これは、今の社会全体に対して抱いている印象なのだが、
「今の自分達がパッとしないのは、○○のせいなんだ」 と言える対象を常にきょろきょろと探し続けているように見えてしまう。 そして、 「この現状を打破してくれる存在がきっとどこかにいるはずなんだ」 「本当は今のあいつらがその存在だと思っていたんだけれども そうじゃなかった。あいつらは期待させておきながら裏切った」 「だから早く、本物の現状を打破してくれる存在を見付けなければ」 などという完全に人任せの思考の流れが 気持ち悪いほどにスムーズに成立していっているようにも感じる。 でも、「○○のせい」という被害者意識の発想でい続ける限り、 事態は改善してゆくことなんかないんじゃないか。 自分からは動くこともせず、他人に任せておきながら、 うまくいかないと「信じてたのに、、、」とばかりに責め始める。 でも、信じたのは自分の勝手な選択なんだから、 それを全面的に人のせいにするのはどこか違う気がする。 や、別に誰を信じるかなんていうのは個人の自由なので 信じる対象は勝手に選んでもらって構わないのだが、 なんでそこに「信じた責任」が生じないのかなと、 そこが不思議で仕方がないのだ。 信じるって、そんな無責任なことじゃないと思う。 信じることにだって、責任は生じてくるんだよ。 無責任な信頼なんて、そんなの単なる甘えでしかないし、 そんな発想からは事態の改善は決してない。 ましてやそこから何かが生まれるなんてこともないと思う。 だから、自分の意思で、自分の責任で 信じるしかないし、動いてゆくしかないんだと思う。
by syohousen
| 2010-04-09 10:30
| ものの見方・捉え方について
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