録・印象的な言葉】

「スポーツ選手の場合、野球などのように力むことの多い競技の選手であれば歯にこだわる選手も多いが、それも一部の話で、大抵の競技の選手はオリンピッククラスであっても一般の人と歯に対する意識に差はなかった」

「トロントの芸術家のための医療センターは、診療室もリラックスできるような環境であったり、院内のスタジオもカメラがセットされていてビデオを見ながらフィードバックを行えるような環境が整っていたりと日本に比べ非常に進んでいるのだが、しかし、それでも歯科医師部門はない」

「歯科医師はほとんどの場合、芸術家の事情などを分かってはいない。だからこそ、受診の際には自らの事情と要望はきちんと伝える」
「若い世代(だいたい30歳くらいまで)は抜歯の原因は虫歯中心。それ以降は歯周病中心。従って、その変化に応じケアも変えてゆく必要がある」

「CMなどで言われている“歯周ポケット”の洗浄だが、通常の歯磨きではまず不可能」→「専門家による定期的なメンテナンスが必要」

「歯科医師を選ぶ際には、歯科衛生士がきちんと担当制になっている歯科医院を選ぶようにする」
「歯科医師も人間なので、度々約束をすっぽかしたりすれば治療に対する気合の入り方は変わってきてしまう」→「お互いの信頼関係を築いてゆくことが大切」

「信頼できる歯科医の先生と歯科衛生士さんを“近所”に見つけ、継続的にメンテナンスを行えるようにすることがとても重要なこと」


●14:45~16:30 アレクサンダーテクニーク
≪講師≫石坪 佐季子 先生

石坪さんのAT(アレクサンダーテクニーク)レッスンは、実はちょうど3年前に受けたことがあって、しかもその時に得たものは、今の自分にとって掛け替えのない財産となっています。
過去に石坪さん以外の方のATレッスンもいくつか受けたことがあるのですが、自分には石坪さんのやり方考え方が非常にマッチングするような実感を強く持っております。
なので、今回のセミナーでまた参加できるチャンスを得られたことが非常に嬉しく、この日組まれた全プログラムの中で真っ先に申し込みを決断したのがこの石坪さんによるATでした。

その判断はやはり間違っていなかったようで、今回もとても収穫の多い、素敵な時間を送ることができたなと思っております。

今回は基本的に、「ハンズオンワーク」という教師が手を使って生徒の感覚をサポートする、というワークが中心で、ワーク自体はマンツーマンなので、一人ひとりのワークの様子を他の参加者が見る、という構図で順々に行ってゆく、という進行でした。

なので個々人が実際にワークを体験できた時間そのものは短いものでしたが、しかしそれでも得たものは非常に多かったなという実感があります。
また、以前受けた時とは違った目線で、つまりワークを受けている人のことを外側から見てその変化を目の当たりにしてゆく、という時間の過ごし方をできたことは、それはそれで発見に満ちた貴重な財産となれたと思っております。

なにせ自分にとって石坪さんの言葉は、まるで乾いた石の上に雨が降ってきた時のように身体の隅々にまで染み込んでくる感じがしてくるような感覚で、とても馴染むのです。

特に最初の方で仰っていた、

「ハンズオンワークによって身体が変化したとして、変わる前が悪かった訳じゃない。自らの身体のバリエーションが増えただけ」

という言葉は、こういう言い方は不遜かもしれませんが、指導者としてのあるべき姿を見たような気がしました。
ただ、おそらくああいった言葉が自然に出てくるところが、石坪さんの中でのAT観であり、指導者観であるのかなと思いますし、だからこそ、近い考え方を持っている自分も、何かしら響き合うものを感じるのかもしれません。

今回も実に多くの学びを与えて下さった石坪さんに、心より感謝致します。

それだけに今回の経験を、自らの活動へとどう活かしてゆくのか?

そんなことを考えつつ、それと同時に、どうにかして石坪さんのレッスンを継続的に受けられるような道筋がないか、探ってゆこうかなと思ったりもしております。
やはりこういうATのようなレッスンは、継続的に受けてこそ見えてくるものが沢山あると思うので、単発で受けて「ああ、楽しかった」で済ませてしまうのはあまりにも勿体ないことだと思うのです。

そもそもこのセミナーそのものの狙いとしても、このセミナー内で大きな成果を上げることが目的なのではなく、あくまでもこのセミナーは出会いの場であり、それによってそれぞれのレッスンの敷居を低くしてゆくことが目的なので、ちゃんとこれからへと繋げてゆこうとしてゆく姿勢を持つことが重要だと思ってます。

ただ実は、そんなことを考えていた自分へ、まさかの石坪さん自身からとても嬉しいお話を頂いたので、このチャンスは逃さぬようしっかり今後に繋げてゆきたいなと、そんなことを考えている次第です。


■16:45~18:15 舞台のためのヘルスマネジメント
≪講師≫水村 真由美 先生

昨年のセミナーでも同講座は受けたのだが、水村先生のお話は具体的な事例を交えてのとても分かり易い内容であるため、再び受けてみたいなと思い、受講を決めました。
そしてその選択は間違っていなかったと思います。
昨年同様どころか昨年以上に充実した、時間いっぱいぎりぎりまで使ってとにかく詰め込めるだけ詰め込んだとても盛り沢山な内容で、今年も大満足でした。

しかしつくづく思うのは、ここで語られていることというのは本来ならば身体を資本とする分野に属する人間であるのならばごくごく当たり前に守られて然るべきことばかりだということ。
にも関わらず、その当たり前のことをしっかり守れているであろう芸術家は非常に稀な存在であるというのが現実であったりするところに、この芸術家のヘルスマネジメントの困難さが表れているのだと思います。

しかしだからといって「現実問題として成立させることは非常に困難であるから仕方ない」で済ませてしまっていい話ではありません。
水村先生の講座がいいなと思うのは、ちゃんとそこのところの部分までフォローして「ではどのような対策が考えられるのか」という点にまでしっかり言及しているところです。

業界全体に横たわっている問題がなんなのか、それが変えられるものなのか、変えられるのだとすればどのようなアクションを起こしてゆくことが必要なのか。
そういったことを考えてゆくこともとても大切なことですが、しかし、環境を変えてゆくには時間がかかるし、変わる前に自分の身体が駄目になってしまったらそれこそ元も子もなくなってしまいます。

どんなに環境が整っていない状態であろうとも、どんなに怪我のリスクが大きな環境での活動を強いられていようとも、そんな環境下でやる以外に手がない以上はその現実と付き合ってゆかねばなりません。
怪我をしてから「こんな環境のせいで、、、」といくら周囲の環境を呪ったところで何の解決にもならないのです。悲しいことだけれども。

環境が恵まれていないことが、自らの身体を守るための努力を怠っていい理由にはならないのです。
むしろ恵まれてないからこそ、より突き詰めて考えてゆかねばならないはず。

自らの身を守りながら、少しずつ、周囲の環境も改善させてゆけるようにしてゆくよう働きかけてゆく。
そんな発想が、この日本という国で身体を駆使した芸術活動を続けてゆくにあたってはとても必要なことなのだろうと思います。

そしてそのためのひとつの手段として、身体のことに精通した専門家の味方(理解者)を増やしてゆくことが重要になってくるのではないか、、、そんなことをつくづく思わされた講座でした。


【備忘録・印象的な言葉】

「スポーツ科学の場合は、『オリンピックなどの大きな大会での勝利』という目標設定が明確に定められるため、長期的なビジョンでのトレーニングの計画を立てることができる」
「しかし芸術の場合は、評価の基準そのものが明確ではなく、何を目標として定めるべきかが絞りにくく、そうなると目先の公演にばかり意識がいってしまうため、なかなか長期的なビジョンでトレーニングの計画を立てるという発想に至りにくい」

「難しいのは、日本の場合スポーツ経験は一般的だが芸術経験は希少だということ。従って周囲の理解をすんなりとは得にくい。如何にして医療関係者やトレーナー等の専門家の味方(理解者)を増やせるかが芸術家のヘルスマネジメントには重要」

「環境を変えるのはとても難しい。ならば如何にして自らを壊さずにやれるか。自分で自分の身体を管理する意識を向上させることが重要」
「ある程度の怪我の要因は予測可能。その中で変えられる要因は何か、変えられない要因は何か。そこを明確にしてゆくことで如何にして対応してゆくのかを考えてみる」
「袖に入った時に比べて舞台上では心拍数が10~20拍/分の差が見られる(バレエの舞台の場合)」

「スポーツにはシーズンとオフシーズンがあるが、芸術の場合はその区分けが明確ではない」

「体力の向上は身体の余裕の保証」
「貯金ならぬ貯筋」→「但し貯金と違うところは、貯筋は継続していないと衰えてゆく」

「抜きで行った稽古でできたことが通しの稽古でもできるとは限らない」→「通しでも最後までパフォーマンスの質を維持できるための持久力が必要」
「レッスンだけでは持久力は向上しない」
「また、プロの場合は活動を継続的に行ってゆくという意味合いでの持久力も求められる」
「持久力の向上は長期的にしか望めない」

「ストレッチをする際に、自分の得意な部位ばかり伸ばす人が多いが、自分の苦手な部位のストレッチを重点的に行うことの方が怪我の予防のためには重要」→「ストレッチはトレーニングなのだという意識を持つ」

「喉が渇いたら、ではなく、喉が渇く前に、水分補給するよう心掛ける」

「積極的休養としてはプールがお薦め」
「筋肉痛は休んで治す」→「特に跳躍の繰り返しや方向転換、急ストップなどの動きは筋肉痛の悪化に繋がり易く、筋肉痛時は極力控えるようにする」

「筋トレは効果が出るまでに1ヶ月」
「持久力は3ヶ月」
「急につけた筋肉は、すぐに落ちる」



今年のセミナーを受けていて、なんとも不思議な感覚となりました。

これは偶然なのか、それとも何か理由があってそういう風になったのか、それは分からないのだけれども、今回参加した3つのプログラム、それぞれが違ったものを扱っているはずなのに、その根底の部分で共通した理念というか思想のようなものが感じられました。
なんというか、もし同じプログラムをそれぞれがくすり箱とは関係のない別々の場でバラバラに行っていたとしたら、今回のような相通じるものを感じたかどうか、、、いや、たぶん感じなかったのではないかなという気がします。

とはいえこれが何を意味するのかは分かりません。
が、今回で7回目のセミナー受講、しかも全ての回に全日参加という皆勤での参加の自分が、初めてこういった感覚になれたということ、それはとても素晴らしいことなのではないかと思います。

もしかすると、講師陣の方々にとっても、参加者の皆様方にとっても、この『芸術家のくすり箱』という活動の理念が深いところで浸透しつつあることの表れであるのかもしれません。

やはり、継続して活動してきていることが、ここにきて実を結びつつあるのかもしれません。


が、それだけに、今がとても大切な時なのだとも思っております。

多くの人々の意識の中に定着してくる、ということは、継続だけを目指してはいられなくなってくる訳ですから(や、もちろんこれまでのくすり箱が継続だけを目的としていた訳ではないということは重々承知の上ですが)、何かしらのプラスαというか、この活動を更新させてゆくというか、そういった考え方が必要となってくるのだと思うのです。

なので自分も、この活動にプラスになるであろうことがもし浮かびましたら提案してゆくつもりですし、また、実際にアクションも起こしてゆきながら可能な限りの尽力を致してゆくつもりです。

という訳で、どうぞ今後ともよろしくお願い致します!


最後に、各プログラム講師の方々及びお手伝い頂きました皆様方、そして会場へお越し下さった全ての参加者の方へ、心より御礼申し上げます。

ありがとうございました!
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by syohousen | 2012-06-25 15:32 | レポート(外部受講) | Comments(0)

9/2(金) 『プリンの会』レポ

9/2(金)14:00~20:20 プリンの会@ふりーふらっと野毛501号室

【進行】
■自己紹介(呼ばれたい名前)
→+感覚年齢
→+実際の年齢
→+感覚と実際の年齢のズレについての私見など

■少し時間を設け、心の中で自分にとっての心地よい速さでそれぞれカウントする
→各々のカウントを全員でシェアし、近い数の人同士で2人(或いは3人)1組になる
→組んだ人と「時間を感じさせるもの」についてを話してみる
→全員で話した内容についてをシェアリング
■「1日の始まりと終わり」についてをフリートークで話し合ってみる

■3人1組になり、「無駄だと思うこと」についてを話してみて、そこからひと芝居創ってみる
→発表&フィードバック

■「こと」と「もの」について
■今の自分にとっての「こと」についてを紙に書き出してみる
→シェアリング

■一言ずつくらいで今日やったことのフィードバック

◆休憩

★ふりかえり

【ふりかえり】
約2ヶ月ぶりのプリンの会。

今回のテーマは、「時間」についてだったのだけれども、これが本当に面白かった。
それは単純に自分も今そのことに対する興味を強く持っていたから、というものあるだろうし、また、そのアプローチの方法も自分とは全然違った切り口からのものばかりだったので、色々と視野を拡げさせてくれたように感じさせられた貴重な時間だった。

特に、プリン自身が60カウントする間に参加者が各々のリズムでいくつカウントできるかどうか、というエクササイズは誰でもやれるシンプルこの上ないものでありながらも発見が多くそこからいくらでも膨らませられるような非常に面白いエクササイズだなと感じた。
そのカウントの幅も30~80近くまであって、その違いがその人の今の活動リズムの違いに密接に関連しているようにも推測できるし、実際数字が近い人同士を集めると、なんとなくそれぞれの組み合わせの周囲には独特な時間の流れが生まれてきているように見えもしていたように感じる。
ただ、今回はそこの点については軽く触れた程度であまり深くは突っ込みはしなかったけれども、たぶんこの組毎に生まれる特色についての検証だけでも1本WSを行えるんじゃないだろうか、とも思えるくらい、幅広い可能性を秘めたWSだと思うので、今後も様々な角度からのアプローチでこのエクササイズを膨らませていって欲しいし、自分も機会があれば取り組んでみたいなと思う。


他にも、「無駄」という言葉の扱い方の難しさ、そして「こと」と「もの」の違いについて、と、今後自分も開拓してゆきたくなるような題材を沢山散りばめてくれていたので、今回のWSは収穫が本当に沢山あったなと思っている。

また、「今の自分に起こっていること」を「書き出す」という行為にも、実際に行ってみてとても興味の湧くような現象がいくつも自分の中で起こったため、非常にいい体験となれた。
当初、このエクササイズは自分がよくやる「自己実況」と似ているなという印象を受けたのだけれども、この「書き出す」という行為によって「その瞬間にしか存在し得なかった自分の中で起こっていることが言葉としてそこに留まってしまう」ため、自分が書いたはずの言葉なのに何だか物凄く他人行儀に感じられてしまった。
特に自分の場合は、現在進行形で自らの身体の中で起こっていることを書いていたため、書いた先からどんどん過去のこととなってしまってそのことを書き終わる前に「もうこれ違うんだよなぁ」などと感じながら書き出しているという不思議な感覚となっていた。
そのためなのか、途中からは擬態語が増えたり言葉が独特なものとなっていたりして、下手にパッケージングされたような既成の慣用句的な言葉を書くと物凄い違和感を覚えたりもしてしまっていた。

そしてシェアリングの段階になってからも色々と驚かされたのは、「今の自分に起こっていること」という言葉の捉え方が予想以上に幅広かったんだな、ということで、他のみんなは今の自分の興味だったり、今の自分を取り巻く状況だったりを書き出していて、身体感覚に特化させていた自分の方が却って少数派だったのが面白かった。
こういう予想だにしなかったことや、自分の発想の方がその場では少数派だったということにはとても好奇心をそそられるので、ちょっとこの点についてもこれから突っ込んで検証してみたいなと思う。


そんな最後のエクササイズに限らず今回のWS全体を通してなんだけど、ほんと人それぞれなんだなって思える瞬間が沢山あったし、自分の発想なんてほんとこの世の中の僅かな一部分しか照らし出せてないんだなってことを強く実感した。
でも、自分以外の発想が沢山待っているだなんてそれだけでワクワクしてくるし、だからこそこういう出会いを得られたことが凄く嬉しいし、そんな機会を与えてくれたプリンには心より感謝したいなと思う。

本当に、ありがとうございました。
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by syohousen | 2011-09-04 16:00 | レポート(外部受講) | Comments(0)

8/28(日) サマカトWSレポ

8/28(日)18:15~21:15 サマカトWS@下赤塚駅前集会所・第2洋室

【進行】
■2人1組となってローテーションゲーム
→カウントの「1」を足踏みにしてみる
→カウントの「2」をクラップにしてみる
→カウントの「3」を相手の肩に触れることにしてみる
→カウントを5まで増やし、「4」でメガネをかけ直す仕草、「5」でもう一度クラップ、で行ってみる
→スムーズにやるために何か有効な手段がないかの作戦会議を1分行い、もう一度挑戦してみる
→パートナーを変えて行ってみる

■パートナーを変えて、相手と向き合った状態で手の甲を上に向けた状態で両手を出し合い、相手の手に触れないように重ね、下の方の手の人が上の人の手を叩けたら上下(要は攻守)交替。その際、出されたお題を元にして相手と話をしながら行う
→パートナー&話すお題を変えて同様のことを行う

■パートナーを変え、背中合わせの状態でお互い長座になり、片方が「相手の真似したい人」、もう片方が「相手と違う形になりたい人」になって、相手を背中で感じながらやり取りをしてみる。但しこの際に動ける範囲は膝の曲げ伸ばしのみ

◆休憩

■椅子を程よい距離で向き合った状態にして並べ、その周りを2人、それぞれが仕掛け・受けの台詞を与えられるのでそれでやり取りしつつ、追いかけたり追いかけられたりする(攻守の順番等の決まりはなし、お互いの呼吸で変えてみてよい)
→「座れるな」或いは「座りたいな」と感じてきたら、どちらかでもいいので椅子に座り、座られた方も相手が座ったのを確認したら座り、引き続き台詞のやり取りを続ける
→先のやり取りが行われている中、それぞれの椅子の後ろにゴーストの人(台本を持ったプロンプター的な人)が付き、合図が出たら後ろからそれぞれ台詞を口立てるので、椅子に座った2人は言われた台詞をそのまま発して会話を行う


【ふりかえり】
かつて共演したことがあって役者としても素敵だなと思っている澤唯さんのWSに参加してきました。

澤さんのWSを受けてみて感じたのは、シンプルな仕掛けのエクササイズから始めて少しずつ負荷を増してゆき、その中での自らの身体の変化の中から自らに対する発見を引き出してゆくという、言ってみれば池内さん系(という括り方は失礼かもだが)のアプローチの仕方ではあるのだけれども、内容的には物凄く澤さんの人柄が出ているなぁ、ということ。
もしかするとこのやり方自体がファシリテーターの性質を反映し易い手法なのかもしれないのだけれども(現に手法の近い宏平さんの時も物凄い人柄を感じるし、だからたぶん自分もそうなんだと思う)、なんだか初めは取っつき難そうに見えるんだけどでも実際に触れてみるとどんなにめんどくさがっててもちゃんと見切らず最後まで相手し続けてくれるなっていう安心感を得られたんですよ。
なんか、この感覚は、他の方のWSを受けた時には(皆無とは言わないけど)あまり感じなかった感覚でした。

そこでふと思ったことは、「如何に自分を晒すことができるか」こそがこのアプローチにおける最も大切なポイントなのかなということと、「自然体」であることの重要性についてもっとよく考えてみる必要があるのかもなということでした。

やっぱり対等の目線で、ってことは物凄く大切なことなんだなって思いますわ。
別に何か特別に意識せずとも自然と「自分で考える」というメンタリティになってゆくので。



個人的な話としては、役者としてこれ以上ないくらいに思い悩み続けていた自分にとって、そこから前進できそうな兆しが見えてきた矢先の時期にこのWSへと参加できたことは非常に価値のあることだった気がします。

自分でも何故なのか分からなかったここ半年間続いていたあの人前へ立つことへの恐怖感と少しずつ冷静に向き合えるようになってきていて、「楽しい」と思える瞬間も増えてきている気がしてます。
何より、全く動いてくれなくなっていた心がこの場ではだいぶ動くようになってきていたので、それがほっとしました、、、

たぶんこれって澤さんのWSだったからこそ、という点も結構大きかったんじゃないかなって思います。
それは別に澤さんと自分の関係性でというよりも、あの場が全体的に変な気取りのない状態になれていたので身構える必要がなかったなっていう、澤さんの「場づくり」の力のお陰、という意味です。

自分も見習うべきところは見習って、うまく自分の指導に組み込んでゆけたらなと思いますわ。

役者としては、今後やり難い空気の場でもちゃんと心身共に動けるようになってゆかねばなと、そう思います。


や、本当に、参加できてよかったです。
また何かの機会があれば、ぜひ参加したいなと、思ってます。

ありがとうございました。
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by syohousen | 2011-08-29 23:38 | レポート(外部受講) | Comments(0)

7/1(金) 『ゼブラの会』レポ

7/1(金)13:30~21:30 ゼブラの会@ふりーふらっと野毛

【進行】
■自己紹介(名前とあだ名)
→あだ名を「本人→全員」で全員分声に出してみる×2周

■みんなで外へ出て、野毛公園を散策
→部屋へ帰ってくる

■遅刻の方のためにもう一度「本人→全員」であだ名を声に出してみる

■さっき散策してきた経験を元に短歌を一首詠んでみる
■2人1組となって「5→7→5→7→7」と句ごとに交互に詠んでみる
■今いる部屋の中で好きな場所を見つけ、そこへポストイットに初句を書いて貼る
→他の人の書いたポストイットの元へ移動し、そこのポストイットに書かれている句の続きの句を書いて、貼る
→全ての場所で結句まで書かれたならば終了
→各所で詠まれた短歌をひとつずつ確認に行ってみる

◆休憩

■ダンボールを使って「自分が座ってみたい椅子」を造る
■完成したら3グループに分かれ、自らの造った椅子についてのプレゼンをしてみる
■グループ毎に場所を決めて、その場所を活かした形での展示をしてみる
→展示を観てもらい、その展示について一言で表現してもらう
→その表現してもらった言葉をテーマに、1シーン創ってみて、発表

◆休憩

★ふりかえり

【ふりかえり】
2週間前に行った「プリンの会」に引き続いての開催で、今回はゼブラこといけだとも美さんがファシリーテーターとなっての進行内容でした。

やっぱり色んなやり方があるんだなぁとつくづく実感。
ただ、それだけに、一つひとつのプログラムのシステムがどんなに優れていようとも、結局重要になってくるのはファシリテーターの場の進め方になってくるのかなぁとも感じたのでした。
あと、そのプログラムの組み立て方や組み合わせ、順序によってもかなり参加者の得られるものというのは違ってくるもんだなと、そう思います。

今回の会、短歌にしても椅子造りにしても本当に楽しかったし、充実したとても有意義な時間を過ごせたなとは思うんです、それも心の底から。
が、やはり盛り沢山過ぎたのか、どちらも「もっとこんなことがやりたい!」という思いを抱いたまま終了してしまったなと、正直な話思いました。

たぶん「まだまだやり足りない!」と思えたままWSを終えることができるのは、決して悪いことではないとは思うんです。
ただ、同じ「やり足りない!」でも、やりっぱなしで終えてしまったために感じる「やり足りない!」と、「今日はここまで」というラインが進行側からはっきりと提示された上での「やり足りない!」では意味合いが変わってきてしまうのかなと、そんな気もしてます。

たぶん、やりながら予想以上に場が盛り上がってしまうことってあると思うんです。
やりたいこともどんどん膨らんでいってしまって、今のこのプログラムを継続・発展させようかそれとも無理にでもここで切って予めやることを決めていたプログラムへと移行させるべきか、迷うことって十分あり得ることだと思います。

思うのは、そういう時ってどっちを選んでもよくて、むしろ大事なのは「選ばなかった方の選択についてのフォローをどうするか」の方なんじゃないかなってことのような気がします。
特に盛り上がり始めてきたものの流れを断ち切る際には細心の注意を払わねばならなくて、どんな理由でもいいから「何故次のプログラムへ移るのか」についてを進行側の人間が明確に伝えておく必要があるのだろうなと思います。
でないと参加者には不完全燃焼感しか残らず、せっかくのいい空気が(むしろいい空気であればいい空気であるほど)進行への不満に繋がっていってしまいその後のプログラムへと臨んでいる際の発見を邪魔する心理的な障害に繋がっていってしまいます。

まあ、ここもやり方だと思うんです。

たぶん自分の場合はそうなったら、「実は次にやろうとしてるのが今日のメインなんだけど、今いい感じだからさ、このままいっちゃう?但しそうするとメインは端折るかできなくなっちゃうか、なんだけど」って敢えて聞いてしまうかもしれません。
そこでの意見次第で次のプログラムに移るんだったら少なくとも不満は緩和されるし、納得はしてくれると思うんです。
まあ逆に「このままいきたい!」ってなったのならばそのままやりつつその日のメインに想定していたもののどこを削るかを考えてゆくだろうなと。

やっぱりあのいい流れを断ってしまうことが一番怖いし、それまでの積み重ねはなかったことにはしたくないですからね。

あとはその日のメインに考えていたものと今盛り上がっているものをどうしたら繋げられるのか、って視点から考えてゆくのもありなのかなって思います。
こじ付けでもいいから今盛り上がっているものを導入にしてメインプログラムへと少しずつ移行させてゆくやり方ってことですね。
まあ、それはその場で、というよりも前段階での下準備の時に関連あるプログラムを組んでゆくかどうかが鍵になってくるような気もしますが。

でも例えば今回の場合でも、各場所に散らばっているポストイットに書かれた短歌を一人一首選んでもらってそこからイメージされる椅子をダンボールで造ってみる、とかにしてみてもよかったんじゃないかなって思うんです。
冷静に考えてみれば無茶振りもいいところだけれども、あの盛り上がった場の状態であればその無茶は無茶に感じはしなかったような気もします。


まあ、今だから自分も言えることなのかもしれないし、難しいことだとは思います。
しかしたぶん、ファシリテーターに要求される能力ってそういうことなのかなと、そんな風に思うんです。

自分も今回の会はいい勉強になりました。
次は9月になるそうですが、是非その際も参加させて頂きたいなと、思います。


今回も本当にありがとうございました!
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by syohousen | 2011-07-05 15:31 | レポート(外部受講) | Comments(0)