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1/11(火) 読み会レポ

1/11(火)18:00~21:30
【声と身体の処方箋・勉強会】『読み会』 @狛江中央公民館・第一会議室

◆使用テキスト:平田オリザ『ヤルタ会談』

【進行】

■フラットに読む
■フィードバック
■1回目の読みで感じた役同士の関係性についてを強めに意識して読む
■フィードバック
■各人の現在の財布の中にあるお金を軍資金、その中の50円玉が兵器としてみてそれをお互いに探り合いながら読んでみる
■フィードバック
■敢えて全ての台詞を無感情にするように意識して読んでみる
■フィードバック

【ふりかえり】
今年初の読み会は、かなり充実した内容になれたような気がする。

まず最初に読んでみた時に感じたことを元にフィードバックしてみたところ、どうもだれてしまうような感じがしてしまったため、ならばということでお互いの役の関係性や行われている言葉の裏に隠されている駆け引きのようなものを具体化させてゆくための仕掛けを前半は多く行ってみた。
その甲斐あって内面の方では感情の流れもすっきりし、役としてお互いで駆け引きを行えている実感をしっかりと持てるようにもなってきたのだが、そういった各人の内面がすっきりしてゆく反面、外から見た印象としてはさほど変化が訪れてはいないように見えていたという感想が出た。

そこで次に、敢えて抑え込んでみたらどうだろうかということで、戯曲の言葉を発しようとすることによって湧き起こる感情をそのまま出すのではなく、その全てを抑え込んで無感情で発してみようとしてみた。

そうしてみて感じたことは、とにかく疲れる、ということだった。
今回の戯曲では、綴られている言葉の中にある感情のベクトル付けがかなり明確なように感じられ、何となくで読んでいると戯曲の方から読んでいる当人の感情を引っ張り出されてしまい、結果戯曲に役者が振り回されてしまっていた、という感覚を自分も含め皆が覚えたのだ。
たぶん、猛烈に疲れたのはそういった戯曲の性質に抗うため心身共に相当なエネルギーを費やしたからなんだと思う。
結果、この仕掛けは功を奏したらしく、やっている当人達の不安感やしんどさとは裏腹に、外から見ていて非常に面白かったという意見が聞かれた。

戯曲によってここまでアプローチとその結果に変化が訪れるものなのかと実感。
しかしよくよく考えてみると、今回の一連の流れがあったからこそ最後の無感情に抑え込むアプローチが生きてきたんじゃないかという気もしていて、いきなり最初に無感情に抑えて読んでみたとしても、それはまた違った結果になっていたと思う。

また、この無感情に抑えて読んでみた後にフラットな状態に戻して読んでみたとしたらより面白くなっていたのかと言えば、必ずしもそうではないんじゃないかとも思う(今回は時間の関係で試せなかった)。
というのも、今回の「無感情で読む」という仕掛けは昨年最後の読み会時に行った「棒読み」とはまた違った作用が働いていたなと感じたからだ。
あの時の「棒読み」はあくまでもその後にフラットに戻した時の発見を促すための仕掛けであったのだが、今回は「無感情で読む」という仕掛けそのものが直接表現の面白さに繋がっていた。
この違いは大きくて、だからこそ、そこに今回の戯曲をより魅力的に演じるための秘密が隠されているのではないかという気がしている。
今後は、そこについてもっと深く突っ込んでゆけたらなと。


こうして次回にいい形で課題を持ち越すことができたのは、とてもいい傾向なのではないかなと思う。
それだけに、このいい感じをしっかりとこれからに繋げてゆきたい。
by syohousen | 2011-01-13 12:01 | レポート(勉強会)
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