カテゴリ:俳優訓練について( 36 )

「あるあるネタ」好きな発想の傾向について思うこと、

最近、若い俳優志望の方を対象にWSを行なうことが多くなっていて、そこで強く感じることがあります。

それは、「あるあるネタが好きだなぁ」ということ。

あるあるネタというものは、その行為の面白ポイントもわかり易く、周囲からの共感も得易い非常に便利なものです。
が、その反面、如何に周囲から共感を得られるかどうかばかりに気が行ってしまって、それが達成されるならば自らの実感やそこから生まれる衝動に蓋をしてしまっても平気になってしまう危うさを孕んでいる発想でもあります。
それはつまり、目の前の人と関わることをやめ「こうしたらいい反応がくるはず」という「ウケねらい」の発想に陥ってしまう危険性が高い、ということでもあり、それを俳優として芝居の中で使いこなすためにはそれなりの技術を要する行為であると言えます。


なので、若い俳優志望の方へ自分が強く強く伝えたいのは、目の前の状況や、目の前の人と対峙した際に生まれたものと真摯に向き合うことを大事にして欲しい、という点です。

お芝居というものはそこから始まります。
「いま、ここ」の中にこそ、劇的なものは存在するからです。
台詞回しの巧さや持ってくるネタの面白さなんていうのは、その「いま、ここ」で生まれたものをより際立たせるためのスパイスでしかありません(もちろん、それらも重要なのではありますが)。

「あるあるネタ」にばかり頼ってしまうと、その俳優において最も大事な土台部分を強化することができず、結果、芝居というよりも大喜利的な個人プレーしかできない独り善がりな俳優になってしまいます。

若くして俳優を志す方々、どうかそんな独り善がりな俳優ではなく、人と関わり高め合える俳優となって欲しいなと強く願っております。
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by syohousen | 2016-07-20 22:07 | 俳優訓練について | Comments(0)

「真実の~」とか、「本当の~」とか、

よく「真実の演技を身に付けたい人のために!」とか
「本当の自分に出会いたい人大募集!」とか
そういった謳い文句のWSを目にすることがあるけれども、
あれは一体どういうことなのでしょうか、、、?

実は(や、実はも何もないんだが)、これまで自分が生きてきた中で、
「私は真実の演技を身に付けております」と言う俳優さんにも
「僕は本当の自分に出会いました!」という人にも出会ったことがありません。

どなたかいらっしゃりますか?そんな人に出会えた方。


それだけに、自分は物凄く興味があるんですけどね、
そういう「真実の演技」なるものを体得した人ってのに。

きっと自分なんかとはとても比べ物にならないような
素晴らしい演技をしてくれるんでしょうね。

あまりにも高尚過ぎてたぶん自分ごときでは理解もできないかも。


うーん、、、、でもどうやったらそんな人に出会えるんだろうか、、、

え、もしかしてそんな人はいない、、、?


いや!そんなことはないはず!

たぶんこの世の真理に触れたほどの方なのですから、
そのことをわざわざ他者に公言するなどといった
下衆な発想には至らない慎み深い方々なのでしょうね。

なら仕方ない、ですかね。



とは言ってもまあ、個人的には別に「真実の演技」や
「本当の自分」なるものには全く以て用はないからなぁ、、、

ただ、もしそういうものを身に付けた方がいたとして、
それがどんなものなのかを見せてもらえたなら
その気持ちが変わる可能性もあるかもだし(まあ、9割方ないですが)、
会えるものなら是非ともお会いしてみたいものですわ。


でもいない気がするんだよなぁ、、、
かなりの確信を持っていない気がするんだよなぁ、、、
なんでだろうなぁ、、、不思議だなぁ、、、

、、、しつこいですね、ねちっこいですね。はい、ここら辺でやめにします。



や、単純に、そういう安易なフレーズが嫌いなだけなんです自分は。はい、以上。
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by syohousen | 2010-11-30 17:11 | 俳優訓練について | Comments(0)

水と言葉

水泳技術の上達のためには、
まずは水に慣れることが必要になってくる。

言葉の扱いについても、
同様のことが言えるんじゃないのかなと、最近は強く思う。


少しずつ、身体に馴染ませてゆく中で、
言葉に対する恐怖心との付き合い方を身に付けてゆく。

但し、その恐怖心がゼロになってしまうことも非常に危険なことである、
という点においても、水と言葉はその向き合い方が似ているような気がする。


だからこそ、俳優であるならば
普段から様々な文脈を持った人々から発せられた言葉達を、
視たり聴いたり読んだりと様々なアプローチで触れていられる環境下に
身を置き続けてゆくことが大切になってくるんじゃないかなと思う。
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by syohousen | 2010-11-03 15:37 | 俳優訓練について | Comments(0)

現場あってのお稽古事

自分は、いつも日頃からの訓練の重要性を説き続けている。

しかし、そうは言っても
やはり「現場あってのお稽古事」なのである。

それ故に、どちらも大事だし、どちらだけに偏っても駄目だ。


そのことは、芸事に取り組む人間として、
決して忘れてはならない大切なことだと思う。
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by syohousen | 2010-10-12 15:02 | 俳優訓練について | Comments(0)

「現場に立ち続けてゆく」ということ

人前に立つということはどうも特殊なエネルギーを使うらしく、
ただの単純な運動のための体力とはまた違った
体力を要求されるんだなということを、
昨日のWSオーディションを受けていて再確認した。

しかし、現場から離れていた期間中に積み重ねてきたものが、
自らの新たな一面の発見へと繋がるきっかけとなったりしていたので、
非現場時における基礎的な鍛錬の重要性も改めて実感できた。


たぶん、こういう風に
現場と基礎鍛錬の場とを行き来してゆくことが
俳優としては重要な要素なのだと思う。

そして、どちらに偏ってしまっても、駄目なのだと思う。


やはり、現場に立ち続けてゆくことにはこだわってゆきたい。
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by syohousen | 2010-09-22 16:00 | 俳優訓練について | Comments(0)

全く接点のなかったはずのところから、

ふと浮かんだのだが、
皆違う現場で、それぞれの演劇公演を終えたばかりの人達が集まって、
それぞれの公演についての総括をし合いつつ意見交換を行う場があったなら、
きっと有意義な時間を過ごすことができるんじゃないか。

可能であれば、それぞれの公演を観た人にも集まってもらったりもして。


きっと、全く接点のなかったはずのところから、
何か思いもしないような発見が生まれてくるかもしれない。


だからちょっとこれ、次の勉強会で試してみようかな。
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by syohousen | 2010-08-21 14:44 | 俳優訓練について | Comments(0)

猫の身体の使い方って、

昨日、寺子屋の開催中に実際に動きつつ丹田の話をしていたら、
ふと猫の身体の使い方の見事さに実感を伴って気付いてしまった。

危険に対して身体全体で反応しているのが
見ていてありありと伝わってくるし、
考えてみれば、塀から飛び降りた際に
着地に失敗して足挫いたりしてる猫なんて聞いたことがない。

ちゃんと自分の身体の芯を本能で心得ているし、
着地の際のショックも身体全体で本当にうまく受け流している。

また、重心の移動も驚くほどにスムーズだ。


あいつらの身体の使い方は、ほんと侮れない。


という訳で、今度じっくり猫観察及び猫研究してきます。

今ならきっと、何かしら見出せる気がするんで。
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by syohousen | 2010-08-05 19:34 | 俳優訓練について | Comments(0)

案内してみるといいのかも

自分の住んでいる街について、
何か新しい発見をしてみたいなと思ったら、
誰かを呼んで案内してみるのが一番効果的かもしれない。

ふと、そんなことに気付いた。

ただ何となくで街をふらふら歩いてみても
漠然としか見ることができないし、
また、自分の注意の向け易い方面にばかり意識がいってしまうので、
なかなか思いもしない発見には結び付きにくいんだろうなと思うのだ。

しかし、誰かしらを案内しようと思うならば、
明確な目的ができるためにただ歩いていた時よりも
街との向き合い方が具体的になってくるだろうし、
その人の趣味嗜好やものの見方にも思いを巡らそうとするから
自分だけの好みで街を見なくなってくるんじゃないか、と思う。

また、住んでいる人には当たり前すぎて見逃してしまうようなものでも
初めて訪れる人の場合は引っ掛かる対象になったりする可能性もあるから、
一人で調べてゆくよりも遥かに効率的なんじゃないかって気がする。


だから、今度ちょっと試してみようかなと思う。
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by syohousen | 2010-08-02 14:52 | 俳優訓練について | Comments(0)

なぜ、発声を学ぶのか、

よく、「声のことなんか気にしていたら芝居にならない」という話をよく聞きます。
それはもっともな話だと思います。

自分も芝居をやっている時には声のことなんか一切気にしてませんし、
発声指導を行っている人間でありながら稽古で声もよく枯らしてしまいます。


が、しかし、そういう発声訓練というものに対し
否定的な意見を言う人に分かって欲しいのは、

「声について無知だからこそ、声のことが気になってしまう人は意外と多い」

ということです。


そもそも、何故自分が声のことを気にしないで芝居に臨めるかといえば、
それは自分の発声に自信があるからです。

自信があるから気にせず無茶ができるんです。

そして、もし稽古中に枯れたとしても、
本番までに声の状態を修正できるという確固たる自信があるから、
声帯に負担のかかるような声の出し方も
役の感覚を掴むための荒療治として遠慮なく試せるんです。

まあ、根性論じゃないけれども、
一度枯らしてみないと掴めない感覚っていうのも時にはあるので。


だから、その証拠に、自分は稽古中に声を枯らしたことはあっても、
声が枯れた状態で本番に臨んだことは一度たりともありません。

昔から絶叫系の役が多い役者であるにも関わらず、です。

それも、ちゃんと無茶できるペースの配分を自分で分かってるからこそです。


「知っている」ということは、そういう選択ができるんだってことでもあります。

が、知らなければ、こんな選択肢は決して選べないと思いますし、
自信も持てないので、結局声のことを気にしながらか、
もしくは「気にしない」という気にしかたで芝居に臨んでしまい、
十分なパフォーマンスを発揮できずに終わってしまう危険性があると思います。


まあ、知らなくてもすごい人、ってのもたしかに存在しますから、
上に書いたようなことも一概には言えないことなのでしょうが、、、

だから、自分がそのような天才だと思うならば、
そのままでいればいいと思いますし、違うと思うならば、
何かしらの行動に移ってみればいいのかなって思います。


発声のことを学ぶのも、そういう選択肢を増やすための手段として
とらえて欲しいなと、よく思うことがあります。

決して、「いい声」という物凄く曖昧なものを獲得するために
発声訓練があるのではないのだということを、分かって欲しいなと。
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by syohousen | 2010-07-03 14:49 | 俳優訓練について | Comments(0)

なんでって、

なんで日々鍛錬を積み重ね続けたり、
演劇について常に考え続けたりできるのかって?

まあ、色々と理由はあるだろうけれども、
自分にとって最も大きな理由は「演劇が好き」だからです。

それだけで、理由としては十分です。
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by syohousen | 2010-06-25 22:28 | 俳優訓練について | Comments(0)