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「即効性」という誘惑に対する私見

これは演劇に限らないことなのだが、、、
指導者としての活動を行なってゆくと、
どんな人に対しても効果があってすぐに結果の出せるような
即効性のある方法論を求める人の多さに驚かされる。

が、思うのだが、そんな誰にでも通用して
更に即効性もあるような方法論というものが存在するのだとしたら、
そればかりを求めることに果たしてどれだけの価値があるのだろうか?


たしかに、そのジャンル全体のレベルの底上げができるという視点から見れば、
その方法論自体は非常に価値のある素晴らしいものだと言えるだろう。

しかし、そこまで誰にでも劇的な効果を及ぼすのであれば、
おそらくは多くの人が学ぶであろうし、
そうなると、きっとその方法論は学ばねばならない「基本的な」方法論として
いずれはその業界に浸透してゆくはずである。

それは素晴らしいことであり、大変意義のあることだと思う。


但し、そうなれば、人との違いを出すためには
その方法論だけでは不十分ということになる。

何故なら、その方法論は「誰にでも通用するもの」だからである。

素晴らしい方法論で、しかもそれが誰にでも通用するのであれば、
平凡な人も優れた人も同条件の元に習得できる訳なのだから、
結局それだけを武器にしても平凡な人間は優れた人間には敵わないはずである。

従って、自分ならではのものを身に付けるためには、
それとは違ったアプローチを仕掛けてゆかねばならなくなってくるだろう。


先に書いた「価値があるのか」というのは、
即効性のある方法論そのものや優れた方法論を求めることに対して
価値がないといいたいのではなくて、
すぐ楽になろうとして本質を見誤ってしまう
その発想の愚かしさに対し自分が抱いた率直な感想という訳である。


まあ、そもそもそこまでの方法論にお目にかかれること自体、
そうそうないのではあるのだが、、、

特に「本当の自分に出会える!」とか
「たった1日で自分の演技に劇的な変化が訪れる!」などというような
唱い文句のWSやセミナーに参加して
その文句通りになったことは少なくとも自分の経験の中では皆無である。


そもそも、どんなに優れた方法論であっても、
即効性だけを求めていては十分な成果は得られないと思う。

どんな方法論であっても、それを生かせるかどうかというのは自分次第だ。



だいたい、そんなに簡単に名優になれるならば、世の中名優だらけである。

そんなに簡単に「本当の声」や「本当の自分」とやらに出会えるなら、
死の間際まで生きることに悩んでいた過去の偉人達は大馬鹿者であったのか?

こんなことは少し考えてみれば容易に分かることなのだが、、、

やはり幻想を振り切るのは難しいということか、、、


少なくとも自分は、声のことも己自身のことも、
一生かけたとしても分かりきることができる気が全くしない。

そして、それは自分が馬鹿だからだとは決して思わない。
by syohousen | 2009-10-14 21:12 | つれづれと
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