カテゴリ:レポート(主催)( 66 )

4/22(月) 劇の遊び場 レポ

4/22(月)14:00~17:00
『劇の遊び場』 @宮城野区文化センター・3階廊下

【進行】
■このWSについての諸々のアナウンス
■輪になって手を繋ぎ、目を閉じた上で周囲の音に聞き耳を立ててみる(30秒)

■各々思い思いに歩き出す
→捻る、伸ばすなどのアプローチも加えてみる
→空間にあるものに触れてみる
→壁に身体の表面の全てを触れさせようと試みてみる

■空間にある数えられるものを3分の間に可能な限り数え、シェアしてみる

■クイズで自己紹介

■王様マッサージ×2(2回目は言葉を使わずに)

■今身を置いている空間の中で、居心地のいい場所・悪い場所を探してみる
→最も居心地のいい場所と悪い場所を決める
→居心地のいい場所か悪い場所かどちらか一方を選び、他の人にはどちらを選んだのかを告げずに選んだ場所を紹介し、そこが居心地のいい場所なのか悪い場所なのかを当ててもらう
→フィードバック

■休憩

■ローテーションゲーム
→移動しながら行い、距離感や位置関係によっての感覚や数え易さの違いを味わってみる
→お互いにとって最も気持ちのよい位置関係を探し、決める
→決めた位置関係を他のチームの人へシェアする
→観ている側の人達に、2人がどういう関係に見えたかを言ってもらう
→今度はその言われた関係性を盛り込んでみて、同じことをやってもらう
→フィードバック

■立ち座り
→フィードバック

■本日全体のフィードバック


【参加者の言葉】

「普段何気なく使って(通って)いるところでこのような普段と違った使い方をしてみることで、普段とは違った感覚に気付くことができた」

「空間の強度があるので、本当に沢山の使い方がやれると思う」

「これまでに室内でやってきたことと同じエクササイズをやっても、空間が違うと見えてくるものが全然違っていて、ここでしか気付けないことが沢山あった」

「まさかこんな場所でやれるとは思っていなかったので、単純にびっくりした。楽しかった」

「オープンな空間でやれることでワクワクした」

「後ろで職員さんが鯉のぼりを飾り付けていたのだけれども、それが手前でやっていたWSと不思議とマッチしていて寧ろそれがドラマチックに見えた。変てこな光景なのに、共存できていて面白かった」

「吹き抜け部分と、会議室前とでは全く違った空間としての特色があるので、同じ3階廊下でも色んな選択肢がある気がする。特に第三会議室前は半開放的なスペースではあるものの、普通に部屋として使えそう」


【ふりかえり】
今回、試験的な取り組みとして、宮城野区文化センターの館長さんや職員の方々に了承を頂き、休館日の施設内のオープンスペースを利用したWSを開催させて頂いた。
この企画自体は元々、普通に公共施設の一室を借りてのWSとしての開催を考えていたのだが、演劇の手法を用いたWSの可能性を探ってみたい気持ちもあり、また、以前に館長さんから休館日を利用した何かしらの企画をやってみたい、というお話を聞いていたこともあり、ダメ元で直に交渉へ行った結果、モニターとしての開催という条件で引き受けて頂けた、という経緯の元での開催であった。

自分としても、野外でのWSの開催経験はあるものの、こんなにも変則的な独特な空間でのWSは初めてであったため、どんな内容にするのか、どんな内容にするといいのかは全く読めないような状態で、正直に言えば不安だらけでの開催であったとも言える。
が、そんな状況がいい開き直りを生んだのか、始まってからはあまりガチガチに進行を固めようとはせず素直にその空間や集まって頂いた人達の身体の状態を引き受けて、そこから生まれてくるものへ身を委ねて進行させてゆくことがすんなりとできたように思う。

敢えて意識していたことを挙げるならば、

序盤:空間と向き合うことに重心を置いたエクササイズ
中盤:空間の影響を受け難い、どこででも行えるようなエクササイズ
終盤:直接的に空間とは関わりはないが、空間の影響を抜きには行えないエクササイズ

という時間帯毎に大まかなテーマを分けて進めていったことぐらいであった。


そんなこんなで実施してみて感じたことは、この空間は、参加者にとってもそうであったようなのだけれども、ファシリテーターにとっても多くの発見を引き出してくれる非常に魅力的な空間であるな、ということであった。

ともするとああいった変則的な構造をした空間で何か行おうとなると空間そのものの存在感が強過ぎて何を行っても空間に負け、得られる発見もかなり偏ったものとなったりしがちだったりするのだけれども、あそこではそのような不自由さは全く感じることはなく、寧ろ使い方の間口が広く変幻自在な印象で、使えば使うほど可能性が拡がってゆくような自由度の高さを感じた。
開放的な印象がありながらも野放図にはならないくらいの(いい意味での)制約のある空間で、また、建物は綺麗なこともあって一見無機質な印象なのだけれども、実際にあの場へ身を置いていると吹き抜けのお陰なのかオープンスペースであれば館内のどこにいても人の存在を感じさせてくれる喧騒が行き届いているので、そこまで冷たい感じがしなかったりもする。
そんななんとも不思議且つ絶妙なバランスで成立している空間だからこその感覚なのかもしれないなと思う。


少々話が逸れはするのだけれども、WS中の参加者の様子を見ていてふと感じたこととして、表現形態によって向き不向きの差はあるだろうが、おそらく演劇やダンスなどの実演にもあの空間は適しているのではないかというものがあった。

まあ、やる側以上に観る側にとってはあの空間の持つ影響力は結構強いものがあるため、観客の想像力に委ねるような抽象表現を行う際にはかなりうまくやる必要があるだろうなとは思う。
何故なら、観客の想像力に委ねたいのであればスタジオでやった方が観ていて余計な情報も入ってこないし、何より非日常の空間であるために観客としても頭のスイッチを切り替え易いためで、何もわざわざこんなノイズの多い空間で実演を行う意味がない、ということにもなってしまうからだ。

しかし逆に、このノイズの多さを組み込まなければできない表現というものも確実に存在していて、そういう作品をスタジオなどの閉じられた空間で行ってしまうことも、それはそれで勿体ないことであると思う。

ここら辺は作品に応じてうまく上演される空間の棲み分けがされてゆくようになってくるときっと舞台表現も今より幅が出てくるのだろうけれども、現時点ではまだ演劇などはいわゆる「劇場」と呼ばれているスタジオの中でしか行われないもの、という認識は根強くあるように感じる。

ここの点においても、今回のような取り組みがそんな固定観念を壊すための何かしらの楔を打ち込むきっかけになれたらなと思っていたりする。
もちろん、そのために自分も何ができるのか考え、動いてゆこうと思っている。


思うに、自分としてはこういう取り組みが継続的に行われてゆく中で、「人の集う場所」としての“劇場”が育ってゆくことができたらなと、そう思う。
まだまだ道のりは長いとは思うけれども、しかし、スタートラインをひくことはできたのではないか。

だからこそ、ここから根気よく、腰を据えてかかってゆきたい。
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by syohousen | 2013-05-06 19:38 | レポート(主催) | Comments(0)

8/23(木) 寺子屋レポ

8/23(木)14:00~16:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋』 @10-BOX box-3

【進行】
■このWSについてのアナウンス
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×3

■手足を揺する
→続けながら歩き出す
→捻る、伸ばすなどのアプローチも加えてみる
→空間にあるものに触れてみる
→壁に身体の表面の全てを触れさせようと試みてみる
→触れる対象を壁から床へと徐々に移行させてゆく
→その動きの中から自らの身体の現状を探ってゆき、そのまま身体の求めるままに伸ばしたり揺すったりして無理なくほぐしてゆく
→最終的に立った状態になり、少しの時間、これまでの自らの動きの余韻や今の身体の状態を味わってみる
→フィードバック

■骨盤揺すり
→フィードバック
■寝にょろ
→フィードバック
■マッサージ(ふくらはぎ)
→フィードバック
→太腿から股関節の付け根辺りを重点的に揺する
→フィードバック
→肩周りから肘、手首も意識して丁寧に揺する
→フィードバック
■肩甲骨あけ
→フィードバック
■肩周辺をほぐす
→フィードバック
■胸から首周りにかけてを伸ばす
→フィードバック

■いざない
→フィードバック

■二人一組になり、あっちむいてほいを「フラット→最速→フラット→最遅→フラット」という流れで行う
→同じことを、掛け声なしで行う
■フィードバック

■今日全体のフィードバック

【ふりかえり】
ひとまずこれが今回の仙台滞在中最後の寺子屋となった。

やはり受ける人が変わると同じことをやっていても全く違った感じになるものだなということを強く実感した。
まあ、それも当然のことなのだが、だからこそこういうことって楽しいのだと思っている。

時折はっとするような言葉や発想や反応が返ってくる時もあり、それがこちらの視野を押し広げてくれたりもするので、むしろ自分の方が学ばせてもらっているように感じさせられる。
これは本当にとても有り難いことだなと、参加者の方へはいつも感謝の念で一杯になってくる。


ただ、この仙台での開催にあたり常に付き纏っていたのはやはり、参加者の数が思うように増えないがためにWSの進行にあたっての選択肢がかなり限られてしまっていたことに尽きると思う。
別に少人数でもやれることは沢山あるし、突き詰めていこうと思えばいくらでも深めてゆくことは可能なのだけれども、しかし、それだからといって参加者数が増えてこないことをそのまま放置しておいていい理由にはならない。
せっかく参加して下さっているのだから、多様な形でのエクササイズを味わってもらう機会を設けることも指導者側の責務であると思うので。

とはいえ、この参加人数については関東の時からずっと抱えている問題ではあって、今後の自らの活動を続けてゆくにあたってはここをまず梃入れしてゆかねばならない最重要な課題ではあると思う。
ただ、そうはいっても関東での参加者数の少なさと仙台での参加者数の少なさとではその原因がだいぶ違うため、一緒くたにして考えてしまうことは避けねばならない。

どちらかというと、仙台での参加者数の少なさの方は、このままこの活動を根気よく継続させてゆくことで解消してゆける問題ではあると思っていて(もちろん然るべき手は打つ必要はあると思うが)、そこまで心配はしていない。
関東の方も、ちょっとこれまでのようなやり方に手を加えていったところでもうこの問題は解消できるとは思っていないため、たぶん大幅にこの寺子屋のあり方というものを変えてゆくことになると思っている。
もう既にアイデア自体はあるので、あとはその実現のためにどう動いてゆくかを考え、さっそく実行してゆこうかと。


おそらく来月以降も月に1~2回程度は仙台で開催してゆくことになるかとは思っているし、来年になってしまえば完全に仙台へと居を移してしまうつもりなので、それ以降は毎週開催、という形にしてゆけることになると思う。

まあ、どのような形態になったとしても、自分としてはその時に行えるベストを尽くしてゆくだけだなと思っている。
参加して下さる方への感謝の心を、決して忘れずに。
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by syohousen | 2012-08-24 13:57 | レポート(主催) | Comments(0)

8/10(金) 寺子屋レポ

8/10(金)14:00~16:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋』 @studio+1

【進行】
■このWSについてのアナウンス
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×3

■手足を揺する
→続けながら歩き出す
→捻る、伸ばすなどのアプローチも加えてみる
→空間にあるものに触れてみる
→壁に身体の表面の全てを触れさせようと試みてみる
→再び歩き出す
→今身を置いている空間の中で、居心地のいい場所を探してみる
→3分の時間を設け、その時間の中で最も居心地のいい場所と悪い場所を決める
→居心地のいい場所か悪い場所かどちらか一方を選び、他の人にはどちらを選んだのかを告げずに選んだ場所を紹介し、そこが居心地のいい場所なのか悪い場所なのかを当ててもらう
→フィードバック

■王様マッサージ×3(最後の一回は言葉のやり取りなしで)

■ローテーションゲーム(遠過ぎず近過ぎず、適度な距離感で)
→動きながら、カウントのリズムや言い易さがお互いの位置関係によってどう変化するのか探りつつ行う
→フィードバック
→お互いにとって最もスムーズにカウントが言える位置を見つけ、シェアする
→フィードバック
→その位置関係だとどのような関係性に見えるか意見を出し、その関係性を意識して再びカウントを行ってみる
→今度はその関係性だけを残して、カウントは続けつつお互いに動いてみる
→フィードバック

■二人一組になってはいはいクラップ
→同じことを無言で
→フィードバック

■立ち座り
→フィードバック

■今日全体のフィードバック

【ふりかえり】
今回の寺子屋は、メンテナンスと実践とで分けず、参加者の身体の状態や空間の状況に応じてその場その場でエクササイズを決めてゆくという、自分がこれまでで一番慣れた方式で行うこととした。
というのも、今月は客演先であるOCT/PASSの本番を月末に控えているために2回しか寺子屋を開催できず、参加してくださる参加者の方々に体験してもらうWSの内容に偏りを持たせなくなかったためである。

まあ、一番手馴れた方式であるためか、今回の進行は思いの外スムーズで、とても楽しい時間を過ごすことができた実感がある。
もちろん自分だけでなく、参加者の方々の反応もなかなかの好感触であった。


最近の自分が強く意識していることで、WSを行う際のテーマに掲げているのは、「受身の取り方」である。

成功を求めることはとても大事なことだし、失敗ばかりが続けば自信を失ってしまうのは心の移り変わり方としてはごくごく自然なことではあると思う。
しかし、だからといって一生成功し続けながら生き続けてゆくことなんかまず不可能なことで、失敗というものは避けて通ることのできないものである。

だからこそ、失敗の仕方、というものは何かひとつの物事に長く携わってゆくに当たっては非常に重要なスキルなのだ。

決して避けることのできない失敗というものといかにして付き合ってゆくのか、ということを早い段階できちんと心得ることができるか否かによって、その人のその後の成長具合は大きく変わってくるのではないかと思う。
うまい転び方、大怪我をせずに済むような受身の取り方を身に付けてしまえば、ぎりぎりの判断を迫られた際などの思い切りのよさにも繋がってくるからだ。
これが転び方の分からない人だったりすると、転ぶことへ対する恐怖心からなるべくリスクの小さい道を通りがちになってしまうし、転び方が分からない以上、無理してリスクの大きな道を選んだとしても大怪我をしてしまう可能性が高くなってしまうだろう。

それでも、短期的に見ればこの両者には差は出てこないかもしれないし、もし仮に一発目で大きな成果を上げることができたりしたらそんな受身の取り方の心得などはあまり影響の出ないことなのかもしれない。
がしかし、長く続けてゆこうと思ったら、この受身の心得があるか否かの差は非常に大きなものとなるはずだ。

失敗しても再び立ち上がることができ、そしてその失敗から何を学び取るべきかを分かっている人と、失敗したらすぐに心が折れ、その失敗をなかったことにしようとする人とでは、どちらが決して避けることのできないであろう失敗に強い人間であるかは考えなくても分かるはず。


や、少し話が逸れたけれども、ここ最近、自分はそういった考えのもと「失敗との付き合い方」についてを強く意識してWSなどを行っている。
特に、このようなWSの場や稽古場などは、「失敗してもいい場所」でもあったりする。
これはこの現代社会を生きてゆく上で非常に稀有で特異な場であり、ならばとことん転んでみればいいのではないか、と思ったりもする。

というか、正直なところ失敗なんて別にしてもいいじゃんって思うのだけれども。社会生活を送っている時にだって。
だって、人間は失敗する生き物なんだから。

や、もちろん、失敗を推奨している訳ではないのだけれども、ただ、失敗を恐れて歩みを止めてしまうことの方が何かに取り組んでいる人間にとって致命的な選択なのだと思うのだ。

また話が逸れてしまったが、とにかく、失敗をできる場所では、リスキーなことにもどんどんと飛び込んでゆけばいいと思うし、自分としても、WSを行う際には失敗をチャンスに転化させ、利用するためのコツのようなものを参加者の方々と一緒に探ってゆけたらなと思っている。
そして、今回の参加者の方々は、いずれもそこについていい感度を持っていた素敵な方々であったなという印象だった。

願わくは、これからもそのよさは失わずに一歩ずつ歩み続けていってほしいなと思う。
自分としても、その歩みのお手伝いができるならば、可能な限り行ってゆきたいなと思っている。
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by syohousen | 2012-08-11 23:57 | レポート(主催) | Comments(0)

7/24(火) 寺子屋レポ

7/24(火)14:00~16:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋【実践編】』 @10-BOX box-4

【進行】
■ここ最近の印象に残ったことを話す
→今取り組んでいる演劇の現場のことを話してみる

■自宅の玄関を出てからここへくるまでの道のりについて説明してみる
→その説明を、同じように再現してみる
→フィードバック
→再現をしようとしなくていいから、再び自宅の玄関からここまでの道のりを説明してみる
→フィードバック
→一つ前の説明を、再現してみる
→フィードバック
→立ち上がった状態で、もう一度再現してみる
→フィードバック
→一つひとつのイメージを、身体と連動させることを強く意識して説明してみる
→フィードバック
→前回の説明時に出た動きの単語の音を、やや誇張気味にして説明してみる
→フィードバック
■今度取り組む予定の作品の舞台上の装置及びそこから見えるイメージの風景を説明してみる
→フィードバック

■発声診断

■今日全体のフィードバック

【ふりかえり】
今回の寺子屋では、情景描写を語ること、特に自らの中にあるイメージを明確に持つこととそのイメージを身体とどのようにして連動させてゆくか、ということを重視して進めていった。
まあ、とはいってもそれは予めそのような内容にしてゆこうと決めてそう進行させていったのではなくて、冒頭に行った雑談から、今の参加者に必要なことはこれかな、と判断しながらその瞬間瞬間に生まれたものを拾い集めながら進行させていったことでもあって、だいぶ型のない、あの場でしか行うことのできない内容のWSとなったなと、そう感じた。

まあ、とはいえこのやり方は指導する側にとっても非常に難易度の高いアプローチではあるため、いざ行ってみたところ反省すべき点も沢山あったのだが、しかし同時に、このアプローチによって指導者側と参加者側の双方にとって得るものの非常に多い貴重な時間となれたのではないか、という実感がある。

従って、今回行った内容に関しては今後しっかりとブラッシュアップさせてゆき、ひとつの俳優訓練のアプローチ法として確立させてゆけたらなと思っている。
その時その時での参加者の状況によって特化させるポイントを自在に変え、同じことを同じ場で行いながらも得られるものが人によって全く違う、というような非常に柔軟性の高いエクササイズとなれるような気がしているので、なんとしても形にしてゆきたい。


それはそうと、今回で一応7月分の回も終え、仙台での寺子屋始動から1ヶ月半が経過した訳だが、どうも人の集まりが芳しくない。
そこで、今後は日程の決め方に一工夫加えてみようかなと思っている。

まあ、この土地に定着してゆくまでは、色々と試してみながらの開催になるとは思う。
が、継続させてゆくことこそを最重要視している取り組みのため、多少の困難が続こうとも頓挫させるつもりはない。

これまで通り、参加者の数に一喜一憂するのではなく、参加して下さっている方へ心からの感謝の念を持って全身全霊を以て接してゆくことを強く意識しつつ、取り組んでゆきたいなと、そう考えている。
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by syohousen | 2012-07-26 10:33 | レポート(主催) | Comments(0)

7/10(火) 寺子屋レポ

7/10(火)14:00~16:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋【実践編】』 @10-BOX box-4

【進行】
■この一週間で一番印象に残ったことを話す
→その話を継続させつつ、そこへ少しずつ嘘を混ぜてゆく
→フィードバック

■楽な体勢になり、3分間、今の自分の耳に入ってくる音に集中して耳を傾ける
→フィードバック
→今度は、聞こえた音が何か、随時言葉にして垂れ流してみる(1分間)
→フィードバック
→もう一度、楽な体勢となり、聞こえてくる音を口には出さず、心の中で言語化させてみる(1分間)
→同じ状態で、その心の中で言語化させていたものを口に出してみる
→フィードバック

■椅子を用意し、「上手から出てくる→座る(10カウント)→立ち上がり、下手に去る」という動きを行う
→その動きを行ってみて、その時の自分がどんな場所に身を置いていたっぽいかを聞いてみて、今度はその場所であることを意識して、同じ動作を行う
→フィードバック
→そこへ「その空間で、自分以外に誰がいるのか」というイメージを加え、同じ動作を行う
→フィードバック
→そこへ「外の天気はどうなっているのか」というイメージを加え、同じ動作を行う
→フィードバック
→そこへ「この場所へは何で来たのか、道中何が起こったのか」を加え、同じ動作を行う
→フィードバック

■今日全体のフィードバック

【ふりかえり】
今日が初めての【実践編】。
実践、というとなんだか大仰な感じがするのは否めないのだが、まあそれだけに、あまり気負わずに臨めるようなゆるりとした空気で始めてみた。
参加人数自体も少なかったため、個人の長所短所を見極めながらその扱いについてを丁寧に探ってゆけるような進行を心掛けての進行であった。

この寺子屋が継続性を持たせた活動であるからこそできることというのがあって、今回はそれを改めて実感した2時間であったなと思う。
というのも、今回の寺子屋では、参加者の俳優としての弱点を浮き彫りにさせる作業に徹することができたためである。
それによってその人の今後の課題と目指すべき地点の設定を明確に定めることができ、その弱点の克服のためには何をしてゆけばよいのかを長いスパンで計画的に考えることができるのだ。
これは単発のWSなどでは決して行えないことであり、こういうところが、継続性を持たせた「お稽古事」としての場である強みである。

まあ、とはいってもこういうことを行うためにはまず、参加者の方が「継続的に参加したい!」と思えるような内容であることが必須条件であるため、長期的な計画のために今を犠牲にする、というような発想では決して意味がないし、そもそもそんな発想でWSなど行っていたら決して先には繋がってはいかないとも思うが。
なので、目先の一歩一歩の積み重ねも実感できるよう、今を大切にして取り組んでゆく姿勢も保ちつつ、その上で、その一歩一歩の積み重ねがふと気付いた時には大きな距離を歩いていた、という結果に結びつくようになれる仕掛けを、心掛けてゆきたいなと、そんな風に思っている。


気付きの場所でもあり基本に立ち返る場所でもあり積み重ねの場所でもある。
この寺子屋が、そんな場となれれば嬉しいし、だからこそ、そうなれるように今後も精進してゆきたいなと、そう思っている。
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by syohousen | 2012-07-11 11:38 | レポート(主催) | Comments(0)

7/9(月) 寺子屋レポ

7/9(月)14:00~16:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋【メンテナンス編】』 @studio+1

【進行】
■このWSについてのアナウンス
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×2

■手足を揺する
→続けながら歩き出す
→捻る、伸ばすなどのアプローチも加えてみる
→空間にあるものに触れてみる
→壁に身体の表面の全てを触れさせようと試みてみる
→触れる対象を壁から床へと徐々に移行させてゆく
→その動きの中から自らの身体の現状を探ってゆき、そのまま身体の求めるままに伸ばしたり揺すったりして無理なくほぐしてゆく
→最終的に立った状態になり、少しの時間、これまでの自らの動きの余韻や今の身体の状態を味わってみる
→フィードバック

■手を筆に見立てて、空間に何でもいいので描いてみる
→イメージする色や、描く際の質感を変えてみつつ行ってみる
→動かす速度を、フラット→1/2→フラット→倍速→フラット、という順で変化させつつ行ってみる
→フィードバック

■骨盤揺すり
→フィードバック
■寝にょろ
→フィードバック
■マッサージ(ふくらはぎ)
→フィードバック
→太腿から股関節の付け根辺りを重点的に揺する
→フィードバック
→肩周りから肘、手首も意識して丁寧に揺する
→フィードバック

■右腕の腕先から徐々にその範囲を広げ最終的には肩甲骨から先の全てを揺すってみる
→フィードバック
→左腕でも同様のことを行う
→フィードバック
■肩甲骨あけ
→フィードバック

■いざない
→フィードバック

■二人一組になり、あっちむいてほいを「フラット→最速→フラット→最遅→フラット」という流れで行う
→同じことを、掛け声なしで行う
■フィードバック

■今日全体のフィードバック

【ふりかえり】
今回は、初参加の方がいらしたため、じっくりゆったりとしたペースでの丁寧な進行を心掛けて一つひとつのエクササイズを行っていった。

やはり初対面の方と行うWSというのはとても刺激的で、ファシリテートしていても非常に楽しい。

それは、例えばこちらと相手でそもそもの前提が違うため、自分が当たり前に伝わるだろうと思って話した言葉が通じなかったり、或いはこちらの仕掛けに対し思いもしないような反応や捉え方を見せてくれたり、そんなことがしばしば起こって己の扱う言葉や発想についてを省みさせてくれる機会が劇的に増すからである。

もちろん、長らく一緒にやってきた同士とある程度の前提を共有した上でその先にあるものを探ってゆく、ということもとても大切だし、それはそれで非常に楽しい作業ではあるのだけれども、そればかりでは抜け落ちてしまうものも沢山ある。
また、感性の近い者同士で、特に言語感覚が近い者同士でばかり一緒にやっていると、ファシリテーターとして必要な能力はなかなか伸びてゆくことはないし、むしろ言葉は痩せ細ってゆく危険性がある。

とはいえそうは言っても、逆に毎回違った人ととっかえひっかえしながらやっていても、それはそれで今度は言葉が軽くなってしまって深みに欠けていってしまう危険性もあるため、重要なのはその両者のバランスではあると思うのだが。

やはりどちらか一方に偏ってゆくことのないような、そんな仕掛けを自ら打ってゆくよう心掛けつつ、この活動を継続させてゆくことがとても大切なのだと思う。

だからこそ、場の風通しをよくし、どのような立場の人でも気軽に立ち寄れるような環境を整えてゆく努力をしてゆかねばなと、そんなことを改めて思った2時間であった。
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by syohousen | 2012-07-10 23:53 | レポート(主催) | Comments(0)

6/28(木) 寺子屋レポ

6/28(木)14:00~16:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋 in 仙台』 @studio+1

【進行】
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×3

■手足を揺する
→続けながら歩き出す
→擦る、伸ばすなどのアプローチも加えてみる

■歩くことは続けつつ、自分が歩く際に最も意識を置いている部位はどこかを観察し、言葉にし、口にしてみる
→その意識を置くポイントを色々と変えて歩いてみる(その際、自らの歩き方にどのような変化が訪れたのかを観察してみる)

■膝を立てた状態で仰向けになり、左右に膝を倒しながら腰周りの緊張を緩めてゆく
→その動きの中から自らの身体の現状を探ってゆき、そのまま身体の求めるままに伸ばしたり揺すったりして無理なくほぐしてゆく
→最終的には立った状態になり、歩いてみる
→フィードバック

■手を筆に見立てて、空間に何でもいいので描いてみる
→イメージする色や、描く際の質感を変えてみつつ行ってみる
→動かす速度を、フラット→1/2→フラット→倍速→フラット、という順で変化させつつ行ってみる
→フィードバック
■まず、手の指を、1本1本、動かせる範囲いっぱいにランダムに動かしてみる
→その動かせる領域を、手の甲、手の平、手首、肘から先、肩から先、肩甲骨から先の順で、徐々に拡げてゆく
→同様のことを足の甲、足の裏、足首、膝から咲、股関節から先、という順で、行う
→同じく、腰、胴、胸、肩周り、首、顔、頭皮の順でその範囲を拡げつつ、動かしてゆく
→最終的に、全身で、ランダムに動く

■声について色々
→フィードバック

■今日全体のフィードバック

【ふりかえり】
仙台での3度目の開催。

とりあえず6月中は導入編というか、プレビュー的な扱いとして身体のケアを中心に、少しだけ実践的な要素も加えてゆく感じにしようかと思っていたのだが、急な募集であったためか参加人数がなかなか増えない中での開催となったのだった。
が、その反面、3回とも通しで参加して下さった方に対して積み重なってゆけるような内容が、少人数だからこそ組むことができたので、そういう観点から考えればとてもいい時間となれたのかもしれない。

いつだって自分は、参加人数の多寡よりも、参加して下さった一人ひとりの想いを大切にしたいと思っている。
従って、参加人数が少ないことを嘆くよりも、その少ないながらも参加して下さった方への感謝の気持ちを大切にしたいし、だからこそ参加して下さった方には全力で向き合ってゆきたいと、そんな姿勢で臨んでいる。

という訳で、今回も一切の出し惜しみはなしで、時間内でいけるところまでいってみようと試み、当初は想定していなかった声のことにまで触れることができた。
まあ、これは参加者の方の身体の反応のよさも大きかったのだが、まさかここまで6月中にやれることになるとは思ってもみなかった。
これも参加者の方の意識の高さのお陰だと思う。心より感謝したい。


さて、来月からはこの寺子屋も「メンテナンス編」と「実践編」に分けて開催してゆくことになる。

メンテナンス編に関してはこれまでの3回に近い進行となるかと思うが、実践編の方はこれまでとはまた違った形式での進行となると思う。
もしかしたら、スタジオ的な場所以外での開催の日もあるかもしれない。
とにかく色んな視点からのアプローチを用いながら、俳優というものを考えてゆけたらなと思っている。


という訳で、来月もこの寺子屋をどうぞよろしくお願い致します。
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by syohousen | 2012-06-29 15:31 | レポート(主催) | Comments(0)

6/26(火) 寺子屋レポ

6/26(火)14:00~16:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋 in 仙台』 @studio+1

【進行】
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×3

■手足を揺する
→続けながら歩き出す
→捻る、伸ばすなどのアプローチも加えてみる
→どんな格好でもいいので楽な姿勢になり、手を使って自分の身体の中で滞りを感じている部位を擦ってみる(その際に、擦ることによってその滞ったものが巡ってゆくようなイメージを持って)

■二人一組となってマッサージ(ふくらはぎ)
→フィードバック
→太腿から股関節の付け根辺りを重点的に揺する
→フィードバック
→肩周りから肘、手首も意識して丁寧に揺する
→フィードバック

■横になった状態で最低限の筋肉の力だけを使って立ち上がってみる
→自然体について探ってみる

■二人一組で相手の足裏に刺激を与えてみる
→同様のことを腰周りでも
→フィードバック

■今日全体のフィードバック

【ふりかえり】
仙台での第2回目の開催。
今回は、前回以上に徹底して身体のケアに力を注いで進行させていった。

序盤は冒頭で言ってもらった今の自分の身体の中で気になるポイントへの働き掛けをメインで行った。
そしてそこがほぐれてきたら再び自らの身体を観察してもらい、一番の緊張ポイントに気を取られていたせいで気付けなかった他の緊張ポイントを口にしてもらい、そこをほぐし、また他の気になるポイントを口にしてもらい、、、という繰り返しで日頃の生活で溜まってきていた身体へのダメージを芋づる式に明らかにし、それらをひとつずつ丁寧に潰してゆく、というような流れで終始進行させていった。

まあ、途中で自然体にも取り組んでみたりして、誤解からくる身体の歪みや日常生活の中での身体の歪みの原因について、などについても触れてみた。

結局のところ、こういった場で身体へのダメージなどのメンテナンスをどんなに丁寧に行っても、自分自身がそのダメージの要因となるものとどう向き合ってゆくのか、という視点が抜け落ちてしまっていれば、根本の部分での解決にはならないのだと思うのだ。

WSなどの場でだけ身体をうまく使えたりして、WSの場でなければ身体のメンテナンスができない、という状態に陥ってしまえば本末転倒である訳で、それだけはなんとしても避けたいなと自分は思っている。
だからこそ、実際の身体のメンテナンスを行うのと同時進行で、持ち帰ってもらって自らの日常生活でも活かせるような処方箋の提供もしてゆくことを心掛けている。

これまでも何度も言っていることだが、自分の指導者としての理想は、自分のWSを必要としないような、自分で自分の身体のことをちゃんと考えられてしっかりとメンテナンスが行えるような俳優を一人でも多く輩出することである。

それは一見、自らの顧客を減らすことにも繋がる訳だから損なことのようにも思うかもしれない。
が、自分は、それでいいのだと思っている。

だって、自分が指導者を志したのは、より多くの優れた俳優が生まれることによって、ひとつでも多くの良質な演劇作品が創られてゆくような環境が整ってくれたらいいな、という思いからであったりするのだが、それ以上に、競い合う相手(それは遊び相手とも言う)が増えてほしいから、であったりするのだ。
それはつまり、自分のためである。

なので、そんな自らの顧客なんていう些細なことにとらわれて参加者の可能性を伸ばすことを躊躇うだなんて、愚かな考え以外の何者ではないと思うのだ。
ましてやリピーターを増やしたいから肝心なことは伝えずにおく、なんてことは問題外の発想だ。

ただ、自分としては奉仕の心で指導者をやっているつもりもない。

そもそも、俳優としてやらねばならないことなんてものは無限に存在していて、これでいい、ということは決してない。
なので、参加してくれる俳優達の成長以上に自分が指導者として成長してゆけばいいだけの話で、相互に高めあってゆけるような関係でいられればいいんだろうなと思っている。

「出藍の誉れ」という言葉が該当するような人間が輩出されることはきっと指導者としてとても嬉しいことでもあるのだろうし、非常に憧れるものでもあるとは思うのだが、しかし自分としてはそう簡単に乗り越えられるつもりは全くない。
参加俳優達が成長してゆくのならば、自分は指導者としてそれ以上の成長を目指すのみだ。

たぶん、そうでなきゃ本当の意味での「出藍の誉れ」というものも得られないのだろうなと思う。

そしてだからこそ、参加者の方々には全力でぶつかってきてほしいし、こちらとしても、大人気ないくらいに闘う姿勢で向き合ってゆきたいなと、そんな風に思っている。
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by syohousen | 2012-06-27 12:01 | レポート(主催) | Comments(0)

6/22(金) 寺子屋レポ

6/22(金)14:00~16:00
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋 in 仙台』 @studio+1

【進行】
■このWSについてのアナウンス
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×3

■手足を揺する
→続けながら歩き出す
→捻る、伸ばすなどのアプローチも加えてみる
→空間にあるものに触れてみる
→壁に身体の表面の全てを触れさせようと試みてみる
→触れる対象を壁から床へと徐々に移行させてゆく
→その動きの中から自らの身体の現状を探ってゆき、そのまま身体の求めるままに伸ばしたり揺すったりして無理なくほぐしてゆく
→最終的に立った状態になり、少しの時間、これまでの自らの動きの余韻や今の身体の状態を味わってみる
→フィードバック
■歩き出してみる
→氷の上にいるイメージで歩いてみる
→足裏に何の色でもいいからペンキが付いているとイメージし、自らの足跡に色が付くことをイメージし歩いてみる
→部屋全体に泡が満たされているイメージを持ち、動く度に自らの身体の型が残ってゆくイメージを持って動いてみる
→部屋の明かりを暗くし、その上で、森の中をイメージして歩いてみる
→泥でぬかるんでいる地面をイメージして歩いてみる
→フィードバック

■骨盤揺すり
→フィードバック
■寝にょろ
→フィードバック
■肩甲骨あけ
→フィードバック
■右腕の腕先から徐々にその範囲を広げ最終的には肩甲骨から先の全てを揺すってみる
→フィードバック
→左腕でも同様のことを行う
→フィードバック
■椅子を使って、足裏へ刺激を与えてみる
→フィードバック

■いざない
→フィードバック

■二人一組になり、あっちむいてほいを「フラット→最速→フラット→最遅→フラット」という流れで行う
→同じことを、掛け声なしで行う
■フィードバック

■今日全体のフィードバック

【ふりかえり】
仙台では初の「俳優って?を考え続けるための寺子屋」開催。

念願叶ったというか、ようやく仙台での開催までこぎつけることができたのだなと、まずはほっと胸を撫で下ろしている。
ひとつの地域で、継続的に且つ気軽に立ち寄れることのできる場、それが自分の理想であり、この「寺子屋」という名もその願いを込めて付けた名前であったので、こうして仙台での第一歩を踏み出すことができたことは、非常に嬉しいものがある。


さて、そんなこんなで仙台での寺子屋もスタートした訳なのだが、今回は徹底して身体のケアに特化させた進行にしてみた。

やはり日常の生活などで蓄積されてきている身体へのダメージは、自分でも気付かないうちに身体の歪みとなって表れてきていたりする。
この場では、そういった歪み等を自覚できるような感度のよい身体となれるようまず感覚を目覚めさせ、その上でどうしたらその歪みを修正してゆくことができるのか、そのヒントを探ってゆくための仕掛けを色々と提示してゆくことが主目的であったりする。
また、もうすでに型の決まっている、「こうすると効率よく身体をほぐせますよ」とパッケージングされたようなストレッチだけでは零れ落ちてしまうような身体の部位にも目を向けられるよう仕向け、「あれ?こんなところも伸ばすことができたんだ!てか、日常生活の中ではこんなところにもダメージが蓄積されていたんだなぁ」という発見に繋げて貰えるようにも働きかけているのがこの場の特徴でもある。

要は、自らの身体に対する「そもそも」を見つめ直すきっかけ作りの場としたいのだ。
そして、それがひいては俳優としてのそもそもを見つめ直すためのきっかけにも繋がってゆくはずだと自分は考えている。


おそらく6月中は、今回のように基本的には身体のメンテナンスを中心とした内容になってゆくかと思う。

しかし、身体のメンテナンスだからといって俳優としての諸々についてと分けて考えてゆくつもりもない。
何故ならこの両者は地続きの関係であるからで、自らの身体のことを考えることは俳優としての自らのあり方を考えることであり、俳優としての自分を考えることは自らの身体のあり方を考えることであるからだ。

なので、直接的には繋がらないように見える内容であっても、必ずや俳優としてのステップアップに繋がってゆくWSを自分は行っているのだという自負を持ってやっている。

ただ、もしかしたらすぐには成果が目に見えた形で現れてくるような即効性のあるWSではないかもしれない。
が、すぐに成果が目に見えて表れるようなものというのを自分はあまり信用していなくて、特に「誰でも」すぐに気軽に身に付けられるものならば、それは別にその人にとっての掛け替えのない財産にはなかなかなってゆかないのではないかなと思っている。
だって、「誰でも」「気軽に」身に付けられるものと「その人にとって」「掛け替えのない」ものとは相反するものだと思うからだ。

なので自分は、決して「こうすればいい」という言い方伝え方はしない。
自分が行うのはあくまでも「考えるきっかけ」と「考え方のヒント」の提示だけで、それを元にしてそこから先どうするのかは各々の判断に委ねている。

自分は、教師ではなくファシリテーターであり、参加してくれた俳優一人ひとりの伴走者である。
伴走者は、ランナーに直接手を貸したりすることは決して許されていない。
それはルール上そうであるためでもあるが、それ以前に手を貸してばかりいたらいつまで経ってもランナーが独り立ちすることができないからでもある。
俳優の独り立ちをするための可能性を潰してしまいたくはないのだ。

だいぶ話が大きくなってしまったが、そんな想いを以て自分はWSへと取り組んでいるのだということだけは伝えておきたくて、こうして長々と書いてしまった。



なお、この寺子屋、7月に入ってからは「メンテナンス編」と「実践編」とで
バージョンを分けて開催をしてゆこうかなと考えております。

「メンテナンス編」は毎週開催、「実践編」は隔週開催となる予定。

どちらも俳優としての基礎力を継続的に鍛錬してゆくための場であり、
特定の演出論のようなものへの対応力を養う場ではない、
ということだけは先にお伝えしておきます。

という訳で、寺子屋、これからもどうぞよろしくお願い致します。
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by syohousen | 2012-06-23 12:48 | レポート(主催) | Comments(0)

6/22(水) 寺子屋レポ

6/15(水)18:00~21:30
『俳優って?を考え続けてゆくための寺子屋』
@清沓仲通会議室・洋室1

【進行】
■今、身を置いているこの場についてを言葉にしてみる
■現在の身体状況を言葉にして垂れ流す×3

■右腕の腕先から徐々にその範囲を広げ最終的には肩甲骨から先の全てを揺すってみる
→フィードバック
→左腕でも同様のことを行う
→フィードバック

■仰向けに横になって、手足の指先からその範囲を徐々に拡げつつ、脱力⇔緊張を繰り返してみる
→最終的には全身にまで範囲を拡げてみる
→身体に無理のない状態で、立ち上がってゆく
→フィードバック

■表情筋のトレーニング各種
→舌・唇のトレーニング(滑舌に関する動きや感覚も含めて)

■全身の脱力⇔緊張
■スタチュー
→様々な空間イメージを持ちながらスタチュー
→フィードバック

【ふりかえり】
今回は、劇体験を想定した実践的な内容のエクササイズは敢えて行わず、徹底して身体と向き合うための時間を設ける進行とした。
先日自分も参加した『芸術家のくすり箱セミナー』で度々耳にし、大いに共感したこととして「トレーニングとレッスンは違う」ということが挙げられるのだけれども、今回の寺子屋ではその点についてをかなり強く意識して臨んでみたのだ。

普段の稽古だけではどうしても培ってゆくことの困難な「基礎体力」を如何にして補ってゆくのか。
また、近い将来、年齢と共に衰えてくるであろう肉体を如何にして維持してゆくのか。

そういったことについてを日頃から意識していられるかどうかは、今すぐには分からないのかもしれないけれども数年後、その積み重ねが大きな差となって表れてくるのではないかと思う。

もちろん、基礎訓練はあくまでも基礎であって、それだけでどうにかなるようなものではないのも確かで、でもだからこそ、こういった基礎的な訓練は当たり前のこととして、常日頃から少しずつでもいいので継続して行ってゆくようにしていって欲しいなと。
土台が不安定な状態では、その上に乗せられるものも当然限られてくる訳で、それは勿体無いことだと思うから。
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by syohousen | 2011-06-26 21:44 | レポート(主催) | Comments(0)