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「謙虚さ」

昨日、客演先の京都公演が終了して帰京してきたのだが、向こうでは本当に貴重な経験を沢山させて頂いた。

色々とあるのですが、その中でもやはり「謙虚さ」というものが表現に携わっている以上は必要不可欠な心持ちであり、そしてそれは何かに対して本気で向き合っていれば自然と身に付いてくるものでもあるのだという事を気づけた事が今回の公演では大きかった。

何かひとつ問題をクリアすると、これまで見えなかったものが見えてくる訳なのだけれども、それと同時に、それ以上の数の分からない事も見えてくる。
やらなければならない事に、やりたい事も加わってきて、結果としてやるべき事が無限に広がり続けてゆくので、「これでいい」という発想には到らないのも当然だし、どうあっても謙虚さは伴ってゆくものであるのだと思う。

そしてもし、満ち足りる事ができたならば、その時が辞める時なのだろう。

しかしそれは決して悲しい事ではないのではないかとも思うようになった。
満ちるという事は、全力で取り組んだという条件付きではあるものの、「やれる限りの事をやりきれた」という事の証明でもあり、向上心の欠如と安易にイコールでは結び付けられるものではないのではないか、と考えられるようになったからだ。

逆に、向上心を無理矢理持とうとして過剰な厳しさを自らに課す事の方が、謙虚さとは程遠い行為なのではないだろうか。
先日、王監督がホークスの監督の座を退いたが、「彼は向上心がなくなった」などと責める人はいないはず。
それは何故か、、、おそらく、王さんは人生を懸けて全力で野球と向き合った人であり、その人が素直に自らの心に従った結果、自然に辿り着いた結論であるからなのではないかと思う。


少々話が逸れてしまったけれども、この度の経験で思うようになったのは、「謙虚さ」というものは持とうとして持てるものでもなくて、まずは自分の取り組んでいる目の前の状況へと全力で向き合ってゆくうちに自然と身に付いてくるものなのだという事。
そして、その「謙虚さ」がなくては、決して向上する事はないし、満ちる事もないのだと思う。


最近よく考えてしまうのだが、演劇がその人口に比べてもうひとつマイナーなジャンルの域を出る事が出来ないのは、「謙虚さ」が足りないからなのではないか。
だから日頃からの努力もしないし、公演稽古と自らの訓練を混同してしまうのではないだろうか。
よく俳優は素人とプロの差が分かりにくいと言われるけれども、やはり俳優として生き残ってゆきたいのであればある種の職人的な感覚を備えた人間でなければならないと思っているし、そういった意味合いでのプライドは持つべきだとも思っている。

プライドがあるからこそ、謙虚にもなれるのだ。




青年座の先輩で、自分が心の底から尊敬している方から、

「役者っていうのは、何でも出来る奴と何にも出来ない奴がなりたがるもんなんだ。
自分はどっちなのかよく考えてみろ。嫌でも謙虚になるから」

と言われた事があった。

俳優としての自分にとって、座右の銘となっている言葉です。
by syohousen | 2008-10-17 09:56 | つれづれと
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