人気ブログランキング | 話題のタグを見る

5/17(火) 読み会レポ

5/17(火)18:00~21:30
【声と身体の処方箋・勉強会】『読み会』
@清沓仲通会議室・洋室1

◆使用テキスト:土路生真隆『motion picture soundtrack』『山椒魚』

【ふりかえり】
今週は、先週のモーションの台本に加えて、同じ土路生さんの書いた戯曲である『山椒魚』(井伏鱒二 原作)の台本も使用してみた。

これは今回、参加メンバー的に少なかったため二人芝居である山椒魚もあった方が色々と好都合かな程度のさほど深い意味も考えずに採った措置であったのだが、それが結果的にモーション単体で読んだ時よりも発見の幅が広がった実感が持てたのは思わぬ収穫だった。
今後も複数のテキストを使用してみるようなやり方、、、例えば同じ作家の、書いた時期による言葉や作品の質の変遷を探ってみたりとか、作風が似ているなと思う作家を読み比べてみたりとか、そういうアプローチをしてみるのもありなのかもしれない。

まあ、テキストの細かな分析がこの会の主目的ではないので、そこの匙加減というかどこまで突っ込んでゆくべきかについては気を付けてゆかねばならないとは思う。
が、その分析が「他の人と、声に出して読む」という行為の質を高めてくれる助けとなる可能性は大いにあり得る訳なので、試してみる価値は大いにあるし、やるべきだ。


さて、今回の読み会で感じたことは、同時代に生きる同世代の作家の作品を、「上演のため」という目的以外でもどんどんと触れていってみるべきなんだろうな、ということだった。

どうしても同世代の人の戯曲というものは「上演用の台本」という認識でばかり捉えてしまいがちだし、その公演が終わってしまえば「過去の上演台本」として自宅の片隅の方へとまとめて仕舞われてしまい、再演でもない限り日の目を見ることはなかなかないような気がする。
しかしそんな戯曲の中にだって書籍化され書店で販売されているような戯曲と比べても全く遜色のないような優れた戯曲も存在するはずだし、自分達に近い存在の人間が書いたからこそ得られる何かが詰まっていることだって大いにあり得ると思う。

自分と近しい場所、近しい時間を共に過ごした人間の描いた世界に時間を置いて再び触れてみることで、かつて触れた時とはまた違った新たな発見が生まれるかもしれない。

少なくとも自分は、そういう感覚を今回得られた。
かつての自分とは演劇観も変わってしまったからこそ分かることやできること、逆に全く共感ができなくなってしまったことや当時は何の抵抗もなく声に出せていた言葉が今は詰まって出しにくくなってしまったことなど、こんなにも変わってしまうものなんだなという驚きの連続であった。


この感覚、是非とも他のメンバーにも体験して欲しいなと思っている。

またひとつ、この読み会で試していたいことが増えた。
by syohousen | 2011-05-18 14:24 | レポート(勉強会)
<< 5/18(水) 寺子屋レポ 法って、 >>