3/4(木) 18:30~21:00 @祖師ヶ谷地区会館
◆◇◆声と身体の処方箋・定期勉強会◆◇◆ 【WS実験場】 『自己紹介WS』 【テーマについて】 今回は「自己紹介」をテーマに設けて色々と試してみようかなと思っております。 この発想の元は、とある企業の新入社員向けのセミナーで「まる一日、ひたすら自己紹介を行ってみる」というものがあった、という話を以前に聞いて、いつかそういったWSを行ってみたいなと思っていたためです。 自己紹介とは、言ってみれば自己のプレゼンでもある訳で、自らと向き合い、知ってゆくためには非常に有効な手段であるのではないかと思います。 ただ、今回は単なる自己紹介だけを繰り返してゆくという内容にはせず(おそらくその形式ではまだ難易度が高過ぎるので)、若干の縛りを設けたりしながら様々な切り口からの「自己紹介」を行ってみて、新たな自らの一面と出会えるきっかけを作れたならと思います。 【進行】 ■雑談(自己紹介について) ■ひとこと自己紹介 ■ひとこと自己紹介(ウソ) ■出身地大ウソ紹介 ■見た目の印象言い放題 ■立ち座り 【レポート】 ≪雑談(自己紹介について)≫ ●内容 開始前にしていた雑談が思いのほか盛り上がっていたため、そのまま流れを断ち切ることなく頃合いを見て「自己紹介」ということについてどんな印象を受けるかを言葉にしてもらうことにした。 ●気付いた点 ・別に意図していなかったことなのだが、今回の参加メンバーが皆演劇関係者だったためか「“自己紹介”と“演劇公演における前説”って似ているよね」という話になった。 ・自己紹介において、言っている内容の面白さや言葉の巧みさよりも、その人の人柄が伝わってくるような語り口に触れられた方が好印象を受ける気がする。 ・自己紹介において重要なのは紹介する側のあり方だけではなく、紹介を受ける側の姿勢もその効果を上げるためにかなり大きく影響するのではないか。 ●行なってみて 本日の勉強会の開始前の状況的に、なんとなくその時にしていた会話のいい流れを切りたくなかったので、その流れに乗っかる形で「自己紹介とは?」という話題にその会話をシフトさせてゆくようにしてみました。 というのも、自分としても、予め準備していたメニューだけを行うより、こういう何気ないやり取りの中から受ける刺激で何かしらのインスピレーションが生じる可能性もあるだろうなと思ったのです。 実際、色々と収穫はありました。 中でも、「自己紹介」と「前説」は似ているんじゃないかという話は、とても面白い気付きであったなと思います。 そう、演劇公演における前説って、やっぱり大切なものなんですよ(まあ、演劇に限らないだろうけれども)。 お客さんからしてみれば、前説時に初めて「“観客”という集団」としてその演劇集団の人達から向き合われる訳で、それはつまり、「観客」と「演劇集団」のファーストコンタクトとも考えられるのではないかと思います。 それってまさに「自己紹介」と言えるのではないでしょうか? まあ、前説の果たすべき目的として、ほとんどの場合に「上演時の注意事項についての説明の場」と考えられています。 しかしもしかすると、そのためだけにしか前説をとらえられていないということはとても勿体無いことなのかもしれないし、むしろそれによって知らず知らずのうちにお客さんに対して礼を失してしまっているようなこともあるのかもしれません。 この気付きは、この「前説」というものを改めて見直すためのきっかけとなれました。 おそらくは近いうちにこの勉強会でも、この「前説」をテーマにして色々と検証してみようかと思います。 これ以外にも、この雑談の中で生まれた発見はいくつかあったのですが、それらはこの後に実際に行ったエクササイズへと繋がってくるようなものばかりなため、ここではこれくらいにしておきます。 ≪ひとこと自己紹介≫ ●内容 参加者が一名ずつ、 「名前」+「一つだけ自分のことを紹介」し、 「聴衆は集中してその自己紹介を聞く」 という縛りを設けて自己紹介を行ってゆく。 これを何周も回してゆくのだが、頃合いを見て「相槌を打つ」「気になったら質問してみる」という具合に縛りのレベルを緩めていき、最終的には「会話になってもいいですよ」というレベルにまで緩める。 ●気付いた点 ・相槌があるのとないのでは、話し易さが断然違う。 ・後半の会話形式になっていった際、皆がお互いに知っている人間同士だと、その知っている情報量の差によって、語りかける側の人間の意識のベクトルがある特定の方向(この場合だと情報量が少ない人)へと集中し易くなる。 ・何周も回してゆくと、人によって「昨日今日経験したこと」を話す人や「好きなもの」について話す人、「これまでに住んでいた場所」を話す人、、、などと、話す内容のチョイスにある程度の法則性が生まれてくるので、そういった言葉にならない部分がその人の人間性をより明確に浮かび上がらせているのが面白い。 ●行なってみて これは元々色々なところで行われているエクササイズで、だからまあ、借り物ではあるのだけれども、ウォーミングアップとしては非常に有効なものなので今日の勉強会の導入時に取り入れてみました。 「名前に加えて一つだけ何か紹介する」という至ってシンプルな内容のエクササイズなだけに、どんな人でも簡単に行うことができて、しかも無理なく他者とコミュニケーションを取れるような段階の踏み方をしているので、不慣れな人同士で集まった場などでは非常に効果的だと思います。 しかし、そんな軽い気持ちで行ったこのエクササイズ、今回の参加メンバー構成のお陰で、これまでには気付かなかったような面白い発見がありました。 今回の参加メンバーは全員が顔見知りであったのと、プラス各人で相手のことを知っている情報量に結構なバラつきがあったため、自己紹介の縛りのレベルが緩んでゆく度になんとも不思議な傾向が見られたのです。 や、少し考えてみればそれも当然の話ではあるようなことだったのですが、話している時には全く気付いていなかったことであったため、フィードバックの際にその点についての意見が出てきて「面白いなー」って感じてしまいました。 それが、「紹介する側の意識が向くベクトルは、自らを知ってくれている情報量の少ない人間に対してほど、強くなってゆきがち」ということと、「逆に自分をよく知ってくれている人とは、知らず知らずのうちに協力関係を作ったりすることがある」ということ。 まあ、たぶんこれは今回の面子だったからこのような傾向になったのかもしれず、だから、メンバーが変わればまた違った傾向が見られるのかもしれないのですが、しかし、その傾向へ大きな影響を及ぼしている要素が「情報量」であることは間違いないと思います。 ここからは推測なので後日改めて場を設けて検証してみたいなと思うことなのですが、もしかすると、初対面同士であっても、例えば「自分と同郷かどうか」「趣味が合うかどうか」「年齢差」などのような自分との共通項の有無の差というものが、上記のような傾向に影響を及ぼしてくるのかもしれません。 また、この傾向は、このエクササイズだからこそ起こる傾向というよりも、自己紹介そのものが持つ性質によるものなのかもしれません。 思いのほか発見が多かったため、後日もう少し突っ込んでこのエクササイズについては検証してみたいなと。 ≪ひとこと自己紹介(ウソ)≫ ●内容 基本的な流れは上の「ひとこと自己紹介」と同じ。 が、決定的に違うのが「話す内容は全て嘘」ということ。 ※今回は、非現実的な嘘はNGとしました。 ●気付いた点 ・嘘をつかないバージョンの時にもそう感じていたことだが、今回はその時以上に相槌がないときついなと感じてしまった。 ・嘘をついている時の身体の状態や話す時の間の取り方などが、通常バージョンの時と比べかなり変化していたように感じた(全体的な印象としては固くなっていた)。 ・予め「嘘をつく」という前提があって、そこで紹介される内容が嘘であることは分かっているにも関わらず、素直に受け入れることのできる嘘とついついつっこみを入れたくなってしまう嘘の2パターンができてしまうのが面白かった。 ●行なってみて 先の「ひとこと自己紹介」からの流れで行ってみた。 元々「嘘」を組み込んだ自己紹介のエクササイズはどこかで試そうとしていたのと、先のエクササイズを行っている最中に「これを嘘でやってみたらどうなるかな」という興味が湧いてきたため、ここで試してみました。 実際に行ってみて実感したことは、普通の自己紹介よりも聴衆のリアクションがより気になってしまうことで、「何を話そうか」という意識よりも「ちゃんと聞いてくれているのかな」という意識の方の比重が大きくなっていて、ちゃんと聴衆に語りかけようとする意識が自然と強まっていたような気がしました。 たぶん、それがあったから周りからの相槌がより欲しくなってしまっていたのかもしれません。 また、話している時の間の取り方や身体の状態に変化が生まれたのも、そういったところに起因しているのではないかとも思いました。 紹介される側も、普通に自己紹介をされる時よりも強い興味を持って話を聞いていたように感じました。 推測するに、おそらく「嘘をつく」という縛りが生まれることによってその場にいる人達の持つお互いに対しての情報が無力化されるため、皆が対等な条件の下で人の話を聞ける環境が生まれるための現象なのかもしれません。 「この人はどんな嘘をつくんだろうか」という興味には、知り合いかどうかというお互いの関係による差はそれほど生まれないはずですので(まあ、知り合いの方が「どんな嘘をつく傾向があるのか」を予測し易かったりはしますが)。 もしかすると、自己紹介の際に生まれがちな情報量の差による語りかける側の意識のベクトルの強さの差、そして、聞き手が自己紹介を聞く際に抱く興味の差などは、このエクササイズのような「情報量の差を無力化させることのできる縛り」を設けることによってある程度埋めることができるのかもしれません。 別にその差があってはいけない訳ではないとも思いますので、普通に行う自己紹介も必要なのでしょうが、状況によってその場の人達が皆対等の立場に立てるような自己紹介の手法も用いることができるようになれれば、ただ自己紹介を行うだけで終わらせるより随分と可能性が拡がってくるのではないかと思います。 この発見は自分でも予想外であったし、それだけに大きかったです。 たぶん「嘘」以外にも効果的な縛りはあるはずなので、今後も色々と試してみようかと。 ≪出身地大ウソ紹介≫ ●内容 自分の出身地について、嘘の紹介をしてゆく(非現実的な嘘で)。 今回は、会話形式で一周だけ行った(なお、この時は各人5~10分くらい使ってた)。 ●気付いた点 ・馴染みの薄い地域についての嘘とよく知る地域についての嘘とでは、抱く興味の質が違っていたのでそれが面白かった。 ・同様に、話す側も自分の出身が他のメンバーにとってどれくらい馴染みがあるのかによって、話す題材の扱い方に違いが見られたように思う。 ●行なってみて 先のエクササイズを行った際に、「これって出身地によってつく嘘に何かしらの傾向が出てくるのかな」という話になり、それぞれの参加者の出身地を聞いてみたら皆出身地が違ったこともあって「じゃあちょうどいいから試してみよっか」という会話の流れに任せて行ってみました。 また、その傾向を探るならば嘘も大きな方がいいなと思ったので、非現実的なものにしてもらうようにしました。 行ってみて感じたのは、東京都という自分にとってはかなり馴染みの深い場所で嘘をつかれた時には、自分が既に知っている場所にもしそんなことがあったら面白いなという「if」の発想で話を聞いていたのだけれども、それが自分が一度も行ったことのないような場所の嘘であった場合には「ああ、そういう嘘がつきたくなるような場所なんだな」という風に、「ついた嘘からその地域の特色を探る」ような聞き方で話を聞くようになっていたことです。 きっと、こういう聞く姿勢の違いをうまく利用すれば、色々な応用のきいたエクササイズが浮かんでくるかもしれません。 また、話す側も、自分の紹介している場所が聞いている側にとって馴染み深いかどうかで、無意識のうちにその嘘の質とかを変えているんだろうなって思います。 あまり知られていない場所であれば無責任に大袈裟な嘘をつけるし、もし知られているのならばそのイメージを利用して嘘をつけるんだなと。 だからこの時も、唯一の東北出身だった自分は「あまり知られてないけど、、、」という感じで結構自由に無責任な嘘がつけたのだろうし、逆に東京都出身の江野澤君は「みんなが知っているあそこって実は、、、」というようにみんなの持つ知識を利用した嘘がつけたのだと思います。 これをやっていて思い付いたのだけれども、例えば、普通の自己紹介であっても、その時のメンバーの中で一人だけ出自が違っているような場合には、その人以外のメンバーでそれぞれが抱くその人の出自について語り合ってもらってイメージを共有し、その後、共有されたイメージと実際のズレをその人から説明してもらう、、、とするならば、聞く側もより興味を持てるし、紹介する側も話す内容に取っ掛かりができるため、より密度の濃い紹介になるかもしれません。 これ、そのうち試してみようかと。 ちょっと地域性とは違った部分での発見になってしまいましたが(地域性について探るには絶対的にサンプルの量が少なかった)、とはいっても上に挙げた傾向は、通常時の自己紹介にも応用できるものであるため、何となくのノリで試してみたエクササイズではあったものの、これは試してみてよかったなと思います。 ≪見た目の印象言い放題≫ ●内容 自己紹介する人が前に出てもらうが、その際はあまり動かず、話すのもNG。 で、本来聴衆の立場である側の人達が、その人から受ける印象を次々に言葉にしてゆく(聴衆同士の会話もあり)。 ●気付いた点 ・実際に行ってみて、「見た目から受ける印象」と「見た目からかき立てられる妄想」とがごっちゃになってしまい、「自己紹介する側の人間が本来持っている質感や空気感が、他者にはどう伝わっているのか」というところから会話が徐々に離れていってしまった。 ・別にそれ自体が悪いことではないが、それだとあまりにも自由度が高すぎるために話があっちこっちにいってしまい、なかなか話が積み重なっていかないし、新しい気付きにも繋がりにくくなってしまうような気がする。 ・実際にやってみた感じではもう少し交通整理はできるだろうし、した方がきっとやる側も逆に自由になれるんじゃないかと感じた。 ●行なってみて これこそまさに実験的に行ったエクササイズであったため、この時は完全に不発に終わってしまいました。 しかしまあ、試してみる前からそうなるだろうなということは予測できていたので、そうなってしまったことについてはあまり問題は感じておらず、むしろ、どのように手を加えてゆけば効果的なエクササイズになり得るのか、そこについて多くの発見があったため、非常に有意義な実験となれたなと思います。 そもそも、このエクササイズの一番の目的は、自己紹介における「自らの意図しない部分で他者へ伝わっているもの」、そして「非言語の要素」というものの重要性に気付いて欲しくて考えたものです。 だからこそ、今回試したやり方では敢えて言葉を用いず、また、余計な動きも制限した状態で前に立ってもらっていたのです。 がしかし、あのままではやっている人の気分によって向かう方向がコロコロ変わってしまう行き当たりばったりな会話に終始してしまうためになかなか話が積み重なっていかないので、もう少し交通整理が必要だなと感じてしまいました。 で、色々と考えた結果、浮かんできたアイデアとしては例えば、 ◆自己紹介する側の方の人間が、「僕のここってどう見えます?」という感じで質問してみる(例:「部屋は綺麗そうか」「彼女がいそうか、いたらどんな女性か」などなど)。 ◆聞く側の人間が一人一言ずつ順番に見た目の印象を言葉にして垂れ流していってもらうのを何周かしてみる。 ◆二人一組になり前に出て、その片方の人がパートナーに対し自己紹介をしてもらい、ギャラリーはその聞き手側の方の人の様子を見てその人の人柄を読み取ってみる。 といったところが浮かんできました。 たぶん、こうしてみるだけでもかなりすっきりしてくるんじゃないかと思います。 で、そこからの発展形として、「見た目からかきたてられる妄想」に繋げてゆければいいんじゃないかなと。 「失敗は成功の母」とは言いますが、こうして遠慮なく失敗ができる場として立ち上げたのがこの勉強会でした。 徐々にですが、この活動が自分が指導者として活動してゆくにあたってアドバンテージになってきているような気がします。 ≪立ち座り≫ ●内容 二人一組となって、言葉を使うことなく相手とコミュニケーションをとってみるだけのシンプルなエクササイズ(相手との関係が築ければ、どのような形になってもよい)。 ただしその際にいきなり相手とのコンタクトをとり始めてしまうのではなく、その導入としてまずは正対して向き合い相手の目を見合った状態になってから、「立つ」と「座る」を各2回ずつ行い(そのタイミングは自由)、それから相手とコンタクトをとり始めるようにする。 ●気付いた点 ・言葉の意味合いでの会話に頼らない分、相手のことをよく観察するようになるのと、今まさに目の前に存在している存在と皮膚感覚でのやり取りを行うので、意外と初対面同士で行ってみるのもありなのかもしれないなと思った。 ●行なってみて このエクササイズは自己紹介からは趣旨がだいぶ離れていたのですが、非言語の部分で他者と関わりを持つというところで何かしらの発見に繋がるかなと思い試しに行ってみました。 「言葉を使わない」という制約を設けるだけで、人と関わる際に相手をよく観察するようになるし、また、相手も自分のことをよく観察してくることで自分の些細な変化にも相手は気付いてくれるようになるため、非常に密度の濃いやり取りが行えるのがこのエクササイズの特徴です。 それだけに、言葉の意味合いだけでやり取りをしていた時には見落としてしまっていたものにも気付けるので、初対面同士で行ってみるのも実は相手を理解するためには非常に有効なのだろうなと感じました。 まあ、だからこそ、他者に対する苦手意識なども全て露呈してしまったりと、行う人を丸裸にしてしまうものでもあるため、一つ扱いを間違えると非常に危険なエクササイズでもあるとのだいうことは、忘れずにいたいなと。 指導者としての自分にとってこのエクササイズは全ての基本となるものであると考えているので、尚更その扱いには気を付けてゆかねばと思います。 ≪総括≫ 結構やり残したものはあったものの、今回のメンバー構成を考えればこれくらいのボリュームで丁度よかったのかもなと思いました。 ただ、一応、備忘録としてやり残したものは書き記しておきます。 [やり残した主なもの] ■自己実況(意識のフォーカスを内⇔外で交互に) ■目隠しで触った人当てゲーム ■ひとこと自己紹介(ウソ)でついた嘘の人物像を演じてもらう 今回は、これまでのWS実験に比べても、かなり実験できていたような気がします。 ふと浮かんだアイデアを未完成なままに色々試しつつ「どうしたら成立できるか」の道を模索してみたり、その場で出てきた意見やふとした一言を拾ってそこから生まれたものをすぐさま試してみたりと、その場で生まれたものを大事にできていたことが、そう感じさせてくれていたのかもしれません。 しかし、こういう感じで行えたのも、参加メンバーの方達が遠慮せずにどんどんと意見を出してくれているからこそであったりします。 そう、こういう空気を読まない感じ(というのも大袈裟ですが)でそこにいるメンバー同士が意見を出し合える場というのが、自分の求めていた勉強会の環境なんです。 空気を読み合ってしまうと、大抵の場合アイデアが予測範囲内で止まってしまいます。 が、「え?ここでそれ言うか?」みたいな意見が出てきた時というのは、例えばその意見の出処を探るだけでも思いもしない発見が生まれてくる可能性があるのではないかと思います(まあ、とはいえ残念な結果に終わってしまうことが大半ではありますが)。 先日の記事でも書いたように、「理解できないことを理解できないままに受け容れてみる」ことで、何か新しい気付きに繋がってくることだってあるはずです。 だからこそ、このような「勉強会」というような場が生きてくるのではないかと思うんです。 ようやくではありますが、この活動が僅かながらも機能し始めている実感を持ててきております。 なので、このいい流れに乗ったまま、より充実した活動へと発展させてゆきたく思います。 ※勉強会についてはこちら
by syohousen
| 2010-03-07 20:09
| レポート(勉強会)
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