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5/14(水)『光と光の中』 稽古7日目

5/14(水)18:00~21:30 天候:雨のち曇り

【本日のメニュー】
●身体のロック外し
●2人組ストレッチ(言葉なし、呼吸合わせて)
●意識のポイント(歩いている時の意識しているポイントをシェアし合い、それぞれを体感してみる)
●ローテーションゲーム①(手の届く程度の距離で向き合って)
●ローテーションゲーム②(お互いの気持ちのよい位置を探り、見ている側の印象をシェアし合ってみる)

【本日のレポート】
本日からは、より実践的でお芝居創りに繋がるようなメニューを中心に組んでゆこうかと考えている。
本日行ったのは、

◆自分以外の人間が身体のどこに意識を持って歩いているのかを模倣し体感してみる事で、自らの身体のストックを増やしてみようという主旨のメニュー
◆簡単なルールのゲームに少しずつ負荷を加えてゆき、芝居における台詞や段取りとの向き合い方を探ってみるメニュー


外側から稽古を見ていて感じたのが、台本と対峙しキャスティングが決定した途端に各々のお芝居の中に「予測」が混じり始めてしまっている事(もちろん、人によってその程度の差はありますが)。
これまでの役が決まるまでの読みの時は、目の前の状況に対してビビットに反応できていたのに、役が決まった事で自分の役や芝居全体についての流れを考え始めてしまっているように感じる。要は、芝居が逆算になってしまっているのだ。
これは自分の役者としての考え方なのだが、「次の台詞がこうだから、ここは少し抑えて」とか「ここで動きたいんだけど、そうすると全体の流れを止めてしまうから自重しよう」などという事は役者の考えるべき事なのだろうか?といつも思ってしまう。

そもそも、「作品全体の流れ」というものが自分にはよく分からなくて、それは何を基準にして測るものなのだろうか?台本?
しかし台本を読んで受け取れるものはあくまでも二次元の情報でしかない。
そして稽古場は台本の説明方法の模索の場ではないし、役者は台本の説明係ではない。
それは決してクリエイティブな発想とは言えない。

そもそも、人と人が関わりあう事で物語が生まれるのであって、物語の成立のために人と人が関わりあう訳ではないのだ。
そう考えたならば、物語の成立のために役者が我慢をしてしまう事(言い換えるならば嘘をつく事)は本末転倒だ。
役者は、それを決して忘れてはいけないと思う。

まずは己の役としての衝動に従ってみて、そこで生まれた不都合を一つひとつ解消してゆく事が稽古場なのではないだろうか。
稽古場を、決して段取り決めの場にして欲しくはない。

物語の成立を考えるのは演出の都合である。
役者はとにかく役の都合を優先すべきだ。
でなければ、譲り合いによる妥協の産物しか生まれないと思う。



、、、本日行なったメニューの解説ができませんでした(苦笑)
もし今後機会がありましたならその時に書かせて頂きます。
by syohousen | 2008-05-15 15:23 | レポート(スタッフ参加企画)
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