最近、周りの人の話を聞いていると、
演出と演技指導を混同している人って
意外と多いのかもなという気がしてきた。
自らの作品に必要な演技の質を求めることと、
いわゆる演技指導とは全く似て非なるもののはず。
にも関わらず、俳優の演技の基礎的な部分の訂正に終始して
自分が演出として俳優に何を求めているのかを伝えられないのであれば、
それはもう、創作ではなく単なる俳優訓練の場でしかない。
だいたい、そんなことは個々の俳優が
各々でやっておくべきことであって、
演出がそんなところにまで手を伸ばすべきことではないはずだ。
稽古場では、個人ではできないことや
演出家が思い描いている作品のビジョンを具現化させるため、
どう現実と刷り合わせてゆくべきかを試す場でなければ、
決してクリエイティブな現場にはなり得ないんじゃないかと思う。
基礎ができている俳優に何も言えない演出家というのは、
少し己のやり方について省みてみるといいかもしれない。
きっと、それが演技指導と演出を
混同してしまっているかどうかの物差しとなるので。
もし演出家として明確な作品のビジョンがあるならば、
基礎ができている俳優との稽古は
これ以上ないにクリエイティブな時間となるはず。
逆に何も言えないのであれば、
それは演出ではなく、
演技指導しか考えていなかったことの証明になるのではないかと。