3/25(木) 18:30~21:00 @祖師ヶ谷地区会館
◆◇◆声と身体の処方箋・定期勉強会◆◇◆ 【声にして読まれる機会の少ない言葉を声にしてみる】 ■リーダー:渡辺 六三志 【今回の勉強会の主旨説明】 昨年11月にこの勉強会で行ったリーディングWSにて演出を担当した際には、五感(味覚・視覚を断って動き回る)+α(般若心経のや怖い話、すなわち第六感的なもの?)などの身体感覚から声を出していくことを突き詰めました。 ですが、今回は同じ声を出すにしても、 「声に出される機会がなかなかない言葉」 を扱うことで、主に形から入ることによって、言葉(台詞)を与えられて、声や身体がどう変化するのかを突き詰めてゆくようなWSにしたいと思います。 【行おうとしている内容の一例】 ・最近寝てる間に見た夢を思い出しながら伝えることで、イメージを言葉につなげるエクササイズ。 →「なんとか思い出してしゃべる」ことを重視して行います。 ・テキストリーディング →台詞には言葉にされにくい文字、文章(雑誌のインタビュー記事、電化製品の取扱説明書、漫画やゲームの台詞やト書き、今話題のミニブログ「ツイッター」や掲示板などのウェブ上の言葉など)を扱いたく思っており、テキスト化したものは僕が用意します。 【レポート】 今回は、自分以外の人間が主導権を持って行った初めての勉強会。 まあ、昨年11月に行った『ドラマリーディング実験場』の時も自分以外の方が場のリーダーとして行ってはいたが、その時は横山が用意したテーマに沿って行って頂いていた訳で、今回のようにテーマそのものに関しても自分以外の方が準備して開催にまで漕ぎ着けた勉強会というのは、初めてであった。 この勉強会を立ち上げ、実際に活動を開始してからもうじき一年が経とうとしているが、ようやくこのような形での開催を実現させることができるようになってきたことは素直に嬉しく思う。 まあ、だからといって安心などは一切できないのだが。 まだまだスタート地点に立てただけでしかないのだから。 という訳で、今回は渡辺六三志くんが提案し、メンバー募集及びメニュー組み等を自分で行ってゆくという形での勉強会開催となった(もちろん自分の方からも最低限のバックアップはしているが)。 今回、彼が提案し、開催を希望してくれた勉強会のテーマは、「声にして読まれる機会の少ない言葉を声にしてみる」というもの。 ・黙読を前提として書かれている言葉(説明書など) ・視覚的要素も考慮に入れて書かれている言葉(漫画など) ・文字制限があることで独自の表現方法が組み込まれている言葉(ツイッターなど) ・初めは話し言葉であったものを一度文字に変換させて書かれたもの(対談など) などという様々な「書き言葉」を実際に声に出して読んでみることで、戯曲や台本などの音声化させることを目的として書かれた言葉にはないような感覚を体験できるのではないか、という趣旨の下、行われたWS形式の会となった。 この日使用したテキストは主に以下の通り。 ■ゲームの取扱説明書(使用の際の注意書き部分) ■手紙(家族同士のやり取り) ■漫画(ファンタジー風、演説風の箇所) ■旅行のツアーパンフレット(試しに音程を付けて歌形式で行ってみた) ■歌詞(恋心を歌っているもの) ■対談(思想家同士の小難しい話の箇所) 実際に行っていて感じたものは、漫画や対談のように「どういった人(風貌やしぐさ)が話しているのか」が具体的に見えてしまっているものほど、読む際にそのビジュアルに縛られてしまうせいか物凄く不自由になっていってしまうなということ。 逆に取扱説明書や手紙のように自らの想像力の介入する余地が大きいものほど、楽しみつつ自由に読める気がした。 その一方で、文体そのものは読む際の自由度にさほど影響を与えていなかったのが意外だった。 その一事から思ったのは、やはり話し言葉で重要になってくるのは「その言葉によって自らの中に生まれてくるイメージの具体性」なのかもしれないなということ。 もしかすると、言葉遣いの古い文章が読みにくく感じてしまうのは、「その言葉を音声化させることが発声の技術的に困難」であるからというよりも「その言葉によって自らの中に引き起こされるイメージが、不確かなものとなりがち」だからなのかもしれない。 何故そのように感じたのかといえば、自分の実感としては古典的言葉遣いを声に出して読んでいる時の感覚と、漫画の台詞や対談を声に出して読んでいる時の感覚にはお互いに通じるものがあるように感じたためである。 もちろん、現代人特有の発声的傾向というものは存在する訳で、それが古い言葉遣いの音声化を困難にしている一因にはなっているとは思う。 しかし、「古い言葉遣いを音声化させることに慣れていない」ということだけが古典的言葉遣いの読みにくさの原因であるならば、現代口語を用いているはずの漫画や対談はすんなり読めるはずなのではないだろうか。 思うに、漫画や対談の場合であれば「既にその言葉を発している完成形(漫画であればキャラクター、対談であれば実在の人物)が自らの外側に存在している」という点で、古典の場合であれば「現代とは違った言葉遣い或いは生活習慣の違い」という点で、このどちらの場合も「言葉に自分なりのイメージや実感を伴わせることが困難」なのかもしれず、だからこそ、一見全く違うように見えるはずの古典と漫画と対談で、似通った感覚を感じてしまったのかもしれない。 この、今回の勉強会の実験を通しての気付きは、全く予期していなかったものであったので、それだけでも非常に有意義な時間を過ごすことができたなと思う。 この気付きをもう少し深めてゆきたいので、「今後やりたいテーマ」のリストには入れておきたいなと思う。 運営面での反省点も沢山あった。 その中でも大きなものは、以下の2点。 ●動き出しの遅さ 一人でやっている時とは違って相手のあることなのだから、自分が企画している時と同じようなペース配分で開催へ向かって行っても仕方がないだろと自分に言いたい。 その動き出しの遅さのために会の色々が遅れてしまえば、リーダー役の人も損だし、参加者も損だし、自分だって損な訳で、結局誰もいいことはない。 ●リーダーとの距離のとり方 もう少し、細かいところまで詰めてゆくべきだったなと感じた。 こちらの勝手な判断で「どこまで関わろうか」という線引きをしてしまっていたのだが、ある程度そこの点についてお互いの共有がなければ、何かしらの不都合が生じた際に責任の所在が明確ではなくなってしまう。 こちらについてももっと自覚を持ってゆかねば、せっかく名乗り出てくれている人達に失礼になってしまう。 積み重ねるのは大変だが、崩れるのはあっという間だ。 気を抜くことなんか許されないのだというつもりで今後も臨んでゆかねばなと思う。
by syohousen
| 2010-03-31 20:18
| レポート(勉強会)
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