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2/6(水) 多夢多夢舎「ダンスのじかん」レポ

2/6(水) ARC>T出前部 「ダンスのじかん」 @多夢多夢舎中山工房

■ファシリテーター:千田みかさ

つくづく、みかささんがいる時とそうでない時の盛り上がり具合の違いを実感する。
まあ、昨日今日でいきなりこういった関係を築き上げていった訳ではないし、だから別にそこに引け目を感じる必要はないということはわかっているのだが、しかしそうはいっても悔しいものは悔しい。

まあ、それだけに、この違いを生むものは何なのか、よくよく考えてみることが大事なのだろうなと思う。


今回感じたことは、みかささんはとても自然体であの場に身を置いているなということであった。
そういえば、自分がチーフを任された際にはどう贔屓目に見ても自然体などでは決してなくて、呼吸も浅く腰が定まっていないような身体であったように思う。

やはり「みんなをまとめなければ」という変な義務感というか、責任を一手に引き受けようとしてしまっていたのかもしれない。知らず知らずのうちに。
それによって上からのものの考え方となってしまって、「自分がやらなければこの場はうまくまわらないんだ」などと間違った自信のようなものを抱きながらあの場に身を置いていたような気がする。

しかし、彼らと自分で違うのは役割だけで、別に上も下もないはずだ。
しかもその役割だって、「かくあらねばならない」などという決まりごとなんてものもないはずで、ただただその瞬間に目の前にいる人達とより楽しい時間を過ごせるよう最大限の努力をしてゆけばいいだけのことなのだ。

ちょっと、これまでのファシリテーターとしての経験によって得てきた知識や常識のようなものを一度手放してみて、何の前提もないところからどう彼らと付き合ってゆくかについてを探ってみるとよいのかもしれない。
たぶん今の自分は、これまでの経験によって得た常識というか、自分の中に思い描いてしまっているファシリテーター像のようなものに縛られてしまっているように思う。
それにとらわれてしまうあまりに、思考の中に自分という存在が抜け落ちてしまっているように思うのだ。

なので、ここは一度、横山真という一個人として、彼らと向き合ってみるところから始めてみたい。
そこから、改めて一つひとつ積み上げてゆくようにしてみようかと思う。
by syohousen | 2013-02-07 23:26 | レポート(スタッフ参加企画)
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