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信じて欲しいなら、

誤った情報を流してしまったのに、
訂正も謝罪もしない人やメディアはやっぱり信用できない。


ちゃんと自分の言葉で、
何がどう間違っていたのか説明すること、
そしてその自らの過ちに対しちゃんと謝罪をすること。

こんなん当たり前のことだよ。

だからこそ、それができなければ、信を失っても文句は言えないと思う。


誰もが使うような常套句を用いて心無く謝ったり、
肩書きだけを差し替えて辞めたように見せかけたり、
そんな風にして形だけで責任取ったふりだけしてても、
そんな小細工はすぐにばれますよ。見てる方だって馬鹿じゃないもの。


責任ってのは、その後にとる行動の中からしか果たすことはできないと思う。

そんな打ち上げ花火のように派手で分かり易いもんじゃないんだよ。

地道に、犯した過ちの分も取り返してゆくしかない。

だからこそ、先ず最初に犯した過ちを認め、正し、
そして影響を与えてしまったところへの謝意を示すところから始める必要がある。


たしかにこれは難しいことかもだけど、
しかしそんなこともできない癖に人には信じて欲しいと思っても、それは贅沢な話だ。

信じて欲しいなら、それ相応の行動をとらないとなと、思う。
by syohousen | 2012-01-18 23:34 | つれづれと
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